オンエア
今から24年前…後に韓国を揺るがす事件が起こった。
その日の早朝、タクシー運転手が12箇所を刺され死亡。
容疑者として逮捕されたのは、まだ15歳の少年だった。
少年はバイクで走行中、タクシーと接触。
運転手と口論になり、カッとなって持っていたナイフで運転手をめった刺しに。
数ヶ月後に下されたのは殺人罪で懲役10年の実刑判決だった。
それはよくある怒りに任せた衝動的な殺人事件と思われた。
だが実は、そこにはマサカの事件の真相、さらに韓国の司法が抱える底しれぬ闇が存在していた。
これはある若者の思いに応えるため立ち上がったワケありのヒーローたちが起こした奇跡の大逆転劇である。
今から14年前、中学生の頃からジャーナリストに憧れていたリは、報道記者として韓国有数のテレビ局SBSに入社して7年目。
彼はある事件の特集を上司に提案した。
それこそ、冒頭で紹介したタクシー運転手殺害事件。
韓国南部の小さな町の交差点で起きたもので、当時の報道によれば…2000年8月10日午前2時過ぎ、交差点で停車しているタクシーの中で運転手が亡くなっているのが発見された。 その後、通報を受けた警察が現場検証を行なっていると、ある少年が現場に訪れたという。 その少年は当時15歳で地元では不良少年として知られているチェ。 無免許で配達のアルバイトを行なっていた姿を犯行時刻と思われる30分前にも目撃されていた上に、現場での事情聴取の際、ナイフを所持していたことから、3日後、チェは逮捕された。
さらにその後、チェは取り調べで犯行を自白。
その自供によると…配達の途中タクシーと接触しそうになり、運転手と口論に。
カッとなったチェは、シートの収納スペースからナイフを取り出しタクシーへ。
運転席のドアを開けようとするも拒まれたため、後部座席に乗り込むと…背後から運転手をめった刺しにして殺害。
現場から逃走すると、少し離れた場所で、ゴミ箱から新聞を取り出しナイフの血を拭いた後、知人と電話。
そして、バイト先の喫茶店に戻り、着ていた服を脱ぎ、着替えると…何食わぬ顔で現場に戻ったという。
その後、裁判が開かれ、殺人罪で懲役10年の有罪判決を受けた。
チェは上告をせず、刑を受け入れ服役したというのが事件の概要だった。
だが、その3年後に出たあるニュースにより、リ記者はこの事件に疑問を抱き一人でその後も調べていたという。
それは20歳のキムという人物が、タクシー運転手殺害事件の真犯人は自分だと警察に自首。
動機は金目当てのタクシー強盗だと証言したというものだった。
しかしその後、検察はキムを証拠不十分で釈放したとしたというのだ。
しかも、警察がチェに自白を強要したという噂がある上に裁判の証拠の内容にも疑わしい点がいくか見受けられたのだ。
チェは、この年、出所している。
彼に冤罪の可能性があるのなら、事件を報道することで世間に問題提起できるはずだとリ記者は訴えた。
上司はリ記者の訴えを承諾、この事件を徹底的に検証することになった。
まずリ記者は、チェの母親にコンタクトを取った。
すると、母親は息子は無実だと信じていた。
そして、母親の協力もあり、チェ本人と面会することができたのだ。
しかし、チェは「どうでもいいよ」と言ったという。
リ記者はこう話してくれた。
「彼が心を開いてくれる様子は全くなかったです。力が抜けた感じで「そんなことはどうでもいいんだ」という態度でした」
それでも、裁判に疑いを持っていたリ記者は真実が知りたいと勤務地であるソウルから片道3時間をかけ、何度もチェの元に通い続けた。
そして、3ヶ月後のことだった。
リ記者のもとにチェから連絡があった。
チェは、母親のために冤罪を晴らす決意をしたという。
チェは母子家庭。
幼いころは祖父と暮らしていたが、12歳から母と暮らし始めた。
そのため、彼はずっと、母に距離を感じていたのだが…
母「あんた悔しくないのかい?私は悔しいよ。何もやっていないのに大事な息子が殺人犯にされたなんて、私は悔しくてたまんないんだよ」と言って泣いたという。
リ記者が聞いたチェの証言によると…
当時、15歳のチェは、深夜の割りの良い仕事として喫茶店の配達のアルバイトをしていた。
2時過ぎに彼女や先輩と電話をした後、配達を再開した。
その時、交差点から走り去る男の姿を見た。
その時は特に気に留めていなかったのだが…およそ30分後、別の注文を受け、再び その交差点を通りかかった時、警察がいて「タクシーの運転手が殺されたみたいだ」と言っていた。
チェは、不審な人物を目撃したことを話すと…ある刑事がチェのことを凝視してきたと言う。
チェはバイクのリアシートの中に趣味で始めた釣りで使うナイフを入れていた。
それをその刑事に見咎められた。
その3日後、警察はタクシー運転手殺害の容疑者としてある人物を逮捕。
その人物こそが、チェだったのだ!
