オンエア
地中海西部に浮かぶ、スペイン、マヨルカ島。
スペイン本土から約200キロ離れた場所に位置し、面積は沖縄本島の約3倍の自然が豊かで観光地としても人気の島である。
中学校で地質学の教師をしているグラシアは、この島で長男・ユック、長女・マルタと3人で暮らしていた。
今から8年前の4月15日、彼は子供たちに留守を任せ、ある場所へ向かった。
それは…島にある、水中洞窟。
彼は幼い頃から神秘的な魅力を持つ洞窟に惹かれ、32歳の時、洞窟潜水、いわゆる『ケーブダイビング』を始めた。
その後、様々な水中洞窟の調査に参加。
まだ誰も全貌を知らない水中洞窟内の詳細な地図を作ることにのめり込み、ケーブダイビングの回数は1000回を超えるほど。
54歳、ベテランの『洞窟探検家』だった。
そんな彼がこの当時、調査を進めていたのが…マヨルカ島にある『サ・ピケータ』という洞窟。
鍾乳洞が海面の上昇により水没して出来たと言われている水中洞窟で、現在では洞窟の全長が9キロ以上はあると推測されているが、その全貌はいまだ明らかになってはいない。
グラシアが当時、作成していた洞窟内部の地図、洞窟を真上から見たものを見てみると…8年前のこの時点では、まだ入口から2キロ程度までの部分しか把握できていなかったが、奥に行くにつれ道が枝分かれしていて、複雑な迷路のような形状をしているのがよくわかる。
彼には何人かのケーブダイビング仲間がおり、その都度予定の合う者と潜り、継続的に調査を行っていた。
そして、この日も過去に何度も一緒に潜ったことのある仲間、マスカロとサ・ピケータへ向かったのだ。
これまでに判明している部分を中心に、より地図の精度を上げるための調査を行う目的で。
この日の調査は3時間を予定。
ボンベのエアーは実際は体格や潜る深さによって消費量が変わってくるが、二人はこの日、それぞれ約4時間半分のエアーとなる3本のボンベを持って出発した。
そして午前11時頃、洞窟の入口を出発、調査を開始した。
ケーブダイビングは、ダイビングの中で最も難しいと言われている。
その理由は大きく分けて3つ。
まずは…洞窟内は光が届かないため、少人数での調査の場合、ヘッドライトの灯りだけだと、ほぼ真っ暗闇の中を進んでいく必要があること。
ふたつめは、洞窟は複雑に入り組んだ形をしているため、方向感覚が失われやすいこと。
最後に、洞窟内の地底には泥などの沈殿物が溜まっているため、少しでも触れてしまうと、水中に舞い上がり、一気に視界が悪くなってしまい、上下がどちらかすらも分からなくなってしまう危険性があること。
そのため、ケーブダイビングでは必ず『ガイドライン』と呼ばれる、ワイヤーが必要となる。
行きはこのガイドラインを引っ張り、所々で岩に結び付けながら進み、帰りはそれを道標としてたぐりながら戻るというのが基本である。
グラシアが地図を確認しながらガイドラインを引き…それを伝って、マスカロが後ろから付いていく。
そして、潜り始めてから約1時間、2人は入り口から1キロほど進んだ地点に到着した。
グラシアは地質学が専門ということもあり、洞窟内の岩石や地層などの調査も行っていた。
一方、マスカロは未発見の細い通路などがないかを調査。
その時だった! グラシアとマスカロがぶつかり、その衝撃でフィンが地底に触れてしまい、沈澱していた泥が舞い上がってしまったのだ。
水中洞窟は、川や海と違って水の流れがほとんどないため、視界が元に戻るまで、かなりの時間を要してしまう。
こうした場合、ガイドラインをたぐって来た道を戻るのがケープダイビングの鉄則。
何度も潜っている二人は、パニックになることもなく、この状況に冷静に対処しようとしていた。
だが!ガイドラインが切れていたのだ!
