オンエア
韓国のYouTuber、ホジンさん。
彼は数年前、ある大ヒットドラマを観て言葉を失った。
「これって、僕が聞いた実際の話と似ている!」
そのドラマとは…今から7年前に韓国で放送され、ここ日本でも大ヒットした、『愛の不時着』。
北朝鮮の軍人と韓国の令嬢が、国境を越えて愛を育むストーリーであるが…実はホジンさん、このドラマをも凌ぐ衝撃の実話を当事者から直接聞き出していたのだ。
その話とは、国境も政治体制も、言葉の壁もすべて越えた、壮絶な愛と勇気の物語であった。
今から37年前、旧ユーゴスラビアの首都、ベオグラードで行われていたのは…世界柔道選手権。 台湾で暮らす、チェン・リンジェンは、この日、ある選手に一目惚れした。 その相手は北朝鮮代表のイ・チャンス。 男子71㎏級の銅メダルをかけ、3位決定戦に臨んでいた。 チャンスは、この大会で見事銅メダルを獲得した。
試合終了後、リンジェンは彼に話しかけたいと思ったのだが…北朝鮮の選手たちは、他国の選手と一切、交流を持とうとせず…笑顔を見せることもない。 しかし、このチャンスを逃したら2度と会えないと思ったリンジェンは、勇気を出して一緒に写真を撮りたいとお願いした。
北朝鮮の政府関係者やコーチたちも渋々ではあるが了承してくれた。
実はチャンスは、国際大会で幾つものメダルを獲得しており、他国にも知られる存在。
そのため、記念撮影程度であれば、許されていたようだった。
この時のチャンスの独特なポーズは、韓国で『マナーの手』と呼ばれるもの。
女性に直接触れないようにする紳士的な配慮。
そんな気遣いが嬉しかった。
実はリンジェンも、台湾代表としてこの大会に出場していた。
この出来事をきっかけに…その後も2人は宿舎などで密かに交流を重ねる事に。
北朝鮮では、外国語教育が義務付けられているが、中国製品が多く輸入されていることから、中国の言葉を学ぶ人が多いという。
とは言え、チャンスが話せるのはカタコト。
それでもリンジェンは、笑顔で接してくれた。
するとチャンスも、彼女の人柄に惹かれていく。
そして、6日間に渡る大会は幕を下ろす。
リンジェンがチャンスの電話番号を聞いたのだが、チャンスは教えることはできなかった。
北朝鮮は、いわば鎖国状態…国際電話に関しては厳しく規制されており、外国人と簡単に話すことも出来ない。
およそ1年後、中国・北京でアジア競技大会が開催される予定になっていた。
チャンスが国を出られる機会は、国際大会のみ。
そこで会おうと、彼はリンジェンに伝えた。
毎年代表に選ばれるほどの実力が、リンジェンにはなかったが、台湾に戻ったリンジェンは彼との約束を胸に練習に打ち込んだ。
そして、およそ1年後の9月。
中国・北京でアジア競技大会が開幕。
チャンスは、リンジェンの階級の出場者を確認したが…彼女の名前はなかった。
実はリンジェンは、女子66キロ級の代表選考会で敗北を喫していた。
だが、チャンスの前にリンジェンが現れた!
実は、リンジェンは66キロ級で敗退したものの、数日後に行われた『無差別級』に無謀にも急遽エントリー。
チャンスに会いたい気持ちが後押しし、見事、代表の座を勝ち取っていたのだ。
しかし、チャンスが驚いたのは、彼女の階級だけではなかった。
チャンスと会話したい一心で、リンジェンは、彼の国の言語を猛勉強していたのだ。
しかし、2人に許された時間は、大会が終わるまでのおよそ2週間。
その後は再び『別れ』が待っている。
だからこそ…残された時を惜しむかのように、コーチたちの目を盗んで逢瀬を重ねた。
チャンスは毎日、彼女の宿舎を訪ねた。
愛の力なのか、リンジェンはこの大会で大健闘。
なんと、銅メダルに輝いたのだ。
そして、チャンスの試合が始まると、熱烈な声援を送った結果…並み居る強豪を打ち破り、堂々の銀メダルに輝いた。
だが、リンジェンは、あることが気になった。
銀メダルにも関わらず、チャンスの表情は暗かったのだ。
決勝でチャンスが敗れたのは…韓国の選手。 北朝鮮にとって、敵対視している韓国選手に敗れる事は、国の名誉を傷つける大罪だった。 チャンスは二度と代表に選ばれることはないという。 2人とも代表に選ばれ続ければ、また会える…そんな希望は無残にも打ち砕かれた。
2人は大会が終わるまで、少しでも多く時間を共にしようと逢瀬を重ねた。
チャンスはリンジェンに愛を告白。
リンジェンも気持ちを伝えた。
チャンスはコーチたちの目を盗み、リンジェンにメモを渡した。
そこに書かれていたのは…彼の北朝鮮での住所だった。
台湾に戻るとすぐに、彼に手紙を送った。
『12日間の恋を忘れる事が出来ません。でも、今回の大会で2位だったのは、私の存在があなたの気を散らす原因になったんじゃないかと…申し訳ない気持ちで、いっぱいです』
しかし、いくら手紙を送っても、チャンスからの返事が届くことはなかった。
彼の元まで手紙が届かなかったのか、それとも彼の身に何かが起きたのか?