チェは、警察署の隣にある旅館に連れ込まれた。
刑事はチェの話を聞かないばかりか、ひたすら暴行をしたという。
そして、刑事はチェがタクシーと接触して、口論になりカッとなって運転手を刺殺したという供述調書を作成。
そう、調書はチェの証言ではなく、警察が勝手に作ったシナリオだというのだ。
チェ「ずっと殴られて、本当に死ぬんじゃないかと思ったんだ。だから諦めて、俺がやったと言った」
それでも、チェはいずれ近い将来自分の無実は証明される、そう思っていたのだが…検察官は、警察の取った調書をそのまま採用。
一切、チェの主張に耳を傾けようとはせず…彼は起訴されたのだ。
チェは国選弁護人に無実を主張。
裁判の場では必ず冤罪と証明できると信じる他なかった。
だが、一審の判決は、未成年としては最高刑の懲役15年。
もちろん即日、控訴したものの、弁護士に「罪を認めれば10年に減刑されます」と言われたのだ。
チェは悟った…誰ひとり自分を信じてくれる大人などいないのだということを。
自暴自棄になったチェは2審では最終的に犯人であると証言、上告もしなかった。
その結果10年の懲役刑に服することになったのだ。
チェの告白を受け衝撃を受けたリ記者。 しかし彼の証言だけでは、まだ冤罪だと決めつけるわけにはいかず、仮にチェの証言通りだったとしても、再審請求が認められるのはごくわずか。 しかも、裁判所が自らのミスを認めることになるため、刑の執行が終わった後に、再審が認められた例はほぼなかった。 ただでさえ高いハードル…再審を勝ち取るには力のある弁護士を味方につける必要があった。 1審2審の国選弁護士は当てにならない。 しかし、そんな弁護士の知り合いなど、チェにもリ記者にもいなかった。
そんな中、リ記者がたまたま手に取った新聞に載っていたのが、ホームレスが殺人容疑に問われた事件の再審で有罪から無罪を勝ち取ったパク弁護士だった。
早速、彼の元を尋ねた。
パク弁護士は依頼を受けてくれることになった。
パク弁護士は、大学を中退し一年発起して弁護士になった努力の人。
しかし実は、再審で勝利を得た後も、現実は厳しく、大学を中退していたパク弁護士には、比較的 勝算が低くお金にならない、再審での弁護しか仕事が回ってこないことに悩んでいたのだ。
パク弁護士「正直なところ、大手テレビ局のリ記者の依頼を受ければ、番組に取り上げられ知名度が上がり、お金になる仕事が回ってくるかもと考えていました」
ともあれ、こうして、リ記者とパク弁護士の闘いは始まった。
二人はまず、裁判資料や過去の報道など、ありとあらゆる資料を集め、疑わしい点を調査することにした。
その中で特に注目したのが、凶器として喫茶店から押収されたナイフと、犯行時、チェが着ていたという衣類だった。
警察の記録では、実はその両方から血痕が全く検出されていなかったのだ。
これこそ、リ記者が語っていた証拠の疑わしい点の一つだった。
チェの供述調書によれば、犯行直後…血塗られたナイフを持ち、バイクで逃亡。
ゴミ箱に捨ててあった新聞紙で、ナイフの血を拭き取り、喫茶店に戻り、急いで服を着替え…事件現場に戻った。
そして、警察の事情聴取後に再び店に戻って来たあと、服と凶器を念入りに3度洗って血痕を落とし、さらにその後、服はクリーニングにも出されたため、血痕が検出されなかったとされていた。
そこでリ記者は本当に供述調書通りにした場合血痕が残らないか実験を行うことに。
ナイフに血液をつけ、新聞紙で拭き取り、何度も洗った。
Tシャツやズボンなどにもそれぞれ血液をつけた後、供述調書どおり、念入りにこすり洗いを行った。
さらに、一日乾かしてクリーニングにも預けた。
そして、ソウル大学法医学室の助けを借りて、それらから血痕が本当に検出できないのか確かめたのだ。
その結果、凶器および着衣から血液が付着していたことを示すルミノール反応を消すことはできなかった!
