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大ヒットグルメ誕生秘話SP

あの国民的グルメ! きっかけは〇〇だった!

みんなが大好きなそのグルメは今から70年前、東京のある店で誕生した。 当時、店員が食べていたまかないは、この店の定番商品を作る際に出た残り物をアレンジして作ったものだった。 そしてそのまかないは、この店で提供していた食べ物とは、異なる食べ方をするグルメだった。

その様子を常連客が見て、自分も食べてみたいと言い出した。 常連客はこのまかないを気に入り、大絶賛! 店のメニューに入れることになった。

こうして、メニューに加わったそのまかないは評判を呼び、今では色々な店で出される誰もが知る国民的グルメに。
それこそ、つけ麺!
そして、つけ麺が誕生したこの店こそ、今から74年前に創業した東京・中野にあるラーメンの名店、『大勝軒』なのである。

当時この店では、客に提供するラーメンを作る時に残った麺をお酢や唐辛子などを加えたスープにつけて、まかないとして食べていたのだ。
二代目店主、坂口光男さんはこう話してくれた。
坂口(当時)ほとんどの注文がラーメンですから、(麺を)測って一人前ずつ茹でるということは全くしていなかった。足りなくなると困るんで、ちょっと多めに茹でていたんですよね。それをザルで一人前ずつラーメン入れていくと必ず後で残っちゃう麺が出てきて、他のどんぶりに残しておいたわけですよね。それを後でまかないとして食べるわけですよね」

その様子を常連客が目撃、口にしたことがきっかけで、メニューに加えてみると…地元の人を中心に、徐々に口コミが広がり、人気メニューへ。 他店でも提供されるようになるなど、『つけ麺』は全国的なグルメになったのだ!
坂口「年を重ねるごとに(広く)知れ渡っていって、皆さんに食べられることになるとは、(当時の店員たちは)想像もしていなかったんじゃないですかね」
国民的グルメ『つけ麺』は、ある一軒のラーメン店のまかないから生まれたという、トレビアーンビリバボーな歴史を持つグルメだった。

クレームがきっかけ? 誕生した世界的グルメ

ヒント① 料理が分厚いとクレーム
今から172年前(1853年)、アメリカのとあるレストランで…一人の客が、ある料理に対して『もっと薄くしてくれ』とクレームをつけてきた。

理不尽な客の要求だったのだが、料理長のジョージは、その客の要望通り薄くして提供。 しかし、クレーマーは『まだ厚い』という。 ぶち切れたジョージによって世界的なグルメが誕生することになる!

ヒント② めちゃくちゃ薄くした
ジョージはフォークが刺せないくらい、可能な限り薄くスライス。

ヒント③ 嫌がらせで調味料を足した
さらに、味を濃くするために調味料をたっぷりと振りかけた。 そう、ジョージは、クレーム客に対する嫌がらせグルメを作ったのだ。

ヒント④ 手で食べる
この料理に困った客は、フォークを置き、手でたべることに。
これがまさかの大好評! この食べ物はレストランの看板メニューとなったのだ。

その後、あまりの美味しさから、このレシピで作ったグルメは口コミでアメリカ全土、そして世界中に広がっていき、今では日本人もみんな大好き!
この、クレームを言ってきた客への嫌がらせから生まれた、とれびあ〜ん!ビリバボーなグルメ、それは…そう、ポテトチップス!

客は注文したフライドポテトが分厚すぎると、何度もクレームをつけてきた。 アタマに来たジョージは、ジャガイモをこれ以上はないほど超薄切りにし、フォークでさせないよう、パリパリに揚げて提供したのだ。
そして、このポテトチップスが飛ぶように売れた結果…ジョージは、ポテトチップスを看板メニューとした自身のレストランをオープン!
現在、レストランは閉店し建物も残ってはいないが、店があった場所にはある看板が立っている! そこに書かれている文字とは…ポテトチップスの発明者であるジョージの功績を讃える内容。 お客さんの嫌がらせのつもりで作ったグルメが、世界中に広まっていくとは思いもよらなかっただろう。

とある音が世界的グルメの名前に!

