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最新鋭の機体に優秀なクルー
トラブルはなぜ発生したのか?

誰も経験したことのない危機的状況が機長達を襲う。 一体、旅客機に何が起こっていたのか?
これまで番組で紹介した航空機の事故は、パイロット、管制官など運航関係者の人為的なミスや、機体の劣化、または整備不良。 もしくはテロなどの外部からの攻撃や、火山の噴火、鳥の大群、突然の異常気象などが原因で起こっていた。
だが、今回のケースはそのいずれでもなく…この男たちが事故の原因を作っていた。 しかし、彼らは旅客機の飛行とは直接関係していなかった。

今から14年前の2010年、309人の乗客を乗せたキャセイパシフィック780便は、インドネシアのジュアンダ国際空港から 香港国際空港へ向け、南シナ海上空高度1万1500メートルを 順調に飛んでいた。

クルーたちはあと30分ほどで、香港までの4時間半の勤務を終えようとしていた。
マルコムは、社内で若くして機長になった一人。
副操縦士は、元戦闘機のパイロット。 優秀なクルーだった。

しかも機体は、当時最新鋭の『エアバスA330』。
それまでは、コックピットと各所操縦システムはケーブルで繋がっていた。 パイロットが操作を行うと、その指示がケーブルによって伝えられ、油圧装置を動かすことで、方向舵などのを変えたり、エンジン出力の増減を行ったりする。

一方、エアバスA330は、すべての情報が電気信号で伝わる仕組みだ。 操作が難しいとされる離着陸は基本的に手動で行われるが、飛行中はパイロットの操作をコンピューターが読み取り、方向舵の角度やエンジン出力の増減など、コンピューターが一定の範囲内で自動的に調整してくれる。 これにより、適切なフライトが可能になるのだ。

香港空港まで残り270キロ。 780便は、万全な体制の中、着陸に向け降下を始めた。
すると、その時だった。 聞き慣れない、うなるような騒音と振動。 モニターに警告が表示された。 エアバス330Aには、両翼の下にそれぞれ一つずつエンジンがあるのだが…そのうちの一つ、右翼にある『2番エンジン』に何らかの問題が発生したことを知らせていた。

コンピューターは数値的な異変を読み取り警告はするものの、具体的な原因までは教えてはくれない。 そしてコンピューターが指示してきたのは、次に行うべき行動だった。 2番エンジンのスラストレバーを下げ、燃料の注入を最小限に控える「アイドリング」の状態にした。
レバーが上がっている状態は、自動車でいうとアクセルを踏んだ状態。 下げるとアイドリングの状態になる。

ジットエンジンはファンを回し、取り込んだ空気を圧縮、それにジェット燃料を混ぜて爆発的に燃焼させ進む。 アイドリングとは、ファンの回転数を最低限に維持し、ジェット燃料の燃焼を最小限で押さえる状態のことである。 つまり自動車と同じで、エンジンは止まっていないが、前に進む力を最小限にしたのだ。

すぐに機長は目視での確認を指示した。 だが、取り立てて異常があるようには見えなかった。 もしかしたらエンジンではなく、コンピュータの警告が間違っていた可能性も。 だが…機長は2番エンジンを使用しない事を決めた。

しかし、1番エンジンのみで飛行継続や着陸は可能なのか?
実は最新鋭のA330は、2発のエンジンの片方を失った場合でも、もう一つのエンジンの出力をあげて飛べる性能を持っていた。 とはいえ、片方だけの力で飛行すると…当然、機体は曲がってしまう。 そこで、垂直尾翼にある方向舵を操作し、反対側に曲がる力を発生させることで、機体が進む方向を調整するのだ。

しかし、異常の原因すらわからない。 そこで…機長は副操縦士にPANコールを指示。
副操縦士「こちらキャセイパシフィック780便。PAN PAN PAN PAN PAN PAN」
PAN-PANというのは、遭難信号である『メーデー』の一歩手前の状態、“準緊急事態” だ。 管制官の指示で空港の消防隊が滑走路の近くで待機することになった。 着陸予定時刻まで、あと22分に迫っていた。

依然として緊急事態には違いない。 そこで上級クルーである機長が操縦を行うことに…そして機長が操縦を代わった、その直後だった。 1番エンジン出力を喪失してしまったのだ!
絶対にあってはならないことだった。 着陸の頼みの綱だった1番エンジンにも異常が発生。 780便は両方のエンジンに異常を抱えてしまった。

