オンエア
今年11月、宮崎県宮崎市でトライアスロンの世代別の国内王者を決める大会が開催された。
参加したのは、総勢267名。
その中に、とんでもない異端児が。
それが…稲田弘(いなだひろむ)選手。
その年令は、91歳。
なんと、世界で唯一!90代のトライアスリートなのだ。
しかも! トライアスロンを始めたのは、70歳の時!
稲田さん「やらないからできないんです!やったらね、意外とできるもんだとわかってくるとね、これがものすごく楽しくなって来るんですよね」
2年前には練習中に骨盤骨折、昨年は頸椎骨折の重傷も負った。 だが、そのたびに医者もおどろく驚異的な回復を見せ、何度もスタートラインに立った。 その不屈の身体の裏側には、専門家も感心するとんでもないルーティーンと、本人も知らなかった筋肉の若返りの秘訣という、驚愕の2つのヒミツが隠されていた!
今から67年前、稲田弘は大学卒業後、NHKに就職。
翌年、民謡コンクールを取材した時、のちに妻となる路子さんと出会った。
弘は彼女のよく笑う朗らかな性格に惹かれ、出会いから2年後に結婚、翌年には長男を授かる。
そして、子どもが大きくなると、夫婦での時間を取れるようになり、弘の趣味に合わせて登山に出かける事が増えていった。
2人で登山に出かけた時、弘がカメラを向けると、路子はいつも心から楽しんでいるようなとびきりの笑顔を見せたという。
弘はこの路子の笑顔が見たくて、色んな場所に連れて行った。
やがて、息子も独立。
もっと夫婦の時間を楽しめるようになるはずだったのだが…路子が自転車で転倒。
膝を擦りむいてしまった。
だが、なぜか数日経っても出血が止まらず、念の為、病院で検査を受けると…血小板減少性紫斑病と診断された。
血小板は血液を凝固させ、出血を防ぐ役割を担うのだが、何かしらの理由で身体が血小板を異物と認識し、自己抗体を作成。 この自己抗体により血小板が破壊され、その数が減ってしまう病気。 そのため、通常なら出血まで至らない細かな傷でも出血。 止まることもなく、頭蓋内出血や腹腔内出血が起きると命を失うこともある。 未だはっきりとした原因は分かっておらず、国が指定する難病の一つ。 完治する人は、2割程度と言われている。
出血のリスクがあり、包丁を持つことができない路子のため、弘は仕事終わり、近くの料理教室に通い始め、全ての料理を作るようになった。
そして60歳のとき、定年後の雇用延長の誘いを断り、介護に専念するため迷うことなく退職を選んだ。
ただ、年のせいか路子をベッドから起こすだけでも息切れするように。
そこで弘は一念発起!水泳を開始。
始めた当初は3メートルしか泳げなかった。
一方、路子は時が経つにつれ、血小板の減少が激しくなり、入院。
しかし、血小板が減らないよう投与された免疫抑制剤の影響でウイルスが増殖。
ウイルスが神経を傷つけ皮膚のただれを引き起こす『帯状疱疹(たいじょうほうしん)』を何度も発症。
弘は、当時の様子を日記に記している。
『ママ、おでん食べたいというので又買物に行く。おでん炊く』
『マンションの回りの桜も満開。ママに見せてやりたいのだが、起きない』
その後、病状が落ち着いたり、悪化したりするなど、安定しない日々が続き、発病から14年が過ぎた。
路子は病状が落ち着き、自宅で過ごしていたが、激しい倦怠感から寝ている時間が多くなっていた。
そんな時、たまたま目に入ったのが…トライアスロン。
トライアスロンは、水泳・自転車・長距離走、三種目のタイムの合計を競う、過酷なレースである。
妻が寝ているときだけの時間つぶし、初めはそんな軽い気持ちだった。
だが、実際始めてみると、どんどんのめり込むように。
それは、長年介護と家事を一人でこなしてきた弘にとって、唯一 解放される瞬間でもあった。
だが、トライアスロンに挑戦していることを路子には言えなかった。
介護の合間とはいえ、病気の妻を一人にさせていることに引け目があったからだった。
そんな中、翌年、弘は71歳で、トライアスロンの大会に初挑戦することに。
すると、制限時間ギリギリで完走できたのだ!
