11月22日 オンエア
天才バスケ少年 絶望から「奇跡」までの3年間
 
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山梨県で生まれた田中正幸君。
小学校からバスケットボールを始め、中学時代には、チームの要として数々の大会で優勝。 県選抜チームのエースとして活躍するなど、将来を嘱望されたスター選手だった。
中学卒業後は、山梨県内のバスケ名門校「日川高校」へ推薦で進学することに。 入学前の春休みから、部活に参加していた。

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ところが、入学式の3日前のこと、悲劇は突然訪れた。 突然倒れ、意識不明に。 病院に運ばれ緊急手術が行われた。
診断の結果、脳の血管が破裂し、脳内出血を起こしていたことが判明。 実は彼には脳動静脈奇形という脳の血管が破れやすい先天性の疾患があった。 だが、彼も彼の家族もそのことを知らず、医師からは、このまま目を覚まさず、植物状態になる可能性もあると告げられたという。

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そんな中、手術から11日後、正幸君は奇跡的に意識を取り戻した。
だが、右の手足の感覚は全くなく、医師からは…
「今後、歩行は困難だと思ってください。バスケはもう、無理でしょう」
と宣告された。

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リハビリは想像以上に過酷だった。 麻痺した右半身はもちろん、寝たきりだった筋肉への刺激は激痛が伴った。 だが元来、努力家の正幸君は、歯を食いしばって、前に進んだ。
その甲斐もあり、発病から4ヶ月後、松葉杖で歩けるまでに回復。 外出許可も下りた。

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そんな彼がまず向かったのは、日川高校バスケ部が練習する体育館だった。
久しぶりに五感で感じたバスケは、正幸君のリハビリを一段と後押しした。 車いす生活でも不思議ではないと言われた、右半身不随の体が…左右の足を交互に踏み出し、歩けるまでに回復。

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発症から1年、正幸君は日川高校に復学。 留年する形となり、1つ年下の生徒たちと同級生になった。
だが、依然として右半身には麻痺が残っており、左手でノートを取るしかなかった。 そんな中、中学時代一つ下の後輩だったバスケ部員、桑原くんが正幸君のサポートをしてくれたという。

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こうして正幸君はバスケ部に戻った。 しかし、当然チームメートと同じメニューで練習はできない。
それでも積極的に自分のできることを探した。 誰よりも声を出し、雰囲気を盛り上げ、チームのために、データ分析やビデオ撮影なども担当、裏方に徹した。

古田監督はこう話してくれた。
「他の1年生がやること、練習の中で下級生がやることを一緒にやったりとか、マネージャーがやることを様子を見ながら、自分がやったりとか」

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そして、自分が持っている技術の全てを仲間達に教えた。
そして2年が経ち、3年生にとって、最後の公式戦、6月のインターハイ予選まで1か月に迫った頃。 チームメイトたちは、こう言い出した。
「最後の大会くらい、正幸君と一緒にコートに立ちたい」

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実は、チームメイトたちは知っていた。 正幸君が、唯一動かせる左手で、毎日シュートの練習をしていたことを。
邪魔にならないよう、使っていない脇のリングで、来る日も来る日も、身を粉にしながらチームをサポートし、例え試合に出られなくとも、片隅でシュートを放ち続ける彼の姿は、チームメイトの目に焼きついていた。

そして、その想いは監督も一緒だった。
古田監督「不安はたくさんありました。接触のあるスポーツなので、脳出血を起こしたところにまた何か起きるじゃないかとか、確かにそういう不安はあったんですけど、そのことよりも、今までの頑張りに最後、僕ができることは何かなって考えたら、ユニホームを着せてベンチに入れることでしかないのかなと思ったので」

だが、一つ大きなハードルがあった。 今度の試合はインターハイ出場を懸けた県予選。 一度でも負ければ、その瞬間に3年生は引退となる。 しかも、例年以上に強豪ぞろいで、この年の日川高校はよくてベスト4、インターハイ出場は危ういと予想されていた。
そのため正幸君を試合に出すためには30点以上の大差がついた時と決められた。 右半身にマヒが残っている正幸君は、守備や、パス交換などに参加することは厳しいからだ。

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そして、考え出されたのが「正幸フォーメーション」
まず画面向かって左側の3人が囮となり、敵を引きつけ、右側にスペースを空ける。 そして桑原君がドリブルで一人かわしてゴールへ迫り…ディフェンスを引き付けたところで、正幸君にパスを出し、シュートを打たせるというものだった。
桑原君「一人抜くことが辛いというよりも、やっぱパスをする時に手渡しじゃないと。強いパスは取れないと分かっていたので、そのどれだけ優しく取りやすいパスを出させるかが、やっぱ僕の中ではそっちの方が不安が大きかったです」

そしてついに…インターハイ出場を懸けた第1試合が始まった。
3年生にとっては、最後の夏。 正幸君はユニフォームを身にまとい、ベンチから大声で仲間に檄を飛ばした。
どんな強豪校でも初戦は緊張しがちだが、この日の日川高校は、絶対に正幸君を試合に出すという目標のもと懸命に闘った。

そして試合時間残り3分半。 目標の30点差に達したところで、ついに監督からゴーサインが出た。
ベンチでは古田監督からフォーメーションの再確認がされた。 キーマンは、クラスメートでもある桑原君だ。
チーム全員で円陣を組む日川高校。 正幸君のために、チームは一つになっていた。

こうして、いよいよ正幸君がコートに。 5人はこの日のために用意したフォーメーションを実践する。
3人が画面手前側で囮になり、画面奥にスペースを作る。 桑原君にパスが通った。
そして桑原君から正幸君にボールが渡り、左手一本から放たれたシュートは、リングの中に吸い込まれた!
そしてこのプレーを誰よりも喜んでいたのは、他ならぬ、チームメートたちだった。

古田監督「世の中に神様がいるかどうかは分からないんですけれども、あいつの3年間の頑張りが…たった1本のシュートだけだったんですけど、少し報われたかなって」
正幸君もこみ上げる想いが溢れ出し、泣き崩れた。 それはチームメートに初めて見せた。涙だった。

このシュートは、確実に日川高校に勢いを与えた。
正幸君を試合に出すため一つになったチームは、その後も快進撃を続け、ベスト4止まりと言われた前評判にもかかわらず、並み居る強豪を倒し、県大会優勝。 何とインターハイ出場を果たしたのだ!

あれから13年、32歳になった正幸さんは現在、都内の会社に勤務し、忙しい日々を送っている。
正幸さん「(あのシュートは)自分だけがシュートを決めたのではなくて、チームメイトが家族が病院スタッフが支えてくれたからこそ決まったんじゃないのかな。やっぱり努力の積み重ねが大切なのかなと思います」