オンエア
その男は、今から68年前、岩手県北上市で産声を上げた。
明治大学を卒業し、大手百貨店に就職。
だが、24歳の時、父が重病に倒れたため、兄と共に両親が営んでいた実家の洋品店で働き始めた。
とはいえ、東京とは違い、地方都市の商店街はさびれており、客は数える程度で売り上げは悪い。
しかも…父に1億円もの借金があることが判明した。
程なくして、父はこの世を去った。
そして、1億円の借金が兄弟に残されることに。
彼は、兄夫婦と共に必死に働いたが、借金の額が大きすぎて、焼け石に水。
そんな日々が5年も続いた、ある日。
たまたま手に取った漫画雑誌に書かれていたのが…新人賞の募集告知。
その大賞賞金は…100万円!
彼はこれに応募することを決意!
だが、彼は今まで漫画など描いたことなどなかったのだ!
彼は子供の頃…これといって夢はなく、勉強も運動もそこそこ、憧れの人も特になし。 唯一の楽しみは、ドラマ鑑賞のみ。 マンガに関しては、興味を持ったことも、ちゃんと読んだことすら、なし!
それなのに、突然、マンガの新人賞に応募することを決めたのだ。
この時29歳。
その歳で一から始めることに不安を感じるのが普通だろう。
だが、当時の彼は…手早く借金を減らす事しか頭になかったため、人生初のマンガに躊躇なく挑めた。
実は彼、少しばかり絵には自信があった。
その理由は…小学生の頃、写生大会で賞をもらい、審査員に…『真ん中に煙突が描かれている構図が大変よろしい』と、褒められたことがあったからである。
そして、描き始めてから、およそ2カ月後。
マンガを描き上げたものの、その作品が面白いのかどうか分からなかった。
何度も言うが、彼はマンガに興味がない。
つまり、これがいいのか悪いのかも分からない。
そこで、義姉の知り合いのマンガ家に読んでもらえないかと考えた。
ダメ元で頼んでみたところ、案外あっさり見てもらえることに。
見てくれた漫画家、実は…大沢たかお主演でドラマ化もされた、あの『JIN〜仁〜』を描くことになる、村上もとか。
当時すでに大先生だったが、この男はピンと来てない。
村上先生に太鼓判をもらい、自信も持って新人賞へ応募。
そして、数ヵ月後…落選。
しかし、最終選考までは残っていたため…日中は洋品店で働き、仕事終わりに賞金目当てに漫画を描く。
そして、マンガを描き始めてからおよそ1年後、ちばてつや賞に入賞したのだ!
このときの賞金は50万円!
さらに…初の月刊連載が決定!
毎月の原稿料や単行本の印税が入るようになったのだ!
この時、結婚していた彼は、妻に漫画家一本でやっていくと宣言。
兄夫婦と3人で洋品店で働くよりも、一人でコツコツ出来るから圧倒的にコスパがいい!
と言うことで、借金返済のため、岩手の実家に住みながら、漫画家を生業とすることを決意!
だが…人生、そんなに甘くはない。
初の連載は…すぐに打ち切り。
次々と新作の企画を出すものの、全く通らなかった。
このままでは、借金が返せない…彼は…一日中、テレビドラマを見て過ごすように。
理由は、面白いドラマがどのように構成されているのか、分析するため。
その甲斐もあってか、半年後…短期連載が決まった!
ところが、この仕事には条件があった。 頻繁な打合せが必要なため、東京に住んで欲しいという。 週刊連載となると収入も大幅に増え、借金を早く返す事ができるかも知れない。 少し迷いもあったものの…妻も意外とあっさり同意してくれたので、借金返済のため上京を決意!
短期連載が終わった後も、新たな連載が入り、仕事は途切れなかったが…描いても描いても、人気はイマイチ。
アシスタントに払う人件費などの経費もバカにならない。
そこで彼は、まさかの型破りな行為に出る!
しかもそれは、のちに生み出す大ヒット漫画の内容にも通じるものだった!
