数々の有力選手を指導する長光歌子先生が
フィギュアスケート界を楽しく語ります!

歌子の部屋

vol.3

対談企画 ゲスト:本田武史先生

世界選手権で2度の表彰台、現在はプロスケーターとしてショーやコメンテーターなどで活躍する本田武史さんにお話を伺いました。

2015.11.26

本田武史先生
本田 武史(34)
本田 武史(34)
プロスケーター、フィギアスケートコーチ。日本初の4回転ジャンパーであり、ソルトレークシティ五輪4位、2002年、03年世界選手権3位の実力者。

本田武史さんと観覧車で対談

歌子(以下:歌)どうですか、観覧車での対談って?

本田(以下:本)いや~不思議ですね。まず乗らないっすもん、観覧車は。

私も乗った覚えはあるんですけど、いつかもどこかも覚えてないですね。こういう都会の中の観覧車っていうのもいいですね。
でも、まさかね。(本田さんが)福島出身なのに大阪でお嫁さんをもらって大阪に住んでるのって、ビックリだね。

それもまさか、昔合宿してたリンクの近くに住んでるんですからね。

そうだった、そうだった(笑)

日本に住むってことも昔は考えてなかったですもん。

日本に帰ってきてから何年?

もう、9年経ちますね。

じゃあ、来年は10周年のお祝いをせなあかんね?

ははは

二人の出会いについて

本田武史先生

武史先生、私と最初に会った時のこと覚えてる?

最初ですか…覚えているのは、中学時代の大阪での合宿ですよね。あれは夏でしたね。

そう、明治製菓のリンク場だったわよね。

氷はビシャビシャでしたね。

大阪のリンクは、夏暑いから氷が解けちゃうんですよ。あれは大変だったよね。

はい、まず氷がすべらないし、転んだらビショビショになってしまうし。

あの時はたくさん選手が来たじゃない?(荒川)静香ちゃんも来てたよね。

そうですね。

武史先生が中学2年生の時、(当時練習拠点だった)仙台にプログラムを作りに行ったの覚えてる?

覚えてます!ロバート・ダウ(振付師)とプログラムを作りに来てくれたんでしたよね?

静香ちゃんも作ってもらっていたわよね。武史先生は覚えるのが早いって言われてたよね。

昔はそんなことはなかったんですけどね。最初の頃は、静香に覚えるのが遅いって言われてましたよ。

へー、そうなの?

はい、でも悔しくてそこからがんばったんですよ。

それは意外だね。いつもあっという間に覚えるイメージがあったから。

でも、なんだかんだで、そこからずっと歌子先生と付き合いがあるんですよね。小さい頃もそうですし、カナダに住んでる時もそうですし、今も同じリンクで教えてるんですもんね。

中学1年生の時からだから、(髙橋)大輔より長いよね。大輔は中学2年生の時だから(笑)なんていうか切っても切れない関係ですかね。

そうですね。

なんせ私たちって、誕生日が3月23日で一緒だからね!血液型もAB型で一緒だし(笑)

本当にそうですね!引退した時に歌子先生から、コーチしないかって言われた時はビックリしました。

ちょうどタイミングよく、関西大学のリンクがオープンする時で、私はジャンプを教えるのが得意な方ではなかったので、ぜひ来てほしいと思ったんですよ。

僕は、カナダで家を探していたし、ずっと向こうに居ようかなって考えていたんですよ。そしたらいきなり「どう?」って言われて。

私も半信半疑で電話したんだけど、まさか来てくれるとは(笑)けど返事はすぐだったわよね?

最初は、“はぁ”って感じだったんですけどね(笑)でも実際コーチを始めて大変だったのが、それまでやったことないのに、歌子先生が大輔と遠征に行かないといけないからって、「あとお願いね!」って言って、どうしたらいいのかわからなかったことですよ!
今は笑い話ですけどね(笑)

本当にあの頃は、迷惑かけてたわよね(笑)

僕、高校からずっと海外だったし、一番の思春期に日本に住んでいなかったから、日本の環境すらはっきりわからなくて…

長光歌子(ながみつ うたこ)
長光歌子(ながみつ うたこ)