3月30日 オンエア
サバ缶を宇宙に飛ばした高校生SP
 
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今宵のアンビリバボーは、宇宙に行ったサバ缶についてのお話。
そのサバ缶を作ったのは高校生!
名だたる大企業がその技術の推を集めて、ようやく完成できる宇宙食。 それをなんと高校生たちが現実のものとしたのだ! しかもその裏には、20年近くに渡り、高校生たちが青春をかけて繋いできた奇跡のリレーがあった。

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今から21年前。
西さおり、渡辺恵美、彼女たちが20年に及ぶ奇跡の最初のランナーである。
2人とも勉強が苦手。 入学当時、夢も目標もなく、とりあえず高校くらい出ておくかのスタンス。
2人の担任である小坂康之、ここから20年に渡り走り続ける伴奏者である。

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場所は海に面した港町である福井県小浜市。 その町にあるのが小浜水産高校、通称・浜水である。
1895年、明治時代に開校。 日本で最も歴史ある名門水産高校として、多くの人材を輩出してきた。

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そんな歴史ある高校に2001年に新米教師として赴任してきたのが小坂だった。 神奈川県出身、子供の頃から海が大好きで、東京の水産大学を卒業。 海を通じて学ぶことの楽しさを知ってほしいと、水産高校の教師を希望し、遠く離れた福井までやって来た。 緊張しながらも期待に胸を膨らませての初出勤。 だが…創立100年を超える名門水産高校の面影はどこにもなく、いつしか学ぶことに対して興味や関心を持てない生徒が集まる高校になっていた。

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そんな中、小坂は赴任2年目で担任を任され、西さおり、渡辺恵美のクラスを受け持つことになった。
小坂はやる気のない生徒たちに対して諦めずに指導を続けた。 すると生徒たちが少しずつ変わり始めた。 そんなある日、小坂がインフルエンザで寝込んでいると、西と渡辺が差し入れを持って来たのた。 こうして小坂と生徒たちの距離は少しずつ縮まっていった。

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だが、どうしても変わらないこともあった。 勉強へのやる気はなく、諦めているようだった。
小坂先生は、こうは話してくれた。
「『どうせ浜水やし』とか『ワシら浜水やからええんや』みたいな、それをすぐ言うんですよね。学ぶこと自体に面白さを経験していないっていうの感じましたし、何とか自信を取り戻させたいなっていう気持ちを持っていました。」

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だが、そんな中、生徒たちが唯一目を輝かせる瞬間があった。 それが、サバ缶の製造実習!
小浜市にある若狭湾は、昔からサバの名産地として知られていた。 江戸時代には獲れたサバを京都に運んでおり、その道は「鯖街道」と呼ばれるほど。 そんな中、小浜水産高校では開校当時の1895年からサバ缶作りが開始されており、以来、ずっと続く伝統授業だった。

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密閉前に一度蒸して煮汁を捨てる「蒸煮」という手間を加えることで臭みのない美味しいサバ缶が出来上がる。 文化祭で売り出すと地元の人たちの間で争奪戦になるほどだった。
生徒はみんなこの小浜市が好きで、地域のみんなが喜んでくれるサバ缶実習に誇りを持っている。 小坂は、ここに生徒たちのやる気を引き出すヒントがあるのではと考えた。

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小坂はあることを閃いた! それは…漁業の現場での課外授業! 漁港で漁師の作業を手伝い、地域の問題を肌で感じてもらおうと考えたのだ。
すると、授業にはまるで集中しない生徒たちが一生懸命、自ら作業を手伝っていた。 そして、小さすぎたり獲れすぎたりして売り物にならない魚をどうすれば良いか分からないという問題も目の当たりにした。

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漁師の悩みを聞いた生徒たちは、その後グループに分かれ、自主的に売り物にならない魚の利用法を研究し始めた。
そんな中、西と渡辺の2人が着目したのは、湾で大量発生して問題になっていた巨大なエチゼンクラゲ
コラーゲンとミネラルが豊富で化粧品の原料に使用されることがあるものの、直径2m、重さ150kgに達するなど巨体ゆえに輸送費用が高く、小浜の漁師たちを悩ませていた。 そこで2人は、クラゲを小さく、軽くすれば良いという発想で粉末化することを思いつくと、さらにその粉末を使用した食品を生み出すため、様々な実験・研究を開始。

