先月25日、驚きのニュースが世間を騒然とさせた。
1974年から75年にかけ、相次いで起こった、連続企業爆破事件。
8つの企業が狙われ、計12件もの爆破及び爆破未遂が発生した。
そして、神奈川県鎌倉市の病院に、胃癌で入院していた男が…この一連の事件で指名手配されている、『桐島聡』だと名乗り出たのである。
男はその後の事情聴取で『偽名を使い、神奈川県の工務店で住み込みで働いていた』と語った。
さらに、近所のバーの常連客にもなっており、『内田洋』という偽名を使っていた事から、『うっちー』の愛称で呼ばれ、慕われていたという。
男は警察に対し、いくつかの爆破事件については犯行を仄めかしたものの、手配容疑である韓国産業経済研究所爆破事件への関与は否定。
警察は男が本当に桐島本人なのかどうか、確認を急いだ。
しかし…名乗り出てから4日後、男は息を引き取った。
その後、桐島の親族とのDNA鑑定で「矛盾なし」との結果が出たことで、男が桐島本人である可能性は高まった。
しかし、あなたはご存知だろうか?
桐島が関わったとされる連続企業爆破事件とは、一体どんな事件だったのか?
そして、この世紀の大事件の背後に、日本の治安を守るべく戦った捜査員たちの存在があったことを。
それこそが…昨年ドラマでも話題となった、公安警察だ。
これは、公安警察が日本最恐の爆破テロ事件を起こした、犯行グループに立ち向かった事件録である。
事件の始まりは、次のようなものだった。
多くの人が昼休憩で外に出ている最中…紙袋に包まれた円筒型のペール缶2つがビルの出入り口に置かれた。
そのおよそ12分後、三菱重工本社に若い男性の声で電話が…
「三菱重工ビル前の歩道上に、2つの時限爆弾を仕掛けた。付近の者を至急避難させよ。これはイタズラ電話では絶対にない。」
電話を受けた女性社員は、急いで上司の元へ向かった。
電話から8分後の午後0時45分、爆発!
その爆風で周辺のビルのガラス窓、およそ4000枚が一斉に吹き飛んだ。
昼休みの時間帯、外には多くの人がいたこともあり、爆弾のみならず、降り注いだガラスによる被害も発生。
結果、8名が死亡、376名が重軽傷を負った。
これを受け、警視庁は直ちに丸の内署に捜査本部を設置。
そして事件から一カ月後、犯行声明文が送られてきた。
そこには…三菱重工は防衛産業を手掛け、世界に進出し、経済的にアジアを侵略していると、テロのターゲットにした理由が記されていた。
そして、その送り主は…東アジア反日武装戦線『狼』。
以降、立て続けに、海外と取引のある企業を狙った爆破事件が発生。
それぞれ、送られてきた犯行声明文にあった名は…
2件目の事件では『大地の牙』。
3件目は『狼』、4件目は『大地の牙』、5件目は『さそり』。
いずれにも『東アジア反日武装戦線』という名称も記されていた。
このことから…実行犯は『狼』『大地の牙』『さそり』という、3つのグループに分かれているものと思われた。
そして後に、桐島聡がこの中の一つの組織のメンバーであったことが判明する。
捜査は刑事部と公安部が中心になって行われた。
実はこの二つの部署、明らかに捜査方法が異なっている。
刑事部は、事件が発生した後、寄せられた情報や発生現場付近の聞き込みなどを元に、容疑者を割り出していく。
一方、公安部は、新たな事件を起こすのを未然に防ぐのが大きな役割。
