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つい先日、野球の強豪校が甲子園で開催中の全国高等学校野球選手権大会を途中辞退するというニュースが世間を騒がせた。
部内でのいじめ・暴力に関する問題が報じられ、SNS上の一部では関係者に対する誹謗中傷も書き立てられた。
皆さんは、約20年前にバレーボールの強豪校を舞台に起きた、いじめ疑惑事件をご存知だろうか?
高校二年生の息子を持つ山崎さん。
彼女にとって、日々、部活でバレーボールに打ち込む息子は自慢だった。
しかし、そんな彼女の平穏な日常は、ある日を境に一変する。
山崎家に「お宅の息子、よくバレー続けてられるね。あなたたちのことを訴えますからね!」などという電話がかかってくるようになったのだ。
その後も、山崎家には連日電話がかかってきた。
そして、息子は、他校の生徒から罵声を浴びせられることもあったという。
いつしか山崎家では、なるべく電話線のコードを外して生活するようになった。
しかし、自宅の電話は仕事でも使用していたため、繋がなくてはいけない時もあった。
すると、すぐに「よくバレー続けてられるね」という電話が。
頻繁に鳴り響く電話…彼女は心労のあまり、円形脱毛症になってしまったという。
さらに、市民からの電話が息子の通う学校にも殺到。
その数、実に300件以上に上ったという。
その上…校舎の壁に息子が所属するバレー部への抗議の言葉が書かれたり、取材のためにマスコミが学校に押し寄せたりすることもあった。
そして、ついには…学校で不審火が立て続けに3件も発生した。
なぜこのようなことが起こったのか!?
その発端は、数週間前に遡る。
「学校が悪かったんです。きちんと対処してくれていたら子供は死ななかったんです!」
メディアの前で、やり場のない悲しみと怒りをぶつける母親、木下さおり(仮名)さん。
さおりによると、息子・隆(仮名)くんが、所属していたバレー部でのいじめを苦にして…今から20年前の12月6日、自分の部屋で首を吊り、命を絶ったのだという。
彼女は取材に来た記者に一枚のメモを見せた。
『お母さんが "ねた" ので死にます』
それは、乱れた字で書かれた走り書きだった。
そして息子の死から程なく、彼女は山崎家や、校長を相手取り、総額8千万円を超える損害賠償を求める裁判を起こした。
さらに隆くんの死の責任は学校にあるとして、校長を殺人罪でも刑事告訴したのだ。
そう、一人の少年の悲劇的な死をきっかけに、山崎家や学校に非難やいやがらせが殺到していたのである。
さおりの証言によると…隆くんへのいじめがはじまったのは、高校に入学したばかりのこの年の5月の初め頃。 そのいじめがきっかけで、隆くんは5月末に1度家出をしているという。 この時はすぐに戻ってきたのだが…自分の声をマネされたのが嫌だったと言ったという。
原因は不明だが、隆くんは中学生の時に声が出にくくなり、それ以降、時折、掠れた声になることがあった。 コンプレックスを馬鹿にされ、苦痛で耐えられなかった。 そして…そのいじめの中心となっていたのがバレー部の1年先輩、山崎くんだったのだという。
母の励ましで元気を取り戻した隆くんは、家出から戻ってきた翌日、再び学校へ行った。 ところが、山崎くんはその後も隆くんの『かすれた声』をマネして、いじめを繰り返したのだという。 さらに部室で正座させ、プラスチック製のハンガーで隆くんの頭を思い切り打ち付ける暴行を加えたこともあったという。
その後、隆くんは、8月末に2度目の家出をするほど精神が不安定に。
そこで精神科を受診した結果、うつ病のため学校を休んで治療に専念する必要があると診断された。
以降、診断書を3回も学校に提出したにも関わらず、太田校長からは『欠席が続くと進級できない』と脅すような手紙が何度も届き…隆くんはそれを読む度に症状を悪化させていったのだという。
むろん、さおり自身もその状況をただ黙って見ていたわけではない。 息子がいじめの首謀者だと答えた山崎くんの自宅に、何度も電話をかけるだけでなく…バレー部の監督の家にも連絡、息子を助けて欲しいと訴えた。
しかし、事態は一向に改善されないまま。 12月初旬に、校長の指示で、教頭や担任らがさおりの自宅に押しかけ、登校するよう、隆君を4時間以上にわたってしつこく説得したのだという。
そして最悪の事態が…教頭らの訪問から3日後、隆くんは自ら命を絶ったのだ。 メディアは少年の痛ましい死を一斉に報道。 この悲劇を受けて校長の太田は、すぐさま学校で記者会見を開いた。 そこで校長は、隆くんの声をマネする行為があったことや、指導の一環として上級生がハンガーで頭を叩いた事実については認めた。 しかし、自殺につながるようないじめや暴力については、きっぱりと否定した。
そして、記者会見の最後にこう付け加えた。
「モノマネということがですね、いじめであれば、もう世の中じゅういろんな行為がですね、いじめにされてしまうんじゃないかなというような、ただそれには不満なんですよね」
この発言が報道されると、いじめを容認していると受け取られ、学校には多くの苦情が殺到!