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格好はコギャルのままだが、その見た目とは裏腹に地域の問題を解決するため、真剣に研究を繰り返す。 自分たちが納得するまで様々な食品をとことん作り上げた。 そして…最終的に作り上げたのは、『エチゼンクラゲ豆腐』。 クラゲを粉末化したものが豆腐の凝固に用いるにがり成分と一致することを発見し、完成させた。 すると、全国の水産・海洋系高校の生徒が研究結果を発表する大会で、見事、奨励賞を受賞したのである!
愛する地元のために自分たちの頭で考え、問題を解決する喜び、いつしか課外授業や研究は勉強嫌いの小浜水産高校の生徒たちを変えていった。 その後、彼女たちは無事 卒業の日をを迎えるのだが…まさかこの時の研究がまさか20年後、サバ缶を宇宙に飛ばすことにつながっていくことになろうとは、この時 誰1人知るよしもなかった。

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その後、小坂は新たな野望に向けて走り出した。 小浜水産高校の研究室でHACCP(ハサップ)認証を取ろうと考えたのだ。
1960年台にアメリカで開発された国際的な食品衛生管理の方式、それがHACCPだ。 完成した製品のみでなく、製造ラインにおける設備などに対してまで、菌や異物混入を防ぐための厳格なチェック項目がある。 そのため、HACCP認証を受ければ、世界に輸出することが可能になるのだ。

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HACCP認証を取得するため、小坂だけでなく他の教師も協力。 企業がHACCP認証を受ける時、衛生設備の新設や改装におよそ1億円はかかると言われている。 しかし教師たちは100均グッズなどを駆使して、アイデアで安価かつ厳格な衛生管理に挑んだ。
その結果、見事 HACCP認証取得に成功! 費用、わずか300万円で済ませることができた。

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その後、毎年入学してくる生徒たちにこのことを説明していった。 すると、取得の翌年、ある発言が飛び出す。
「そもそもHACCPっていつ誕生したんですか?」
HACCP認証は1969年のアポロ計画のときにNASAが宇宙食製造のために作った基準。 それを説明すると…「じゃあ、俺らのサバ缶も宇宙、飛ばせるんちゃう?」という発言があった。 それを聞いた小坂は、それを実現させるために動き出した!

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そして、小坂はあるとんでもない行動にでた。 なんと東京にあるJAXAの事務局に単身で乗り込んだのだ!
彼は、課外授業や研究のこと、サバ缶実習への想いと歴史、HACCP認証を取得したことなど全てを語った。 そして小浜水産高校のサバ缶を宇宙食にしたいと相談したのだ。

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当時、国際宇宙ステーション、通称・ISSでは、参加各国の宇宙飛行士が基準を満たした独自の宇宙食を持ち込むことが認められており、JAXAでも「宇宙日本食」と銘打った食品の開発に乗り出していた。 しかし、医師のいない宇宙ステーションで宇宙飛行士が食中毒になることなどは絶対にあってはならないため、認証されるにはいくつもの厳しい基準があった。 それでも挑戦する過程に意味があるという小坂にJAXAの職員の岸も協力を快諾した。

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そのわずか2ヶ月後、岸は小浜水産高校に来校、「宇宙で生活すること」というテーマで講演してくれた。
JAXAの職員が本当に来てくれた…その事実が生徒たちの心に火をつけた。

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さらに講演後、岸はJAXAの宇宙日本食担当・中沢孝に協力を依頼。 興味を持った中沢が翌年、小浜水産高校を訪れた。
そこで、大きな問題が発覚。 実は缶詰は宇宙日本食として認められていないのだ。 宇宙ではゴミを廃棄できる機会が限られているため、かさばる容器の使用は禁止されていたのである。

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だが、JAXA指定のレトルトパウチに入れられれば大丈夫だという。
しかし、容器が変わるとタレの調合や量などレシピの全てが最初から変わってしまう。 それでも生徒たちは何とかレトルトパウチ用にアレンジする研究を開始した。

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だがその一方で、このレトルトパウチなら地元の食材を使って他にも宇宙食を作れるのではと考える生徒がいた。 彼女が次なるランナー、山下笑美。 そして、大谷美樹の二人だった。
山下は父親が浜水出身でマグロ漁船に乗っていたため、その影響もあって入学。 大谷は家から一番近いからという理由で浜水を選んだ。

