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奇跡の誕生秘話 超有名企業とは?

彼は、手広く商売を営む夫婦のもとで、一人息子として、何不自由ない暮らしを約束されていた…はずだった。
少年の運命は、音を立てて狂い始める。
父が、あるものにのめり込んでしまった。 それは…競輪

商売はそっちのけ。 あろうことか収入の全てをギャンブルにつぎ込み、あっという間に財産を失ってしまったのだ。
母は、愛想を尽かし、家を出て行ってしまった。

米さえ買えない極貧生活。
彼は小麦粉を水で溶き、焼いて食べたり、道端の野草を食べたりすることで飢えをしのいだ。

タバコが買えず、吸い殻を拾って吸う父を見て、ある行動に出る。 暇を見つけては街へ繰り出し、床に落ちている吸い殻を拾い集めたのだ。
なぜなら…以前、拾ってきた吸い殻を渡した時、父はこの上なく美味そうに吸い、最高の笑顔を見せてくれたからだ。 そんな父の笑顔がまた見たい…そこで、自ら吸い殻を拾い集めたのだ。

実は彼、父がどんなにギャンブルに溺れようと恨んだことはなかった。
大好きなリンゴを年に一度、買ってきてくれた父。
のちの取材で彼は「それだけでも父の愛情を感じていた」と語っている。

ただ、喜んで欲しい。 そのためだけに彼は、父が喜ぶ顔を思い浮かべながら、一心不乱に吸い殻を拾い続けたのである。
『人を喜ばせたい』…この純粋な思いこそが、のちに誰もが知るあのお店の成功の原点となっていくのである!

彼が15歳の時、高校入学のため、戸籍謄本を取り寄せると、養子だったことが判明。
自分が養子だとは知らずに生活してきた彼は動揺したのだが…彼にとっては父と母、育ての親だとしても愛情は変わらなかった。

高校卒業後、住宅や土地の不動産仲介会社に就職。 『お客様に喜んでほしい』、その一心で奔走した結果、入社3年でトップクラスの成績を収めるまでになった。

しかし…彼は、ゼロから建築を学ぶために、思い切って転職に踏み切った! 実は、契約が決まるたび、彼の心にはある『寂しさ』が募っていた。
「土地を売ったら それでお客様とお別れなんて」
彼が手に入れたかったのは、お金よりも大事な『あるもの』だった。

「お客様と一緒に理想の家の間取りを考えてあげたい。家が完成し喜んでいただけるお顔までずっと隣で見ていたい!」という思いから、今から56年前、21歳の時、家づくりのプロとなるべく、大手住宅総合メーカーへ転職。
朝は一番乗りで出社。誰よりも早く仕事を始めた。 お世辞も冗談も言えない。 その代わり、誰よりも真面目にテキパキと働いた。

そんな彼は、営業部で紅一点の事務員、直美に心を惹かれた。 誰よりもきびきびと働き、どんな雑用にも笑顔で応える『しっかり者』。 『人が喜ぶことを一生懸命やる姿!』…それが彼が幼い頃から育んできたポリシーと重なった。 結婚するなら絶対にこの人しかいないと確信した。

彼のアプローチにより、交際に発展! しかし、二人での初デートでいきなり結婚を申し込み、撃沈。
そこで…お世辞も冗談も言えない男が選んだのは、愚直すぎる『送迎作戦』。 雨の日も風の日も猛暑の日も、彼女を送り届けた。

そんな日々が数ヶ月続き、何度目かのデートの日。
再び、プロポーズ! 返事をもらえるまでは帰さないと、大の大人が人目もはばからず泣きながら、彼女の家の周り、同じ道を何度も回り続けた。

初めて見るその凄まじい執念に彼女はある条件を出した。 それは『貯金100万円』
当時の大卒初任給は、わずか5万円。 「これで諦めるだろう」…直美はそう思っていた。 貯金ゼロの彼にはあまりに厳しい条件。 それでも彼は諦めなかった。

そして半年後、差し出したのは、100万円に到達した預金通帳! 歩合制の仕事、営業を必死に重ねた熱量が伝わり、直美の心はついに動かされたのである。 24歳の彼と22歳の直美さん、ここにゴールイン。
のちの取材で彼は、この結婚を振り返り、こう語っている。
「直美との結婚が私の人生を決定した。彼女がいなければ、私は天職となる仕事と出会うことはなかったでしょう」

