オンエア
今から2年前、アメリカ・テキサス州。
エヴリンは当時22歳で、結婚したばかり。
エヴリンは自律神経失調症などを患っていたが、日常生活に支障はなく、夫と多くの友人に囲まれ、幸せな日々を送っていた。
この日、友人とライブに行く約束をしていた。
だが、彼女は知る由もなかった。
このライブが運命を大きく変えてしまうことを。
エヴリンはこの日、ライブを堪能。
だがそれから4日後、エヴリンは突如、激しい頭痛を伴う40度以上の発熱に襲われた。
翌朝、彼女の症状はさらに悪化。
肺が重く、息を吸うのも苦しいほどになり、慌てて病院に駆け込んだ。
肺炎と診断され、そのまま入院。
しかも、入院から数時間後、エヴリンは昏睡状態に陥ってしまったのだ。
エブリンは敗血症による多臓器不全を起こしていると診断された。
敗血症とは、体内に入った細菌などが血流を通して全身に行き渡ることで、過剰な生体反応を起こし、臓器機能を低下させる極めて危険な病気。
昏睡に陥ってから、およそ2週間後。
エヴリンは、奇跡的に目を覚ました。
だが、彼女は違和感を覚えた。 両手両足が冷たくほとんど感覚がない上に、真っ黒になっていたのだ。 敗血症により、手足の血管に血液が行き渡らず、壊死してしまったのだ。 こうしてエヴリンは、両脚の膝下、右腕の手首から先、左腕の肘から先を切断。
しかし、なぜ彼女は敗血症になったのか?
実は、エヴリンが搬送された後、医師は、彼女の身体を検査していた。
すると…エヴリンの体内からレジオネラ菌が検出されたのだ。
レジオネラ菌とは、河川や土など、自然界に生息する細菌。
鼻や口などから菌が侵入。
ほとんどが、特に症状が出ないか、風邪に似た症状で終わることが多い。
しかし、免疫力が下がった状態で感染すると、肺炎、さらに重症化すると敗血症となり、命を落とすケースもあるのだ。
だがエヴリンのように、両手両脚切断を余儀なくされるケースは、非常に稀だという。
レジオネラ菌の潜伏期間は、2日から10日程度。
その間にエヴリンは土に触れたり、川や湖などの場所に行ったりはしていない。
それなのに一体なぜ彼女の体内からレジオネラ菌が検出されたのか?
担当医師は、彼女の行動を家族から聞き、くまなく検証。
エヴリンがレジオネラ菌に感染した原因、それは…観客に向けてのライブ演出で使用された、ミストだった!
最近、日本でも屋外での冷却装置や、ライブなどの演出で使用されている、ミスト噴霧器。
使用した水の残りが、配管に25度以上の環境で長時間放置されると、レジオネラ菌が増殖する場合があるというのだ。
だが、今回のライブ会場で、レジオネラ菌への感染が報告されたのは、エヴリンのみ。
それは一体、なぜなのか?
佐賀大学医学部、宮本比呂志教授によると。
「ミスト装置の使用時には配管などに前回の水が残っていて、この水の中でレジオネラ菌が大量に増殖することがあります。エヴリンさんの場合は持病による免疫力の低下も関係あったかも知れませんが、大量に菌が増殖した最初の水を浴びたことが原因だと思われます」
日本では、使用前にしばらく水を流してから使用するなど、汚染された菌を流す対策を取るように保健所が推奨。
そのかいもあって、日本ではまだミスト噴霧機によるレジオネラ菌の感染事例は報告されていないという。
だが…宮本「3年前のデータだと(レジオネラ菌が原因で)1年間で82人が亡くなったという報告がある。」
年々、レジオネラ菌感染の報告数は増加傾向にあり、20年前と比較すると13倍以上。
これらの主な原因は、温泉施設などの循環式浴槽。
したがってレジオネラ感染症に冬のイメージを持つ方が多いと思うが、本来は菌が増殖しやすい気温の高い夏の方が多いのだ。
日本ではほとんどの施設がしっかり消毒を行なっているが、消毒が不十分で菌が増殖する場合もある。
宮本「夏場になって循環式温泉施設を使用したり、テーマパークでミストを浴びたり、数日後に発熱や咳が出た時は単なる風邪だと考えずに病院に受診することを勧めます。」
さらに最近では、超音波加湿器による発症の報告もある。
レジオネラ菌は、60度では5分で殺菌されるため、加熱式は問題ないが、超音波で水蒸気を出すタイプの加湿器は、タンクの水を放置した状態で使用すると、繁殖した菌を含んだ水蒸気が室内に蔓延してしまうことがあるのだ。
そのため、取扱説明書にも、タンク内の水を毎日変えることが表記されている。
真夏に増殖する細菌…それは、あなたの近くにも潜んでいるかもしれない。
ライブに行っただけで、何の落ち度もないのに両手両脚を失ってしまったエヴリン。
まだ22歳の彼女にとって、あまりに過酷な運命だった。
だが、さらなる絶望が襲う。
エブリンを支える自信が持てないと、夫が去ってしまったのだ。
それだけではない。何人かの友人も、気まずさからからか疎遠になっていった。
その結果、エヴリンは人間不信となり、生きる希望を失いかけていた。
だが…エヴリンと2歳の頃からの幼馴染のオータムが見舞いに訪れた。
エヴリンは、彼女を拒絶。
それでも、オータムは何度もエヴリンの見舞いに訪れた。
エヴリン「入院していた時、彼女は毎週必ず来てくれました。私の病室で一緒に映画を観るなど、それまで通り接してくれました。また、母は終始、私の心のよりどころでした。一度も私を離れたことはありません。もちろん父もです。彼はいつも私を勇気づけてくれました。その人たちのおかげで、私は一人ではないんだと思うことができたのです。」
両手両足を失い、全てが変わってしまった。
だが、全く変わらない愛が、そこにはあったのだ。
それが、閉した心を少しずつ開かせていった。
そしてエヴリンは、あることを決意する。
そう、義足をつけ歩く練習を開始したのだ。
医師たちは『二度と歩けないかもしれない』と言った。
それでも、支えてくれるリハビリの先生のため、友情に応えるため、そして両親の愛に応えるため…エヴリンは再び自分の力で歩くことを、決して諦めなかった。
その結果、手術から、わずか2ヶ月後、奇跡が起こった。
なんと、23メートルを義足で歩き切ったのだ。
義足を使えるようになったエヴリンは、さらにリハビリを続けた結果、オータムと再び外出できるまでに回復。
そして、好きだったファッションセンスを生かそうと、モデル業を開始。
最初はためらいもあったというが、自分と同じような障害に苦しむ人たちを勇気づけたいと、あえて、自分の全てを見せることにした。
そんな彼女は今、新たな夢を抱いている。
エヴリン「来年の1月には、私のように手や脚を失った方を助けるために、ソーシャルワーカーの学校に行きたいと思っています。私と同じ様な境遇の人を救ってあげたいんです。患者の気持ちが分かる私しかできない、助け方もあると信じてまいす。」
思わぬ出来事で手足を失ったエヴリン。
しかし、それにより、気付かされたことがあるという。
エヴリン「私の助けになったのは友人や家族の支えでした。彼らがいなかったら、乗り越えられていなかったと思います。不運なことが起きたとしても、私がそうだったように、誰かの支えで明日を強く生きられると思います。」