次に着目したのが、犯行時刻。
刺された運転手は犯人が逃走したあと、息も絶え絶えの中、無線でタクシー会社に報告していた。
その報告の時刻が午前2時10分すぎだったため犯行時刻は午前2時05分から2時10分の間と推定されているが、チェの反抗だった場合、その範囲はもっと短くなるという。
実は事件当日のその頃チェは彼女と先輩に電話をしていた。
当時の通話記録を見ると、2時5分24秒〜2時5分39秒に彼女と通話。
2時9分11秒〜2時10分40秒に先輩と通話していたのがわかる。
もし、仮に犯人だった場合、携帯で電話しながら、タクシー運転手を殺害するのは到底不可能なため、彼女との電話を切ってから先輩に電話をかけるまでの、3分32秒が犯行に使える時間ということになるのだ。
しかも、犯行が可能な時間がさらに短くなる可能性があるという。
その鍵を握るのは、タクシーの運行状況を記録するタコグラフ。
タコグラフとは車両の運行時間や速度の変化などをグラフ化して記録する計測器でドライバーの運行管理や労務管理 事故原因の究明に利用されている。
それをみれば、犯行時刻がより狭まる可能性があるのだ。
だが、パク弁護士がタコグラフの資料を裁判所から取り寄せようとしたところ、すでに資料の原本は消失していると言われ、残っているのはコピーのみ。
しかも、そのコピーは検察により肝心の2時05分から10分の部分は黒く潰されており判読不能だった。
そこで、黒塗りの部分を科学的に解析、どのような数値だったのか解明を試みたところ、驚くべき事実が明らかになったのだ。 その解析結果を再現したものを見ると…2時7分の段階ではタクシーが動いているのに対して、8分には停車していることがわかった。 チェの調書によると停車中のタクシーで殺人を犯し、公園に逃げてナイフを拭き、その後、先輩に電話していたとされていたため。 通話記録より電話をしたのは、2時9分11秒、仮に停まった時間を 2時7分丁度とした場合でも調書に記された行動を2分11秒で行うことになるのだ。
パク弁護士は、現場に供述調書どおりの状況を作り、実験を行った。
その結果、何度繰り返しても3分以上かかることが判明した。
つまり、チェには供述調書通りの犯行は不可能ということになる。
さらに調査の結果こうした実験結果以外にも驚くべき新事実が明らかになる!
それは、事件当日、犯行時刻に現場を目撃し、裁判で証言をした女性に話を聞きに行った時のこと…犯行直後、タクシーの周りに、チェのバイクは存在していなかったというのだ。
女性は、現場を目撃したことだけでも恐怖を感じていたため、それ以上事件に関わりたくないと裁判では、タクシーから運転手の体が出ているのを見たこと以外、詳しいことは何も証言しなかったのだという。
次々と明らかになる、警察・検察が作ったという供述調書の不備と矛盾。
二人は、チェの無実を確信した。
では、デタラメな調書はなぜ作られたのか?
