オンエア
長崎県 佐世保市 針尾中町、ここに自然の中にそびえ立つ奇妙な塔があるという。
一体どんな姿をしているのか?
さあ、異世界へご案内です。
塔がはるか上空までそびえ立っている!
さらに、他にも2本ある!
その全体を上空から見てみると…3本の塔は正三角形の頂点に配置されている。
この塔は一体何の目的で建てられたものなのか?
ということで、ナゾ建造物をアンビリサーチ!
我々はこの塔に詳しいという佐世保市役所の松尾さんに話を伺った。
塔の高さは136m、周囲は約38m、3本とも全部同じ高さで大正時代に作られたものだという。
日本国内で造られた大正時代の搭状構造物として、現存するものの中で一番高いという。
さらに松尾さんは、建築中の古い写真を見せてくれた。
そこには、『海軍通信隊送信所』と書かれていた。
そう、巨大な塔の正体は、かつて日本海軍が遠距離の通信を行うために使用していた無線塔だったのだ!
その名は『針尾無線塔』。
この塔は軍事施設だったので、日本海軍によって終戦後、GHQに押収される前に資料は全て破棄されたという。
そのため、実際にどのように使用されていたのか詳細は判明していない。
ただ、この塔の調査にたずさわっている教授の説によると、電波は電線から垂直方向に飛ぶ性質があるため、当時の技術で遠くに電波を発信するためには、電線を地面と垂直にできるだけ長く設置する必要があった。 そのため、電線を支える塔も高くなければならなかったのだ。
それでも1本の電線では振れ幅の小さい電波しか発信できないので、上空136mの正三角形に張り巡らされた電線にも電気を流すことで、遠くまで届く、より振れ幅が大きい電波を作っていたと推測されている。
ですが、みなさんよ〜く考えてみてください。
この塔が建てられたのは、大正時代にあたる1922年。
その時代にこれほど高い塔をどうやって建てたのか?
そこには驚くべき秘密があった!
3本の塔の中心には、電信室という建物があり、それも当時のまま残っているのだが…今回特別に普段 入ることができない2階部分を案内してもらえることに!
2階は送信機室になっていて、この場所は東京などからきた指令を海軍基地や各艦船にモールス信号で送信していたという。
さらに隣には、電源などを管理するバッテリー室と呼ばれる部屋があり、壁などの仕上げに使われる漆喰が雨漏りにより経年劣化した跡が残されている。 戦後、技術が発達したため、塔は役割を終えたが、電信室は今から28年前まで海上保安庁が無線通信などで使用していたという。
そして、佐世保市役所には、塔の建築当初の写真がいくつか残されているが、これによりその建築方法が分かってきた。
まず、木の板を円状に並べ、枠を作り、その中にコンクリートを流し込み固める。
その枠の高さが1m36cm。
それがなんと、100段積み重なって、136mになったというのだ!
だけど みなさん、ここでまた疑問が生まれませんか?
何度も言いますがこの塔ができたのは大正時代。
無論、クレーンなどあるはずがない。
では、どうやって組み立てていったのか?
その秘密は塔の内部にあるという。
そこには、格子状に組み合わさったものがあるが、これは建築中に足場の床を置くための基礎としていたというもの。
つまり、塔の内部からコンクリートを積み重ねていったというのだ。
そのため、頂上付近まで足場の基礎が続き、梯子も設置されている。
そして歯車のついた機械は、資材を上に運ぶために使用していた『巻き上げ機』だという。
さらに、塔の所々に小さな穴が空いているのだが、みなさん、これは何のためだと思いますか?
正解は作業用の灯りの役割!
塔の中には電気を引いた痕跡はなく、建設中は足場を組むと下に日差しが差し込まないため、ハシゴの上り下りなどのために所々に穴を開けていたのだという。
また、今は外されているが、使用されていた時代には塔の先端に『かんざし』と呼ばれる電線を支えるためと考えられる三角形の器具が設置されていた。
実はこのかんざし、一辺がおよそ18m、重さは何とおよそ9トンもあったというのだ!
一体、塔の上でどのように組み立てたのか?
それは今現在もナゾのままである!
こうして作られていった3本の塔、完成までにかかった期間は4年。
そしてかかった費用は、当時の金額で155万円、現在の価値でなんと250億円!
なお、現在は解体されているが、昭和初期には愛知県などにも軍が使用した送信施設があった。
それらは鉄骨造。
だが、この針尾無線塔は、建造物の技術獲得の意味合いもあり、当時としては非常に珍しいコンクリートで造られたという。
そのように実験的に造られたにも関わらず、今なお当時のままに建っているのはまさに奇跡なのだ!
そびえ立つ、巨大な3本の塔、それはおよそ100年前の記憶が残る、歴史的価値がある建造物だった!