イギリスの超有名オーディション番組『ブリテンズ・ゴット・タレント』。
ステージに現れたのは、なぜか自転車を押した男!
しかも、日本人!
そして彼が披露したのは、マジック。
すると…各審査員がワンシーズンに一度だけ押すことができる、ゴールデンブザーを獲得!
実はこれ、『ブリテンズ・ゴット・タレント』に出演した日本人としては初の快挙!
名のあるマジシャンに違いないと思った、そこのあなた!
実はこの男のマジック、趣味の延長線に過ぎないという!
その正体は?というと…「当時、電波少年の猿岩石をやっていて、自分もやってみたいなと」
人気番組の影響を受け、28歳の時、軽〜いノリで群馬の自宅を出て世界一周の旅へ!
なんと!22年もの間、一度も日本に戻らず、50歳になった今なお、世界一周の旅を続けているとんでもないトラベラーなのだ!
しかし、何で1周するのに、22年もかかるのか!?
旅が なが〜〜〜〜くなってしまっているわけは、寄り道しすぎるから!
ネパールに来たら目の前にあったからという理由で、世界最高峰の山、エベレストに登っちゃうし、イランに来たと思えば、ここにも世界一があった!と、世界最大の湖へボートで繰り出しちゃう!しかも手漕ぎ!
そんでもって、なぜか最終的には 世界的オーディション番組に出演。
あれよあれよと、ヨーロッパで大ブレイクしちゃった人なのだ!
現在、岩崎さんはスペイン、カナリア諸島に滞在、次なる旅の準備の真っ最中だという。
そんな彼に今回、我々が取材を申し入れると、軽〜くOKしてくれた。
これまで、数々の壮大な寄り道をしてきたトラベラー、岩崎圭一さん。
そんな彼の世界一周を振り返ってみよう!
ウォーミングアップで日本一周してみた
群馬の実家を飛び出した岩崎さん、旅は2001年4月、新宿からはじまった。
しかも世界一周の旅に出たはずなのに、いきなり最初の寄り道。
肩慣らしとしてヒッチハイクで日本一周をしたい!と、早速、実践。
世界へはまだ一歩も出てないのに…この時点で出発からすでに1年!
ようやく山口県下関からフェリーで韓国へ。
この時、岩崎さんにサプライズが!友人がフェリーのチケットをプレゼントしてくれたのだ。
そして中国に到着した岩崎さんが購入したのは…自転車!
これには理由があった。
「人にお世話になるじゃないですか、ヒッチハイクって乗せてくださいみたいな。だったら自力で行けよ見たいな気持ちになって、それなら自転車で行った方がいいかなって」
さらにこの時もう一つ、とんでもない決断が!
それは、所持金を0にすること!
理由は「猿岩石がそうしてたような記憶があったから!」ってだけ。
そのためあえて有り金をすべて使い、人力ってことで、より力が必要なママチャリをチョイス!
所持金0!人力だけで世界一周してみた
岩崎さんによる破天荒な寄り道の旅、ママチャリ世界トラベルが始まった。 行く先々で、何かの手伝いをする代わりに食事をご馳走になったり、時には出会った人の家に泊めてもらったり。 現地の人々と触れ合いながら岩崎さんは旅を続けた。 ノリで実家を飛び出してから1年7ヶ月、シンガポールに到着した。
続いてやって来たのは、ネパール。
ここでの出会いから、次なる壮大な寄り道が始まる。
日本人の井出アツコさんと、その夫でネパール人のプラカスさん。
当時、2人は1歳の娘や親戚とネパールに住んでおり、岩崎さんとは偶然 知り合ったという。
野宿をしていた岩崎さんを泊めてあげているうちに、家族のようになっていった。
岩崎さんは、二人にお世話になりぱっなしで申し訳ないと思った。
そこで岩崎さんが2人に披露したのが…マジックだった。
実はかつて 岩崎さんはマジックにどハマりしていた時期があった。
学生時代、親友の梅山さんと一緒に日々、練習に明け暮れていたという。
日本を立つ前、そのことを思い出した梅山さんが、暇つぶしになればとマジックグッズをプレゼントしてくれていたのだ。
アツコさんとプラカスさんにこのマジックをストリートでやってみたらどうかと提案された岩崎さんは、ネパールの街中で、路上マジックを披露!
