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誰にでも起こり得る 不可解なカラダの異変

活発だったある少女に突如起きた身体の異変。 事態は恐るべき方向へ進んでいく。
その少女の事をよく知る、ヴィクトリア・アーレンさんはこう語る。
「誰にでも起こり得る出来事ですが、歯車が狂うと時に恐るべき状況を招くことがあります」
果たして、少女の身体を蝕むモノとは!?

アメリカ・ニューハンプシャー州エクセター。 今から32年前、ヴィッキーは三つ子の中で唯一の女の子として誕生した。 家族のアイドル的存在として育った彼女は…『テレビの人気者になる』事や『ダンサーになる』など、多くの夢を持つようになった。

そして、自宅にあるプールで遊ぶようになると『水泳で金メダルを獲る』それが一番の夢になった。
世界一を目指すには、自宅のプールで泳ぐだけでは足りないと、水泳チームに入り猛練習を開始! すると…10歳の時には、地元の大会で連戦連勝! 夢への階段を着実に駆け上がっていた。

ところが、彼女が11歳の時、ある異変が起き始める。
突然、右下半身に痛みが出るように。 心配した両親が病院に連れて行くと…大腸にある『虫垂』に炎症が起き、右下腹部から右足付け根あたりに痛みが起きる『虫垂炎』と診断された。

手術をすれば治るという事だったが…手術をして良くなるどころか、右足の痛みの範囲は広がっていく。 さらには…左足にも痛みが広がっていった。
そして…突如、下半身の感覚がなくなり、全く動かなくなってしまったのだ。

病院に駆け込んだものの、MRIでも血液検査でも異常は見当たらないという。 他にも病院を訪れ、神経などの検査もしてもらったが…数値に異常はなく、原因が分からなかった。
そして、異変が起きてから2ヵ月後…口の筋肉も動かなくなり、満足に話すことも、食べ物を飲み込むことも出来なくなってしまったのだ。 その後も、様々な病院でありとあらゆる検査をしてもらったが…原因が分かることはなかった。

そして、異変が起き始めてから4カ月ほど経った頃には…痙攣発作などで時折、無意識に動くことはあったが、自分の意思で上半身を動かすことは出来ず。 生理反応で瞬きをしても、自分の意思で瞼を動かすことも出来ない。 自発呼吸こそするものの、呼びかけにも、刺激にも一切反応しない状態に。 医師には、意識がない状態だと診断された。

それでも両親は回復を信じ、引き続き様々な検査をしてもらったが…2年の月日が流れても、ヴィッキーの症状には変化の兆しすら見えなかった。
医師からヴィッキーの意識が戻る可能性は低いと宣告されてしまった。

だが、実はこの時、両親も医師さえも気付かぬ重大な事実があった。
それは…意識がないものと思われていたヴィッキーだったが、実は、脳に深刻なダメージはなく、意識ははっきりとしていたのだ。 つまり、2年もの間…身体を動かすことも、意思疎通を図ることも出来ないまま…まるで自分の身体の中に閉じ込められたような状態で過ごしていたのだ。 しかし、その事に気付いてくれる者は、誰一人としていなかった。

ヴィッキーは、上半身にのみ感覚が残っていた。
看護師や医師などから冷たく扱われることや、強烈な痛みが襲っても、そのことを伝える事も出来ず、ただただ 痛みに耐える日もあったという。

しかし、そんな彼女には、痛みを忘れられる瞬間があった。 それは…家族と過ごす時間。
とは言え、身体はおろか眼球や瞼を自分の意思で動かす事は出来ない。 果たしてヴィッキーは、意識がある事を誰かに伝えることが出来るのか!?