ヒント① 元々の料理は夏場が天敵
今から75年前、老舗料理店の店主の三宅は新メニューのネーミングにに悩んでいた。 このお店は、遡ること20年前、昭和5年に開業し、地元では人気の繁盛店だったのだが…毎年、夏場になるとお客さんが激減。 店の売りである料理は熱々なので夏に向いていなかったからだ。

ヒント② さっぱり食べられる料理に改良
そこで、三宅は暑い時期でもさっぱり食べられる、これまでになかった新料理を2年かけて完成させた。

ヒント③ 水が関係
だが…なかなか良い料理名が思い浮かばず悩んでいた。 そんな時だった! 厨房のあるものが気になった三宅。 それは…仲居さんがおしぼりを洗っている音だった。

ヒント④ 洗い物の音でひらめく
三宅は、これだ!と閃いた。

厨房の洗い物の音から名づけられた、とれびあ〜ん!ビリバボーな世界的グルメとは!?
そう!しゃぶしゃぶ!
実は、あの時、三宅は、仲居さんが、おしぼりを洗っている音を聞き、「じゃぶじゃぶ」というおとから連想して、『しゃぶしゃぶ』と名付けたのだ。

このしゃぶしゃぶ発祥のお店は、今から95年前に開業し、中国由来の肉鍋を改良した肉料理の店「スエヒロ本店」
末広本店 店長、塩見葵さんは、こう話してくれた。
「当時 朝礼で(しゃぶしゃぶと)発表した時は従業員に笑われた。(しゃぶしゃぶの名前を)勝手に使うお店もあれば、使っていいですか?と聞いてくるお店もあって、当時はどんどん使ってくださいということで、日本中に広まっていった」

「じゃぶじゃぶ」おしぼりを洗う音から付けられた料理名「しゃぶしゃぶ」、その名前は日本のみならず海外の辞書にも載っているほど!
ちなみに今ではしゃぶしゃぶに欠かせないゴマだれを考案したのも三宅なのだという。

まさかの食材をお菓子に!

今から138年前に、ある地方都市で誕生したとあるお菓子メーカーは、甘納豆などの和菓子が評判を呼び、地元の人たちに愛されてきた。
そして、今からおよそ70年前。 二代目社長の山崎幸一は、店の新しい看板商品となる、地元ならではのお菓子を作りたいと考えた。

ヒント① 地元の名産品の知名度は高い
そんな時、旅先で声をかけられ、自分の出身地を伝えても伝わらなかった。
そこで、地元の観光スポットを説明すると…「ああ “アレ” が美味しいところですよね」と、地元の名物である、ある食材の名前が挙がった。
この会話から…山崎の頭の中に新しいお菓子のアイデアが浮かんだ。

ヒント② お菓子とは無縁の食材
会社に戻った彼は、早速職人たちにそのアイデアを伝えた。 すると…職人たちは戸惑った。 なぜならその食材は、お菓子の材料とは全くかけ離れたものだったのだ。

ヒント③ ヌメりや匂いが強い
しかし、なんとしてでもその食材を使ったお菓子を作りたかった山崎は、職人たちを説得。 その熱い想いを受け、職人たちのやる気にも火がつき…試行錯誤の末、当時の日本ではまだ馴染みのなかった洋菓子にすることを決め、さらに お菓子の形状はその食材をイメージしたカタチにすることも決定した。

ヒント④ 交通網の発達で知名度UP
そして…ついに、アレを使ったお菓子が完成!
今から64年前、1961年に発売された。 するとその商品は、物珍しさもあって話題に! さらに、東海道新幹線や東名高速道路の開通も相まって、その知名度は地元だけでなく全国区に広がり、今や誰もが知るお土産になったのだ。

職人が戸惑ってしまったお菓子とは無縁のアレを使った商品。
それは…そう、静岡県、浜松の名物…『うなぎパイ』!