すると、これが大ウケ!大勢の人が楽しんでくれた!
この出来事を、ブログでこんな風に書いている。
「まさか手品がこんなに活躍するとは思わなかった。芸は身をたすけるという言葉。ホントだよ。」
こうして、学生時代にハマったマジックが武器となった岩崎さん。
その一方で…岩崎さんは超が付くほど とんでもない寄り道を思いついた!
ネパールで思わず世界一の山に登ってみた
次なる寄り道は世界最高峰の山、エベレストへの登頂だった!
しかも、ただ登るだけではない!
高さを人力で感じたいので、海抜0mの海まで行って人力のみでエベレストの山頂を目指していた。
一般的にエベレストへの登頂は、飛行機で標高2800メートル地点まで行き、そこから山頂を目指す。
だが岩崎さんは、わざわざエベレストから遠〜く離れた海抜0メートル地点まで行って、そこから北上するという、なんとも理解不能な登頂法を思いついたのだ!
だが通常、エベレスト登頂には、入山料・登山ガイド費用など、最低でも250万円は必要と言われている。 むろん、この男に手持ちはない。 そんな時、助けてくれたのが…両親、そして学生時代からの無二の親友、梅山さん。 さらに、他にも数名の友人が快く送金してくれたため、この難題をクリアすることができた。
ということで、目の前にエベレストがあるにも関わらず、ネパールを離れ…海のある地点、しかもわざわざ遠いインド大陸最南端の町、2000kmの距離にあるカンニヤークマリに向け出発!
到着するやいないなや、そこからまた、エベレストがあるネパールに向け、再び 2000kmの道を戻るために出発!
そんなこんなで、登頂を決意してから、通常のスタート地点に着くまでに…なんと1年!
そして…ついに、エベレストのベースキャンプまで辿り着いた。
そこからは、世界中から集まった、登山者17人のチームでアタック開始。
だが、怪我や体調不良などでメンバーは次々と脱落。
それでも、岩崎さんは諦めなかった。
そして登頂開始から2ヵ月後…挑戦を決めてから1年2ヵ月、思いつきから、 本当に あのエベレストへの登頂を果たしちゃった!
なお、チームで登頂できたのは17人中3人だけ。
この成功は、日頃、自転車に乗ることで培われた強靭な体力によるものかもしれない。
だが、岩崎さん曰く…
「山頂が近いので一歩一歩頑張って登るんですけど山頂が近くなるにつれて日本からネパールに向かう道中で、お世話になった人の顔が思い浮かんできて、山頂が見えた時胸が熱くなって、皆さんのおかげでここに来れたんだなと思いました。」
岩崎さんは、エベレスト登頂後、資金を援助してくれた梅山さんにあるものを送った。
それは、山頂で撮った自身の写真。
その手には…「梅」と書かれたボードが!
梅山さん「◯梅と書いてあって、他の人の分もやったとは思えなかったので、特別感というものがあった。無事登頂できてよかったという思いが強かった。」
さらに、エベレスト登頂後、ある嬉しいサプライズが岩崎さんを待っていた。
それは…両親がネパールにまで、会いに来てくれたこと。
実家を出てから、実に4年ぶりの再会だった。
この時のことを岩崎さんはブログにこう綴っている。
「久しぶりに会う父は相変わらずで、言うことも相変わらずだった。『お前はお前のやりたいように生きろ、だけど後悔はするな』という台詞も一緒だ。『エベレストは俺の夢の夢だったんだ。』とにやけながら言う父。『お前が登ったから俺は満足だ。』と父の言葉で少しだけ救われた気がした。」
22年に及ぶ世界一周の旅、まだまだ5年目!
エベレスト登頂に成功した岩崎さんが、次なる目標として掲げたのが…またまた自転車によるユーラシア大陸横断。
目指すは大陸最西端・ポルトガルのロカ岬。
ところが…イランでまたしても!岩崎さんの例の虫が騒ぎ出す。
寄り道したくなっちゃったのだ!
