数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
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歌子の部屋

vol.24

対談企画 ゲスト:小塚崇彦さん

高度なスケーティングスキルでジュニア時代より活躍し、2016年に現役引退された小塚崇彦さんにお話を伺いました。

現役時代の思い出

小塚崇彦

今までで一番思い出に残っている大会はなんですか?

バンクーバーオリンピックはもちろんですが、やっぱり自分の中では2011年の世界選手権銀メダルですかね。色々あったシーズンですけれど、銀メダルを取れたことはうれしかったです。

私もあの銀メダルは本当にうれしかったです。

あの年は東日本大震災があって、日本開催の予定だった世界選手権が中止になりましたが、準備は万全にできていたんですよね。大学卒業の年だったのですが、世界選手権がなくなるという話になり、友達が企画していた卒業旅行に一緒に行ったんです。

どこに行ったのですか?

高知です。車で9時間30分かけて行きました。そこで気持ち的にもリフレッシュできたのも良かったかなと思います。

私は、崇ちゃんの現役最後の全日本選手権(2015年)で演技されたフリーの「イオ・チ・サロ」がすごく印象に残っていますね。会場の上の方で観ていたのですが、感動して泣いてしまいました。それまでの色々な事が思い出されましたし。

僕の場合は、大ちゃんのように「一つの作品を作り上げる」、「プログラム一つでその情景を作り出す」ということのできるようなスケーターになりたいと思っていました。でもその一方で、なれないんだろうなとも思っていましたね。だから違う方法でお客さんに伝えていこうと思ったんです。それが、「無機質な流れ」というか、「何か意味を持っているわけではなくてもスーッと流れていくようなプログラム」。それが作りたいと思うようになりました。

全日本ジュニア選手権の思い出

まもなく全日本ジュニア選手権が始まりますが、思い出はありますか?

やはり、ジュニア最後のシーズンですかね。

あのシーズンは、Jr.GPファイナル、全日本ジュニア選手権、さらに世界ジュニア選手権も優勝した年ですよね。

あの年はすごくよく練習をしました。ジュニアでの最後のシーズンということもありましたし、信夫先生と相談して、夏休みからフランク・キャロルコーチのところへ3カ月近く練習に行きました。本当にたくさん練習していたと思います。

そうだったんですね。

フランクさんは、練習の時は多くを口出しするわけではなく、基本的にはプログラムに対する全体的な流れや雰囲気を教えてくださいました。そして試合に臨んだ時に調整してくださり、それがすごく上手だなと思いました。

フランク先生はいつお会いしても落ち着きのある上品な紳士で、(佐藤)信夫先生に雰囲気が似ていますよね。なぜフランクさんのところだったのですか?

あの時は、フランクさんが夏合宿をやるということで、そこに当時勢いのあったエヴァン・ライサチェク(バンクーバーオリンピック金メダル)が参加するということを知りました。そこで一緒に練習したいと思ったんです。

それは大きい経験ですね。

はい。一緒に練習できたことは大きかったと思います。おそらく一緒に練習できなかったら、あのジュニア最後の年に、あれだけの成績を残すことはできなかったと思います。

当時の崇ちゃんにとって全日本ジュニア選手権のタイトルはどんな意味がありましたか?

僕の場合、普通の選手は最多で6回しか出ることができない全日本ジュニア選手権の大会に、7回出てるんですよ。

そうなんですか?

はい。ノービスBの時から推薦で出ているんです。
だから、7年間かかってやっと初優勝できたというのもあって本当に嬉しかったですね。全日本ジュニア選手権のタイトルというのは、日本の全ジュニア選手の中で一番という事ですから、それは大きいですよね。Jr.GPファイナルや世界ジュニア選手権のタイトルを持っていることも大きいことですが、やっぱり「全日本ジュニア王者」というのはまた格別でとても価値のあることだと思います。

あのシーズンは今シーズンと同じく、オリンピックシーズンでしたがその意識はありましたか?

実は僕の場合少し意識しました。でもその意識が失敗につながってしまいました。Jr.GPファイナルも優勝しましたし、すごく調子が良かったんです。それで心の片隅に、「もしかしたらオリンピックへ出場できるかもしれない。」という気持ちがあったんです。そんな中迎えた全日本選手権のショートプログラムでジャンプを2本ミスしてしまったんです。

覚えています。

あの時はトリプルアクセルも飛べるようになっていたのですが、全日本ジュニア選手権の場合はダブルアクセルを入れないといけなかったじゃないですか。そのダブルアクセルを全日本選手権でトリプルアクセルに変更したんです。でもその結果、フリップとルッツのジャンプを失敗して、結局変更した意味がなくなってしまいました。

そうでしたね。あの時お父様とお話させていただいたのですが、すごくがっかりされていて、「歌ちゃん、難しいな…。」っておっしゃっていたのを覚えています。

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)