そして隆くんの死からおよそ5ヶ月後、民事訴訟の第1回口頭弁論が開かれた。
さおり「隆が自殺に追い込まれたのは、いじめや暴力で心身ともに傷つき、絶望的な状態に陥ったからなんです。先生たちに4時間にも渡ってしつこく登校を促され、息子はついにいたたまれず自殺してしまったんです」
息子を失った母親の訴えは、法廷内に重く響いた。
しかし…太田校長とバレー部の監督や学校関係者、山崎くん親子も戸惑いを隠せなかった。
なぜなら、彼らにとって、さおりの証言のそのほとんどが身に覚えのないことだったからである。
山崎くんは、裁判前、担当の神田弁護士に対し、いじめはなかったとはっきり否定していた。
当時の心境をバレー部の上野監督はこう語る。
「常日頃からバレーボールはチームワークが大事なので、お互いに信頼し、尊重して行動しろよということは常日頃から口酸っぱくして言ってきたので、部員の中でね、いじめがあるということ(を聞いて)びっくりしました」
実際はどうだったのか? この後、法廷で驚きの事実が明かされていく。
隆くんはなぜ家出したのか?
さおりは隆くんが最初に家出をした理由について、掠れた声をマネされたことが原因だと証言していた。
一方学校側は、隆くんが家出した当日、担任がさおりと連絡を取った際に「原因に心当たりはないか」と尋ねたところ、こう答えたと主張。
さおり「昨日、私の財布からお金がなくなっていたんで、隆を疑って問い詰めたんです。でもお金を取ったことを認めなかったので、家から出ていけと言ってしまったんです」
監督の上野も、さおりから同様のことを聞いていたという。
では、モノマネの件はどうだったのか?
学校が行った調査によると、バレー部の部員たちにとって思い当たる行為は、一度しかなかったという。
それは県大会出場へ向け、学校内で行われた合宿でのことだった。
実はそのモノマネも…隆くんの掠れた声自体をマネしたものではなかった。
隆くんが芸人のギャグをモノマネで披露した際、山崎くんも一緒になってやったものだったと言うのだ。
ハンガーでの暴行はあったのか?
この件についても、バレー部の監督をはじめ、教員たちは2回目の家出直後に調査を行っていた。
それによると…山崎くんたち2年生が、1年生に対し、練習態度について注意したことがあった。
その際、山崎くんが1年生の頭を、プラスチック製のハンガーで1回ずつ軽く叩いた。
隆くんだけに暴力を振るったわけではなく、手を上げたのもこの時の一度きりだったのだという。
監督「聞き取り調査の中で、頭を一回ずつ軽く叩いたというのが事実として出てきました。怪我をしたりいたがったりという話は聞いていない。その後ですね、バレー部としても、全員にしっかりと、反省を促すような指導はそこでしたと思います」
神田弁護士が裁判所に提出した陳述書には、バレー部員25人によるこんな想いが記されていた。
部員「隆はみんなから好かれていたし、先輩からもかわいがられていました」
部員「ハンガーで叩かれたことについては、僕も隆といっしょに山崎さんから頭を叩かれましたが、大したことではないと思っています」
モノマネやハンガーの一件は、メディアでも見解の相違を報じられた。
一方、校長は集会で、ふざけた行為も人によっては心が傷つくと生徒を諭したという。
では、何が隆くんを追い詰めたのか?
