オンエア
芸能人たちの生死をわけた瞬間!九死に一生SP!
まずは…北村匠海!
俳優として映画『君の膵臓をたべたい』で、各映画賞で新人賞を総なめに!
その後、出演する作品は常に話題を集め、昨年はNHKの朝ドラに出演するなど、常に 第一線を走り続けている!
さらに、DISH//のボーカルとして、紅白歌合戦への出場を果たした。
俳優と音楽の両分野で輝きを放つ、今をときめくスターである。
今から7年前の12月。
北村はある旅番組の撮影のため、番組スタッフ、マネージャーらと飛行機に乗った。
成田から、フランスのパリを経由し、アフリカ、モロッコのカサブランカに到着。
ここで国内線へと乗り換え、ジブラルタル海峡に面した風光明媚な港街、タンジェに向かう予定だった。
北村「実際に自分が大袈裟かもしれないが、死の淵にたって『もう自分はここで終わりなのかもしれない』と思った時に、仕事をする上でも、生きていく上でも大事にしている死生観が変わった」
9歳から芸能活動を始めた北村、この出来事のおよそ1年半前、日本アカデミー賞新人俳優賞など各賞を受賞すると、映画やドラマのオファーが急増。
さらにこの頃、バンド活動でも全国ツアーを成功させ、多忙な日々を送っていた。
しかし…
北村「自分が着実に評価をされていく一方で、人としての生活を失うような感覚があったり、自分の気持ちをどこに置いていいのか、自分とは何なのかみないな、本当にわからなくなっちゃってましたね。全員敵のように感じてしまったりとか、そういうことはすごくありましたね。そういう期間でしたね」
本業とは異なる旅番組…異国の地で新たな文化や風習などを体験し、自分を見つめ直せば、気持ちを切り替えられるかもしれない。
そんな思いもあって、この仕事を引き受けたのだった。
定刻を1時間ほどすぎて、ようやく飛行機が出発することになった。
国内線のため、機内はほとんどが現地の乗客。
日本人は北村と番組関係者のみ。
この時、北村が乗ったのは、70人乗りのプロペラ機。
とはいえ、短距離ならジェット機と遜色ないスピードで飛ぶ、世界中で広く使われている最新機だった。
現地時間、午後11時15分。
北村は飛行機が飛び立つと、すぐに眠りについた。
そして、到着予定時刻が迫った頃、飛行機は激しい揺れに襲われた!
機内では悪天候のためシートベルトの着用を促すアナウンスが流れていたが、言葉のわからない北村たちは状況が飲み込めず、恐怖だけが増していった。
北村「もう人生で感じたことのない揺れと、あとは機内での悲鳴と、赤ん坊が泣いている声もありましたし。よくドラマとかバラエティとかで再現VTRっていうのがあると思うんですけど、なんかそういう再現Vでしか聞いたことのないような悲鳴が実際にもありました。実際にやっぱこうなるんだなっていう」
さらに激しい揺れは続き、異国の地で言葉もわからず、状況がまったく把握できないまま、揺れと恐怖に怯え続けた。
実はその少し前、タンジェ空港に北村たちを迎えにきた番組関係者は、想定外の光景を目の当たりにしていた。
強風のため飛行機は着陸できず、去ってしまったのだ。
北村を乗せた飛行機に、一体、何が起こっていたのか?
我々は、現地の航空会社に当時の飛行状況の情報開示を求めた。
しかし、回答は得られなかった。
そこで、当時の状況を調査するため、世界中の飛行機の位置情報をリアルタイムで追跡している会社(Flightradar24)に問い合わせたところ、北村が乗った飛行機の位置情報・飛行経路を詳細に示したデータを入手することができた。
データによると、機体は一度、着陸態勢に入ったのだが、寸前で着陸を断念。
再び高度を上げていたことがわかった。
安全を考え、着陸をやり直すことは珍しいことではないが、一体何があったのか?
番組では 当日の気象データも入手!
飛行経路と天候をもとに、専門家に分析してもらうと、その詳細が判明した!
杉江 弘さん(元JAL機長/航空専門家)は、こう話してくれた。
「あの時の情報や天気を分析すると、積乱雲が急にできて、その積乱雲から突風が吹き下ろした。航空専門用語としては、ダウンバーストという言葉があるんですけど、パイロットからすると 天候で最も危険な現象です」
ダウンバーストとは、竜巻と同じく積乱雲によって発生する猛烈な突風をもたらす気象現象。 竜巻が渦を巻きながら吹き上げるのに対し、ダウンバーストは積乱雲の中で冷やされた空気が、一気に地上へと落下し、強烈な風となって吹き下ろすのが特徴だ。 積乱雲といえば夏を想像しがちだが、この出来事が起こった12月、冬でも積乱雲は発生し、激しい下降気流を生み出すことがある。 このダウンバーストは、強いもので最大風速50メートルに達する下降気流を起こすこともあるという。
1970年代に、その存在が解明されたダウンバースト。
その後、航空機事故との関連が次々と明らかになっていった。
1994年には、USエアー1016便が墜落。
37人の死者を出す大惨事となった。
少しでも判断を間違えば、大惨事も起きかねない、厳しい気象条件の中、北村を乗せた飛行機の運命は!?