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二人はJAXAの中沢の「無重力では味覚が鈍るので宇宙飛行士には甘いものが人気なんですよ」という言葉を思い出した。 そこで当時、生キャラメルが一大ブームを起こしていたこともあって、彼女たちは生キャラメルを作ることにした。
生キャラメルをどうやって地元と結びつけるか考えた末に、西と渡辺の研究結果であるエチゼンクラゲの粉末を使用することを思いついた。 こうして彼女たちは地元の食材でもあり、栄養価の高いクラゲ粉末を使った宇宙食キャラメルを作ることを決めたのだ。

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しかし、クラゲ粉末はとても苦いため、ただ混ぜただけでは美味しいキャラメルは完成しない。 それでも、もし完成すれば、栄養価が高く美味しい宇宙食になると、二人は毎日遅くなるまで研究に没頭。
最終的には衛生面の問題で生キャラメルではなく、普通のキャラメルに変更したのだが、JAXAの中沢もその発想力に驚いたのだという。 だが、宇宙日本食への採用を目指すには大企業が開発しても数年はかかるのが当たり前。 高3の春から本格的に研究を始めた彼女たちにとって、その期間はあまりにも短く、結局、研究途中で卒業を迎えることとなった。

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JAXAの職員が何度も学校を訪れてはアドバイスをくれ、それにより生徒たちが宇宙食開発に熱中していく。 そこに、かつて荒れ果てていた小浜水産高校の姿はもうなかった。
だがそんな時…少子化に伴う生徒数の減少などを理由に小浜水産高校の統廃合を福井県が決定。 鯖街道をISSまで繋ぐ…そんな小坂と高校生たちの夢は、ついに叶えられないまま学校自体が消滅してしまうことになった。

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一度は決定された小浜水産高校の閉校、だが、それでも小坂は諦めなかった。 支援者と共に何とか存続させようと奔走した。 すると、浜水の課外授業によって助けられた漁業関係者を中心に廃校に反対する声が殺到!

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そんな市民の声に押され、小浜水産高校は同じく小浜市にある若狭高校に統合される形で、若狭高校・海洋科学科として存続することに!
そして2013年4月、小坂は若狭高校・海洋科学科の初代担任として再スタートを切った。 だがそれは、新たな苦難の始まりだった。 若狭高校は東大合格者も輩出する県内有数の進学校、学歴と偏差値を重視する校風の中で海洋科学科でも大学受験への対応を求められた。

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そんな逆境の中でも小坂には譲れないものがあった。 それは、「探究学習」をカリキュラムに入れること。
今までの若狭高校の教育方針との違いにより、反対する教師も多くいたのだが、小坂は自分の意思を貫き通した。 結果的に小坂が希望した「探究学習」は、2年次から週1回、午前中の4時間行うことになった。 その授業の時だけは、小浜水産高校の校舎を使い、そこで生徒たちが各々研究を行うことになった。 だが、小浜水産高校で年間1万缶生産していたサバ缶実習は中止されることとなった。

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無論、サバ缶を宇宙に飛ばすという夢も諦めるしかなかったのだが…その翌年、何気なくバトンを受け取った生徒が現れたのだ。 それこそが次のランナー、村橋里奈。 若狭高校・海洋科学科第1期生である彼女、夢は保育士。 だけど普通科と違うことをしたいとこの科を選んだ。 そして2年生の探究学習で何をやろうか迷っている時、たまたま小浜水産高校で行っていたサバ缶宇宙食プロジェクトを知ったのである。
そして、村橋と共に田中美穂、同じく野村友輝も一緒に宇宙サバ缶の研究を再開することになった。

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かつての先輩たちが残したノートにはJAXAにサバ缶を認めてもらうために必要となる様々な条件が書かれていたのだが、その中に開封した時に宇宙空間で飛び散らないようにタレは粘度の高いものではなくてはならないというものがあった。 そこで、JAXAの基準の粘度を持たせるため、コンスターチ、片栗粉、ゼラチンなどとろみを付ける食材を、水、醤油の分量などを変えて次々と試してみたのだが、全くの素人である3人には解決法がなかなか見つからなかった。

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そんなある日、3人は粘度を出すためにを使ってみることを思いついた。 実はこの地方には「熊川葛」という名産品がある。 地元の食材を使用することは探究学習のテーマでもあった。
その後、彼らは葛粉と水の量、温度を変え、実験を繰り返した。 こうして試作品を作り続けた結果…片栗粉やゼラチンだとタレの味が変わったり、粉っぽくなってしまっていたが、葛粉だとタレと上手く混ざり、良い粘度が出ることを突き止めた。