あの時、旅先で…地元、浜松は伝わらなかったのだが…浜名湖がうなぎの産地であることは多くの人々に知られていた。 そこで、うなぎの骨を煮詰めて取った出汁を粉末状にして生地に練り込み、うなぎの形をイメージさせる細長い形のお菓子を作り上げたのだ。

そんなうなぎパイの代名詞とも言えるキャッチフレーズといえば…『夜のお菓子』
実は『家族が揃う夕食時、一家団欒のひとときをうなぎパイで過ごしてほしい』という願いのもとつけられたのだが…当時の浜松は全国有数の夜の繁華街で有名だったこと、そしてうなぎには精力増強効果があると言われることから、あらぬ解釈をしてしまう人が続出。 間違った意味でキャッチフレーズが一人歩きしてしまったことも、ヒットの要因の一つになったという。
二代目社長の『地元浜松の名物を作りたい』という思いが、様々な偶然を呼び、うなぎパイは誕生したのだ。

半世紀以上愛され続ける定番駅弁

その駅弁を製造する会社が誕生したのは、今から117年前の明治41年。
当初は、とある駅の構内で寿司や飲み物を販売していた。

ヒント① 駅弁を売るには立地が最悪
そして、その7年後に駅弁の販売を開始。 売っていたのは、至って普通の弁当だったのだが…その売上は伸び悩んでいた。 なぜなら、彼らが弁当を販売していた駅は、大型のターミナル駅の近くに位置していたため…ターミナル駅から乗った客はすでに弁当を買っていたし、ターミナル駅に向かう客は、到着間近なので弁当を買わない。

ヒント② ある場所ではお通し
しかし、後に会社の社長になる野並は、この駅での弁当の販売を諦めていなかった。
「何か他とは違う ここならではの名物を作れないだろうか」と考え、様々な飲食店に行き、地元の『名物料理』を探すことに!
そんなある日…ある料理が野並の目に止まった。 当時この料理は、特定の場所ではお通しとして提供されていたものの、全国的には、ほとんど知られていないものだった。 野並はこの料理を販売することを決意

ヒント③ 本来は温かいもの
この料理は、時間が経つと冷たくなってしまい、味が落ちるため、冷めても美味しく食べられるよう改良を重ね、約1年後、ついに納得のいくものが完成。

ヒント④ 12個入りの折詰で売り出す
その食べ物を12個入れた折り詰め形式で販売した。
すると、徐々に人気が広がっていき、少しずつ売り上げも増加。

ヒント⑤ キャンペーンガールを起用
だが、野並はまだ満足していなかった。 終戦から5年後、野並はこの名物をさらに世の中に広めるため、ある行動に出た。
それは…キャンペーンガールの起用。 料理名が書かれた襷をかけ、折詰を販売したのだ! 一般的に、当時の販売員は男性が多かったということもあり、この取り組みは大きな話題を集め、折り詰めの売り上げを伸ばしていった。

そんな中、思いもよらない転機が訪れる!
なんと、新聞の連載小説に、登場人物の一人としてその販売員が登場! さらに、小説は映画化され大ヒット! スクリーンを通してこの料理が全国に知れ渡ったのだ。 野並はこのチャンスを逃さなかった!

キャンペーンガールの起用から4年後。 満を持して、この料理をメインにした駅弁を制作、発売。 すると、販売開始から予想を大きく上回る大ヒットに! 地理的に不利だと思われていたこの駅で、見事な成功を収めたのだ。
その、駅弁こそ…そう!今や1日におよそ3万個を売り上げる、横浜を代表する駅弁…崎陽軒のシウマイ弁当である!

野並が弁当を販売していた駅は横浜駅。 かつて、崎陽軒が駅弁の販売を始めた頃は、近くにある東京駅の影響で、横浜駅で弁当を買う人はほとんどいなかった。 そんな中、野並が名物を探して向かったのが…今でも観光地として人気が高い、横浜の中華街。 そして、そこで見つけたのが…当時はまだ知る人の少なかったシウマイだったのだ。
キャンペーンガールの起用など、野並の戦略が功を奏し、崎陽軒のシウマイは横浜の名物として広く認知されるようになっていった。 現在、シウマイ弁当は、横浜駅だけではなく東京駅などでも販売されている。 さらに2021年の東京駅で買える人気のお弁当ランキングで堂々の1位に輝くなど、日本中の誰もが知る駅弁として愛され続けているのだ。

会議中の思いがけない行動がヒント!? の最強商品

ヒント① 他社に先を越されていた
今から約50年前、ある大手食品メーカーの開発担当者たちは、新商品の名前について頭を悩ませていた。 当時、同じジャンルの商品は、同業他社に先を越されていた。 そのため、コンセプトを明確に表現しつつ、消費者の興味を引くようなインパクトのある名前がぜひとも必要だったのだ。 だが、何分経っても、何時間経っても…ど〜しても名前が決まらなかった。

ヒント② フタを投げたことがきっかけ
そんな時…社員の1人が商品のフタを投げたのだ。 この光景で名前のアイディアがひらめいた!

