9月7日 オンエア
致死率100%の難病に侵された少年
 
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その少年は致死率100%と言われた難病に冒されていた。
「赤血球(血液)を持続的に出る分、そのまま入れてあげないと亡くなってしまうので、発症したらほぼ亡くなるという状況の病気だったんですね。」

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今から22年前、そんな過酷な病であるとの宣告を受けたのは…兵庫県神戸市で生まれた市川裕太くん。
小さい頃から明るい性格で、友達も多く、学校に行くことが 何よりも大好きな少年だった。

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しかし、小学3年生になってまもなく…学校で行った尿検査で…要精密検査になった。
その結果…ネフローゼ症候群と診断された。
ネフローゼ症候群とは…尿にタンパクがたくさん漏れ出すために、血液中のタンパクが減り、その結果、体にむくみが起こる原因不明の病。

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ステロイドを使用した治療のため1ヶ月入院することになった。 裕太くんは…大好きな学校を奪われ、泣きじゃくるほどショックを受けていたという。
さらに1ヶ月後、さらに過酷な現実を突きつけられる。 ステロイドが全く効かなかったのだ。 この時裕太くんが冒されていたのは、ステロイドが効かない「難治性ネフローゼ症候群」だった。 根本的な治療法はない上に、いずれ腎臓移植が必要になる難病だった。

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そのため長期の入院は避けられず、地元の神戸大学医学部附属病院に転院することになった。 この時、飯島教授とともに裕太くんの治療を担当することになったのが、当時新人医師だった、野津医師だった。
野津医師「(難治性ネフローゼ症候群の場合)ステロイド大量療法、ステロイドパルス療法というんですが、普通のステロイドの量じゃなくとんでもない量、10倍以上、20倍ぐらいの量を投与するという治療法をするんですね。」

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そこでの入院生活は1年半にも及んだ。 大量のステロイドを投与する治療で、小康状態を保ってはいたが…薬の副作用で顔がパンパンにむくむ「ムーンフェイス」と言われる症状が顕著に出てきた。
この時、一時退院などで、念願だった学校に行くことができたものの…副作用でむくんだ顔をバカにされることもあった。 それでも学校に行けることを喜んでいたという。

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一時退院からほどなく、恐れていた事態が起こった。 裕太くんが…腎不全を発症したのだ。 残された道は、腎臓移植しかなかった。 検査の結果、母・玲子さんの腎臓が適合、移植することに。

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発症から3年、難治性ネフローゼの完治をかけた腎臓移植が行われた。
手術は無事成功。
しかし…すぐにネフローゼが再発してしまった!
野津医師「移植後の翌日ぐらいから尿タンパクがじゃじゃ漏れになってまして。ネフローゼ症候群が頂いた腎臓にもう1回同じ症状を発症するんですね。結構僕たちも顔が真っ青になっているような状況でした。移植後再発してしまっているということでね。」

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もちろん、本人は再発のことなど知らなかった。 つらい闘病生活の中で裕太くんにとって、唯一の楽しみは 若い研修医との散歩の時間だった。 他愛もない会話で、病気を忘れさせてくれる。 学校には行けなかったがこのときだけ 友達といるような気持ちになれた。

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しかし、さらに過酷な運命が裕太君を襲う。 最近鼻が詰まるとという裕太君の訴えを受け、すぐに検査をすると「移植後リンパ球増殖症」を発症していることが判明した。
移植後リンパ球増殖症とは、臓器移植が要因で体中のリンパ節に悪性の腫瘍が出来る、致死率100%と言われる病気だった。 裕太くんが息苦しかったのは、鼻の奥のリンパ節に悪性腫瘍が出来ていたため。

野津医師「移植後リンパ球増殖症という病気は恥ずかしながら全く聞いたこともありませんでした。そんな病気があることさえ知りませんでした。その病気の名前を聞いた瞬間から、ありとあらゆる文献を探って読んだら、致死率がめちゃくちゃ高い。治療法がないということがどこにも書いてありましたし、医者は諦めちゃダメなんですけど、この子はもう助けるのは無理だなと半分思っていましたね。」

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それでもなんとか手はないかと、野津医師は、世界中の論文を調べ、可能性を探った。
しかし、裕太君の病状は日に日に悪化。 内臓にできた腫瘍からの出血が止まらず、いつ急変し、亡くなるかもわからない日々が続いた。 そんな絶望的な状況の中でも、裕太くんは夢を抱き、常に明るく前向きだったという。