実は当時、韓国では警察官や検察官が自身の成績を上げるために、自白を強要するケースが多発していたのだという。
リ記者の取材の結果、この事件を担当した刑事と検察官も事件直後に1階級昇進、報奨金を得ていることが判明した。
数々の実験結果や新証言など次々と証拠が積み上げられてリ記者には、チェの無実を証明するには十分だと思えたのだが…
パク弁護士「まだだ。もう一つ決定的な証拠が欲しい」
集めた証拠類はいずれも裁判の中ですでに取り扱われたものばかり。
犯行時刻についても、警察がでっちあげたものだとしても供述調書でチェ自身が犯行は1分から1分半で行ったと自白している。
あくまで2人の実験結果に過ぎないのだ。
パク弁護士の見立てでは、裁判で扱われていない新事実がなければ、再審請求が通らない可能性が高いというのだ。
2人は警察がうやむやにした人物に着目した。
事件の3年後に真犯人だと自首してきたというキム。
だが、結局、すぐに釈放されていたこともあり、2人は手を尽くして探してみたが、報道後のキムの行方は掴めずにいた。
せめて自首してきた際のキムの供出調書を手に入れたかった。
しかし、それは警察・検察内部にしか存在しない…到底入手不可能だと思われた。
だが、裁判所が令状を出しさえすれば手に入ると、パク弁護士はいう。 実はこの時、チェの元にはタクシー運転手の遺族に共済金を支払った共済組合から賠償金の請求が来ていたのだ。 チェが賠償金を支払うことができず、自ら命を落とすこともあるかもしれないと裁判所に揺さぶりをかけ、無実の証拠になるかもしれないキムの供述調書を開示するよう令状を発行させようというのだ。
そして、パク弁護士が裁判所に掛け合った結果、裁判所はついに令状を発行した。
そしてキムとその友人イムの供述調書が開示された。
そこには、マサカの内容が記されていた。
供述調書によると、犯行時刻の数分後、事件現場の近くに住むイムの元に電話があり「人を殺した。今から行くから助けてほしい」と言われたという。
その後、イムの家に血まみれのキムがやってきて血が着いたナイフを箱に入れ、マットレスの下に隠し、着替えたあと服を持って出ていった、というのだ。
その後イムは良心の呵責にさいなまれ、3年後の2003年に警察へ出頭。
キムと共に、群山警察署で取り調べを受けたという。
「お金を奪おうとしてナイフで脅したら、運転手が逃げようとしたので刺しました」
「持っていたナイフで運転手の鎖骨部分を刺すと、ナイフの先が骨に引っかかる感じがしました」
キムは取り調べで多くは語らなかったものの、供述した内容は犯人ならではの生々しいものだった。
イムの自宅から凶器は発見されず、ベッドやマットレスなどから血痕は検出されなかったものの、取り調べを行ったファン刑事課長はキムが真犯人だと確信したという。
にも関わらず二人はその後、無罪放免となったのだ。
なぜか逮捕状を裁判所に請求することを検察が妨害してきたという。
確実な証拠がない上に、キムに精神科病院に入院歴があったため、証言の信憑性が薄いというのが検察の判断の理由だった。
リ記者とパク弁護士はある人物に会いに向かった。
その人物とは…キムの取り調べを行い、その犯行を確信していた郡山警察署のファン刑事課長。
その強靭な肉体と鋭い眼光で、群山警察署の虎と呼ばれたほどの刑事はその時、なぜか 交番勤務をしていたのだ。
しかも…取り付く島もなかった。
それでも、二人はその後も何度も、交番に通った。
しかし、ファンは決して口を開こうとはしなかった。
もはや打つ手はなくなったと思われた、そんな時だった!
それは、リ記者が勤めるSBSの看板番組『それが知りたい』のプロデューサーから、チェの事件をうちで取り扱いたいと相談された。
『それが知りたい』は、硬派な社会派ドキュメンタリー番組ながら高い視聴率を誇るSBSの象徴とも言える番組。
1992年3月の放送開始以来、絶大な人気を維持し、この番組がきっかけで実際に再審が始まったケースもいくつかあった。
まさに渡りに船だった。
リ記者は、取材で得た情報のすべてを番組に渡した。
そして、本格的に調べ始めてから3年後の6月15日、「それが知りたい」のチェの特集が放送された。
これまで突き止めた新事実の数々を放送し、リ記者の取材に応じた目撃者がメディアに初めて音声でのインタビューに応じてくれるなど、視聴者にマサカこんなことが現実に起きているなんてと、衝撃を与えた。
その結果、警察には放送直後多くの視聴者から抗議文が送られた。
パク弁護士はこれを好機ととらえ証拠を揃えて、再審請求を裁判所に提出。
世論の後押しに賭けた。
だが…
パク弁護士「やはり裁判長が言うには、まだ一押し足りないそうだ」
過去の例を見ると再審請求が通り、実際に再審が始まると、判決が覆る可能性は極めて高い。
逆に言えば、再審が決定するには、まず間違いない証拠が必要なため、世論が動いただけでは足りなかったのだ。
