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イギリス郵便局えん罪事件

今年1月、世界中で話題となったイギリスの郵便局を巡る「冤罪事件」。 それは国営企業である郵便局のコンピューターシステムが誤作動を起こしたことで、過去、多くの人がいわれのない罪で有罪判決を受けていたというものだったのだが…発生から何年もの間、大きな話題となることはなかった。
しかし今年に入り、事件を元に作られたドラマが大ヒットしたことで、世界中が注目。 イギリスのスナク首相がコメントを発表するほどの大騒動にまで発展した。

事件発覚のきっかけは今から16年前、コンピューター専門誌、「Computer Weekly」に届いた一通のメールだった。 送り主は、小さな郵便局を営む、リー・キャッスルトンという人物。
イギリスには商店の一角に窓口を開き、その運営を本社である国営のポストオフィスと契約した店主などが代行して行う制度がある。 その制度で契約した個人の「郵便局長」がイギリス全土に1万人ほどおり、リーもそんな個人の郵便局長の一人だった。

リーによれば、この日、レジにあった実際の現金と、本社から支給された会計システム「ホライゾン」の数値にズレが生じていたという。 実際にあった現金よりもホライゾン上の残高が、日本円で5万円ほど多くなっていたという。 ところが、翌日、現金の額は変わっていないのに、ホライゾン上の残高が昨日よりさらに増えていた。
彼は慌てて本社であるポストオフィスに連絡。 ところが…「ホライゾンのトラブルは他に全く報告されていませんし、そのような事態は起こり得ません」と言って、全く取り合ってもらえなかった。

だが、その後も、不可解な現象は収まらず、半年後には、実際の金額とホライゾン上の残高の差は450万円にも膨れ上がっていた。 もちろんその間、リーは幾度となくポストオフィスに連絡を入れ、コンピューターの不具合を訴えた。
だが…「ホライゾンにバグが起こることは絶対にありえませんから、とにかくすぐにその金額を本社に納めてください」というのだ! しかし、郵便局を開いて間もない彼にそんな蓄えはなく、立て替えることもできない。
すると、なんとポストオフィスの調査員が店に乗り込んできて、突然営業停止の処分を課されてしまったというのだ。 こうして、リーは訳もわからず、郵便局長としての職を失ってしまったのだという。

そしてメールには、その後支払いをめぐり裁判でも争ったが敗訴したこと、最終的に破産して全てを失ったことが書かれていた。 確かにもしこれが全て事実なら、とんでもないことである。 だが、そもそもポストオフィスは国営企業であり、彼らの採用する「ホライゾン」も大企業が莫大な予算をかけて開発した最新のシステム。 リーのコンピューターにだけ不具合が起こることも考えづらい。 客観的に見れば、確かにこの件は、リーが現金を抜き取ったと考えるのが自然だった。
しかし、コンピューターウィークリーの記者であるカールとレベッカは、このことを調べることにした。

彼らはまず、メールの差出人であるリー本人に会いに行くと、どうしても確認したかった2つの事柄について質問した。
その1つが…「ホライズンにバグやエラーは絶対に起こり得ない」と確かに言われたのかということ。
ホライゾンほど大掛かりなシステムの担当者が調査もせず、エラーが起こり得ないと主張することは、通常考えられないこと。

そしてもう1つ、彼らが何よりも気になっていたのが…ポストオフィス側に「リー以外に不具合を訴えた者はいなかった」と言われたのは本当かということ。 実はコンピューターウィークリーには過去にアラン・ベイツという人物からもほとんど同じ内容の訴えが寄せられていたのだ!
その時は、一件だけの訴えということもあり、調査するという判断にはならなかった。 しかし今回で2通目。 疑惑を深めたレベッカは、SNSなどを使って、他にも同じようにホライゾンで問題が起きた人がいないか調べてみた。 すると…全く同じトラブルを抱えている人が他に5人も見つかったのだ! そう、これこそが彼らが動き出した理由だった。

システムの故障に関しては、具体的な証拠を手に入れるのは難しい。 だが、リーが「こんな問い合わせはあなただけ」と言われたのだとすると、それは明確な嘘になる。 つまり、もしそれが事実なら、ポストオフィスは意図的に何かを隠している可能性がある。

後日、ことの真偽を確かめるために、直接、ポストオフィスへの取材を行った。
レベッカは担当者にリーからの訴えを受けて電話をかけていることを告げると、こう問いかけた。
「こういったトラブルは他でも起こっているんでしょうか?」
すると、担当者はリー以外からの問い合わせを否定。 つまり…ポストオフィス側は嘘をついている

こうして疑惑を深めた彼らは、SNSなどで見つけた他の被害者たちにも会いにった。 すると、トラブルになっている人の中には、逆にポストオフィス側から訴訟を起こされ、犯罪者として刑務所に収監されていた人までいたことも発覚。 多くの人の人生が、ポストオフィスとのトラブルでめちゃくちゃにされていたことがわかった。