発症してから2年後のクリスマス・イブ。 両親はヴィッキーを久々に家に連れて帰り、家族水入らずの時間を過ごした。
そして、両親は病院から彼女を引き取り、自宅で看病することにした。

さらに、わずかな望みを信じ、ヴィッキーのような症例に詳しい医師を探しては、診てもらえないかと頼み続けた。 すると…ヴィッキーの異変の原因が判明!
ヴィッキーは二種類の脊髄炎に同時に患っているという。

『脊髄炎』とは、中枢神経である脊髄に炎症が起きること。 それにより、脳からの指令が遮断されるため、重篤になると手足の痺れなど、神経障害が生じるケースもある。
ヴィッキーは、筋肉と脳、それぞれに繋がる神経に影響を及ぼす、二つの『脊髄炎』を患ったが、同時に発症するのは非常に稀なケースであった。
さらに、その一つは、当時 病態がまだ十分に解明されていなかった。 脊髄炎は様々な検査結果を総合して判断する必要があるが、当然、解明されていない炎症に対しての判断基準はなく、検査では異変を捉えきれなかったと考えられた。

だが彼女の場合、長い期間、原因が分からず、適切な治療もされなかったため、意識がないと思われる程のダメージが出てしまっていた。 そのため、ヴィッキーが回復できるかは分からないという。 それでも両親は娘が治ると信じ、治療を希望した。

原因が判明し、『脊髄炎』に効果がある治療を開始することに。
しかし…およそ1年が経っても回復の兆しすらなく。 彼女の意識だけが取り残されていた。

そんな中…検査のため入院した時だった。 お見舞いに来た母がヴィッキーに花を見せた。
目は動かないので、視界から消えたら、見えなくなってしまう。
ところがその時、目が動いたのだ!

そのことに母が気づいた!
そして、「もし、私の言っていることが分かるなら、瞬きしてみて」と言われ…発病以降、自分の意思で瞼を動かす事も出来なくなっていたが、懸命に動かそうとしたところ、瞬きをすることができたのだ!
およそ3年もの間、孤独だったヴィッキーは、ついに…自分に意識があることを伝えられたのだ。

ヴィクトリア「母親は意識が残っているのだと疑いもしなかったそうですが、実際にどの程度のダメージがあるかは分からなかったため、意思疎通を図ることが出来て、本当に安心したと語っています」
実は、治療の過程で、それまで途絶えていた、脳からの指令を伝える神経経路が奇跡的に繋がり、身体の一部が回復したと考えられた。

その後、眼球の動きや瞬きなどによって、医師や看護師とも意思疎通を図ることに成功。 筋力を取り戻すためのリハビリや、化学療法を開始すると…顔の筋肉を動かし、会話や食事を摂る事も出来るように。
そして、意思疎通が図れるようになってから、およそ1年後…麻痺が残る下半身以外は動くようになり、車椅子で移動できるまでに回復したのだ!

さらに、三つ子の兄弟たちと一緒に、高校へ通えるようになった。
しかし、その一方で…医師には歩くことは難しいと診断されてしまった。 16歳の少女には、あまりに辛い現実だった。

そんな、ある日…兄弟がヴィッキーを自宅のプールに連れて行った!
ヴィクトリア「兄弟たちは、水の中なら重力を感じずにいられるから、泳げるんじゃないかと考えたそうです。それ以降、水中はとても安全な空間となったんです」

この一件を機に、前向きになった彼女は、発病前、熱心に取り組んでいた水泳を再開! 上半身の力で前へ進めるため、下半身に麻痺が残っていても泳ぐことが出来た。
すると持ち前のセンスで、急速に上達。 障害者たちの大会に参加すると…次々と記録を塗り替えていったのだ!

その結果…下半身麻痺の状態での競泳を始めて、まだ間もなかったが、この半年後に行われる『ロンドン・パラリンピック』の選考会に向けて、本格的に練習をしないかという誘いを受けたのだ。 ヴィッキーは金メダルを目指すことを決意!

こうしてヴィッキーは、両親に送迎をしてもらい、毎日のように猛練習に励んだ。 その結果…選考会でも好成績を収め、100メートル自由形などで代表の切符を獲得!
およそ2年前まで、他人と意思疎通することすら出来なかった少女が…『ロンドン・パラリンピック』に出場することになったのだ!

