オンエア
熊本県の南部にある、山と海に挟まれたのどかな海辺の町、津奈木町。
この町の沿岸に、立ち入り禁止の謎エリアがあるという!
陸からでも行けるそうだが、海から見た方がその異様さが伝わるということで、地元の人の船でその場所へ向かった。
その先には、のどかな海辺の景色にそびえ立つ、巨大な建造物。
海に浮かぶように建つこの建物が、立ち入り禁止エリアだという。
一体これは何なのか?
海面から突き出す支柱が建物を静かに支えている。 その上にそびえ立つのは、3階建ての建物。 裏手にある岸から上陸することに。
船をおり、巨大な建物へ。
朽ちた外壁、錆びついた鉄骨。
入り口の天井も剥がれ落ち、そこには侵入禁止の柵。
門の奥に目を向けると、赤崎小学校という文字!
海に浮かぶ立ち入り禁止の建物の正体は、小学校の校舎だった!
役場の方に話を聞いてみると…
「海の上に立っていまして、今から150年前に開校した赤崎小学校の校舎になります。16年前に閉校して以来、老朽化が激しく危険なため、現在は立ち入り禁止となっています。日本で唯一の海の上の学校でした」
現在は使われていないという小学校の校舎、わずかな干潮時を除けば、校舎の下は海。
日本で唯一の海の上に立つ学校だ!
しかし、一体なぜ? わざわざ海の上に建てたのか?
「海の上に立っている理由は土地の問題があったからだと聞いています」
赤崎小学校の創立は、1874年。
当初は山間の民家を借りた小さな校舎だったという。
しかし、徐々に子供の数が増え、校舎は手狭に。
三方を山に囲まれたこの地域では、広い敷地の確保が難しく…開校から60年後、現在の校舎が建つ場所への移転・増築が計画されると、なんと、手作業で海を埋め立てたのだ!
重機もない時代、4年がかりの大工事で校庭と校舎が完成。
しかし、その約35年後、校舎の老朽化が進むと、建て替えが必要に。
その際、広いグラウンドを確保するために埋立地を広げ、さらに校舎を海の上にせり出して建てるという大胆な計画が立てられた。
住民たちの協力で建設は進み、1976年、巨大な支柱に支えられた海上の新校舎が完成。
閉校までの34年間、子供たちの学校生活を支え続けた。
廃校となってからも、地域の象徴として、校舎は取り壊されることなく残され、埋め立てによって作られた広いグラウンドは憩いの場として解放されている。
海の上に建つ、日本で唯一の学校。
そこには海と隣り合わせだからこそのアンビリバボーな学校生活があるという!
卒業生によれば、校舎の中を見れば、その様子がよくわかるという。
今回、ドローンによる潜入が特別に許可された!
津奈木町役場、全面協力のもと、屋内用のドローンを調整。
貴重な機会として、学校に思い出のある方々にも見ていただけるようにお声がけした。
すると、卒業生をはじめ、当時の先生、そして地域の人たちが続々と集まってきた。
その数、なんと50人以上!
上は85歳から、下は平成生まれの最後の在校生まで。
はたして、立ち入り禁止となっていた校舎のなかはどうなっているのか?
それでは、卒業生の想いを乗せた16年ぶりの登校が今始まる!
2階の職員通用口から校舎の中へ!
入り口を入るとすぐ目につくのが卒業生が制作したモザイクアート。
赤崎小学校の日常を描いた作品だ。
職員通用口を抜けるとそこには、窓の外に広がる一面の海!
海の上の学校でしか見ることのできない圧巻の光景だ!
そして、この廊下では、海上の校舎ならではのアンビリバボーな学校生活が!
なんと、廊下の窓から釣り糸をたらして釣りをしていたという!
閉校が決まった16年前、学校生活の様子を記録に残すため、地元のテレビ局が取材した貴重な映像が残されていた。
海に面した長い廊下、好きな窓から自由に糸を垂らす。
休み時間や課外授業の時間に見られる当たり前の日常の風景。
一般的な学校では絶対にできない、まさにアンビリバボーな学校生活だ。
校舎が面していしる海は、八代海。
九州本土と天草諸島の島々に囲まれた静かな湾だ。
アジやサバ、そしてマダイにフグと、様々な魚が釣れるそう。
この日はカサゴが釣れた!
海の上の学校ならではの驚きの学校生活はこれだけではない。
2階にある『家庭科室』。
中の様子は普通の学校の家庭科室とさほどかわりがないようだが…かつて調理実習が行われていたこの教室で、廊下で釣った魚をそのまま家庭科室で調理!