そして取材を始めてから2カ月後、ついにポストオフィスの疑惑を追求する原稿が完成した。 ところが…直前で会社の法務部門からストップがかかってしまったのだ!
ホライゾンのどこにどんな不具合があるのか具体的に証明できない以上、逆に訴えられる可能性があるからだ。 コンピュータ―ウィークリーは、当時、社員20名程度の会社。 訴訟となればダメージは計り知れない。

確かに法務担当者のいうことももっともだった。 しかし、彼らは決して諦めなかった。 その後、何度も法務担当者に掛け合い、記事を出し、世に問うべきだと訴えた。

彼らの熱意に押され、記事を出す許可がおりた。 彼らは出来上がった原稿の表現から、訴訟のリスクを可能な限り下げるために、弁護士を交えて、幾度も修正を繰り返した。 そして、最初に原稿を書き上げてから、実に1年の月日が流れた2009年5月、コンピューターウィークリーの誌面に記事は掲載された。 緻密な取材に基づき、郵便局長たちに起こった理不尽を綴った渾身の記事だった。

ところが…
カール「正直、期待したような反応はありませんでした。大手新聞やテレビが後を追ってくれることもなく、ポストオフィス側からも黙殺されました」
もともと読者数がさほど多くないコンピューター雑誌。 しかも掲載したのは社会問題を扱う、専門外の記事。 追随する大手メディアは、どこもなかったのである。

そんな時だった。 記事を読んだという、新たな被害者から連絡が入った。 そしてその数は、最終的になんと数十人にも及んだのだ!
カールらはそのことを、かつてリーよりも先にメールを送ってきていたアランベ・イツに報告。 すると…アランは被害者団体を作ることにしたのだ。

こうして記事の発表から4カ月後、アランを中心に、被害者団体「正義の郵便局長同盟」が結成された。
彼らは時間をかけ、政治家やマスコミに働きかけるなど、地道な草の根活動を展開。 やがて沈黙を貫いてきたポストオフィスも、ついに行動を起こさざるを得ない状況に追い込まれた。 そして2012年、当時のポストオフィスのCEOはホライゾンについての調査を行う第三者委員会を設立すると発表。

いよいよ、ホライゾンに直接の調査が入る。 だが、調査会社を指名したのはポストオフィスだったため、自分たちに都合の良い結果を発表する可能性が高かった。 さらに、この時はまだ事件が大きく報道されておらず、世間のほとんどは、こんな事態が起こっているという事実すら知らなかったのだ。
そして、翌年7月、第三者委員会による第一回中間報告が発表された。 するとそこには、全く予想しなかったことが書かれていた。 なんと中間報告書には、ポストオフィス側の疑惑を深めるような内容が記述されていたというのである。

一体どういうことなのか? 今回我々は、第三者委員会に指名され、実際に報告書を作成したロン・ワーミントン氏に話を聞くことができた。
「実は当時のポストオフィスの上層部にも真実を知りたいと願う人がいたんです。だから私はこの依頼を受けることにしたんです」

調査を開始したロンはまず、被害を受けたと語る郵便局長、コンピューターウィークリーにメールを送ってきた、リーに会いに行ったのだが…そこは家ではなく、車中生活している車の置き場所だった。
横領の疑惑を晴らし、もう一度 幸せな生活を送りたい…そのために低賃金で働きながら抗議活動を行っていると語ったリーの姿にロンは感銘を受けた。

ロンはポストオフィスから提供された膨大な資料と向き合い続けた。 さらに…システムを開発した通信機器会社の担当者からも、やはりバグは存在するという情報も得た。
こうしてロンは、第一回中間報告書を公開。 それは、ポストオフィス側のシステムエラーはあり得ないという、これまでの主張を真っ向から覆す、辛辣な内容だった。

それを受け、ついにポストオフィスは、被害者団体との話し合いの場を持つことに合意した。 ところが、そんな最中…被害者団体の一人が自ら命をたち亡くなってしまったのだ! 実は被害者の中には、突然人生を破壊され、精神を病んでしまった人も多くいた。

そんな時、ポストオフィス側の理解者だと思われていた女性が突然の退社。
さらに…なんとポストオフィスは、ロンの調査によりバグの存在自体は認めざるを得ないと思ったのか、方針を転換。 バグ自体の存在は認めた上で今回の事件とは全く関係ないと言い出したのだ。

さらに、彼らは自分たちが依頼主であるにも関わらず、調査の妨害まで始めてきたのだ。
そしてその妨害は、コンピューターウィークリーのカールにまで及んだという。 ポストオフィスの弁護士からこれ以上彼らにマイナスな記事を書けば、法的手段に訴えるという脅しのメールが届いたという。 だが、ロンもカールもそのことで怯むことは全くなかった。

