オンエア

VS 底なし沼 羽田建設秘話

今から44年前、その若手技術者はため息が止まらなかった。 それは…2歳で羽田の沖合拡張工事の調査・設計部門、その現場責任者に抜擢されたからだった。
運輸省の研究職員、福手勤(ふくて つとむ)
省内の研究所で、コンクリートの研究に没頭していた。 そこへ突如命じられた現場行き。

福手が憂鬱だった理由は2つあった。
1つは、共に工事に挑むのが…民間の土木会社200社あまりで構成された暑っ苦しいオジサン集団だったから。
そして、もうひとつは、そもそもこの工事が『不可能』と思えたからだった。

95年前の開港から徐々にその面積を広げ、1982年当時は、大小3本の滑走路を持つ空港だった。 当時、羽田沖に埋立地が完成。 その土地を利用して空港を拡張しようという計画が持ち上がったのだが、そこには ある理由があった。
高度経済成長期に入った頃から旅行自由化とジャンボジェットの導入で、日本は空前の『空の時代』へ突入。 羽田発着の便は急増した。 だが、羽田の一部滑走路は大型機に対応できる長さがなかったのだ。 その結果、着陸待ちの飛行機が上空にあふれ、異常接近するというゆゆしき事態も発生していた。
乗客だけではない、空路での輸送も年々増加、空港は積荷で溢れかえっていた。 このような状況が、10年以上続いていたのだ。

そこで、同時に進められていた沖合の埋立地を利用して、空港を拡張する計画が持ち上がったのだ。
工事計画は、全ての滑走路を拡張された空港に移設。 新たなターミナルビルも建設するというもの。

まずはその第一歩として、A滑走路を埋立地に移設する工事を行うことになった。
しかし、そのためには、最大の問題があった。 埋め立て地とは名ばかりの、超がつく軟弱地盤。 腰まで埋まってしまって抜け出せない、まるで「底なし沼」だったのだ。

拡張前の羽田空港の敷地は、江戸時代に干潟を埋め立てできたもの。 埋め立ててから時間も経っており、極端に地盤が弱いわけではなかった。
しかし、拡張予定の土地に使われたのは、河川の河口付近に堆積していた。 それを東京都が羽田沖へ運び、埋め立てたものだった。
しかもその泥の粒子は極めて細かく、水分を多量に含んで、まるで「しるこ」のような状態。 突きつけられたのは 泥の水分を抜き地盤を改良するという超難題だった。

しかし、福手らプロジェクトチームにはある秘策があった!
それは…ペーパードレーン工法!
地下約25メートルまでプラスティックでできた段ボールのような長い帯を押し込み、液体が細い隙間へ吸い上げられる毛細管現象を利用して水を抜く仕組み。 時間はかかるが、泥から水分だけを最も確実に分離し、地盤を強くする方法だ。
だが、ドレーンを地下25mまで押し込むためには、専用の重機が必要だった。 足場の悪い軟弱地盤の上で、重機を使って作業することなどできるのか?

この試練に挑んだのは、世界屈指の難工事といわれたスエズ運河拡張工事で、砂漠地帯の崩れやすい足場に100台もの重機を投入し、過酷な掘削を成功へ導いた掘削のエキスパート集団だった。
そんな百戦錬磨の彼らですら…これほどの軟弱地盤での作業は、無理難題だと感じてしまうほどだったという。

万が一に備え、慎重に作業を進めていたが…地盤のゆるさから 重機が転倒する事故が発生。 さらに、晴天が続くと泥の表面は乾き、細かな砂塵となって ヤスリのように作業員の肌を削った。
そして、休憩のために作られた小屋にも泥臭さが充満。 気の休まる暇がないほど過酷な現場だった。

それでも、彼らは諦めることはなかった。
長さ3メートルの丸太を敷くことで、巨大重機の安定させるなど経験を活かし苦難を克服。 そこからは次々のドレーンを押し込んでいき、ついに 100万本ものペーパードレンを設置することに成功したのだ!