「イランには世界最大の湖、カスピ海があるんですね。世界最大の湖です。ここを手漕ぎボートで横断してみようかなと思ったわけです。」
世界最大の湖を手漕ぎボートで横断してみた
そう!世界最高峰の山の次は、世界最大の湖・カスピ海を渡ってみることに!
しかも…人力へのこだわりから、手漕ぎボートで!
だが、その広さは日本の総面積とほぼ同じ。
さすがにカスピ海の中央を突破するのは危険と判断し、ど真ん中ではなく、岸に近いルートを横断。
その距離、実に約500km!
そして、イランに来る途中で出会った、日本人やフィンランド人のバックパッカーと共にスタート!
しかし!ここでトラブル発生!
船が古すぎて側面の木の隙間から、水が入ってくる状態だったという!
するとその時、日本語がペラペラのイラン人に話しかけられた。
その人はノリさん、1980年代ずっと日本で働いていたという。
ノリさんが船関係に詳しく、木の船は水中に沈めることで水を含んで膨張して隙間が埋まると教えてくれた。
そこで、二日間船を水の中につけておいたら、水が入ってこなくなったという。
さらに、ノリさんはいかりなど船関係の道具を貸してくれたという。
そして、横断開始から29日…世界最大の湖・カスピ海横断に成功!
そして再び、世界一周の旅が始まる。
旅を始めて5年6ヵ月、トルコに到着。
この道中でも、行く先々の国で路上マジックを披露。
そんな中、ブログではこんな想いも綴っている。
「旅行が始まってから何度も自問自答している。『この旅行はなんなのか?』国の為でもない、平和の為でもない、周りは関係ない挑戦なのだ。できるか、できないかの。しいて言うなら自分の中の戦いに勝つためだ。自己肯定のために進んでる、くだらないことのために全力を尽くしてる。でもそれでいいんじゃないか。人間の多くはその為に生きているんじゃないか。自分のすべてをぶつけられるものにすべてを突っ込んで挑戦している。」
日本を出て約5年半、行く先々でマジックを披露しながら、気の赴くままに寄り道をする。
そんな岩崎さんの世界一周の旅もいよいよ佳境、ヨーロッパへと入った。
この旅の中で、岩崎さんは両親にあるものを送っていた。
それは、近況を綴った、各国のポストカード。
文面は短いながらも、両親を想う気持ちで溢れていた。
遠く離れた両親の愛を受けながら、旅を続けた岩崎さん。
そして…ついに目的地、ポルトガルのロカ岬に到着!
ユーラシア大陸横断に成功した!
群馬の実家を出てから、7年11カ月の月日が経っていた。
目標を達成したとはいえ、旅が終わったわけではない。
そこから、またヨーロッパ各国を巡った。
そして旅を始めて9年が経った頃、彼はある決意を固める。
それは…マジックの腕を磨くということ。
ヨーロッパ各国で、多くの大道芸人が路上パフォーマンスを行なっている。
こで岩崎さんも、この地で本格的にマジックに取り組もうと思ったのだ。
その期間、イタリアを中心におよそ8年…と言っても、アパートなどを借りたわけではない。
イタリアの他 近隣諸国を自転車でめぐりながら、夜はテントで寝泊まりという従来の生活はそのまま。
だが、そんな中、世界の日常が一変してしまう。
今から3年前に始まった、新型コロナウイルスの感染拡大である。
岩崎さんは、ブルガリア滞在中にロックダウンに遭い、出国はおろか…路上パフォーマンスもできなくなってしまったのだ。
旅、そしてマジック、その両方を奪われてしまった岩崎さん。 そんな時、見つけたのが…大西洋を横断したブルガリア人親子の著書の出版を記念した、サイン会の告知だった。 その親子は手漕ぎボートで大西洋を横断したという。 それを見て、岩崎さんは自分もやってみたいと思った。
早速、その書籍を購入し、サイン会に参加!
そこで…「僕も手漕ぎボートで大西洋横断したいんですけど、出来ますかね?」と質問。
すると、親子は書籍に…『ケイイチ・夢に向かって突き進め!』と書いてくれたのだ!