ヒント③ フタがあるモノに見えた
投げられたフタがあるモノに見えたのだ。
そして、これがきっかけとなって、名前が決定したのだ!

その商品こそ…そう!日清焼そば「U.F.O.」!
この当時、世間ではUFOブームが起きていた。 そして、焼きそばUFOといえば、この「丸い容器」。 当時、他社のカップ焼きそばは、縦型や四角い容器だったのだが、「焼そばはお皿で食べるもの」という発想から、業界初の丸い皿型容器を採用していた。

その丸い容器のフタを社員が行き詰った会議中にたまたま投げたところ…それがUFOに見えたのだ!! しかし、このネーミングに決まった理由はそれだけではなかったという!
それは…コンセプトのうまいソース・太い麺・大きいキャベツの頭文字になることから「U.F.O.」が相応しいとされたのだ。

こうして、今から49年前に発売された「日清焼そば U.F.O.」。 そのネーミング、さらに、それまでになかった濃厚なソースの味わいなどで、若者を中心に幅広い層をとらえ発売直後から大ヒット!
発売から49年経った今でも日本国民に愛され、現在でもカップ焼きそば・油そば市場で売り上げ一位! 圧倒的な人気を誇っている!

〇〇なお父さんのひと言が生んだ!? 超有名お菓子

とある地方のお菓子メーカーの石水勲(いさお)は、今から49年前、日々、新商品のお菓子の開発に取り組んでいた。 勲の父親が立ち上げた会社で、元々は駄菓子の製造をしていたが、大手メーカーにはなかなか勝てず、経営が傾きかけていた。

ヒント① 国内旅行のお土産に目をつける
何とかこの窮地を脱するために、当時、流行っていた国内旅行の観光客のお土産になる洋菓子作りにシフトチェンジすることにしたのだ。

ヒント② ロマンティストな父
試行錯誤の末、ようやく新商品のお菓子自体は完成したものの…どうしても良い商品名が思いつかなかった。
そんなある日、悩む勲に父はこう言った。
「今は春を待つ土の中の芽だ。いずれ出てくるさ」
創業者で父親の幸安は、普段から詩を書くのが好きなロマンティックな人だった。 そんな父親が新商品の運命を変えることに。

それは、12月のある日のことだった。
帰宅してきた父親は、その日、外で目にした光景を、ある言葉に喩えてつぶやいた。 それはロマンティストの父親らしい表現だった。
それを聞いた勲は、その言葉を商品の名前として採用することに! 果たしてこの超有名お菓子とは!?

ヒント③ 冬季オリンピックが関係
父親が呟いたロマンティックな言葉には、実はあるものが関係していた。 それはこの8年前に大ヒットしたある曲。 その年にフランス・グルノーブルで開催された冬季オリンピック大会の記録映画が公開されそこで使われたメインテーマ。 フランスの高明な作曲家で「ある愛の詩」など多くの映画音楽を手がけたフランシス・レイが作曲を担当。 この曲のタイトル、映画の邦題と同じなのだがこの曲名がお菓子の名前と大きく関係していた。 それこそが『白い恋人たち』

そう、この曲がきっかけで生まれた、超有名なお菓子は…来年で発売50周年を迎える北海道土産の定番、『白い恋人』である。
父親が外の風景を見て、ふとつぶやいたことで付けられた『白い恋人』。 実は、あの時、父親が見た外の光景というのは…。 そして…「白い恋人たちが降ってきたよ」とつぶやいたのだ。
ロマンティックな父がいなければ…白い恋人は生まれていなかった。