韓国選手に敗れ、帰国したチャンスは、北朝鮮当局の幹部に呼び出された。
そして、下された処罰は…炭鉱での強制労働。
1日12時間以上、劣悪な環境で石炭を掘り続ける。
北朝鮮では、最も重い罰の一つと言われている。
炭鉱送りになった事で、自宅に戻る事も出来なかったため、手紙が届いているのか、確認することすら不可能だったのだ。
そして、炭鉱で過酷な労働を始めて、およそ9ヵ月が経った、ある日…チャンスは当局幹部に呼び出された。
実はこの3日後、スペイン・バルセロナで世界柔道選手権大会が開幕。
そこで金メダルを獲るよう、命じられたのだ。
そして3日後、バルセロナで世界柔道選手権大会が開幕。
チャンスは、『この大会で、またリンジェンに会えるかも』という、淡い期待を持っていた。
だが…出場者のリストの中に、彼女の名前はなかった。
しかも…チャンスは、2回戦敗退。
メダル獲得の約束を守ることも出来なかった。
それは、再び炭鉱での重労働か、最悪の場合は『死』が待っていると、チャンスは感じた。
その時、チャンスの前にリンジェンが現れた!
実はリンジェンはすでに現役を引退していたが、大会直前に彼が出場する事を聞きつけ、自費でバルセロナまで急遽駆けつけたのだ。
しかし、北朝鮮のコーチたちに再会を阻まれた。
そこで、リンジェンはコーチたちの目を盗み、チャンスに会いに行った。
チャンスは、炭鉱での労働の中、手紙が届いていたことを確認すら出来なかったと謝った。
そして、韓国に亡命する決意をリンジェンに伝えた。
中国に亡命しても、強制送還されるリスクが高いと考えたチャンス。
そのため…敵国である、韓国への亡命を決意。
だが、失敗すれば処刑される可能性があり、たとえ生き延びたとしても厳しい処罰が待っている。
それでも、チャンスの決意は堅かった。
そして、リンジェンに手紙を渡し、去っていった。
その手紙には、こう書かれていた。
『いつか、あなたの国の言葉をすべて覚え、私が父親、あなたが母親の家族になることが出来たなら、私の本当の気持ちを伝えます。その時まで、待っていてください』
大使館に逃げ込めば、北朝鮮も手出しが出来ないと考えたチャンス。
だが、メダルを逃したため…以前よりも、さらに厳しく監視されることに。
バルセロナには韓国総領事館があり、そこで亡命も出来たが、この監視下の中では、そこまで辿り着く事自体が不可能。
しかし、北朝鮮チームは、バルセロナから国際列車を使用して、モスクワまで向かい、そこから帰国する予定になっていた。
そこでチャンスは、列車が停車する都市にある韓国大使館に逃げ込み、亡命する計画を立てたのだ。
一行は、予定通りモスクワに向かう列車に乗車。
だが、ここからが難関だった。
車内でも常に、監視され続けていた。
それだけではない…トイレに行く時でさえ、コーチが後をついてくるのだ。
そんな中、列車は次の駅に近付いていた。
それは…ドイツ・ベルリンの駅。
途中で停車したパリにも韓国大使館はあったが、その駅で列車の乗り換えだったため、監視の目がさらに厳しく、断念。
その次に韓国大使館がある停車駅が、ドイツ・ベルリン。
ここでは乗り換えはなく、ただ5分間停車するだけなので、隙を見て逃げ出せると考えた。
そんなベルリンの駅が近づく中…コーチが寝る気配は、全くない。
しかし、チャンスは、こういう時のために、ある『切り札』を用意していた。
チャンスはコーチに酒を差し出した。
そして、自分は眠ったふりをした。
酒を飲んでも、コーチは一向に寝ない。
このままベルリンに着いてしまったら、亡命計画は一巻の終わり…息を殺し、眠ったふりを続けた。
やがて…ついにコーチが眠った。
そしてほどなく…列車はベルリン駅に到着。
停車時間は5分のみ。
だが…列車から降りようとした時、乗務員に止められてしまい、計画は失敗に終わった。
北朝鮮に帰ったら待っているのは…『死』。
そう絶望した時、手動でドアを開けるためのハンドルを見つけた。
そして…命懸けで電車のドアから飛び降りた!