実際のフライトデータを視覚化してみると…しばらく上空を旋回していることがわかる。
飛行機は、縦揺れ、横揺れを繰り返しながら、高度を下げていった。
そして…風は弱まったと判断し、再度 着陸を試みた機体は、再び 爆発的な下降気流に遭遇。
安全な着陸体制が保てず、パイロットは再び機体を上昇させるしかなかった。
飛行機はカサブランカ航空に引き返すことになったが、北村たちはアナウンスの言っていることが分からず、不安を募らせていた。
北村「なんかそこで ああ自分はもうここで終わりなのかみたいな感情に至るくらい、言語も何を僕らに伝えてくれているのもわからない。そういう不安の中、なんかもう心臓のなりようというかそういうのはすごい憶えてますし、あの時くらいですかね。こう死を感じたのは」
悲鳴はなくなったが…一度、死の恐怖を味わった乗客たちに安堵の色はなかった。
2度にわたる着陸の失敗は、人々に無事に着陸できるのかという恐怖心を植え付けていたのだ。
そして、飛行機はそのまま飛行を続け、1時間後…着陸体制に。
そして、無事、空港に着陸した。
その瞬間、乗客たちはようやく助かったと安緒した。
飛行機はタンジェ空港への着陸を諦め、1時間かけてカサブランカ空港に引き返したのだった。
北村さん「カサブランカに着陸して機内全員が拍手するみたいな時間があって、その時に ああやっと助かったと思いました」
その後、乗客全員、航空会社が手配したバスに乗り換え、陸路でタンジェを目指すことになった。
およそ5時間の移動だったが、文句を言うものは誰一人いなかったという。
北村「朝日ってこう何度か(自分で)撮影していたりとか、日常的にこう見たことありますけど、あの朝日は忘れられないですね」
北村「自分がまさかこういう経験をするとは思わなかったですし、自分が九死に一生という体験をして、自分の中の人生のテーマがやっぱそこでこう決まったところはあったので、なんか常にやっぱりどう死ぬかを考えるんじゃなくて、僕は どう生きていくかを考えているし、日々自分にとって明日がある…それって幸せなことことだなって、再認識できるなんかこう原点のような出来事だったです」
この出来事を機に、北村にとって『今をどう生きる』が人生のモットーとなった。
旅番組でモロッコを訪れていた北村匠海。
その移動中、飛行機を猛烈な突風が襲った。
着陸までの間「死」を感じたという地獄のフライト
その後 飛行機は出発した空港へ引き返し、北村たち乗客は バスで陸路を移動して目的地へ向かった。
この経験を境に北村の『死生観』は大きく変わったという。
北村「今をどう生きるか、今この瞬間をどう生きるかっていうことが、僕は生きる上で一番大事なことだと思っています。自分の中でのモットー。それを言うと 大袈裟だよ言われることもあるんですけど、10分後に死ぬかもしれない、5秒後に命がなくなってしまうかもしれない、毎秒 毎分 無駄にできないよねって思うし。だからこそ 忙しく生きるということではなくて、常に自分の心を豊かにするためにはどうするか?どう今を生きるのか?人のことを悪く言わないとか、常に優しい心でいるとか、自分が笑顔でいるためにはどうするのかっていうのを常に考えています。それは 本当にモロッコのあの出来事からですかね」
スタッフ「この経験が仕事に与えた影響は?」
北村「自分が書く歌詞だったりとか、自分が監督した映画もそうですけど、生きることを歌う、生きていることを表現する。自分が ゼロイチで作り上げるものには落とし込んでいるつもりで、役者の仕事は 与えられた役の世界だったりとか、役の幅でできる表現があるので、常に それを落とし込むことはないし。役によって異なりますけど、今でも 朝ドラなんかもそうでしたけど、僕には付きまとうんですよね。生きるというテーマが。やなせたかしさんが なぜアンパンマンを作ったのかとか、そういうテーマに自分は出会ってきていて。モロッコでの出来事、生きるか死ぬかの境にいた出来事っていうのが、表現の技法を変えたわけではなくて。自分が役者だったりアーティストだったり、表現という活動をしていく中で、僕が何を伝えていかなきゃいけないのかっていう使命をいただいたような気がします」