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死へのカウントダウンと闘った2人の女性

今から2年前、奈良県天川村にある、大峰山脈の一つ、弥山。 標高は1895メートル、登山口から頂上まで片道6時間程度のルートである。
前日、この山に登り、山頂にある山小屋で一泊。 八経ヶ岳・明星ヶ岳を経由し、下山を開始した、60代の二人の女性。 目指していたのは『天川村役場』にある登山口。
道標に示されていたのは、今、歩いてきた『明星ヶ岳』と『トップリ尾登山口』と書かれた2方向のみ。 二人が向かいたい『天川村役場』への道は、示されていなかった。

地図で確認しようとしたのだが、持っていたはずの地図は、見当たらなかった。 頼りになりそうなのは、方位磁針のみ。
明星ヶ岳は今来た道なため、トップリ尾を進めば大丈夫だろうと思い、『トップリ尾登山口』が指す方向へ進むことに。 所々にルートを示すマーキングのテープがあったので、それを辿っていく。

しかし、次第にテープが見当たらなくなってしまった。 そのまま進むと、急斜面となった。 さらに、途中で雨が降り出した。
そして、辿り着いたのは…沢。

愛知県に住む野村と岸は、頂上から見える星空を目当てに、この山に登ることに。 野村は高校時代、山岳部に所属していたが、ここ数年は登山から離れている状況。 だが、弥山には過去3回登頂経験があった。 一方、岸は登山初心者だった。 今回は、天川村役場付近の登山口から出発し、山頂付近にある山小屋で一泊。 翌日に同じルートで下山する計画であった。

8月4日、二人は、天川村役場に到着し、登山届を提出。 登山専用アプリからダウンロードしたルートの地図も持ち、その日の正午、登山を開始した。
弥山は、夏でも平日は平均20人程度しか登山客がいない山。 この日も、人とすれ違う事は全くなかった。

途中休憩した時、服を汚さないように、地図を下にひいて座った。 この時、地図を置き忘れてしまったのだ。
登頂後、山小屋のスタッフから近くの八経ヶ岳からの眺望が絶景だという事。 さらにそこから明星ヶ岳を経由し、登ってきたルートに戻り、天川村役場の方角に下山する事が出来ると聞き、急遽計画を変更することに。 これは、野村も初めて通るルートだった。
向かいたい『天川村役場』方向が道標に示されていなかったものの、『トップリ尾登山口』が指す方向へ進み…沢にでたのだ。 通常の下山ルートに沢はなかったはず。 そのため、この段階で遭難したと判断した。

この時、すでに午後5時で暗くなってきている。 さらに、野村の靴のソールが剥がれてしまったこと、登山初心者、しかも60代後半の岸の体力も考え、二人は、山中で一夜を過ごすことに。
野村は『明日には帰れるだろう』、そう思っていた。 岸は、気丈に振舞っていたが、登山初心者という事もあり、内心、不安な気持ちはあった。

翌朝の6時30分頃から、二人は行動を開始。
体力的にも登るという選択肢はなかったため、とにかく下っていく事に。 だが、およそ2時間後、ダムよりも規模が小さい『堰堤』に突き当たる。

これ以上進めないため、引き返すことに。 そこから15分ほど登ると、小屋があった。 小屋があるという事は、誰かがここまで来るための道を作った可能性が高い…そう思い、夕方近くまで探し歩いたのだが、道を見つけることはできなかった。 そのため、6畳ほどの広さの小屋の中で、この日は泊まる事に。

二人が持っていた食糧は、コンビニで購入したバウムクーヘン、ドライフルーツ1袋、チョコ10粒、大豆の栄養食品1本、ビスケット1箱、一口羊羹4個、うずらの卵の燻製、ホタルイカの燻製。 万が一に備え、慎重に食べていく事にした。
夏とはいえ、この付近は夜になると、10度近くまで冷える。 そこで二人は、木の枝や落ち葉を集め、ライターを持っていたため、火を起こし、小屋の中で焚き火をした。
話し相手がいたから、世間話をしながら、気を紛らわす事が出来た二人。 とは言え、今後の不安は、常によぎっていた。

遭難3日目…遭難初日から、携帯電話は頻繁に確認していたが、山奥のため、ずっと『圏外』。 しかし、GPSは生きていた! GPSは、衛星から発信される電波を受信するため、圏外であっても位置情報を得る事ができるのである。
だが、GPS上の地図は、あくまでも位置情報が分かるのみ。 街がある位置や大きな車道は分かるが、山道はもちろん、山の起伏や細かい形状までは分からず、ただ、緑色で山と分かるようになっているだけであった。

天川村役場の方向は分かるものの、どのくらい山を登り下りすれば良いのかも分からないため、危険が伴う。 遭難した時は、同じ場所に留まったほうが安全だと判断し、捜索隊が来てくれるまで小屋に留まることにした。
そして、二人は堰堤近くの上空が開けた場所へ行き、ピンクのタオルや黄色の雨具など目立つ色の物を置く。 さらに、火も起こし、上空から気付いてもらえるよう努力した。

すると、遠くを飛行するヘリコプターの音が聞こえた! だが、ヘリコプターは2人に気がつくことはなく、通り過ぎていってしまった。
その3時間後にも…ヘリコプターの音が聞こえた。 二人のことを捜索している可能性が高いと感じた。

実は、遭難した日の夜、二人は下山後、天川村の民宿に宿泊するつもりで予約を入れていた。 弥山から下山すると告げていたため、民宿のスタッフは、二人が遭難した可能性があると思い、警察に通報。 翌日には二人の親族も現場に駆けつけ、警察・消防は、地上ではもちろん、ヘリコプターも飛ばして捜索を開始していたのだ。