そこで、パク弁護士は最後の賭けに出た。
ファンとチェを直接合わせることにしたのだ。
そして、真実を話してくれるようにお願いした。
それから数週間後2015年7月18日、「それが知りたい」の2回目の特集が放送された。
その中で、ある人物がインタビューに答えていたその人物こそ…かつて、郡山警察署の虎と言われたファン、その人だった。
そう彼はカメラの前で自らが知るすべてを語ったのだ。
その証言によると、キムが真犯人と確信していたファン刑事らは釈放がきまった後も検察には秘密裏で任意の事情聴取を行っていたという。
キムとイムは素直に聴取に応じ、相変わらず犯行を認めていたというのだ。
だが、それはある日、一変する。
突然、キムとイムは精神科病院に入院。
そしてその後、退院してきた二人は、なんと証言を180度 翻したのだ。
こうなったらキムが殺害したという決定的な証拠を見つける他ないと感じたファンは、凶器であるナイフの行方を追うことにしたという。
任意での取り調べに応じていた時、その行方について2人は…
イム「事件の3ヶ月ほど後、マットの下に隠したナイフをキムが取りに来た」
キム「(当時)借りて住んでいた家の花壇の中に埋めたがそばを通るたびにタクシー運転手のうめき声を感じたから、気味が悪くなり数日前に掘り返して、他の不燃ゴミと一緒にした」と語り、その後すぐに家を引っ越したため、ナイフが処分されたかは知らないと答えていたという。
証言を受け、ファンはすぐにキムが住んでいた家を訪れた。
家主が、ナイフを不燃ゴミとして出したことが判明。
ファンは、すぐにでもゴミ処理場での捜索を行いたかったのだが、そのためには令状が必要だった。
令状は裁判所に請求するのだが、韓国では請求にあたって検察の許可を得る必要があった。
だが、検察はこの事件はとっくに終わっていると言って、取り合ってくれなかった。
そのため、ゴミ処理場での捜索は行うことができなかった。
こうして、キムたちの存在は、検察によって闇へと葬られ、間もなくファンは交番勤務を命じられたのだという。
ファンの証言以外にも、取材の過程でさらにマサカの情報が判明した。
キムの所在がわかりこの時、海外にでかけていたこと。
そして、キムの友人イムは自殺していたことがわかったのだ。
放送を受け、再び世論は沸騰、警察・検察への批判が渦巻き、2回目の特集が放送された翌月、ついに再審が決定した。
その1年後、下された判決の内容は…無罪。
事件から16年が経ち、ようやくチェに無罪判決が出たのだ。
やはり決め手となったのはファンの証言だった。
チェ「やっと僕と母の悔しい気持ちが解放される機会が来たんだたと感じました。とても嬉しかったです」
チェさんの判決後すぐに、自分は捕まらないと油断し、帰国していたキムを強盗殺人容疑で逮捕。
裁判の末、懲役15年の判決を受けた。
さらに、チェさんの無罪判決の5年後、民事裁判でチェさんに対する賠償金として日本円で1億3000万円が認められた。
そのうち80%は国からの賠償、そして残りの20%は、違法捜査をした警察官、真犯人を釈放した検事が個人として支払うよう命じられた。
その後、警察と検察のトップがチェさんに公式に謝罪した。
今回、チェさんの母親に取材はできなかったものの、信じてきた息子の冤罪を晴らすことができ、今では平穏に過ごしているという。
またチェさん自身も現在、結婚し2人の子供と一緒に幸せな生活を送っている。
リ記者「この事件がきっかけで韓国の冤罪に対する認識が変わりました。この事件を報道することで1人の無実な若者を助けることができました。記者として真実を世の中に伝えることができて良かったです」
リ記者は現在も報道局に所属し今では班長の立場として、自らの正義を胸に報道番組に携わっている。
ファンさんは警察を定年退職後、一から司法の勉強をし資格を取得。
その資格をもとに法律相談所を開設。
ファン「小さい事務所ですが、それでも私を頼って、様々な人が訪ねてきてくれます。あの事件を受け、私なりに人々に対して役に立ちたいと思いこの事務所を立ち上げました」
パク弁護士はあの事件以降もあえて主に決してお金になるわけではない再審を手がけている。
さらに昨年の9月に支援団体を立ち上げ、冤罪の弁護もしつつ青少年が非行に走らないように金銭的な援助もしている。
パク弁護士「この支援団体を立ち上げる時にチェさんからも1000万円の寄付がありました。このお金を使って世の中の困っている人たちを助けたいと思っています」
最後にそのチェさん本人が自らの体験を通して、伝えたいことがあるという。
「もし、私と同じような境遇の人がいたとしたら、諦めないでほしい。一度は自暴自棄になって、誰も信じられなくなった時期もありました。ですが今ではリ記者やパク弁護士のように信じて良かったと思える人たちもいます。だから決して諦めないでと伝えたいです」