直美さんは結婚を機に退職。 彼は翌年、独立し、郊外で住宅や土地の不動産仲介会社を立ち上げた。
時代は高度経済成長期、マイホーム需要が増え、仕事は順調だった。 当時 子供はまだいなかったが、彼自身も念願のマイホームを手に入れ、20代としては充実した生活だった。

しかし、ブームとはいえ、家を持ちたいという客が頻繁に訪れるわけではない。 直美は空いた時間を使って、子供の頃からやってみたかったことを始めることに。
それが、国内外に1400以上の店舗を持つ、誰もが知る あの大企業が生まれるきっかけだった。

直美がやりたかった事、それは喫茶店
実は直美の父親は、ステーキレストランのマネージャー。 家でもよく台所に立っては、腕をふるっていた。 そんな父の姿を見て育った直美は、飲食業に憧れを抱いていたのだ。

結婚から2年、店舗を借り喫茶店『バッカス』をオープンした。 不動産業という本業がある彼は、運営を妻の直美に任せるつもりでいた。
開店初日、妻を助けるためお店に立った。 すると、初日を終えてすぐ、不動産業を廃業することを決断。

当時、不動産で、仮に1千万円の建売住宅を一軒売れば、その25%、250万円の利益が出る。 とはいえ、契約が成立するのはせいぜい1〜2ヶ月に1件。 お客さんと接する回数自体が少ない。

一方、喫茶店の珈琲は一杯150円。 100人が飲んでも売上げは1万5千円だが、その1杯のためにお客様がわざわざ店まで足を運んでくれる。
初日の店内で彼はこう思った。
「おおぜいの人達の笑顔を見ることができた。お客様商売ってなんて素敵な仕事なんだ」
父の笑顔を見るために、吸い殻を拾い続けたあの日の記憶が蘇った。 不動産業をやめ、喫茶店を本業にしようと決めたのだ。 儲けよりも笑顔を優先した瞬間だった。

2人は『多くの人に笑顔を届けるためのアイデア』を次々と打ち出していく。
例えば、希望すれば自分専用のコーヒーカップを選び、購入してキープができる『マイカップサービス』。 さらに、サンドイッチのカラシの有無まで、1人1人確認するきめ細やかなサービスを導入。

人を喜ばせたい、笑顔にしたい、そんな思いから生まれた独自のサービスが評判を呼び、若い夫婦がいきいきと切り盛りする喫茶店は、自然と売り上げも伸びていった。
「店は沢山あるというのにわざわざウチへ来てくれた。なんて嬉しいんだ」
その気持ちを忘れないよう書いた標語が『お客様 笑顔で迎え 心で拍手』

彼は、流行の『珈琲専門店』を出すことにした。 早速 融資を申し込むと…資金調達という壁が立ちはだかる。
直美は、銀行にこう言って説得した。
「夫は不動産業、住宅販売でトップを獲った男です」
そして、夫を信じるがゆえの決め台詞が…「貸さないと損しますよ!」
夫を誰よりも信じていたのは、他ならぬ妻・直美だった。

喫茶店バッカス開業から1年後、2店舗目として、コーヒー専門店、『浮野亭(うきのてい)の開業に踏み切った。
これが、今や誰もが知るあの大人気店の足がかりに!…は、ならず、2店舗目はまさかの大苦戦。 店のレジから売上金をかき集め、返済の不足分の入金に走った事も。 夫婦にとって最大のピンチ!

直美さんは夫の決断に絶対に反対しなかったという。 だからこそ、彼はこんな状況でも、起死回生の新メニューとして、ウインナー・コーヒーを取り入れた。 少し高価なカップを使い、砂糖もお好みで。 気配りを加えたウインナー・コーヒーは、レギュラーより高い250円!
これを取り入れたところ、大ヒット! その珍しさが口コミで広がり、店はたちまち繁盛。 新たに従業員も加え、もっと多くの笑顔のため、3店舗目の出店も考え始めていた。

しかし…もし無理に店を増やして『期待外れだった』と悲しむお客様が出てしまったら…それは 2人の望むところではなかった。 3店舗目を出すより、今の自分たちにできる『最高のサービス』を、もっと多くのお客様に届けたい。 そこで、彼が思いついたのが、『出前』! 出前なら、今の店とスタッフのまま より多くの人を喜ばせることができる。

出前には、人気を集めていたサンドイッチに加え、『新メニュー』を追加しようと考えた。 それは、不動産業を営んでいた新婚時代に妻が作ってくれた手料理。 ステーキ店のマネージャーをしていた直美さんの父と、レストランのコックだった兄が、家で家族に作ってくれた味だった。

それは…彼が初めて触れた『本当の家族の味』だった。 今まで気づいていなかった感情にあふれる涙を拭いもせず、ようやく自分が新たな『家族』と言う場所に辿り着いた幸せを噛みしめた。

彼が一生忘れないほど感動した味を出前メニューにするため、徹底的に研究! こうして2人は出前サービスを開始。
なかでも彼が感動したあの味は、たちまち『人気メニュー』となった。 評判は瞬く間に広がり、客で溢れる超繁盛店へと成長!