パラリンピックの競泳は、様々な身体の障害を抱えた選手たちが、そのレベルに応じて、10段階のクラスで分けられる。
ヴィッキーは、障害の重い方から6番目のクラスに登録されたが、そのクラスには…前回の北京大会で金メダルを2つ獲得、地元イギリスの英雄で、ヴィッキーと同い年のエリー・シモンズという、絶対王者が存在していた。

それでも…ヴィッキーは「この大会で絶対金メダルを獲る!」と決意していた。
ヴィッキーにとって、このロンドン大会でメダルを獲ることには、大きな意味があった。 なぜなら…彼女の両親は、イギリスとアイルランドにルーツがあり、祖父母もイギリスに暮らしている。 そのため、家族が勢揃いすることが出来るロンドンで、金メダルを獲る事こそが…支えてくれた家族への最大の恩返しだと感じていたからだった。

競泳で『ロンドン・パラリンピック』に出場する事になった、ヴィッキー。 順調に予選を通過し…迎えた、100メートル自由形の決勝。
4レーンがヴィッキー、その隣、5レーンが絶対王者・エリーである。
先頭のヴィッキーが、エリーをリードして、50メートルのターン。 そして…世界新記録での金メダル獲得!
「パラリンピックチャンピオンは…ヴィクトリア・アーレン」

ヴィクトリア「ゴールにタッチして、水面から頭を出した瞬間まで、自分が一位だと気付かなかったんです。そして、気付いてからは『私の人生が変わる』そう感じました」
そう、ヴィッキーとは…ヴィクトリア・アーレン、彼女自身のことだったのだ!
夢である金メダルを獲得したヴィクトリアは、他に団体を含む銀メダルも3つ獲得した。
ヴィクトリア「金メダルを獲るという、17歳として得難い経験を出来たことは素晴らしいけど、それを家族で分かち合えたことで、ようやく『私は大丈夫、病気を克服したんだ』と思えたのです」
帰国後、4つのメダル獲得の偉業と共に、彼女のこれまでの人生も大きく報じられた。 すると…当時のアメリカ大統領オバマ氏とも面会するほど、大きな反響を呼ぶことに!

パラリンピックの翌年、ヴィクトリアは新たな目標に向け歩み始める。 それは…自分の足で歩く事。
以前、医師からは「歩く事は難しいでしょう」と言われていたのだが…ある日、右足が痙攣したように感じた。 自分の意思で動かしたわけではなかったが、母に「足が痙攣したというのは、神経が回復しているって証拠かもしれないわ」と後押しされ、彼女は、身体が麻痺した人々が再び歩けるようになることを目指すリハビリセンター『プロジェクト・ウォーク』に通い始めた。

しかし、センターがあるのは、西海岸。 自宅があるのは東海岸のため、継続的に通うのが難しかった。
すると…両親は家を抵当に入れ、資金を作り『プロジェクト・ウォーク』を東海岸にも作ってもらったのだ!
ヴィクトリア「両親の私を信じる気持ちの大きさを知りました。夢を諦めなければ、何かを起こせるかもしれないと思わせてくれたのです。家族の支えのおかげで、本当の意味で、迷いが吹っ切れたと思います」

こうして、自宅からほど近いボストンに出来た『プロジェクト・ウォーク』へ通い…毎日のように4時間から5時間のトレーニングをこなした。 その結果、次第に足の感覚が戻り、筋肉が動くように。 そして、半年ほど経つと…支えはあるものの、自力で立ち上がることに成功。
ヴィクトリア「見える景色が違いました。でも、本当に痛かったです。まだ立つ準備が中枢神経に出来ていなかったようで。だから、嬉しいよりも、正直なところ、痛いが上回っていました」

さらに、トレーニング開始から、1年が経った頃には…補助具と支えが必要だったものの、歩行も出来るまでに!
そして、懸命な努力によって、ついに…自らの脚だけで歩くことに成功したのだ!