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一方、野津先生は、彼をなんとか助けようと 日夜、論文を調べていた。 すると、その時だった。 その2~3年前に発売されたばかりの薬、リツキシマブが効いたという海外の論文を見つけた。
野津医師「効くんじゃないかというポジティブな思考ではなくて、効くかどうか分からないけども一か八かと、そういう感じでした私たちの捉え方は。」
しかしそこには、大きな壁が立ちはだかっていた。 この薬の移植後リンパ球増殖症への使用は、世界のどの国でも承認されていなかった。 しかも…子どもである裕太くんに使用した場合、どんな副作用があるか分からない。

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製薬会社に問い合わせると、「私どもとしては、絶対にやめて頂きたい。どんな副作用があるかもわかりませんし、一切責任はとれません。」と言われてしまった。
そこで野津医師は、上司の飯島医師に相談。 すると…
飯島医師「その治療をしなかったために裕太くんが亡くなっても、医師の責任を問われることはない。しかしその薬を投与して副作用で亡くなったら…野津先生、医師の責任だぞ!最悪の場合、君は医師を辞めなければならない可能性もある。病院だってどうなってしまうか…だが、命を救う可能性が一つしかないなら、それに賭けるしかない。」
2人は医師生命を賭けてリツキシマブの使用を決断したのだ。 2002年1月、4週間にわたる、リツキシマブの投与がはじまった。

野津医師「実は、リツキシマブ治療について詳しい先生がいるので、紹介します。」
その薬に詳しい、医師とは…あの致死率100%と言われた病「移植後リンパ球増殖症」だった裕太くん本人だ!

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実は最後の望みをかけたリツキシマブの投与から、数日後…鼻をかむと塊のようなものが出てくるようになった。 急いで調べてみると…薬が効いて鼻のリンパ腫が壊死して出てきていたのだ。 さらに野津先生が、全身の腫瘍を詳しく検査すると…腫瘍が完全に消えていた。 致死率100%と恐れられていた移植後リンパ球増殖症が完治していた。

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しかしまだ、移植後に再発し治療法がない難治性ネフローゼ症候群が残っていた。 そこで尿タンパクを検査してみると、信じられない結果が…
野津医師「完全にマイナスになっていたんですね。あれ?って思って経過を見直してみると、リツキシマブを打った直後に尿タンパクがガンと下がってて、そのあと 陰性になってたんですよね。」
医師団の勇気ある決断こそが、移植後リンパ球増殖症だけでなく、難病であった難治性ネフローゼをも完治へと導いたのだ。 そして、4年間の闘病の末、裕太くんは、無事退院。 晴れて小学校で卒業式を迎えることができ、中学以降は楽しい学校生活を送った。

現在、医師として活躍する裕太さんに命を救ってくれた2人の医師について聞いてみた。
「野津先生・飯島先生の姿とか、自分が医師を目指す上で、そういう先生方の姿はもちろん、医師を小児科医を目指すきっかけとして大きかった。自分が今医師という立場になって、もしかしたら効くかもしれない、でも使われている一般的な薬ではないっていうところで。でも(命を救うには)それしかないと(薬を)使ってもらった。その決断力っていうのは、自分が医師になってやっぱり、よりその決断力のは凄いなと思いますね。」

医師になるという夢を叶えた裕太さんは、ネフローゼを患う子どもたちの診察をしている。
裕太さんに投与されてから12年後、リツキシマブは難治性ネフローゼに効果があると認められ、日本でも正式に承認された。 だが、その一方でネフローゼの原因はまだわかっていない。 裕太さんは日々、この病の原因究明にも取り組んでいる。

裕太さんはこう話してくれた。
(小児科医になりたいと思った)その時点で子供たちを(助けたい)という思いもありましたけど、やっぱりその中でも特にネフローゼとか同じ腎臓の病気の子供たちを治したというところが、(医師になった)スタートから思っていたので、今実際そこに携わっているっていうのは自分でもすごくやっぱりモチベーションが上がりますし、子供たちに同じような経験をしたんだよって伝えてあげられるっていうのは、凄く自分の大きなモチベーションにもなってる。」