チャンスが生きているかどうかさえ、分からない。
台湾に戻っていたリンジェンは、北朝鮮関連のニュースを毎日チェックしていた。
その日、台湾であるニュースが一斉に報じられた。
それは…北朝鮮の柔道選手が一人の台湾人女性に会うために、命がけでベルリンの韓国大使館へ逃げ込み、亡命したというものだった。
そして、韓国へ到着した彼は、記者会見でこう語った。
チャンス「台湾人の恋人、チェン・リンジェンを探しています」
一方その頃、チャンスは、亡命を受け入れられたのだが…韓国に亡命したのなら…韓国人と結婚すべきだと言われていたのだ。 それでも、チャンスはリンジェン以外と結婚する気はないとつっぱねた。
そして、家族の反対を押し切って、韓国に来たリンジェンと再会。
再会の翌年…2人は結婚。
亡命後、およそ6ヵ月間は、海外渡航などが許可されないチャンスのため、リンジェンが韓国へ渡り、2人で生きていくことに。
親戚も友人もいない場所で、夫婦として第二の人生を歩み始めた。
その後も韓国で暮らし、3人の息子が誕生。
子供たちはみな、両親と同じく柔道の道に進んで行った。
ホジン「これが、私が直接 本人たちから聞いた話です。この話を聞いた時、私ならそこまで出来ただろうかという思いが強くよぎりました。子供には自分と同じ苦しみを味わわせたくないと、命の危険を顧みず脱北する。私にはそんな決断はできないと思います。だからこそ私は、この世で最も尊敬し、愛する父に心から感謝しているのです」
そう、冒頭で紹介した韓国の人気ユーチューバー・ホジンさんは、チャンスさん、リンジェンさん夫婦の長男だったのだ。
脱北の決意をした、あの時…チャンスさんがリンジェンさんに手紙で伝えた自らの想い。
のちのインタビューであの時の答えとなるような言葉をリンジェンさんに送っていた。
チャンス「人生の辛い時期に、彼女はずっと支えてくれました。それがありがたくて、彼女は本当にとても優しくて、綺麗な心の持ち主なのです」
韓国に亡命したイ・チャンスさんは…その後、実業団柔道のコーチや韓国の男子柔道代表チームのトレーナーなどを務め、家族を養った。
両親と同じく、幼い頃から柔道に打ち込んだ3人の息子たち。
中でも次男は韓国代表として国際大会に出場、父の悲願だった金メダルを獲得した。
現在、代表の座を退いた次男は、道場を立ち上げ、館長として後進の指導にあたっている。
そして、元韓国代表として活躍した三男もまた、柔道場を経営している。
そして、ユーチューバーとして活躍した、長男・ホジンさんは…両親の仲睦まじい姿を動画で何度も紹介していた。
そんな彼は、現在 マーケティング会社の代表として事業に専念している。
夫婦が何より嬉しかったのは、子供たちが立派に成長してくれたこと。
今から4年前には…結婚30年目の記念として夫婦で写真撮影。
中には、あの日、チャンスさんがデートで渡したバラの花束を手にする一枚も。
不時着した2人の愛は、長い時を超えてなお、色褪せることはなかった。
そして今年1月20日。
子供が3人とも独立したのを見届けたのち、イ・チャンスさんは心臓マヒにより静かに息を引き取った。
長男・ホジンさんは、父への想いをインスタグラムに投稿した。
「たった一人で韓国へ渡り懸命に生きてきた父。その背中から、『愛こそが生きる力になる』ということを学びました。命がけで切り開いてくれた、その人生をこれからは私が受け継ぎ、父に恥じない生き方をしていきたいと思います」
幾多の困難を乗りこえ、激動の人生を送ったイ・チャンスさん。
彼は生前、こんな言葉を残していた。
「生きていれば、数え切れないほどの逆境に直面します。しかし、どんな過酷な運命でも、奪われないものがある。それこそが、私たちの心に宿る『愛』であり、その愛がもたらしてくれる、本当の幸せなのです」