一方で、彼女が自力で立ち上がることに成功した頃…新たな夢へと繋がる知らせが届いていた。
『スペシャルオリンピックス』に協力してほしいと依頼されたのだ。
『スペシャルオリンピックス』とは、知的障害のある人のための世界的なスポーツ大会の事。 この年の開催地はアメリカ・ロサンゼルス。 すると…とあるテレビ局が彼女に協力を依頼してきたのだ。

だが、当時はまだ、立ち上がれる程度までしか回復していなかった、ヴィクトリア。 そんな彼女にテレビ局が何の依頼をしたのか?
それは…そう、『スペシャルオリンピックス』でのリポーター!
ヴィクトリア「誰かの夢を伝えることに興味を持っていたので、リポーターをやってみたいと思いました」

彼女にリポートを依頼したのは、世界最大級のスポーツ専門チャンネル『ESPN』
リポーター未経験ながら、アスリート経験が買われての抜擢だった。 すると、アスリートの気持ちを汲み取る取材が好評となり…大会後、20歳にして『ESPN』と正式契約!
様々なスポーツのリポーターやキャスター、さらには『ESPN』以外のテレビ局でも大人気番組の司会としても活躍した。 そう彼女は、『テレビの人気者』になるという、子供の頃の夢も叶えたのだ。

競泳での金メダル、テレビの人気者という幼い頃の2つの夢を叶えたヴィクトリア。 そして23歳の時、数ヵ月もの間、あるものを猛特訓し、もう一つの夢を叶える事に!
ヴィクトリアは仕事の傍ら、さらなるトレーニングを重ねていた。 その努力は実を結び、麻痺があったとは思えないほど回復!
その結果…幼い頃に描いていた…『ダンサー』という夢も叶えたのだ。

苦境に負けず、多くの夢を叶えたヴィクトリアさん。 そんな彼女は、どうしても伝えたい『ある想い』を抱いているという。
ヴィクトリア「もし、あなたに夢があるのであれば、諦めずに挑戦し続けるべきだと思います。苦しかったり、辛いことがあったりしても、それは人生の一部に過ぎないんです。私は、とても幸運なことに素晴らしい家族が支えてくれました。そして、今の私があるのは、彼らのおかげなんです。だからこそ私は、諦めることなく前に進めたのです」

ヴィクトリアさんは、ダンサーの夢を叶えた後も…器械体操、そして、歩いてではあったものの、5キロマラソンなど、様々な事にチャレンジ! さらに、モデル業にも挑み、彼女が起用された広告がタイムズスクエアを占拠した。
それだけではなく、病気や障害を抱えた人々を支援するための基金を設立。 施設で直接、リハビリの手伝いをし、夢の後押しをするサポート役を担っている。

全てが順風満帆に思えたが…発病から、およそ15年経ったある日…『脊髄炎』が再発
幸い、この頃には治療法が確立されていたため、すぐに炎症を抑える事が出来た。

しかし、治療を開始するまでの間に、運動能力はリセットされてしまい、また一からリハビリを行った。
その後、歩けるまで回復すると…すぐに仕事に復帰。 その理由は、病気を克服していく姿をテレビを通して伝える事で、多くの人々に希望を与えたいと思ったからだという。

そんな彼女の姿は多くの人の心を打ち、一昨年、フォーブス誌が選ぶ『世界を変える30歳未満30人』に選ばれたのだ。
再発の後遺症も、ここ1年でようやく安定してきたというヴィクトリアさん。 そんな彼女に今後の目標について尋ねると…
ヴィクトリア「やりたい事は沢山ありますが『アイアンマンレース』に挑戦したいです。夢を叶えるために努力することが自分の励みになると思っています。だから、まだ達成出来ていない叶えたい夢が沢山あるんです」