そのため、彼らは過去に過激な犯行を行ってきた組織の実態を日頃から捜査、その動向を探ることにより、新たな事件が起きないようにする。
1960年代、社会への不満や戦争反対を訴える学生運動が活発に行われた。
それが70年代に入ると、徐々に変化。
武力闘争を厭わず、過激な方法で自らの理想を実現しようとする新左翼組織が次々に誕生。
公安がターゲットとするのは、こういった危険な組織だ。
さらにこの刑事部と公安部は、拠点となる場所も全く異なる。 刑事部の捜査本部が丸の内署内に置かれる一方、公安部の捜査員が向かった先は…かつて警察学校として使用されていた、古ぼけた建物。 三菱重工ビル爆破事件の直後、ここに公安部の捜査本部が置かれることとなった。 外部への情報漏れを防ぐため、刑事部の人間ですら、立ち入ることはできない。 それどころか場所も知らせないという。
三菱重工の爆破で使用されたペール缶は、100個足らずしか製造されいないものだった。
さらに、東京の北区にある金物店でしか販売されていないものだったことが判明。
その店の付近に犯人が潜んでいる可能性があった。
公安部にとって、3つのグループはおろか『東アジア反日武装戦線』という名も初めて聞くものだった。
しかし彼らはほどなく、『狼』『大地の牙』『さそり』、3つのグループを結びつける一つの可能性に辿り着く。
この事件に関して、詳細に書き綴った書籍『狼の牙を折れ』。
その著者である、ジャーナリストの門田隆将氏が、今回我々にある貴重な資料を見せてくれた。
門田さん「これ事件のきっかけになった物なんですけど、『腹腹時計』と言って、爆弾の製造方法を事細かく…これで爆弾が出来てしまうという『腹腹時計』。神田あたりの左翼出版社にボンっと置かれたわけです。」
『腹腹時計(はらはらとけい)』という教本。
書かれていたのは、爆弾の製造方法、さらに過激派としてのこんな心得まで…
「表面上は、極く普通の生活人であることに徹すること。」
「近所付き合いは、浅く、狭くが原則である。最低限、隣人との挨拶は不可欠である。」
「居住地、職場とも共通なことは、極端な秘密主義、閉鎖主義に陥らぬことと、左翼的粋がりを一切捨て去るということである。」
本が発行されたのは、三菱重工ビル爆破事件の5ヶ月前。
その発行元は…東アジア反日武装戦線『狼』。
最初の爆破事件を起こしたのは、『腹腹時計』を発行した『狼』だった。
その後、同じく『東アジア反日武装戦線』を名乗り、『大地の牙』と『さそり』が犯行に続いた。
公安部は、『腹腹時計』を読んだ『大地の牙』と『さそり』が『狼』に賛同し、犯行に出た可能性が高いと考え、まずはこの3グループのメンバーを探ることから始めた。
そこで捜査員はまず、唯一の手掛かり『腹腹時計』を徹底的に読み込んだ。
すると、彼らの根底にある思想が見えてきた。
日本の労働者は、すでに革命へのエネルギーを失っている。
アイヌ民族や在日朝鮮人、日雇い労働者といった、少数の差別されている人々こそが、唯一この国で闘っている者たちであり、革命の主体となる。
そこで彼らは、そんな虐げられている者を生み出す日本社会、その代表こそが大手企業であると見て狙い、海外との取引を行う企業もまた、東南アジアなどで現地住民から不当な搾取を行っているとして、狙ったのではないか?