ロンは被害者団体代表のアランなどと連携しながら、外部からの調査を継続。 その過程で、現職の郵便局長の協力を得ることに成功。 実際にホライゾンを使って、電源が落ち、強制的に再起動することになった時など、それまでの調査でバグが起こる可能性があると言われてきた環境下で実験を行った。
その結果…実際に数字が変わる瞬間もこの目で確認した。 バグ自体はこの時点でポストオフィス側も認めていたため、これが決定打になることはなかったが…被害者たちにも同様の現象が起こった可能性は否定できないことが立証されたのだ。

またコンピューターウィークリーのカールも脅しに屈することなく、追求記事を繰り返し発表。 その数はなんと300を超えた。
とはいえ世間は、難しいシステムの問題とあまり関心は示さず、これにより世論が大きく動くことはなかったが…それでもポストオフィスは少しずつ、そして確実に追い込まれていった。

そして、調査開始から3年後の2015年、ロンは第二回報告書を発表。 そこには、システムに問題があっただけでなく、ポストオフィスがそのことを当初から認識し、それを隠蔽するために、無実とわかっていながら、郵便局長たちを起訴していた疑いがあるということにまで踏み込んだ内容が記載されていた。
ところが…ポストオフィス側はすぐにロンの報告書よりも多い分量の反論文を出したのだ。 さらにその2ヶ月後、彼らは報告書がデタラメとして、ついにロンを解雇してしまったのだ。 こうして真相解明に向けたキーマンを失ってしまった被害者たち。 だが…事件はまだ終わっていなかった。

ロンが解雇された直後、イギリス国営放送BBCである番組が放送された。 それは、今回の問題を取り上げた報道番組の一つで、決して多くの人が見ていた番組ではなかったのだが…その中で1人の男性がインタビューに応じていた。 実は彼…かつてロンに、「ホライゾン」のシステムにバグが存在していたことを教えてくれた元開発担当者だった。
それはまさに、衝撃的な内部告発だった。 ついにホライゾン側から表立ってポストオフィスが嘘をついていると公言する人物が現れたのだ!

そして、この告白を受けて、何よりも勇気をもらったのが、アラン率いる、被害者団体だった。 アランは被害者団体のメンバーに集団訴訟を起こそうと提案。
集団訴訟とは一つの事件で、利害関係を共通にする複数の人間が同時に原告側となって起こす裁判のこと。 しかし、集団訴訟には莫大な費用と時間がかかる。 もし勝ったとしてもそれら全てが帰っては来ないかもしれない…それでも真実を明らかにしようと、仲間に呼びかけた。

こうしてアラン・ベイツ氏を代表とする被害者団体は、「ポストオフィス」を相手取り、現金の不足分を弁償させられたり、横領の罪で警察に告発され、逮捕・投獄されたりしたことなどへの損害賠償請求を起こすことを発表。 公判は2018年に開始され、ポストオフィス側は争う姿勢を崩さなかったものの、ロンの調査結果などもあり、裁判は被害者団体が優勢のまま進んだ。

そして訴訟開始からおよそ1年後の2019年、ポストオフィスは、ついに「ホライゾン」の不具合と被害者たちとの関連性を一部認め、被害者団体に83億円を支払うという和解案を受け入れたのである。
ロン「裁判の途中、判事はポストオフィスに対して、ここまでの証拠があるのにまだ抵抗するのは、21世紀に地球が平らであると主張しているようなものだと言っていました。それで彼らはようやく諦めたんだと思います」

だが、最終的に和解で決着したこともあり、ポストオフィス側にも通信機器会社側にもこの件で責任を問われた人物は一人もいなかった。 また名誉を取りもどした被害者も、人生そのものが救われたわけではなかった。 彼らは集団訴訟にかかる莫大な費用をアメリカの投資家に負担してもらっていたため、和解金83億円の大半は投資家の手に渡り、職を失い、家を失った彼らが経済的に救われることはほとんどなかった。

しかし今年1月、そんな彼らの現状を知ったイギリスの民放テレビ局が、一連の顛末をドラマとして制作。 すると彼らが未だに救われていないこと、そして、ポストオフィス側にも通信機器会社側にも責任を問われた人間が一人もいないことなどが明るみになったこともあり、イギリスの世論が爆発。 そこから飛び火し、世界中に知られることとなった。 もちろん、日本でもニュースで報道された。

現在、この問題は公聴会が開かれるなど調査が続いており、被害者の数が数千人規模にまでのぼること、未だ有罪判決が取り消されていない人もいることなども明らかとなった。 ここにきて、ようやく全面解決へ向けた取り組みが進められている。
カール「正直ずっと追いかけていた身としてはこの状況に驚いています。ただ、これで私が長年1番の疑問に思っていた、ポストオフィスがシステムエラーの責任をなぜ通信機器会社ではなく、郵便局長たちに押し付けたのか、その理由がわかるかも知れないので、その点には大いに期待しています」