すると、その1ヶ月後、管の先から抜けた水が流れ始めた。 その後、水の勢いはどんどん増し…最終的に一年半後、東京ドーム8杯分もの水を抜くことに成功したという! 技術者たちの熱い思いが実を結んだのだ!
福手「予想していたよりも水が勢いよく出てきたんですね。これだけ効果があるんだっていうのを実感をして、驚きました。この工法は使って良かった。そこでちょっと安心しましたね」

しかし、水は抜けたものの…滑走路の建設に際し ある大問題が浮上した!
重いジャンボジェットが時速200キロ以上で離着陸する滑走路には高速道路よりも平らな『究極の平坦さ』が求められる。 少しの凹凸が大惨事に繋がりかねないからだ。
ペーパードレーン工法で25メートルまでの水抜きには成功した。 通常なら これで地盤の強度は保てるはずだった。

しかし、その上に滑走路の舗装材の一部を搬入した時、その重さに耐えきれず、さらに深層部から水がにじみ出してきたため、凹凸が生じてしまったというのだ。
ペーパードレーン工法は、管が時間をかけて徐々に水を吸い上げるため、泥の水分のような「完全に静止した水」には有効だった。 しかし、深層部からにじみ出す「わずかに動きのある水」では、吸い上げる力が 水の動きにも負けてしまうのだ。

もう同じ手は使えない…難題に挑むことになったのは、業界では名の通った企業で、舗装のエキスパート集団。
福手も解決策を求め、夜通しで空港を調査する日々を送っていた。 当時 三人目となる子供を妊娠していた妻を気遣う余裕さえ失っていたという。

だが工夫を重ねても、突破口は見えない。 担当者は 円形脱毛症になるほど追い詰められていた。
そんなとき、滑走路を平坦にする方法が見つかったという人物が現れた。 それは、空港の地下道路を担当していた会社の技術者だった。 滑走路を担当する会社とは別の会社、それでも協力できることはないか考えていたのだという。

提案されたのは、ウェルポイント工法
先端に細かい穴が空いた鉄製パイプを地中に埋め込み、ポンプの力で地中の水を抜くというやり方だった。 時間をかけ地盤を改良するペーパードレーンとは違い、部分的に水を抜くことに特化した工法で、これを使えば、滲み出してきた水分でも短時間で強制的に抜くことは可能だと思われた。

本来、担務ではない滑走路建設、会社も別…なぜ親身になってくれたのか?
福手「当然、同業他社っていうのはライバル会社になるんですけど、羽田空港を作るという大きな目的に対してはチームですので、最初は苦労しましたけど、現場で物ができていく、またそれが土木屋として楽しいことが段々分かってきましたね。現場っていいなと思いました」

こうして ついに最初の滑走路の移設が完了。 先がけて運用が開始された。
最終的には、B滑走路とC滑走路も上に移設し、中央にターミナルを建設する予定だが、実はそこには 最大の試練が待ち受けていた!

技術者たちの努力が身を結び、滑走路は完成したものの…発着本数を増やすためには、滑走路を造るだけではなく、ターミナルと駐機場の増設が必要だった。
そこで3度目の水の問題が浮上する。 駐機場には300トンから400トンもの機体が一定時間とどまるため、 駐機場全体が沈下しやすいのはもちろん、長時間とどまる場合、じわじわと地盤が押され、部分的に沈下する可能性も高かったのだ。

ウェルポイント工法を使って一度水を抜いた滑走路では、離着陸の短時間しか機体の重さがかからないため、これ以上大きく水が滲み出してくることはない。
しかし駐機場は、ウェルポイント工法で水を抜いたとしても相当な重さが 常に地盤にかかり続けるため、再び水がにじみ出してくる可能性があるのだ。 その度に 水を抜く工事を行うのは現実的ではなかった。

ターミナルビルに関しては、地下50m〜70mまで杭を打つことで、その問題は解消できていたため、駐機場の問題さえクリアすれば完成が見えてくる! だが、解決策は露ほども見つからなかった。

そんな時、福手の研究所時代の先輩が驚きの工法を提案。 それが、ジャッキアップ工法!
局所的に沈んでしまった場合、まずその部分の表面のコンクリートだけを油圧式のジャッキで持ち上げる。 その後 地盤との隙間に充填材を注入し固定するというもの。 駐機場が全体的に沈んだ場合でも、全体を持ち上げて同じように固定することができる。

ジャッキアップ工法は、建物の基盤を持ち上げるのに使われることはあったが、実際に空港で行われた例はなかった。 福手たちと共同で長年研究していた、コンクリートのエキスパートと協力し難題に挑むことになった。
乗り越えなくてはいけない課題は、4つ。
1つ目は、広大な駐機場を持ち上げるため、数百基にも及ぶ油圧式ジャッキとその全てをわずかな誤差も許さず制御するコンピューターシステム。

そして、2つ目。 ジャッキで持ち上げられるよう、従来よりも薄く、それでいて強度を落とさない特別なコンクリート。 これは福手がメインで担当することになった。
3つ目は、隙間に注入し、できるだけ早く固まる充填材の開発。

そして、福手たちを最も悩ませた4つ目の課題が…6時間という時間制限!
当時 羽田では 最終便が夜11時、次の日の始発便が5時と決まっていた。 つまり、その間の6時間で終えられる工法でなければならなかったのだ!