さらに…気になる一文を見つけた。
『狼は、現在いくつかの爆弾事件によって、治安警察から「追求」されているが、致命的な捜査資料は残していない。そして、次の「事件」の準備を着々と進めている。』
この本が発行されたのは三菱重工の事件よりも前、つまり…彼らはもっと以前から爆破事件を起こしているということになる。
こうして公安部は、過去に全国で発生したすべての爆破事件を洗い出した。
その結果、ある重大な事実が浮かび上がる。
この2年前、北海道の札幌と旭川で、同時刻に2件の爆破事件が発生していた。
爆破があった日は、アイヌの英雄が騙し討ちされたと言われている日だった。
つまり、アイヌが受けている差別に対する抗議の犯行だった。
しかしこの時、犯行声明はなかった。
この事件に関して、旅館の女将から情報提供があった。
北海道で同時爆破事件が起きる数日前、アイヌの調査をしているという二人の若者が宿泊した。
荷物を運ぼうとした時に、「勝手に触るな!」とすごい剣幕で怒ったという。
その怒り方があまりにも激しかったので、女将もはっきりと記憶していた。
宿帳に書かれた住所や名前はすべて架空のものだった。
その二人の人相は…どちらも20代で痩せ型、1人は黒縁メガネ、もう1人は銀縁のメガネをかけていたという。
公安部が組織の情報を得るため、最も活用するもの。
それは、“協力者” である。
組織の内部、あるいは周辺に息のかかった内通者を作り、そこから情報収集を行うのだ。
協力者によると『腹腹時計』の思想や文体が『東京行動戦線』に似ているという。
『東京行動戦線』とは、およそ10年前、アメリカ大使館を爆破しようとして逮捕された組織だった。
その『東京行動戦線』の残党がレボルト社という出版社を設立して、活動を継続しているという。
そして、怪しい2人の男のうち、1人の正体が割れた。
佐々木規夫、26歳。本籍は北海道小樽市。
兄がレボルト社に関わっており、佐々木もよく出入りしていた。
現時点では、佐々木が事件に関わっているかどうかは不明。
しかし、公安部はこの男を集中的に調べ上げる方針を打ち出した。
すると、佐々木の現在の住所が東京都北区だと判明。
一件目の『三菱重工ビル爆破事件』では、時限爆弾は、ペール缶というものに入っていた。
それは、東京都北区にある一店の金物店でしか販売されていないものだった。
公安はまず、本人がいない隙を見計らい、本当にその住所に佐々木が住んでいるかを確認する事に。
すると、部屋の前に荷物が置かれていた。
その荷物の送り元を見てみると…北海道の小樽から佐々木本人が送ったものだった。
こうして佐々木の行動確認、公安用語で『行確』が開始された。
その担当となったのが…若者が着るような出立ち、さらに…パーマをかけ、肩まで伸ばした髪がトレードマークの古川原一彦巡査部長。
書籍『狼の牙を折れ』の中で、当時の上司が古川原の第一印象を語っている。
「そこらへんで缶カラを蹴っ飛ばして歩いている、若いお兄ちゃんのように見えました。正直、こいつらで大丈夫なんだろうか、と思いましたね。」
佐々木は、台東区にある倉庫会社に勤務。 午後5時に仕事を終えると、真っ直ぐアパートに帰宅。 10日経っても、誰とも接触することはなく、ただ、自宅と勤務先を往復する毎日だった。
だが、ある土曜日についに佐々木が動き出した。
佐々木は自身が住む北区から電車に乗り、荒川区へと向かった。
佐々木が訪ねた部屋に住んでいたのは、片岡利明、27歳。
仕事は、一般的なサラリーマンだった。
こうして、佐々木と共に片岡の行確も開始された。
そして5件目の爆破事件から約2ヶ月後のこと。
休日だったこの日、佐々木が向かったのは…公園。
佐々木は誰かと会っていた。
この日、佐々木と会っていたのは、大道寺将司、26歳。
普段は出版社に勤める会社員だった。
その大道寺と共に荒川区のアパートに住んでいるのが妻のあや子、薬剤師として薬品会社に勤めている。
つまり…爆弾製造に使用する薬品を入手しやすい。
こうしてその後も…佐々木規夫、片岡利明、大道寺将司、大道寺あや子の行動確認が毎日行われた。
しかし、犯行に関わっていたという証拠を掴む事が出来ずにいた。
事態が動いたのは4人の行動確認が始まって、およそ2週間後のことだった。
東京、信濃町付近で佐々木と大道寺夫妻が落ち合ったのだ。
3人はそのまま港区青山の神宮外苑を歩く。
しかし、『点検』が厳しく、尾行は困難を極めた。
『点検』とは、対象者が周囲を気にして、非常に警戒する行為のことである。
こうして、この日の行動確認はここで中止。
だが、その1時間後…再び、爆破事件が発生!