おそらく、二人が接触した際、ガイドラインが岩に擦れ、切断されたと考えられた。
これにより、パニック状態に陥った二人。
焦りにより、呼吸は激しくなり、エアーもより多く消費されていく。
その時、グラシアは何かを思い出し、どの方向が正しいのかわからないまま一か八かの賭けに出た。
そして…二人はなんとかある場所に辿り着いた。
水中洞窟の多くには、空洞になっていて空気が吸える、エアドームという場所がある。
二人が辿り着いたエアドームは、長さ約80メートル、幅は約20メートルと比較的広いものだった。
洞窟内のエアドームは、空気の出入りがない、密封された状態。
これまでも調査の際、このエアドームで休憩していたため、呼吸により徐々に二酸化炭素の濃度が高まり、酸素が薄くなっていたのだ。
通常、地上の酸素濃度は約21%と言われている。
これが18%を切ると体に支障をきたし始めるのだが…この時、エアドーム内は既に16%しかなかったのだ。
低酸素の場所に長時間 留まると…呼吸困難を引き起こし、意識障害が起き、痙攣などの症状が現れる。 さらに時間がたつと…血液中の酸素濃度が低下し最終的には死に至る。 その上、洞窟の中は地上よりも気温が低く、身体も濡れている状態のため、長時間いると低体温症になる可能性も非常に高い。 さらに、灯りはヘッドライトのみ。 そんな ほぼ真っ暗な中に長時間滞在すると、それだけで極度のストレスを感じ、精神に異常をきたすこともある。 一刻も早く、ここから脱出する必要があった。
切れたガイドラインの先が近くにあれば、それをたぐって戻ることができる…グラシアはそれを探しに行くことにした。
無事エアドームに辿り着けるかどうかは一か八かのかけだったため、ガイドラインを結ぶ余裕はなかった。
そのため、エアドームに戻って来られるよう、新たなガイドラインを岩に結び…切れたガイドラインの先を探しに向かった。
そして、約1時間後…グラシアはエアドームに戻って来たが、切れたガイドラインの先を見つける事は出来なかった。 そして二人は、ボンベ内のエアー残量を確認。 それぞれ約4時間半分のエアーを持ってきていたが…パニック状態に陥ったこともあり、多くを失い、さらに グラシアがガイドラインを探しに行った1時間分のエアーも消費。 その結果、ボンベの中には、合わせておよそ2時間分のエアーしか残っていなかった。
二人は今いる位置を地図で確認、入り口までは約900mのところにいると推測した。 ガイドラインがない状態では、濁りがない状態でも1時間半はかかる位置。 それは、残りのエアーで入り口まで戻れる可能性があるのは、一人だけであることを意味する。 つまり…どちらか一人は、この場所に留まるしかないということだった。
ここで、グラシアはある決断を下す。
マスカロに洞窟の入り口まで戻って、助けを呼んで欲しいと頼んだ。
グラシアよりマスカロのほうが体重が軽いため、必要な酸素量も少なくて済むための決断だった。
マスカロはグラシアと同じく何度もこの洞窟を潜っている。
つまり、地図を頼りに進めば、出口に到着できる可能性はなくはないのだ。
だが、マスカロが無事にたどりつく保証は何もない。 さらに、仮にたどりついたとしても助けがいつ来るのかも分からない。 それでも、グラシアはマスカロに全ての運命を託すことにしたのだ。 マスカロは、地図だけを頼りに入り口まで向かうことに。
午後5時頃、全ての残ったエアーを持ち、マスカロは出発した。
エアドームは、当然ながら真っ暗。
光はヘッドライトの灯りのみ。
さらに…なんと、時計の電池が切れ、時間を把握する事ができない状況に。
グラシアは出来るだけ酸素を消費しないよう、真っ暗な中、ただただ座って待つ事しか出来なかった。
そして、体感的に半日が経ったと感じたが…助けは来ない。
しかも酸素量が少ないため、低酸素血症に陥ったのか、激しい頭痛に襲われた。
その時、幻聴や幻覚に苦しめられた。
マスカロの出発から、20時間が経過。
無論、どのくらいの時間が経っているのかをグラシアは知る由もなかったが…その後も救助が来る気配はなく…時間が経つにつれグラシアの中の絶望感は増していき、死を強く意識するようになっていた。
それは、エアドーム到着から30時間が経過した頃だった。
何か音が聞こえた。
幻聴かと思ったが…幻聴ではない!