新たな目標に向け動き出した岩崎さん。 まずは、大西洋を横断するための手漕ぎボートについて調べてみる事に。 すると…カスピ海で使用したような簡易的な手漕ぎボートでは、大西洋の荒波に耐えられるはずもない。 大海原でも進む事ができ、GPSを利用するためのバッテリーや、多くの食料も搭載可能な大型のボートが必要であった。 今の所持金では足りない、だからと言ってまた両親や友人に頼るのはためらわれた。
中古のボートはポンドで売りに出されていることが多いことに気がついた岩崎さん。 ポンドはイギリスの通貨。 イギリスと言えば…世界最大級の番組がある! この時 岩崎さんが応募した番組こそ…『ブリテンズ・ゴット・タレント』! そう!世界最大級のオーディション番組に出演し、その賞金で手漕ぎボートを購入しようと決意したのだ!
見事、事前選考を通過、その出場権を掴んだ。
そして…岩崎さんは、審査員の前で自分の夢を語った。
そして、旅で腕を磨いたマジックを披露!
岩崎さんのマジックにスタンディングオベーションが沸き起こる。
さらに…各審査員がワンシーズンに一度、最高の評価を与えた時のみに押す、『ゴールデンブザー』を獲得。
『ブリテンズ・ゴット・タレント』において、その評価を得た日本人は、これまで岩崎さんただ1人。
大西洋横断の夢が一歩現実へと近づいた瞬間だった。
日本人として 初の快挙を成し遂げた岩崎さん。
その影響力は凄まじく、路上パフォーマンスを行うと…この人だかり!
観客から自然と大きな拍手が湧き上がるほど。
だがゴット・タレントではセミファイナルで惜しくも敗退。
優勝賞金を手にすることはできなかった。
よって、手漕ぎボートの購入は不可能…かと思いきや!
岩崎さんに予期せぬ知らせが舞い込んだ!
ゴールデンブザーを獲得したニュースが、日本にも伝わり、国内の企業がサポートしたいと申し出たのだ!
そのおかげで、中古ではあったが、丈夫で大きな手漕ぎボートを購入することが出来た。
それが…このボートである。
風力とソーラーパネルによって、蓄電。
蓄えられた電気で、衛星電話や無線、GPSなどを使用できる。
食料は、船の底に保管。
さらに、海水をろ過し、飲み水にできる設備も。
そして、ここスペイン•カナリア諸島から南アメリカに向け、大西洋横断の旅に出発しようとしているのだが、トラブルが発生!
購入できたボートが中古だったため、バッテリーが途中で急激に劣化してしまい、電気製品が一切使えなくなってしまったという。
他にも、旅の途中のトラブルは絶えない。
窃盗などの被害にも見舞われ、日本から持って来た物はほとんど残っていないという。
28歳で家を出て、世界一周を目指し、これまで一度も日本に帰らず、旅を続けている岩崎さん。
行く先々で人の優しさに助けられながらマジックを披露し、言葉の通じない人たちの笑顔に触れる中、彼の心にある想いが芽生えた。
「昔は世界を知らないとか小生意気でしたね。世界の自然環境の厳しいところも人も、食糧が少ないのに食料を分けたり、水をくれたりするじゃないですか。人間って支え合って生きてるんだなっていうのを感じるようになりましたね。ほんとに自分は無力だし、でも周りの皆さんがその役割を担ってやってくれていて、だから自分は途中から人を楽しませるのが、自分ができることかなって少しでも笑ってもらえれば自分は幸せって言うか満足ですね。笑ってる時って人間幸せだと思うんですよ。そういう瞬間を提供できたらいいなと思っています」
そして、番組収録への参加を終えた岩崎さんは、すぐにボートに向かい、出発のための最終チェックを始めた。
スペイン、カナリア諸島から、南米に向けて出航。
およそ2ヵ月間、この船の中で生活するという。
「剛力さん、バナナマンさん、行ってきます」
そう、言い残し旅立った岩崎さん。
22年間に及ぶ、世界一周の旅。
しかし、それはまだ、始まったばかりなのかもしれない。