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映画になった奇跡の実話
青い蝶が少年に起こした奇跡

“青い蝶は幸せを呼ぶ”…世界各地にある、飛ぶ姿を見ると幸せを呼ぶという青い蝶の伝説。 だが…それは、ただの伝説ではなかった。
これは一人の少年と青い蝶をめぐる奇跡の実話である。

今から37年前、カナダのモントリオールで開かれた昆虫標本の展示会で、ダビッドは運命の出会いを果たした。 彼が一目で虜になったのが、中南米のジャングルにしか生息しない伝説の青い蝶、ブルー・モルフォ。 鱗粉が光を反射し、羽が濃淡さまざな美しい青色に輝いて見える、まさに神秘の蝶だった。

ダビッドは「飛んでるところが見たいよ! 捕まえてみたい!」と母親にねだった。 しかし、この蝶はカナダには生息していない…母親は困ってしまった。
すると、その時だった…ブロッサール博士が展示会にやって来た。
ジョルジュ・ブロッサール博士。 国際的に知られる昆虫学者で、カナダで子供向け昆虫番組のMCも務めている有名人だった。 博士は自ら集めた25万点に及ぶ昆虫標本をもとに、モントリオールに近々カナダ初の昆虫博物館をオープンする予定だった。

ダビッドはブロッサール博士に声をかけ、「僕、あの青い蝶を捕まえたいんだ!」と言った。
博士は「中南米のジャングルに行かないと捕まえられないんだよ」と説明してくれたのだが、ダビッドはそれでも「でもぼく飛んでいるところが見たいんだ」と言って譲らなかった。
さらに、博士に「夏の限られた時期にしか姿を見せないんだよ。来年の夏にならないと難しいよ」と言われても、「来年じゃダメだよ!今すぐ採りに行きたいんだ!!」と訴えた。

少年の尋常ならざるひたむきさが気にはなったが、多忙な博士は次のスケジュールがあるため、その場を離れざるをえなかった。
だが、それからしばらく経った頃…博士の元に封書が届いた。 そこには、展示会で会ったダビッドが小児がんで余命3ヶ月だということが書かれていた。

かつて、青空の下で虫を追いかけるのが何より好きだったダビッド。 だが、わずか6歳で脳腫瘍に。 それでも大好きな昆虫の標本を見て、何とか辛い闘病生活に耐えていたのだが…ついに、医者から余命3ヶ月を宣告されたのだ。 母はダビッドにその事実を隠してはいたものの、ダビッドは自分が長くないことを悟っていたのかもしれない。

そんなダビッドが飛ぶ青い蝶にこだわった理由。
それは…わずか6歳の少年にとって、いちばん幸福な記憶が青色と結びついていたから。

だが、少年の母はシングルマザーで生活に余裕はなかった。 ブロッサール博士には難しいと言われたものの、息子の最後の願いをなんとか叶えたいと難病に苦しむ子どもたちの願いを叶える活動をしているメイク・ア・ウィッシュ財団に依頼。 その結果、ダビッドが大好きなブロッサール博士に、青い蝶を見つける手伝いをしてもらえないかと、改めて依頼が来たのだ。

もう12月、メキシコで蝶を見つけるのは難しい。 しかし、季節が逆の南米の奥地に行けば見つかる可能性はあった。 だが、それは片道10数時間はかかる過酷な旅。 ダビッド君の体力を考えると到底不可能。 数時間で行けるメキシコで探すしかなかったが…蝶が見つかる可能性は殆どない。 さらに、博士は多忙でダビッドのために割く時間の余裕もなかった。

しかし、ブロッサール博士は、ダビッド君の夢を叶えるために、なんと多くの仕事をキャンセルし、依頼を引き受けたのだ。 博士はダビッドに夢を諦めてほしくなかったのだ。

実は、博士は少年時代、毎日のように昆虫を捕り、標本にして大切にしていた。 でもある日…その標本を大雨で台無しにしてしまったのだという。 嘆き悲しんでいると、周りの大人たちは「たかが昆虫標本に、男の子がメソメソするんじゃない」と笑ったという。 その時、博士はいつかきっと世界的な昆虫博士、昆虫コレクターになってみせると決意したという。
そして、一度は生活のために役人になるも、ブロッサールは決して諦めてはいなかった。 38歳の時に役所を退職し、再び独学で昆虫学を学び始め、25万点もの標本を作成。 ついに世界的な昆虫学者として認められ、博物館を作るまでになったのだ。

こうして、博士と親子は、メキシコへと飛び立った。 幻の青い蝶、ブルーモルフォを探すために。 目的地はダビッド君が住むカナダから飛行機で約5時間、メキシコ・アカプルコ近くのジャングル。
すでに冬になり乾季を迎えつつあるため、フルーモルフォが見つかる可能性は限りなく低い。 だが、ダビッド君の体力で行ける場所はそこしかなかった。