自分がやりたい企画が通り、連載が始まっても、人気はイマイチ。
そこで彼は、自分が連載を持っていた雑誌で、一番人気だった漫画の特徴を徹底的に分析することに!
その漫画とは…『ミナミの帝王」』。
その結果、『強調したい場面で登場人物をドアップにする』や、『毎回一度はその話を象徴するような決めゼリフがある』などといった、ヒット漫画の法則に気付く。
その結果…彼の作品は、ついに読者アンケートで一位を獲得したのだ!
のちに彼は、著書の中でこう語っている。
「こうした僕のやり方を『パクりじゃないか』と批判する人もいるかもしれません。でも僕は、そういう批判に対しては、『はい、パクってます』と言います。最初から世の中をあっと言わせるような結果を出して成功するのは、才能に恵まれた、ごく一部の天才だけです。でも、凡人であってもコツをつかめば成功することはできるんです」
とは言え、まだ大ヒットと言える作品は生み出せておらず、多額の借金も残っていたそんな彼に、今から24年前、運命的な出会いが訪れる。
慣れ親しんだ担当編集者が交代することになり、新しく担当になったのは、新入社員の佐渡島。
この無愛想な新入社員との出会いがきっかけで、借金をいっぺんに返すほどの大ヒット漫画が生まれるのだ!
その作品とは、シリーズ累計1000万部超えを記録した、『ドラゴン桜』!
作者は、三田紀房である。
学園ものを描いてほしいという編集部の意向を受け、三田が「教師が生徒に『お前ら全員東大へ行け!』とういうのはどうでしょうか」と、アイディアを出したのだが、佐渡島は…「なんか、あんまり面白くないですね」と言うのだ。
さらに佐渡島は、こう言ったのだ。
「だって、東大に入るのなんて簡単じゃないですか」
実はこの佐渡島、現役で東大に合格していた。
しかも、学年の約半数が東大に進学するという、超難関高校出身だったのだ。
そこで、三田は主人公に『東大なんか簡単に入れる』と言わせ、そこから物語が始まることにしたのだ。
だが、佐渡島は、まだ心底納得いっていない様子…そう感じた三田は、後日、佐渡島にこんな提案をした。
「この間の新連載の件ですけど、経営がうまくいかず、潰れそうな偏差値底辺高校を再建させる手段として、東大に合格させる、という設定にするのはどうでしょう?」
すると、佐渡島も「それなら面白くなると思います」と、納得した。
こうして、貧乏弁護士が、底辺高校を進学校に再建するため、成績が良くない生徒達を東大に合格させるまでを描いた『ドラゴン桜』が誕生。
すると、連載中にも関わらずドラマ化までされるほど、大ヒットを記録したのだ!
三田先生「佐渡島さんの『東大は簡単なんです』の一言が、僕の胸に強く刺さりました。『東大は簡単だ』という切り口から攻めれば、今までにないマンガができると思った」
そして、この作品のヒットにより、1億円もの借金をついに完済することができたのだ!
三田先生は、『ドラゴン桜』の連載終了後も、数々のヒット作を生み出し、多くの読者を魅了している。
さらに、生意気とも思える意見を言い放ち、『ドラゴン桜』誕生のきっかけになった、新入社員・佐渡島さんは、あの出来事から11年後…
三田先生「突然、家に訪ねてきて、会社辞めるって言うんですよ。『なんで?』って聞いたら、僕のエージェントになるって言うんですよ。『いやいや、頼んでいないんだけど』って」
その後、三田先生も快諾したことで、佐渡島さんはクリエイターのマネージメントを担う会社を設立。
今では、三田先生のみならず、多くのクリエイターが所属している。
三田先生「ある意味、人との縁に恵まれて、ある意味、色んなところで色んなラッキーに恵まれて、ここまで来れたのは、ミラクル。信じられないくらいラッキーな漫画家人生だった」
ドラゴン桜の主人公・桜木が学校関係者に対して言った、『コツさえ掴めば成功できる』という趣旨のセリフがあるが…まさに三田先生の実体験から来るセリフだったのだ!