狙われたのは、大手建設会社『間組』本社ビル。
本社ビルがある北青山は、佐々木と大道寺夫妻が歩いていた場所から、1キロも離れていなかった。
その1カ月後、佐々木は新たなアパートに引越し。
古川原たちも、その近くに、張り込みに丁度良いアパートを見つけた。
しかし、すでに住人がいたため、大家に相談することに。
無論、公安部であること、連続爆破事件の捜査であることは伏せる。
すると、その部屋に住んでいたのは若い学生で家賃を滞納していることがわかった。
大家からその学生の父親の連絡先を聞き出し、父親と接触。
父親から息子がよくいる場所を聞き出すと…本人と接触。
滞納している家賃を立て替える代わりに張り込みに最適な部屋を譲ってもらうことに成功した。
すると…佐々木の部屋からお経が聞こえてきた。
不気味に響く、佐々木の読経。
実はこの読経が…事件と大きく関わっていることが、後に判明する。
佐々木の捜査が着々と進められる中…公園で佐々木と接触していた大道寺将司の動きにも異変が。 大道寺は、喫茶店で二人の男と落ち合っていた。 しかし一言も発することはなく、その代わりに…筆談していた。 捜査員は大道寺と別れた後、帰宅する2人の男の後を追った。
その後、2人の身元が判明。
一人は黒川芳正。
もう一人は…女将の証言から北海道で佐々木と一緒に宿泊した、斎藤和という男であることが明らかとなった。
さらに斎藤は25歳の女性と同棲中であり、彼女も犯行に関わっている可能性が高かった。
この7人のつながりがどのようなものなのかはわからない…しかし、現時点で犯人の可能性があるのはこの7人のみ。
公安部はこの7人の行確を徹底的に続けた。
しかし7人は警戒心が強く、夜にあえてゴミを出し、翌朝、点検。
夜間に警察が回収などしていないかチェックすることで、捜査の手が自分たちに及んでいないかを確認するほどだった。
公安部はその隙をついて、捜査を行なう。
彼らが出しているゴミの中身は紙屑ばかりだった。
だが、そんな努力も虚しく…再び事件は起こった。
今度は銀座のビル5階にあった、『韓国産業経済研究所』という場所が標的となった。
しかし、この爆破が事件解決の突破口となる。
鍵となったのは…この紙屑。
銀座にある『韓国産業経済研究所』のビルが爆破された日の夜、公安課長は刑事部が拠点を置く、丸の内署内の捜査本部本部に立ち寄った。 そこで刑事部長から、被害に遭った会社の郵便受けにあった犯行声明文を見せてもらった。 それは、墨を塗ったような黒い封筒。
その後、公安課長は公安の捜査本部へ戻り、刑事部で聞いた情報を伝えると…斎藤が捨てたゴミ袋の中に黒い紙があったと報告を受けた。
その後の鑑定結果で、犯行声明文が入った封筒と斎藤が捨てたゴミ袋の中から出てきた黒い紙屑は…紙が同じで、同一の黒い塗料を使用し、しかも同じ時期に着色したものと判明した。
そして、一件目の三菱重工ビル爆破事件から、およそ9ヵ月後の1975年5月19日。
ついに、佐々木規夫を逮捕。
さらに…大道寺将司、その妻・あや子、片岡利明、斎藤和、斎藤と同棲していた女性、黒川芳正、この7人を同時に逮捕。
まさに、公安部の執念が実った瞬間だった。
佐々木は逮捕された際、抵抗する事なく、警察に求められるがまま、カバンを差し出した。
カバンの中から出てきたは…青酸カリが入ったカプセル。
佐々木は警察に捕まるくらいなら、死を選ぼうとしていた。
実は佐々木だけではなく、他の6人もこの青酸カリ入りのカプセルを所持。
その中でただ一人、逮捕の直前に飲んでいた者がいた。
斎藤和…彼は取調べの最中、逮捕直前に飲んでいた青酸カリが原因で死亡した。
その後、公安は佐々木の居住先を徹底的に調べた。
そして驚くべき光景を目の当たりにする。
ごく普通の6畳一間の部屋。
だが、その下に…深さ1.4メートル、縦・横がおよそ1.6メートルという謎の空間が…中には長机まで置かれていた。
実はこれ、畳を剥がし、佐々木が少しずつ地面を掘り、完成させたもの。
なぜ佐々木は自分の部屋の地下に、大きな穴を掘ったのか?