福手たちは、すぐさま、試練に挑むことに!
一方で…この研究の合間に3人目の子供が誕生。 三人の子供の親となった福手は難題に立ち向かう決意を新たにすることに!

そして、福手は自分の担当したコンクリートをはじめ、ジャッキと油圧システム、充填材の開発に成功した。
福手「普通のコンクリートは、コンクリートだけなんですけど、羽田で使ったコンクリートはコンクリートに強い鉄を入れて、そこに力を加えると、コンクリート板そのものを薄くできる。しかも強いコンクリート舗装」

だが、依然として6時間以内の作業という問題は残っていた。
隙間に注入する充填材は、2時間で固まるものを開発できたのだが…数百基のジャッキを設置するのにどうしても膨大な時間がかかってしまう。 このままでは計画そのものが暗礁に乗り上げてしまう。

そんな時、解決法が見つかった。 それは…あらかじめジャッキ用の穴を開けておくというもの。 ジャッキを差し込むだけの状態にしておけば、設置の時間を大幅に短縮できる。
今から36年前、羽田の埋立地に試験用の縦横100メートルの駐機場が作られた。 ここで、実験を行うのだ。 6時間内にすべての作業を終了し、求められる強度が出ていれば正式に採用される。

午前10時、ジャッキの取り付け作業が始まり、予定通り1時間で完了。 そして次にコンピューターによるジャッキアップ。 そして30分後、油圧ジャッキはコンクリ―トの板を引き上げ、最終的には 15センチの引き上に成功。
だが、もちろんまだ完了ではない。 次に、空いた空洞部分に充填材を流し込む。 流し込みが終わった段階で3時間半が経過していた。 緊張に包まれる中、充填材は2時間で見事に固まった! 5時間半でやってのけたのだ!
最後に巨大トレーラーでジャンボ機と同じ400トンの重さをかけ、問題がないかを検証。 そして、世界初の『駐機場ジャッキアップ』は成功した!

そして、今から33年前、ターミナルも完成し、駐機場の使用がスタート。 その後、2つの滑走路も移築、延長され、空の渋滞も解消された。
使用開始から3年後には、沈下を解消するために初めてジャッキアップによる補修が行われた。
現在の駐機場を取材すると、ジャッキを差し込む穴が! 近い将来、ジャッキアップが行われる際もこの穴が使われるという。 滑走路を取材すると…水捌け用の溝のみで、大きな凹凸は見当たらない。
福手「技術者として非常にありがたい経験ができたな。させてもらってよかったなと思いました。世の中の役に立ってるというのは、土木屋としてすごく恵まれたし、それは子供にも孫にも自慢できますよね」

その後、福手は、世界初の完全海上空港となる関西国際空港の建設にも研究者としてではなく、現場の施工管理の責任者として参加。
羽田空港は、福手たちが手がけた拡張工事のあとも、新しい浮島型の滑走路、国際線ターミナルの建設など進化を続けている。 これらの施設にもジャッキアップによる沈下対策が施されている。 駐機場の時と工法は異なるが、福手たちのノウハウは 今も活かされている。
今から15年前の東日本大震災、羽田空港では大きな問題は起こらなかったという。 福手たちの闘いの上にたつ羽田空港は、世代を越え、今も技術者たちに支えられているのだ。

福手は、現在は東洋大学名誉教授として後進の育成に当たっている。 そして、羽田空港では、福手の大学の教え子が働いているという。
福手「現場の楽しさ、そんなものも経験したので、それはよく学生にも話をして、学生もそういう道が楽しいとわかってくれた子がかなりいましたので、この現場の経験は大学に行ってからでも役に立ったのかと思いますね」
福手たちの思いは これからも脈々と未来へと受け継がれていく。