しかし残念ながら、この日は発見されなかった。
そんな時、ライターのオイルが切れてしまった。 そのため、今ある火を絶やさないよう、夜中も交替で起きて、見張りをした。

遭難中、二人は…毎朝、まず 山の神様に挨拶を行い、水筒に沢の水を入れる。 さらに、顔を洗ったり、洗濯をしたり、焚き火で洗濯物を乾かしたりした。
岸は、落ち葉などを集めながら、焚き火が消えないように見張り、野村は上空が開けた場所へ向かい、煙でヘリコプターに気付いてもらえるよう尽力。 ポケットラジオも持参していたため、自分たちのニュースが流れていないか確認もした。 結果、それを耳にすることはなかったが、これが、毎日のルーティーンとなった。

また二人は、自然とネガティブな事は話さないようにしていたという。
しかし、空からヘリコプターの音は聞こえるが、気付いてもらう事は出来ず、地上からも、人の声が聞こえてくることはなく、無常にもただただ時間だけが過ぎ去り…ついに、一週間が経過した。

そしてついにヘリコプターの音が聞こえなくなったのだ。
実は、警察や消防のみならず、ボランティアも加わり、連日、必死の捜索が進められていたのだが、公的機関の捜索は遭難6日目を持って打ち切りとなってしまっていた。
そのため、その翌日もヘリコプターの音が聞こえるはずもなく、野村は捜索が打ち切られた事を完全に悟った。

そして、彼女はある決断を下す!
野村はGPSを頼りに救助を呼びに行くことにしたのだ。 それは危険を伴う行動のため、岸を小屋に待たせて、1人で行くという。

そして、翌朝。
野村の靴の片方は、ソールが剥がれてしまっていたため、岸の靴を借りることに。 さらに、岸の携帯電話の方が、バッテリー残量が多かったため、モバイルバッテリーで充電。 60%にする事が出来たので、それも野村が持っていく事に。 12%だけ残っている自分の携帯電話も、予備として野村が持参するため、岸は遠くまで歩く事は出来ず、連絡手段も失うことに。 野村が、救助を呼ぶことに成功しない限り、何も出来ない状況となった。 彼女は全てを野村に託す事にしたのだ。

これまでは二人だったから、何とか乗り越えられた。 しかし、今日からは一人。
さらに、もし野村が、途中で怪我などをしてしまえば、自分が助かる事はない。 そんな心細さと恐怖を感じながらも…岸は野村を信じて送り出した。

野村はGPSを頼りに、天川村役場がある北方向へ進む事にした。 彼女は、当時61歳。 登山経験者とはいえ、遭難生活により、体力は限界に近づいていた。 それにも関わらず、歩き続けた。
そこには、ある想いがあった。 野村は遭難することになったのは自分の責任だと考えていた。 それなのに岸は野村を責めることは一度もなかった。 そのため、自分が絶対に岸を助けなければと思っていた。

所々で携帯電話を取り出したが、電波は入らない。 さらに雨まで降って来た。 それでもこの日、野村はほとんど休憩する事なく、およそ12時間、歩き続けた。

遭難10日目。
岸が小屋にいると、ガサガサとした足音が聞こえて来た。
クマが出たのかと怯えていると…ついに救助隊が見つけてくれたのだ!

岸が救助された先日。
暗くなって来たため、野村は歩くのをやめ、休もうとしたその時、スマホが『ピッ』と鳴った。 見てみると、電波が入っていた! 野村はすぐに警察に連絡、だが一歩踏み出しただけで、電波が切れてしまった。 一歩戻ると、電波がまた入った。

なんと、わずか50センチ四方のごく狭い範囲だけ、岸の携帯電話に微かに電波が入ったのだ!
野村は、再度110番し、状況を伝える。 岸のことは気になっていたが、救助隊を危険にさらすわけにいかない…そう思った彼女は翌日の救助を警察に申し出た。

翌朝、携帯電話の電波から居場所を特定した救助隊によって、野村は無事に救助され、そしてその後、岸も救助されたのであった。
二人ともすぐに病院に搬送された。
体力の消耗は激しかったが、大きな怪我等はなかった。
そして、2人は再開し、無事を喜び合った。

救助後に作成された報告書の地図で確認すると…山小屋から出発し、途中にある道標でトップリ尾方向に進んだが、途中で道が分からなくなり、ルートから外れている。遭難中に過ごした小屋の場所から、野村が12時間かけて進めた場所から、天川村役場まではかなりの距離がある。 山道ではない傾斜を進んでいたため、電波が入っていなかったら、おそらく辿り着く前に力尽きていたと考えられた。
のちの調査で、遭難の大きな原因は、『トップリ尾』が表示されていた、あの道標にあると考えられた。 『トップリ尾』は、天川村に隣接する五條市内にあり、道標も五條市が設置したもの。 そのため、管轄外の『天川村役場』方向を示す道標は、作られていなかったのだ。
また、『トップリ尾』自体、この2年ほど前、五條市が新たなルートとして整備したもので、ほとんど知られていなかった。 その上、途中までしか山道が整備されておらず、マーキングのテープもまばらだったため、分かりにくいルートだったのであった。 この遭難後、同じ過ちが起きないよう、登山客たちにより、『天川村役場』方向を示す表示が設置された。

今回、野村さんに取材したところ、彼女は道標だけでなく、自分のミスが大きな遭難の原因だと語った。
それにしても奇跡的なのは、突然 携帯電話の電波が入ったこと。 最後にこの事に関して、彼女に聞いてみた。
「スマホが『ピッ』と鳴ったように思うんですよね。その電波が繋がった地点で。それも本当に狭いエリアだったので、ちょっと不思議というか、奇跡的だったと思いますね。もしかすると毎朝、山の神様にお祈りしていたので、神様が助けてくださったのかもしれません。」