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大赤字ポップコーン 売るには? 女性社長の大逆転奮闘記

高知県高知市で珍味やおつまみの卸売を手掛けるあぜち食品は、ある問題を抱えていた。
和田さんは会社で製造販売しているポップコーンに頭を悩ませていたのだ。 それは『マックのポップコーン』という名で売られている高知県の映画館では定番のお菓子だったが…もともとは、あぜち食品が作ったものではなかった。

現在 あぜち食品の社長を務める和田さんにお話を伺うと…
和田「最初は久保田商会さんというポップコーンやられてた会社さんがいて、そこは映画館に主に卸をしていてですね。その会長さんが高齢で、あの 後継者もいないということで、廃業するっていうお話を聞いてですね。高知のご当地お菓子ですし、無くしたくないって思いも私たちにもすごくあったので、はい」

1976年に和田さんの父が創業したあぜち食品。 元々 ポップコーンは扱っていなかったのだが、2003年 事業を引き継ぐことを決め、マックのポップコーンは新たなスタートを切った。
しかし、事業を引き継いで2年余りで映画館は次々と閉館。 当時、映画館以外からの収入は微々たるもの、ポップコーンの販売継続が危機的状況になっていた。

すると…和田さんは、ネット販売に乗り出した! しかし、ポップコーンをわざわざ通販で買う人はほとんどいない。
そこで和田さんはある秘策を打った。 おつまみなどを購入したお客さんにオマケとしてポップコーンを無料で入れたのだ。感謝の手紙を添えて。 しかし、売り上げは全く伸びなかった。

そして、事業を継承して11年後、この日 たまたま店を訪れた知人が和田さんの人生を変える。
この時、箱の中を覗いて言った知人の一言が、あるアイデアのきっかけだった。
それまで、まったく売れなかったポップコーンが、飛ぶように売れ始めた。 今やポップコーンは、年商の4割を占めるほどの大人気商品に!

オマケで配っても反応はない!
販売中止も視野にいれていたポップコーン。
さあ、あなたならどうする?

和田さんのアイデア。 それは…手紙の代わりに貼った あるシール。
『食べられる緩衝材です ご一緒にどうぞ』
そう!ポップコーンを「オマケ」ではなく『食べられる緩衝材』と名付けていれたのだ。

当時実際に使われていた袋がこちら。
注文された小瓶を 挟むように詰められていた。

和田「まあ私はずっとオマケの感覚だったんですけど『あ これ緩衝材っぽいね』って言われて『はっ…!ホンマや』って思って。あ、じゃあそのオマケって言葉を緩衝材って変えようって思って。そしたらなんか面白いかなとかって思って。なんか クスッと笑ってもらえるかなと思って」
すると、予期せぬことが起きた。
和田「『チョコレート買ったらポップコーンがついてきた』みたいな。『緩衝材だった』みたいな感じでそれでバーンってバズっちゃって」

ポップコーンの緩衝材に驚いた女子大生の投稿が3日間で3万8000回もリツイートされた! その後も、アイデアを絶賛するツイートが続々! ポップコーンの存在が日本中に知れ渡ったのだ。
手作業で緩衝材シールを貼っていたパッケージは、現在 それを全面に打ち出したデザインに!!

和田「これ別に売りモノとしてやってなかったんですよ、私たちは。本当にオマケとして食べてもらいたい。知ってもらいたいって思いで入れてたのを『なんで販売してくれないの?』って。『これを仕入れたい』とかって言うところが増え、『あ どうしよう…』って。またそこでパニックになったりとかして」

5袋 648円で緩衝材として販売すると、配送が必要な業者などに 飛ぶように売れた! 同時に、味に惹かれてシンプルにポップコーンとして買い求める人も日に日に増えていった! その結果、売り上げは事業を引き継いだ当時の30倍に! 今や、あぜち食品を支える看板商品へと成長した。

あぜち食品の専務であり、和田さんの母・佳さんはこう話してくれた。
「あの確かに緩衝材ってプラスチックみたいな形でやってたら、そのまんまゴミになってしまうものが、食べれば小さくなりますから。そういう意味でもエコなんだなって思ったり、社長のあれは間違ってなかったんだなっていうのは思いますね」

和田「だけど、エコだとも思ったことがなかったから私。ほんとに。だって『オマケ』ですもん」