オンエア
今年4月に開幕した「大阪・関西万博」。
連日多くの人で賑わいを見せているが、今から55年前に開催された「大阪万博」。
実は、この万博をきっかけに今や私たちにとって身近で、誰もが知っている、あの大ヒットロングセラー商品が生まれていた。
この日、東京に本社を持つ、ある大手メーカーでは、部下達にとある指令が下っていた。
そして彼らは、開催中だった大阪万博へと向かい、あるパビリオンで指令にあった、あるものを口にした。
視察に行った社員達からは、否定的な意見が相次いだ。
実はこの食品、免疫に関する研究で、今から約120年前に、ノーベル生理学・医学賞を受賞したロシアのメチニコフという学者が、健康や長寿と密接な関係があると唱えていたもの。 当時の日本は今と比べ、平均寿命も低く、高い健康意識を持つ者も少なかったのだが、この大手メーカーは、創業以来、栄養を通じて社会に貢献するという精神を守り続け、日本人の健康のために尽力してきた。 そのため、この食品を商品化したいと思っていたのだ。
こうして、人々の健康を願い、商品開発が始まった。
彼らは、大阪万博から持ち帰ったサンプルを解析、研究し、1年後、納得のいくモノが完成。
その商品名が決まった。
コンセプトは「本場の味」であることを、シンプルに伝えるというもの。
それこそ…「明治ブルガリアヨーグルト」!
だが、誰もが知る人気商品になるまでには予想もしなかった大きな壁があった!
万博会場へ調査に向かい、商品を作った会社は「明治」。
そしてもちろん、サンプルのヨーグルトを提供したパビリオンは、ヨーロッパの国、ブルガリアだった。
当時、ヨーグルトは既に日本でも食べられており、この時、主流となっていたのは、砂糖や香料を加え、ゼラチンなどで固めて作る、甘いヨーグルト。
多くの日本人は、ヨーグルトをオヤツとして認識していた。
一方、ブルガリアで親しまれていたのは、数百種類にも分類されるという乳酸菌のうちの、ある2種の菌と乳(にゅう)だけで作られた無糖で無添加、酸味のある甘くない「プレーンヨーグルト」と呼ばれるものだった。
明治の役員は、これが日本人に浸透すれば、日本は健康大国になるに違いないと考えいた。
こうして、ブルガリアヨーグルトは大ヒット商品に!と思ったのだが…そこには大きな壁が待っていた。
発売に先立ち、明治の社員はブルガリア大使館に出向いた。 パビリオンからサンプルを受け取って以来、明治とブルガリア大使館は何度か交流があった。 その関係もあり、国名を商品名に入れるにあたり、仁義を通し、ブルガリア政府から正式な許可をもらおうと考えたのだ。
許可はおりるだろうという予想に反して、拒否されてしまった。
大使「我が国は他国から幾度となく虐げられた歴史を持っています。しかしいかなる時も守り続けてきたものがあります。それが人民の心とヨーグルトなのです。ヨーグルトは ブルガリア人の誇り 国の宝なのです。ヨーグルトにブルガリアの国名を安易に入れることは認められません」
こうして、ブルガリアの国名を商品名に入れることは断念することになった。
しかし、万博の翌年、新商品は代わりの名前をつけられ、予定通り発売される。
その名も「明治プレーンヨーグルト」。
売上げは、首都圏全体でも1日たったの200本程度。
予想を上回る不評ぶりだった。
そんな時、消費者が会社に届いた。
「こんな本格的なヨーグルトが日本でも食べられるなんて、とっても嬉しいです」
「これからの日本人の健康のためには、こういう食品がもっと広まっていかなくては!」
決して多くはなかったが、プレーンヨーグルトを日本で初めて商品化したことに、強い共感と支持も寄せられたのだ。
明治の社員たちは、本場ブルガリアのヨーグルトの味こそがこの商品なんだと認識してもらう必要がある、そのためには『ブルガリア』の国名を商品名に入れるのが一番だと感じた。
ブルガリア側から了承を得るためには、ブルガリアとヨーグルトの結びつきを知る必要がある。
こうして、チームのメンバーは、文化や歴史的背景をより深く知るため、ブルガリアを訪問。
その結果、各家庭で味や製法に独自のこだわりがある。
日本でいう「お味噌汁」のようなものであることにも気づいた。
そして、現地で理解を深めた彼らはブルガリア大使館に出向き、再度交渉に当たった。 答えは同じだったが、それでも彼らは何度も何度も…交渉に訪れた。 そして…熱意を汲み取った大使が話を聞いてくれることになった。
こうして、試行錯誤を繰り返し、試作品を作っては…何度も大使館を訪れ、試食をお願いした。
一方、大使館側も職員の家族に試作品の感想を聞いてくれたり…自家製のヨーグルトを届けてくれたりと、協力を惜しまなかったという。
そして…想いに打たれた大使は、ブルガリアでヨーグルトの販売を行なっている国営企業のスタッフに最終判断を仰ぐことに。
それを受け、国営企業のスタッフが、明治の工場へ視察に訪れた。
こうして、商品にブルガリアの国名を使用することが正式に認められたのだ。
そして、大阪万博から3年後。
ブルガリアが国名の使用を世界で始めて認めたヨーグルト、「明治ブルガリアヨーグルト」が発売された。
パッケージの側面には、ブルガリアの高名な科学者、ギルギノフ教授のメッセージを明記。
「健康と長寿を楽しんでいるブルガリア国民にとってヨーグルトは欠かせない食品です。ブルガリアヨーグルトが日本でも発売されることは大きな喜びです」
さらにCMでも、ブルガリアの牧歌的な文化を印象づけ、ブルガリアこそがヨーグルトの本場であり…これまでのヨーグルトにない酸味こそが、本物の味「爽やかさ」であるとアピールした。
こうして、次第に甘くないヨーグルトは、本場の味として、日本人の理解を得られるように。
料理にも活用されるなど、食卓の中に徐々に浸透していった。
ヨーグルトが日本人にとって身近なものとして親しまれるようになっていったのだ。
また、整腸機能が認められ、プレーンヨーグルトとして初めてトクホ商品にも認定されるなど、日本人の健康にも大きく貢献!
さらに、この商品の普及は、本国ブルガリアの人々にも影響を与えているという。
ブルガリアの食文化について詳しい専門家によると…
「日本の国民がブルガリアヨーグルトを食べてくれている。評価を高くつけてくれている。外部から見られたブルガリアの文化が高い評価を受けているというところが誇りにつながる」
そして、約50年、日本の健康を支えるロングセラー商品になっている。
時代によって少しずつ改良を加えているというが、開発当時から変わらない部分があるという。
福井さん「(明治ブルガリアヨーグルトは)少しずつ 時代時代に合わせて変化を遂げてきた。ただ、ブルガリアヨーグルトの本質。そこは時代が変わっても守り続けていくべきところだと思います」