数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.3

対談企画 ゲスト:本田武史先生

世界選手権で2度の表彰台、現在はプロスケーターとしてショーやコメンテーターなどで活躍する本田武史さんにお話を伺いました。

日本男子フィギュア界を切り開いた本田さん

本田武史先生

武史先生には、本当に感謝してるんです。先生が海外に住んで練習して、世界選手権3位に入ってくれたから、大輔も強化費をもらって海外で練習できるようになったんですよ。
武史先生が男子フィギュア界を切り開いてくれたから、大輔もそのレールに乗ることができたっていう感じ。彼はラッキーだったのよ。

長野オリンピックが終わってからソルトレイクシティオリンピックまでっていうことで、強化費を出してもらい、海外で練習できたんですけどね。

強化費が全くない時代もあったわけですもんね。世界に対して、“日本”というブランドを武史先生達が作ってくれたんですよ。

昔は大変でしたよ。世界から見たら、日本人はメダルを獲れないって思われてましたしね。佐野稔先生の世界選手権3位から27年間、獲れてなかったですよね。初めての世界選手権が、96年にエドモントだったんですけど、僕、ほぼノーミスだったんですよ。でも結果は13位…。

特に旧採点だったから、余計にそうなのよね。昔(佐藤)信夫先生がおっしゃっていたの「あなたが日本人じゃなかったら表彰台に登れてたよ」って言われたらしいの。

そういう時代だったんですよね。

話は変わるけど、カナダに大輔を連れていった時に、当時の武史先生のコーチだったダグ・リーとミッシェル・リーが、武史先生と家族同然って感じですごくうらやましかったわ。日本人がこんな風に認められて、愛されてるんだって感じて。

練習してる時は言い合いになったりしたけど、プライベートは家族同然みたいな感じでしたよね。本当に彼らは温かい人たちなんですよ。毎年ダグのスケートチームでゴルフ大会があって、そこでオークションをやるんですけど、そこで集まったお金は全部近くの病院に寄付するんです。スケートのチャリティーショーもやってたりして、ブライアン・オーサーとか、(伊藤)みどりさんもすべってるんですよ。

1回、大輔も出させてもらったわよね。そういうのって、本当にいいよね。社会貢献もしっかりしていますね。

そうですね。僕はそこで、本当の“チーム”っていう言葉を知ったっていうか、チームでやる意味を学びましたね。

本田武史さんの現役時代

武史先生って本当にいいプログラムが多いですよね。『仮面の男』もそうですし、『アランフェス』も好きだったの。でも一番好きだったのはニコライ(モロゾフ)が作った『リバーダンス』。あれはたしか、シーズン途中で変えて作ったんですよね?

そうです!全日本選手権の1週間前ですよ。

え~!!でもその全日本がとっても素晴らしかったよね!?

あの時は、グランプリファイナルを棄権して、プログラムを変えたんですよ。(アメリカの)シムズベリーに行ってニコライと相談しながら、出来上がったのが全日本の1週間前。それから手直し手直しで、四大陸選手権で4回転を3回跳んで優勝したんです。その時、ニコライは本当にすごいなって思いましたね。

コーチの目線から考えること

先生を始めて、一番大変だったことって何?

親御さんとの会話が一番大変でしたね。若かったっていうのもあるんですけど…

私が日本にずっといれば、そういう所は対応できたんだけどね。大輔と海外に行っている時は、任せっきりだったもんね。

子供たちは人ぞれぞれで、一気に伸びる子もいれば、少しずつ伸びていく子もいるじゃないですか。だけどその中で、「何でうちの子は…」ってなるのが一番困りましたね。

それは、難しいところよね。だから私は、親御さんたちにいつも言うの。「その年の勝ち組は、世界チャンピオンただ一人だけ。後はみんな負け組なんです。その負け組の中で、争ったって一緒。だからその中で、どれだけ目標を持って努力していくかなんですよ。」って

そうなんですよね。でも、今は自分が親になって、なんとなく親御さんの気持ちがわかるようになりましたね(笑)

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)