果たして、グラシアの運命は!?
実は…地図を頼りに洞窟の入口に向かった、マスカロ。
エアドーム付近こそ二人が衝突した事により水が濁ってしまっていたものの…エアドームから少し離れた場所で奇跡的に切れたガイドラインの先を発見。
エアドームを出発してから、およそ1時間半後…無事に洞窟の入り口に到着。
そして、彼らが所属していた、地元のケーブダイバーたちのグループに連絡。
すぐに仲間たちがグラシアの救助に向かったのだが…エアドームまで行けずに戻って来てしまった。
マスカロが出口まで辿り着いたことで、ガイドラインはエアドームまで繋がったはず、それを手繰っていけば良いように思えるが…彼は切れたガイドラインが見つかるまで、地図を確認しながら進んでいた。
その際、立ち止まることがあったのだが、知らぬうちに…フィンが地底に当たってしまい、所々で泥を巻き上げてしまっていた。
さらに、水中洞窟は天井にも泥が堆積しているのだが…吐いた泡によって、泥が落ちてくる事もあるのだ。
マスカロは、急いで入口まで向かったため、吐く泡も通常より多くなり、濁ってしまったと考えられた。
そのため、洞窟内の至る所にまだまだ濁りが残っていたのだ。
ガイドラインが繋がっているとはいえ濁りがあると…狭い場所を通る際、岩と激突してしまったり、万が一 手を離してしまったりすると、ガイドラインがどこにあるのか分からなくなる。
そう、濁りが残っている中では、二次災害の可能性があるため、進めなかったのだ。
そのため、マスカロたちはレスキュー隊を要請したのだが、レスキュー隊が洞窟入り口に到着したのは午後10時頃。
その段階でもまだ水中は濁っていて、救助には向かえなかった。
翌朝もまだ水は濁っている状態だった。
日本の多くの洞窟でケーブダイビングを行っている関藤さんは、こう語る。
関藤氏「底に沈殿している砂や泥を我々は『シルト』と呼んでいるのですが、そのシルトが荒いものだったら数時間経ったら落ちるところもあるし、数秒で落ちるところもあります。ところが潜る洞窟の中には、ちょっと舞い上がってしまうと、元の綺麗な状態に戻るまでに1週間とか2週間かかるような、物凄く細かいシルトが溜まっているというケーブ(洞窟)もあります。」
そこで、レスキュー隊はグラシアがいる場所の真上にドリルで穴を開け、酸素や食料を届ける作戦を立てた。 まずは、酸素が薄いエアドームに1日以上取り残されているグラシアの命を優先するための措置だった。 エアドームまでの深さは、およそ37メートルだと推測された。
こうして、ドリルを手配しようとしたものの、マヨルカ島には大型のドリルがなかった。
そのため、フェリーで6時間以上かかるスペイン本土から手配する他なかった。
ドリルが現場に到着したのは、なんと遭難翌日の夜の8時。
グラシアがエアドームに入ってから、すでに30時間も経過していた。
ドリルの音は、マスカロが生きていること、そして救助を頼んでくれたことがわかる、グラシアにとっての希望の光だった。 穴が開くまで時間はかかるかもしれないが、待っていれば大丈夫…グラシアはそう思った。 その後もドリルの音は止まる事なく、洞窟内に響き渡った。
ドリルの音が聞こえ始めて、10時間ほど経った頃…ドリルの音が止まった。
休憩でも取っているのかと思ったが、その後、どれだけ待っても…再びドリルの音が耳に届く事はなかった。
なぜ、ドリルの音は聞こえなくなったのか?
地上で何が起きたのか、確かめる術は無論ない。
一度は見えた希望の光が消え失せてしまったことは、グラシアにとてつもない絶望をもたらした。
グラシアは自らの命を断とうとしていた。
しかし、ドリルの音は一体なぜ止んでしまったのか?