だが喜ぶ間もなく、妻の見舞いへ、面会時間もギリギリだった。
その日、弘はトライアスロンの大会に出ていたことを打ち明けた。
トライアスロンに黙って挑戦していたことを路子に謝り、もう辞めると言うと…路子はトライアスロンを辞めてはダメだと言う。
そして「パパが一生懸命になれることを見つけて、私 うれしい。私が出来ない分もがんばって続けて」と言ってくれたのだ。
その時、弘に向けられた笑顔は、かつてと同じ、あの笑顔だったという。
稲田さん「なんか変なことやってるって気づいてたと言われた。本当に嬉しかった!怒られると思ったのに。私の分もって言われると、2人分頑張るわけですよ」
そして、3カ月後。
誕生日には昔と同じようにケーキを食べ、他愛のない会話を楽しんだ…その夜のことだった。
路子の容体が急変したという報せが入った。
彼女は感染症によって、敗血症を引き起こし、多くの臓器が正常に動かなくなっていた。
そして、誕生日を祝ってから5日後、路子は天国へと旅立った。
享年68。長い闘病の末のあまりに突然の別れだった。
3カ月が経ってなお、弘は何もする気が起きず、閉じこもったまま。
訪ねてきた息子に「そんな姿見たら、母さんが悲しむよ。せっかくトライアスロン始めて、また元気になってくれたって喜んでたのに」と言われ、『パパが一生懸命になれることを見つけて、私 うれしい。私が出来ない分もがんばって続けて』という路子の言葉を思い出した。
弘は、再び走り始めた…妻の言葉に応えるために。
その時からトライアスロンは、稲田さんと路子さん、2人の挑戦になった。
その後も毎年レースに参加。
すると、徐々に成績を上げていき、路子さんの死から4年後、年代別の優勝を果たしたのだ!
稲田はトライアスロンよりさらに過酷なレースに挑戦することに!
それが…アイアンマンレース。
トライアスロンと同じ3種目ではあるが、トータルの距離は、なんとおよそ4倍!
当然、並大抵の体力では完走すら出来ないこのレース。
稲田さんは76歳からこれに挑むことに!
普通に考えれば、無謀な挑戦だと思うだろう。
しかし!実は稲田さん、ある二つのヒミツによって驚異的な若い身体を作り上げていたのだ!
まず、一つ目のヒミツが…あなたも明日から実践可能、驚きの朝食!
なんとアスリートの体を作るため、毎朝 同じモノを十数年食べ続けているという。
そこで稲田さん考案のスペシャルな朝食レシピを教えてもらうことに!
ベースとなるのは16種類の野菜。
これらを使って二種類のスープを作るという。
野菜の分け方に意味はなく、お好み。
左の鍋はサバ缶の身と煮汁で味付け。
右の鍋には豚ロース・鶏肉・アサリを加え少々煮込み、味噌で味付け。
二種類のスープの味付けを変えるのが、沢山食べられる秘訣だとか。
野菜とサバのスープ、というよりかは煮込みに近い一品には、黒酢とケチャップ投入。
黒ごまの上にもう一つのスープ、いや、煮込みを盛り付け。
主食は全粒粉のトーストに、はちみつとブルーベリージャムを。
無調整の豆乳を注ぎ、味噌味の方にはシナモン。
野菜とサバの一皿にはコショウの一種『ヒハツ』を入れ、完成。
これらを毎朝完食するという。
このレシピ、専門家はどう見るのか?
栄養学の専門家・田地教授に伺った。
田地教授「もう100点満点です」
栄養素として過不足なしとのこと!
そこには、大きなポイントが3つあるという。
まず1つ目が、沢山の緑黄色野菜!
田地教授「緑黄色野菜で一番重要な栄養素は、βカロテンというものなんですが、『抗酸化作用』と言いまして、『活性酸素』という、身体によくないものを取り除いてくれる働きがあります。身体の老化を防ぐ働きが強くありますので、緑黄色野菜のβカロテンをとることは、とても重要です」
そして、2つ目のポイントが…サバ缶の煮汁!
田地教授「サバ缶の汁を捨てちゃう人って多いんですけど、あれを全部入れることによって、サバ缶の中に入っている良質な油が全部入る。EPAとDHAっていう油なんですけど、これがすごい血液をサラサラにする。」
そして、3つ目のポイントが、豚肉!
田地教授「豚肉ってビタミンB1っていうエネルギー源の糖質をエネルギーに変えてくれる時に、ビタミンB1が絶対になきゃいけなくて、代表的な食品が豚肉とニンニクなんですよ。そこを意識して取られているから、結果が残せているんだろうな」
βカロテンで老化予防、煮汁の脂で血液サラサラ、ビタミンB1でパワーを作り出すなど、非常に理にかなった朝食だったのだ!
さらに今回、我々は順天堂大学のスポーツ医学研究室協力の元、稲田さんの筋力測定を行ってみた。
現在91歳の稲田さん、果たしてどのくらいの筋力をお持ちなのか?
その結果は!なんと、実年齢より20歳から30歳も若い筋力であることが判明!