隆くんが亡くなる3日前に行われた打ち合わせ。
そこには…教頭や担任だけでなく、教育委員会の関係者なども同席していた。
さおりは4時間にも渡ってしつこく登校を促されたと証言。
しかし実際の話し合いは…登校を約束するという隆くんの元気な声で終わっていた。
この時の話し合いは双方が全てのやり取りを録音していたという。
神田弁護士は、この音声を全部視聴、学校が無理やり登校を約束させたという状況ではなかったという。
裁判は双方の主張が食い違う中進み、隆くんの死から約2年後、殺人罪で告訴された校長は嫌疑不十分で不起訴に。
さらにそれから約1年半後(2009年3月)さおりが損害賠償を求めた民事裁判の判決が下された。
裁判官は山崎君に対し1万円の支払いを命じたが、それは悪ふざけであり、いじめとは認定せず、また校長への賠償請求も認めなかった。
学校側の主張が認められたのだ!
裁判では、隆くんの自殺の原因はいじめや暴力ではなく、校長の手紙も隆くんを追い込むようなものではないと認定された。
では、彼を苦しめた原因はどこにあったのだろうか?
神田弁護士「学校やバレー部の部員達に落ち度がなかったということは、裁判でも明確に認められています。そうしますと、自殺についての最も大きな原因影響を与えたのは、母親の衝動的な言動ではないかと思います」
このあと…裁判資料および、この事件を長年に渡り取材したジャーナリストが著した書籍を元に隆君の死の真相と、その母さおりの真の姿に迫る!
全ての始まりとなった隆くんの1回目の家出。
その原因は、さおりと隆くんの財布のお金を巡る口論だと裁判で認められた。
この時、さおりと連絡を取った担任も、彼女が隆くんを疑ったことや強く叱責したことを悔いていたと語っている。
しかし、その3ヶ月後、2回目の家出が起こってしまう。
この家出について、さおりはその前日に担任に注意されたことが原因だと話していた。
だが実は、隆くんはこのことに関して…
神田弁護士「生前に彼は友人に対して学校にも行きたいし、バレーボールもやりたいんだけれども、親からダメだと言われている。親に逆らえない。だから家でおとなしくしてるしかないんだという風に友人に打ち明けてました」
こうした事情を知ったチームメイトは…「悩みごとがあったら相談に乗るからな一緒にバレーしような」とメールで伝えたという。
しかしその後、隆くんが登校したのはほんの数回しかなかった。
2回目の家出を機に、さおりは態度を一変させた。
山崎くん親子や学校にクレームを入れるようになり…そしていつしか彼女の怒りは、他の部員や保護者にも向けられるようになっていく。
「どの大会でもイジメをする人間に出る権利はない。バレー部は暴力集団だ!」
彼女はこういったメールを何度も送ったという。
神田弁護士「何の根拠もない事実に基づいて、学校や教員、また部活動の仲間をですね、乱暴な口調で一方的に非難し続ける姿を見るのは、非常に辛かったんではないかと思います。母親の衝動的な言動で、次第に学校や仲間から自分が遠ざかってしまって、孤立していくんじゃないかというような危機感や辛さはあったと思います」
実は、さおりは隆くんを連れ、『子どもの人権救済センター』を訪れて、学校でのいじめや暴力について訴えたことがあった。
だが、親子の関係性に不自然さを感じ取った弁護士は、隆くん単独で話を聞いた。
すると隆くんは…「バレー部に戻りたい。母親の行き過ぎた言動は申し訳なくて、恥ずかしいと思っています」
そう訴えたのだという。
しかし、隆くんがバレー部に戻ることはなく、悲劇は起きてしまった。
実は、裁判が進む中で、山崎くん親子をはじめ、学校やバレー部関係者はある行動に出ていた。