機長はコンピューターの指示に従い、1番エンジンのレバーを下げ…2つのエンジンをともにアイドリング状態にした。 これによって780便は、エンジンを持たないグライダーや紙飛行機と同じ状態、機体は上昇することはもちろん、高度を維持することも出来ず、ただ徐々に落ちてゆくのみ。 香港国際空港までの距離約100km、今の速度では到着には10分以上かかる。 しかし、付近に780便が降りられる規模でより近い空港は無い。
一方高度は着陸態勢に入っていたため、既に約2400mにまで下がっており、しかも現状、1分当たり約400m降下しているため、このままの割合で降下を続ければ、6分後には海面に激突することになる! 最悪の事態が迫っていた。

客席では、迫り来る危機に誰も気づくことなく、乗客たちはみな寛いでいた。 が、それとは対照的に、コックピットでは…機長らが刻一刻と迫る墜落の危機と懸命に戦っていた。 まずコンピューターの指示通り下げた、2番エンジンを戻してみるが、やはり出力は戻らない。 1番エンジンも確認したものの、出力は戻らなかった。

こうして緊急度の高い遭難信号『メーデー』を宣言したのである。
そして操縦を手動へと切り替えた機長の決断は…緊急着水しか選択肢はない、というものだった。 しかし、機体が降りようとしているのは、うねりの大きい南シナ海。 最悪の場合は海面に打ち付けられ、機体がバラバラに壊れる危険性も。 事態は一刻を争う!

機長は、少しでも穏やかな場所がないかと、着水ポイントを探し続けた。 すると、その時だった! ある方法を試してみることを決断。
機長はゆっくりとレバーを上げて行った。 レバーに静かに指を当て1ミリずつ上げていく。 すると…1番エンジンの出力が戻り始めた。 機長の判断は間違っていなかった。

皆さんもこんな経験はおありだろう。 パソコンで一度にたくさんの情報を処理しようとした際、反応が極端に遅くなることが。 そこで…機長は操作スピードを落とすことで正常に動くかもしれない、そう考えたのだ。 出力を上げ、なんとか機体の降下をくいとめたい。

機長はレバーを上げ徐々に出力を上げていく。 すると、その時!
警告音とともに、またしても振動と騒音が! 機長は急いでレバーを少し下げた。

今度は同様のやり方で、2番エンジンの回復を試みる。 しかし…2番エンジンはアイドリング状態のまま。 理由はわからないが、ゆっくりレバーを上げても、2番エンジンの方は なぜか出力に変化がなかったのだ。

1番エンジンだけだが、出力74%を得られた。 これにより水平飛行が可能になったのだ!
しかし、今動いている1番エンジンもいつまた止まるかわからない。 ある意味、時間との戦いでもあった。

機長はギリギリまで高度を維持し、空港直前で一気に下げることに…一体どういうことなのか? 通常の着陸ではある程度離れた位置から、徐々に高度を下げながら空港に近づく。 しかし、これはあくまでもエンジン出力のコントロールが出来ることを前提とした方法。
だが今回は、出力が足りず、上昇は出来ない。 それどころか高度を下げた段階で、万が一再びエンジンが止まってしまったら、またもや水平飛行すら出来なくなり、その結果、空港まで届かず、海に墜落するしかなくなる可能性がある。

そこで機長は、空港近くのギリギリまで高い位置を保ち、十分滑走路に近づいたあとで高度とスピードを下げるほうが安全だと考えたのだ。 そして空港まであと14キロと迫った時、着陸の許可も出た。
万が一に備え保ってきた1700Mの高度を一気に下げる。 この時、機体は通常降下を始める地点よりも、はるかに空港に近い位置にあった。 そのため空港へのアプローチに必要な降下角度は通常の2倍。

さらに…滑走路に向けて飛行の方向を変える必要もあった。 通常なら大きく迂回するコースを飛ぶのだが、最短距離で空港を目指してきたため、今回は急な角度で旋回をせざるを得ない状況だった。 慎重に急降下と急旋回を行って、通常の滑走路への進入角度とコースを確保し、さらに速度を通常の着陸同様に落とす作業も同時にしなければならなかった。

慎重な操縦が必要だった。
着陸まで2分。 急降下、急旋回を終え、滑走路へ入る! ここさえ乗り切れば、無事生還はできるはず。

だが、機体の速度を落とそうとレバーを下げたにも関わらず、計器は74%を表示したまま微動だにしない。 そして、またしても警告音が! 滑走路まであと4キロのこの時点での通常の着陸速度は、時速250キロ前後。 しかしこの時!時速450キロというとんでもないスピードが出ていた。
通常より200キロも早い速度での急降下。 動いているエンジンが一つ、しかも出力が74%しか出せため、780便では再び上昇することは不可能。 780便は絶体絶命の危機に直面したのである。