実は、そこには!稲田さんが行っていたある行動が大きく関係しているというのだ。
そしてそれにより、期せずして生み出されていたものが、オキシトシン。
山口教授「オキシトシンというのは、従来スキンシップをするとか、親子の絆を深めるホルモンとして、よく知られています。」
そう語るのは、人間科学が専門の山口教授。
山口教授「オキシトシンの効果として、身体の方にも効果があることが分かってきまして、例えば、筋肉を若返させるような効果があることが分かっています。」
このオキシトシンが、稲田さんの筋肉を若返らせているというが、その理由は何なのか?
山口教授「言葉で相手のことを励ますとか、相手のことを想うとか、そういったことでもオキシトシンってたくさん増えるんですね。今回は、奥様に言葉で励まされた記憶がずっと残っていて、その影響でオキシトシンが、ずっと多い状態なんじゃないかと思います。この効果によってトライアスロンを、歳を取っても頑張れるんじゃないかなと思いますね」
生前の路子さんが口にしていた、思いやりの言葉と、ずっと続けてほしいという約束、それを胸に秘め、常に妻を感じ続けていることにより、稲田さんはオキシトシンを分泌し、自身の身体を若返らせている可能性が高いというのだ。
その結果なのか、79歳でアイアンマンレースを2度目の挑戦で完走!
しかも、制限時間17時間のところ、2時間も早くゴール!
さらに翌年には、80歳以上のコースレコードを塗り替え、年代別の世界チャンピオンに!
2016年には、2度目の年代別の世界一!
その2年後には、3度目の世界一!
さらに『アイアンマン世界選手権最高齢完走』のギネス世界記録の認定を受けるなど、アイアンマンレースの世界を駆け抜けていったのだ!
今年10月、我々は稲田さんに今後の目標を聞いていた。
稲田さん「目指しているのは、来年のアイアンマン70.3という世界選手権。これに出るのが当面の目標」
アイアンマン70.3とは、通常のアイアンマンレースよりは短いが、それでもトライアスロンの2倍の距離を走破するレース。
その前哨戦として、宮崎県で開催される、トライアスロンの日本選手権に出場するのだが…
稲田さん「これをとにかくクリアしないと、今度のアイアンマン70.3はないよと言われている」
実は稲田さん、十数年来コーチを付けているが、近年のレースでは結果が残せていない。
現状を山本コーチは、こう分析する。
山本さん「(アイアンマンよりも)距離が短くなったからと言ってあの年齢の人が、速く走ったり泳げたりできるかって言うと、速度は変わらないと思います。距離が1500メートルだから、倍の速度で泳げるかって言われたら泳げないですし、『風が強い』『波が高い』とか、ピースがズレちゃうときついと思いますね。すべてが上手く行って、どうかな?って感じ」
かなり厳しいというのだが、それでも毎日欠かさず、5キロ以上を走り、毎週火曜は自転車で100キロを走行。
週4日、自宅でのトレーニングの後、500m泳ぐという訓練を行う。
さらに、若い選手に混ざり、山本コーチ主催の合宿に参加、二泊三日のハードなトレーニング!
決して立ち止まらない稲田さん。 そこにはある想いが…自転車トレーニングの際、彼が必ず立ち寄る場所がある。 それは、妻・路子さんが眠る場所。 20年間、ほぼ欠かさない習慣だという。
そして、今年11月、宮崎県。
完走しても賞金はなく、記念のTシャツが貰えるだけ。
だが、次へ繋ぐためにも、必ず完走したいレース。
妻への想いを秘め、稲田さんの今後の選手人生を左右するレースが始まった。
祈りも虚しく、生憎この日は開催も危ぶまれるほどの高波。
すると、泳ぎを止めてしまった稲田さん。
実はこの時、足をつってしまっていたという。
だが、もう一度 泳ぎ始めた。
規定時間70分ギリギリでスイムを終えた。
体力の消耗が激しいように見える。
それでも彼は走り出した。
練習中の骨折、タイムオーバーでの失格、これまで何度も味わってきた挫折。
だが、諦めることは、決してなかった。
稲田さん「やらないからできないんです!やったら意外と出来るものだと分かってきたら、ものすごく楽しくなってくるんですね」
宮崎から自宅へ戻った翌日。
稲田さんは、路子さんにレースの報告をするため霊園を訪れた。
稲田さん「これはね宮崎の日本選手権、優勝できたTシャツ。見せたいと思って今日着てきた。君のおかげだよ。ありがとう」
そう稲田さんは、91歳にして、見事完走したのだ!
スタッフ「今日はここに奥さんはいました?」
稲田さん「いましたよ!女房が難病に罹らなかったら、僕はトライアスロンをやっていない。まだ続けられているのは、女房のおかげだなという気がします」