さおりに対し総額3000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたのだ。
上田監督「(隆君は)本当に純粋で、バレーボールが大好きで、部員とも仲良く一生懸命やった子です。その子がですね、亡くなるまでの間にですね、本当にバレー部の部員たちは、彼を一緒にバレーできるように努力してきました。にもかかわらず、バレー部に責任があるんだと。バレー部のいじめが原因だということを主張して裁判を起こした母親に対して、許せないという気持ちで行動を起こしました」
そして、隆くんの死から、約3年3ヵ月。
裁判所は学校側の訴えを全面的に認め、さおりには、山崎くんとその家族を含む関係者23名に一人当たり、5000円から5万円、計34万5千円を支払うよう命じた。
裁判に負けたにもかかわらず、さおりは現在に至るまで賠償金を一円も払っていないという。
一方で、勝利したはずの学校関係者の胸中には、拭いきれぬ虚しさが残ったという。
上田監督「我々は彼に対して本当に一生懸命救おうと努力をしてきたにも関わらず、この騒ぎになってしまったということに対して悔しかったし、それが裁判で(勝訴し)晴らされても、それが世間ではもう忘れられているっていうことに対しては、本当に許せない気持ちでしたね」
悲劇が起きた当初、報道によって、もっとも大きなバッシングを受けたのが太田校長だった。
「モノマネいうことがですね、いじめであれば、もう世の中じゅういろんな行為がですね、いじめにされてしまうんじゃないかなというような、ただそれには不満なんですよね」
発端となったあの会見での言葉…しかし実は、この発言の直後、彼は自らの発言がいじめを容認していると誤解を招きかねないと撤回していた。
さらに、続けて、いじめはあってはならないと、部員たちに指導したこと、部員たちに隆君と会った際に直接謝罪をさせていたことを語っていた。
発言自体が軽率なものではあったことは否めないが、他の部分に触れられることなく一部だけが切り取られて報道されてしまったため、大きなバッシングをうむことになってしまったのだ。
判決までの約3年あまり、そしてその後に至るまで、山崎くん一家や学校関係者は、さおりに人生を狂わされた。
実は、そんな彼らが裁判中から大きな疑問を感じていることがあるという。
それは、隆くんが書いたという走り書き。
実は、走り書きの文字をよく見ると濁点のようなものがあり、『た』ではなく『だ』の可能性が高いと考えらた。
さらに、隆くんが暮らす地域では、『嫌なので』ということを『やだので』といった言い方をすることがあるのだという。
だとすれば隆くんは、お母さんが嫌だったから自ら命を絶った可能性がある。
しかし、それでもさおりは、メモの文字は『やだ』ではなく『ねた』であるとの主張を崩さなかった。
だが…仮にこれを『ねた』としても、どうしても辻褄が合わないことがあるという。
隆くんが命を絶ったその日、ある記録が残されている。
さおりは新聞社など7か所に向けて「不登校の原因となったいじめは学校に責任がある」といった内容のメールを送信していた。
その送信時刻が午前6時27分。
一方、息子の異変に気づき、彼女が救急車を呼んだのが、わずか13分後の午前6時40分!
メールが自動送信で送られたとは考えづらいため、死亡推定時刻を考慮すると、走り書きを書いたとき、さおりが寝ていなかった可能性が高い。
だが、この件は裁判でも明らかになることはなく、その真相を確かめる術はない。
隆くんの死から約20年。
今、山崎くん親子は何をしているのか?
上田監督「先日、町のスーパーで会ったんですけど、子供を二人連れて元気にお父さんをしている姿を見てね、本当にほっとしました。お母さんも元気でやってるかと思います」