その目的は…爆弾の製造。
そう、佐々木はこの地下に掘った空間を、爆弾を製造する工場にしていたのだ!
あの時、部屋から聞こえてきていたお経は、地面を掘る音を誤魔化すためのもの。
自分が読んだお経を録音し、流していた。
彼らが出版した『腹腹時計』に書かれていた一文…
「表面上は、極く普通の生活人であることに徹すること。」
この心得の通り、佐々木は勤勉な会社員を装いながら、夜な夜な、自宅の地下に設けた空間で、爆弾を作り続けていたのである。
そして、後の取り調べで、7人全員が『狼』『大地の牙』『さそり』、3つのグループのいずれかに所属していたことが判明。
そして黒川の自宅を家宅捜索した結果、桐島聡が『さそり』のメンバーだったことも明らかとなった。
また一連の爆破事件は、公安の見立て通り、『狼』が発行した『腹腹時計』に『大地の牙』『さそり』が共鳴し、行なわれた犯行だった。
しかし、唯一死者が出た一件目の爆破事件は、彼らにも想定外だったという。
爆弾の威力があれほど大きいとは思わず、死者を出すつもりは全くなかったと語った。
この時、逮捕されなかった桐島は逃亡を続け、警察はその行方を掴む事が出来ずにいた。
さらに、逮捕されたはずの佐々木規夫・大道寺あや子も…今現在、指名手配されている。
実は、逮捕の3カ月後。
マレーシア・クアラルンプールで、日本赤軍による大使館占拠事件が発生。
彼らは人質解放の条件として、日本に勾留中の活動家、7名の釈放を要求。
日本政府は超法規的措置により、人命には代えられないと判断。
犯行グループの要求を飲み、釈放へと踏み切った。
その中に…日本赤軍とは関わりのないものの、武力で日本を変えるという思想を持つ、佐々木規夫が含まれていた。
1977年9月、再び日本赤軍によるハイジャック事件が発生。
この犯行グループの中に…佐々木規夫もいた。
そして彼らは、大道寺あや子や…斎藤と同棲していた女性など、勾留中の活動家の釈放を要求。
実現されるやいなや、彼らは海外へと逃亡した。
だが、斎藤と同棲していた女性だけは、潜伏先で身柄を拘束、逮捕された。
現在は刑期を終え、出所している。
大道寺将司は死刑が確定。
しかし今から7年前、東京拘置所で病死した。
片岡利明と黒川芳正には、それぞれ死刑と無期懲役の刑が下され、ともに現在も収監中である。
日本中を震撼させた連続企業爆破事件。
そして、その引き金とも言える教本『腹腹時計』。
そこには、このような一文が書かれている。
「左翼活動家であると思い込んでいる自分、又は他人より、そう思われている自分を、生活形態などを変えていくことに依って消していくこと。」
ジャーナリストの門田氏はこう話す。
「この『腹腹時計』を始め、彼らの闘争の教本には、とにかく目立つ事はするなと(書いてある)。桐島自身もそうだったわけだけど、それを思うと、本当に普段接している人が、佐々木規夫だったり、大道寺あや子だったりする可能性はかなりあるので。佐々木規夫は1998年に、日本にいた事が確認されていますので。古川原刑事が言っていましたけど、『俺は佐々木規夫と新宿の雑踏ですれ違っても、絶対に分かる。絶対に逮捕する』と。『なぜ年月が経っても分かるんですか?』と聞いたら『10年・20年・30年年月が経っても、目は変わらない』と。だから、退職してからも、ずっとやっていると言っていましたよ。古川原刑事、今は亡くなりましたけど、その執念が届く事を私は願っていますけどね。」
もしかしたら、現在逃亡中の佐々木規夫・大道寺あや子も、あなたのすぐ近くでひっそり暮らしているかもしれない。 そして、この国に不満を持つ新たな人間が、密かに活動しているかもしれない…今、この瞬間も。