そこで方針を変え、3店舗目を検討することに。
すでに大人気だったあのメニューの専門店にするなら難しくないのではと考えた。 なぜなら…どんなに洗練された料理でも、あの時に流した『涙』には到底かなわないと思ったからだ。

彼の思いが詰まった店名こそ、今や全国の誰もが知る、あの一大カレーチェーン店『カレーハウスCoCo壱番屋』。 通称『ココイチ』
クセがなく、気づいたらまた食べたくなるカレー。 揚げ物などのトッピングが豊富なのも人気の理由だ。 結婚7年目、29歳の時に、3件目の店としてオープンさせたのが、カウンター20席のみの記念すべきココイチ1号店だ。

そう、あの時に涙しながら食べた、初めての『家族の味』とは、『カレー』だった。
実の両親の顔も知らず、養父のギャンブルで貧しい生活を余儀なくされ、空腹を小麦粉や野草でしのいだ。 自分をこれほどまでに前向きな気持ちにさせてくれた、魔法のような味。 このぬくもりこそが、お客様が求めている、究極の『日常の味』なのだと彼は確信した。

常にお客様を喜ばせることだけを考えてきた創業者・宗次德二は、次々とアイデアを形にしていった。
オープン当初、調理に不手際があったり、お客様を待たせてしまったりしたことから、当時としては珍しい、トッピングの揚げ物用のフライヤーや、自動食器洗浄機を借金してまで購入。 商品の質を安定させ、接客に集中して、お客様一人一人と向き合う時間を作るためだ。

喫茶店時代から、1人1人の好みを確かめていたきめ細やかなサービスは、好みに合わせてライスの量やカレーソースの種類、辛さ、トッピングなど自由に選べるカスタマイズ制として生かされている! 好みに合う組み合わせを探す楽しさ! 100人いれば100通りのカレーが完成するのがココイチだ。

1号店から10年で100店舗。20年で500店舗。 そして今から13年前(2013年)、世界最大のカレー専門店チェーンとして、ギネス世界記録に認定された。
妻・直美さんと始めた喫茶店をきっかけに誕生したカレー店は、日本のみならず、アメリカやイギリスなど世界12の国と地域で1400店舗以上に広がっている。

創業者の德二さんにまつわる、アンビリバボーな数字がある。
『1000』『3時間30分』、何の数字かわかりますか?
ここにも 人を喜ばせるための驚きの事実が!!
これは…毎日、3時間半ほどかけてあるものを読む! それは1000通のお客様アンケート! 理由は『お客様が何に喜ぶか、何を望んでいるか』を知る 唯一の手段だから。

さらに、德二さんは毎朝30分以上かけ、有志の社員と本社周辺の掃除を行うボランティアを開始。 会社が大きくなっても、車には常にほうきとちりとりを積み、自ら掃除をしていた。
この活動は現在でも形を変えてココイチで続けられている。

德二さんは、今から24年前、わずか53歳という若さで経営を離れた。 その後、妻・直美さんが継ぎ、2010年まで会長を務めた。 徳二さんは、引退した今でも、毎朝の掃除は欠かさないという。
さらに、引退の翌年には2人でNPO法人を設立。 夢と目標を持ち、1つの事に打ち込んでいる人への支援を行なっている。

より多くの人に笑顔を届けたい。 その思いは、今も変わらない。
街でホームレスを見かければ、自らおにぎりを抱えて駆け寄る。 袋の中に、そっと千円札を忍ばせて。
かつての自分と同じように孤独の中にいる人々の『名前』まで覚え、手を差し伸べ続けている。
德二「ママがいなければ壱番屋はここまでの会社に成長できなかったと思います。それどころか、私が飲食店を経営することは絶対になかったと言えます」
二人の『家族の味』は、いまも世界中の人々を笑顔にしている。