こんなことができるのも、赤崎小学校ならでは!
続いてドローンが向かうのは、同じく2階に位置する校長室。
赤崎小学校の歴史が全て詰まった校長室、中はどうなっているのか?
中央のデスクには、当時のものと思われる資料や部活動の盾やトロフィーが残されている。
その奥の壁には、1枚のカラー写真が立てかけられている。
その写真は、『ボートの授業』の様子を写したもの。
ボートまで授業として取り入れられていたのだ。
さらに、夏場の干潮時には、水着に着替え、支柱付近の浅瀬で磯遊びをする時間も!
また、校舎の目の前に位置する赤尾島は、干潮時に陸続きになるため、潮干狩りをすることもあったという!
校長室から繋がる職員室には、机が残されているだけ。
しかし、その奥の黒板に出席状況を把握するための児童のネームプレートが!
すると、自分の名前を見つけられた人が!
林田愛由さん。
2006年に入学した林田さん。
赤崎小学校が津奈木小学校に統合され、閉校した当時、4年生だった。
実は、あゆさんの父・廣美さんも赤崎小学校の卒業生だという。
漁師として働く廣美さん、学校近くの海を漁船で通ることもあるというが、ここにも海の上の学校ならではの思い出が!
廣美「娘が通っている時とか、廊下の窓から顔出して、この子たちが(自分は)船から手を振ったら、振り返してくれた」
愛由「船で(父だと)分かるので、『あ、パパだ』と思って手を振った」
海を挟んで手を振り合う、そんな日常が2人にとってはかけがえのない思い出となった。
続いて、ドローンは階段を上がり、3階を目指す。
そこにあったのは、ふれあい学習センター。
ここは、パソコン室としても使われていた場所。
その一角に、当時の授業で本をテーマにした俳句が貼られている。現在、津奈木町で働く伊藤舞さんのものもある。
ドローンは、階段をおり、教室のある一階へ。
すると、あるものを確認したいという卒業生が。
30年以上前、ケンカの最中に不注意で開けてしまった壁の穴が、今も残っているのか確認したいという。
同級生のお尻で開いた穴だという。
そして、この日集まった卒業生たちが、口を揃えて「もう一度見たい」と語ったのが…丸窓からの景色。
丸窓とは、一階の端、海に面する廊下を曲がった先に取り付けられた3つの丸い窓。
建設時、客船をイメージして設けられたものだというが、校舎内からこの窓を通して見る景色こそ、忘れることのできない海の上の学校を象徴する風景なのだという。
長い廊下を抜け、曲がった先に…その風景はあった!
干潮時に地続きになる赤尾島は、児童にとってはもう一つの校庭のようなもの。
海の上の学校のアンビリバボーな絶景だ!
海の上の学校には、消えることのない思い出が詰まっていた。
今から16年前に閉校した赤崎小学校。 老朽化により、校舎は立ち入り禁止に。 しかし、この場所は今、新たな姿を見せている。 町の美術館と連携し、赤尾島とつながる陸地にアート作品を展示。
中でも注目されているのが、今から5年前に始まったアートイベント『海渡り』。
毎年秋に、卒業生や地元の人を中心にアーティストとともに作品作りを行う。
100本を越える赤い組み紐を海の上に張り渡し、赤尾島と海上の校舎を繋ぐという作品だ。
毎年、町内外から150名以上の参加者が訪れ、学校の跡地は今、赤崎の文化を発信するシンボルとなっている。
そして、体育館はそのまま利用され、今も卒業生たちが集まる地域の拠点となっている。
この日、体育館を訪れていた高木早苗さん。
実は親子二代でこの校舎に通った卒業生。
娘の明美さんは、最後の卒業生になった。
こちらは閉校時に卒業生に向けて配られた赤崎小学校の歴史をまとめた記念誌。 中には、開校当時からの写真から閉校までの思い出が記録されている。
立ち入り禁止となっている校舎は今後、どうなっていくのか?
町役場の担当者に尋ねると…
「赤崎小学校が閉校した時点で校舎の取り壊しという話もでたんですけど、海の上に建てられているというこの風景が赤崎地区だけでなく、津奈木町にとっても心の原風景になっておりまして、町と地区住民の方々との話し合いの末、そまま見守っていこうということになっています」
創設以来、地域を見守り続けてきた赤崎小学校。
その役目を終えた今、町の人々がこの校舎を見守り続けている。