一縷の望みをかけて、3人はジャングルに向かった。 だが、その過酷さは想像を遥かに超えていた。
12月でも常に30度を超える暑さは、脳腫瘍を患うダビッドには厳しい上に、蝶が表れやすいと言われる川沿いの道は険しいものだった。 それでも、懸命に蝶を探した。

蝶を見つけて、興奮して話すダビッドに博士は…「いいか、見つけても、叫んだりするな。蝶が逃げてしまうからな」と伝えた。 しかも、さらに致命的な問題があった。
それは、車椅子の振動
蝶は敏感に振動を感じとって逃げてしまうのだ。

小児がんで脳を冒されていたダビッドは平衡感覚を失い、常に車椅子で生活していた。 そのため、もはや歩く筋力もほとんど失われつつあった。
だが、車椅子のままでは、幻の青い蝶が見つかる可能性はさらに低くなってしまう。 それを知ったダビッドは、自らの脚で歩こうとしたのだ。

その翌朝、博士はダビッドのため、肩車をしてジャングルを歩くことにした!
何としても青い蝶を見つけたい…少年の夢を叶えるために 博士が考えた方法だった。

連日、朝早くから夕方まで、博士と少年、そして母の3人は山の中に分け入り、蝶を探した。 財団から与えられた時間は6日間。 ダビッドの体力的にそれが限界だったのだ。
だが、時期外れのこのタイミング、青い蝶どころか普通の蝶も少なかった。

4日が過ぎても、青い蝶は姿を表さなかった。 そして、博士の体力も限界に達しようとしていた、その時! 足を滑らせ、転倒してしまった。 幸い、怪我はなかった。
だが…ダビッドの心は折れかけていた。
博士は、その時のことをこう話してくれた。
「君は情熱を失ってしまっている。なら、ぼくはもう、君をおぶらない。立ち上がって自分の脚で歩きなさい。思わず、そう言ってしまったんです」

博士は高まる鼓動を抑え、シャッターを切った。 そう、ダビッドが自らの力で立ち上がり、歩いたのだ…! それからのダビッドは、自分自身の脚で蝶を探し続け、歩ける距離も伸びていった。
わずか6歳の少年は過酷な運命に抗うかのように、懸命に歩き続け、蝶を探した。 だが…それでも青い蝶は依然として、姿を現さなかった。

時間は無情にも過ぎてゆき…そして、ついに最後の1日を迎えた。 博士はダビッド親子から離れ、別の場所に蝶を探しに行った。
すると、その時! ダビッドの目の前に青い蝶の姿が…捕まえるならきっとこれが最初で最後のチャンス!

最終日、ついにダビッドは、青い蝶をその手にしたのだ。 それは正確にはブルーモルフォではなく、メアンデールルリオビタテハという青い蝶。 しかしこの蝶も通常この地域で見られるのは5月から10月。 12月に見ることができたのは、極めて珍しいことだったと言う。

ブロッサール博士「私は、彼を胸に引き寄せ。君は大した男だ。君は永遠に生きるんだ。と言ったのを覚えています。『君は今日、人生で信じられないほど重要なことをしたのだから』と」
余命3ヶ月を宣告された少年が見つけた、青い蝶。 それは2人の短いが濃密な旅の終わりと、別れを意味していた。

だが…それから、およそ7ヶ月が過ぎた頃。 博士のもとに、一通の葉書が届いた。 そこには、こう書かれていた。
『Still alive』
葉書の差出人は、あのダビッド少年本人。 そう、彼は余命3ヶ月の宣告を受けてから、1年近くを経てなお、生きていたのだ。

奇跡はそれだけではなかった。 さらに12年後…博士は、18歳になったダビッドと再会したのだ。
医師「実はジャングルから帰ってきてしばらくした後、診察してみたらびっくりしました。ガンがなくなっていたんです。青い蝶が与えた奇跡というしかありませんでしたね」
ブロッサール博士「あの小さなダビッドは、もう子供ではありませんでした。彼は身長180センチ、体重90キロの立派な青年でした。」

あれから、25年の月日が流れた今月6日。 我々はダビッドさんとコンタクトをとった。 42歳になった今も、(今月8月16日で43歳)元気に日々を過ごしているという。
一方のブロッサール博士は多くの子どもたちに惜しまれながら、今から5年前、残念ながら79歳で亡くなった。
ダビッド「博士には感謝の想いでいっぱいです。当時、僕の夢を叶えるために必死に動いてくれましたし、何度も僕を奮い立たせてくれたんですから」

そんなダビッドさんには、今も大切にしているものがあるという。 ダビッド「これが、あのとき捕まえた青い蝶メアンデールルリオビタテハだよ」
ダビッドさんは今、あの青い蝶を博士と共に追った体験を、多くの子どもたちに伝える活動を行っている。
ダビッド「人生は驚きの連続でいつも何が起こるかわからない。あの時博士に教わった、“一番大事なことは絶対に諦めないこと” それを子供達に伝え続けていきたいと思っています。」