着陸寸前エンジンが原因不明の暴走! スピードが落ちないのだ。 果たして機体に、何が起きていたのか?
後の調査で、実はこの時、780便のエンジンには、ある異物が混入していたことが判明した。

エンジンの出力をあげるのに欠かせないのは燃料。 多くの燃料を送り込めば出力は上がり、また送り込む燃料を少なくすれば出力を下げられる。
実は今回、エンジン出力を思い通りに操作できなかったのは、ある混入物質のせいで「燃料の増減」が出来なかったことが原因だった。

エンジンに燃料を送り込むには、パイロットがレバーを操作し、このピストンを動かす必要がある。 レバーを上げると入り口から燃料が入り、下の口から出てエンジンへ送り込まれる。 レバーを下げると、通り道が塞がれ燃料は送られない仕組みだ。

しかし今回、この部分に通常ならそこにあるはずのない物質が大量に入り込んでいた。 それが邪魔をして、パイロットの指示どおりの動きが不可能になり… 燃料を送り込もうとしても入口を塞いで流入をせき止めたり… 逆に燃料を流したまま止められなくなったりしていたのだ。
では、エンジンに混入した物質とは、一体何だったのか? 実は、その正体は身近で誰もが知っているモノ。 紙おむつなどに使われている、水を吸収する物質、吸水ポリマーである。

なぜ旅客機のエンジン内に、紙おむつなどに使われる吸収ポリマーが固着していたのか? 実はこの吸水ポリマー、旅客機にとっては必要不可欠なもの。 燃料に含まれる水分を取り除くために使われているのだ。 航空機の燃料は、タンクローリーや地下に埋設されたパイプラインを通し、駐機場まで運ばれる。 だが、生成や管理の過程で、空気中の湿気に触れるなどして、燃料にはどうしてもある程度の水分が含まれてしまうのだ。

燃料に水分が混じっていると、機体が高度を上げ気温が下がった時にその水分が氷となり、エンジンに詰まって故障につながる危険性がある。 そこで給油車にフィルターを設置。 機体への給油時に、フィルター内の給水ポリマーが水を吸い取り膨らんで、水分の混入を防ぐ仕組みになっているのだ。 しかし今回は、水分を吸い膨らんでフィルターに残るはずの吸水ポリマーは、膨らまないまま燃料に混ざりエンジンの中にまで進入。 何故そんな事が起きたのか?

実は…そこにはこの男たちが関係していた。 後にエンジン内部の精密な検査を行ったところ、吸水ポリマーの他にもう一つ別の物質が見つかった。
その正体は、塩化ナトリウム。 そう「塩」だ。

実は吸収ポリマーは、ある性質を持っている。 吸水ポリマーに水を入れた時と、食塩水を入れた時とでは違う反応が現れる。
水を入れた場合は、それを吸収し膨らむことで、吸水ポリマーはゲル状に固まるのだが…食塩水を入れた場合は…吸水ポリマーが水を吸って強く固まることはなく、ほぼサラサラのまま。 そう、吸水ポリマーには「塩分があると水を吸いにくくなる」という性質があるのだ!

今回の事例に当てはめてみると…もともとの燃料に混じっているのが単純な水だったなら、水分を吸収した吸水ポリマーは膨張し、通常通りフィルター内にとどまったはず。 しかし今回は混じっていたのがただの水ではなく塩水だったからこそ、吸水ポリマーは膨らむことなくフィルターを通過。 エンジン内部に進入し固着、ピストンのスムーズな動きを阻害。 結果、エンジンが思うように作動しなくなってしまったのだ。

なぜ燃料に塩水が混入したのか?
これは780便が飛び立ったジュアンダ国際空港。 実はこの空港は…海に隣接している。 そして、近くには火災時に備えた消火用貯水池が! そこに海水が混じり、実際に後の調査で池の水からは塩分が検出された。
そしてその池の間近で、事故直前にあることが行われていた。 それは…配管工事