ドリルが到着してから、穴を掘る作戦は計画通り進んでいた。
そして、約10時間後、ついに洞窟内部まで届いたと思われたのだが…掘っていた場所がずれていたのだ!
レスキュー隊は、グラシアが作成した地図を頼りに、彼がいる場所の真上の地点を導き出し、掘り進めたのだが…水中洞窟はそもそも測量が難しい場所、手作りの地図には方角や長さなど、正確ではない部分があったのだ。
そのため、レスキュー隊は、グラシアがいるエアドームから70メートルも離れた場所を掘ってしまっていた。
エアドームまでの距離は約1キロ。
70メートルは調査としては誤差だったが、救助にとってはその誤差が命取りとなる。
穴を掘り直すにしても、また10時間はかかってしまう。
そもそも正確な位置を割り出せない。
救助を諦めかけた時…グラシアとは20年来のケーブダイビング仲間であるフレディとベルナトが、潜って救助に向かうと言い出した。
洞窟の中は未だ水が濁っている場所も多い。
しかも、他のケーブダイバーはもちろん、経験豊富なベテランのベルナトとフレディですら、この洞窟を潜ったことはあっても、グラシアがいる地点まではあまり行ったことはなかった。
レスキュー隊長は、二人が救助に向かうことを許可できないと主張したが、フレディとベルナト、そしてマスカロが説得。
グラシアの救助はフレディとベルナトに託されることになった。
マスカロは、ベルナトとフレディとともに作戦の立案と入念な打ち合わせを行なった。
グラシアのいるエアドームまでの距離はおよそ1キロ。
マスカロがエアドームまで引いたガイドラインを頼りに、まずフレディが入り口からおよそ250メートル先にあるエアドームにグラシアとベルナト用のエアドーム間の行き来と帰りの地上までのエアーを設置。
そして、入り口まで戻り、ベルナトと交代。
ベルナトは中間地点までのエアーだけの身軽な状態で潜り、中間時点で自分とグラシアのエアドーム間の行き来に必要なエアーを背負って救助に向かうという作戦を立てた。
洞窟内は想定以上に濁っていた。
それでも経験豊富なフレディは慎重に進み…作戦通りエアーを設置。
グラシアがエアドームに閉じ込められてからおよそ50時間、ドリルの音が止んでから、およそ10時間が経過した頃…ベルナトは、グラシアがいるはずのエアドームに無事到着。
グラシアを探していると、彼が倒れているのを発見した。
果たして、グラシアはどうなったのか!?
グラシアは、ついに地上に戻ることが出来た!
自ら人生に終止符を打つことも考えていたグラシアだったが…何とか、思い留まる事が出来ていた。
しかし、長時間低酸素のドーム内にいたため、ベルナトが到着した段階では意識が朦朧としている状態。
そのため、ベルナトがグラシアに酸素を十分吸引させ、戻れる状態になってから、地上を目指した。
グラシア「ベルナトが救助に来てくれたのは、また自らの命を終わらせようかと逡巡していたときでした。やはりこの想像を絶する苦しみから逃れたいと思って、そんなとき光が見えたのです。沢山の方に感謝しています。不可能なことを可能にして、私を生きて戻してくれたのですから」
こうして、九死に一生を得ることになったグラシアだが、実はこの事故から1ヶ月後…なんと、再び事故に遭った『サ・ピケータ』に潜ったのだ。
そして、今現在、様々な水中洞窟の調査を行っているという。
遭難事故を起こしてしまい多くの人々に大きな迷惑をかけてしまったことを心から申し訳ないと思っているというグラシアさん。
それでも彼はこう語る。
「『戻ったらダメだよ』『あの洞窟は君にとっては不な場所だ』などと言う人もいます。でも、洞窟に罪はないのです。私は仲間たちと一緒に洞窟を探索するというこの経験のあと、私は仲間たちと一緒に洞窟を探索・調査するという天命を改めて授かったように感じています。人生とは困難との戦い。それはケーブダイビングも同じです。私はこの先も困難と戦い続けていこうと思っています」