当時、ジュアンダ国際空港は、観光客の増加に伴い、空港を貯水地近くまで拡張する工事を行ったばかり。 その際、タンクから燃料を運ぶパイプも併せて延長する配管工事が行われたのだが、実は空港のあるスラバヤ市は毎年のように洪水が発生。 空港の近くには川があり、河口に近い。 海水の混じった川が氾濫し貯水地に流れ込んだ可能性が高い。 結果、塩分を含んだ貯水池の水が溢れ出し、工事現場に流れ込み、工事中の配管内に入りこんだ可能性が高いのだという。

実は日本でも7つの空港が同様の給油システムを採用している。 その中の1つ…羽田空港。
この空港もまさに海に囲まれているが、羽田ではこのような事故が起こる可能性は無いのだろうか? 空港内の工事を請け負っている企業によると、津波や高潮で空港が浸水しない限り、工事中に海水が入る可能性はない。

仮に現場に海水が流れ込んだとしても日本の場合には、配管内に塩分が混入しないよう徹底し、配管内の洗浄を複数回にわたって行うため、同様の事故が起こることは考えられないとのこと。
しかし、今回の出発地であるインドネシアの空港では、その洗浄が充分に行われていなかったのである。 その結果、燃料に塩分が混じることになり、給油車のフィルター内にある吸水ポリマーの効力は発揮されず、そのままエンジン内部に流れこんだポリマーの粒子がピストンをつまらせた。

そして2番エンジンの異常を引き起こし、1番エンジンを止めた。 一度は燃料の通り道をある程度こじ開けたものの、いざ着陸しようと言う時に、今度は逆に出力を下げることが出来ず、機体は暴走状態に。 通常の着陸速度は時速250キロ前後、しかしこの時…時速450キロというとんでもないスピードが出ていた!

元全日空機長・高野開氏はこう話してくれた。
「速度調整が不可能な飛行機というのを着陸させるということは、訓練もありませんし、おそらく(機長が)経験したこともありません。450kmの速度で着陸させるというのは、極めて困難だし、場合によってはかなり危険な行為になると思います」

通常よりも遥かに早いスピードで滑走路へと向かう機体。 燃料を遮断したくても出来ない状況! 何をしても無駄だった。 それまで誰も経験したことのない事態。 しかも、この時の彼らはこの異常事態の原因を知る由もない。
滑走路内で止まれなければ、オーバーランで海に突入。 最悪の場合、死者が出る可能性もある。 機体の速度から墜落と判断したコンピューターが、機首を上げろと警告。

ついに迎えた着陸の時、着地の衝撃で機体が傾き左のエンジンが地面に接触! ブレーキをいっぱいに踏み込む。 機長は、逆噴射装置を作動させた。
逆噴射とは、通常、後ろに流れている空気を遮り、前方向に噴射させことで前進を止める力を生みだす方法。 エンジンが2つとも作動していれば、左右に同じ力が働くため、特に問題はないのだが、今回、動いているのは片方だけ。 しかもエンジンの出力は74%しかない、果たして…!

片方だけの逆噴射。 機体は曲がり滑走路を外れる危険が! 方向舵を操作し、機体をなるべくまっすぐに維持する。
着陸は成功した!
止まったのは…滑走路の端から150メートルの地点、目の前は海だった。

それにしても、なぜ780便は止まることができたのか? 事故報告書の中に、その理由のひとつと思われる、機長のある行動が記録されている。 実は、機長は着陸1分前、管制官に向かってこう言っている。
機長「今、ジグザグに飛びながら、少しでも速度を下げようとしているところです」
直線で進む距離をジグザグに飛行すると、機体の姿勢が頻繁に変わるため、空気抵抗が増す。 また進む距離も増加するため、結果、速度が落ち、高度も下がるのだ。 機長は蛇行することで速度を落とし、機体の高度を少しでも下げようと、着陸ギリギリまで奮闘し続けていたのだ。

今年7月、機長は我々のインタビューに応じてくれた。
「何とか速度を落とすことができれば、滑走路の端に届く頃には、制御しやすい状態になっているはずだと思いました。そうすれば乗客が生き延びる可能性があるだろうと。うまくいって本当によかったです」

度重なる困難の中、780便は無事着陸に成功した。 ごく少数の軽傷者は出しただけで、309人の乗客の命は無事だった。
二人は優れた勇気と技能を讃えられ航空業界の最高の栄誉、ポラリス賞を受賞した。
機長「パニックにならず、冷静に、ただやるべきことをやる。このシンプルな原則がいかに重要であるか、今回の事故で私が一番学んだことです。語り継ぐべき経験を得たので、私のキャリアにおける次の使命は、子供たちに教訓として、自分の物語を伝えていくことだと思っています」