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しかし、実は宇宙日本食の条件の一つに長期間保存しても味が変わらないものというものがあり、それを試すため、まずは3ヶ月間保存してみることに。
そして3ヶ月後に開封してみると、プリン状態になっており、味も劣化してしまっていた。

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そんなある日、海洋科学科のサバ缶がJAXA宇宙日本食の候補に選ばれたのだ!
それはちょうど1年前、海洋科学科が始まったばかりの7月、実はJAXAの宇宙日本食候補を新たに募集することになり、応募してみないかという連絡が来たのである。
小坂も海洋科学科の立ち上げで忙しい中、書類の提出のみで応募可能だったことから、小浜水産高校時代、実習で生徒が作ったサバ缶の資料を提出。 その結果、33品目の候補の一つに選ばれたのだ。

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しかも缶詰の使用がOKになったのだ。 JAXAの中沢から缶詰はNGと聞いていたため、小坂もダメもとで応募したのだが、ISSに物資を届ける無人補給船にゴミを入れ、大気圏で全てを燃やすことができるようになったため、缶詰がOKになったのだ。
選ばれたと言っても、あくまで候補になっただけ。 正式に認証されるには、常温で1年半の保存期間を経て、品質や味に問題がないか厳密にチェックされるなど、クリアするハードルは数多い。 それでも生徒たちはチャレンジすることにした。

3人は試行錯誤の結果、プリン状態になる原因が保存中にサバの身から水分が出てくることだと突き止める。 この当時、すでにサバ缶実習が中止されていたため、彼らは知らなかったのだが、その問題は浜水の実習で伝統的に行われていた蒸したサバの水切りをする「蒸煮」という工夫で解決できることが分かったのだ。
さらに、もし認証されれば大量発注に対応する必要があるため、3人はサバ缶100缶を作る試験を開始。 3人では到底作りきれないため、海洋科学科がクラス一丸となって製造。 まるで小浜水産高校時代のサバ缶実習が復活したようだった。

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そして、海洋科学科1期生は3年間の総決算として、探究学習の成果を全校生徒の前で発表するため、3人は力を合わせ、探究学習の資料を完成させた。 すると、発表会では彼ら宇宙サバ缶研究チームが最も多くの注目を浴びる結果に。 探究学習に反対していた教師たち、そして普通科の生徒たちもその成果に盛大な拍手を送った。
しかし、粘度以外にもたくさんあった条件全てをクリアすることは、やはり間に合わず、3人は研究を続けるかたわら、大学合格などそれぞれの進路を掴み取り、卒業となった。

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そして3人が繋いだバトンは、次の世代に受け渡される。
次にバトンを受け取ったランナーは、西村喜代、高山夏美、大道風歌、飛永朱莉の4人。 4人とも先輩たちがやってきた宇宙日本食の研究に興味があり、引き継ぐことを決意した。

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実は、2014年に宇宙日本食候補になった時にJAXAから課題を2点伝えられていた。 1つは、大規模に製造した時の標準粘度。
村橋たちがおおよその粘度は実験で測定していたのだが、認証されれば大量生産する必要があり、レシピに関する詳細なデータが必要となる。

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もう1つが、もっと濃い味かつ家庭的な味にしてほしいと宇宙飛行士から要望があったという。
たとえJAXAが正式に認証したとしても、その全てが宇宙に行くわけではない。 ISSに向かう宇宙飛行士が事前に宇宙日本食を一つずつ試食し、持っていきたいものを選ぶシステムになっている。 つまり、美味しくて絶対持っていきたいと感じてもらえないと、宇宙にはいけないのだ。

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まずは、これまで先輩たちが残してきたサバ缶宇宙食についてのノートを熟読。 それを元に実験を開始した。
標準粘度に関しては、高価な粘度計は買えないため、プラスチック版で粘度測定器を作成。 実験を繰り返した結果、葛の濃度が9%、90度で10分加熱した時がちょうど良い粘度になることを突き止めた。

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残る課題は味だった。 そんな時、そしてエチゼンクラゲの粉末を使った生キャラメルの研究についての資料を見つけた。 そこには宇宙飛行士には甘いものが人気だとも書かれていた。 それを見て、味付けのアイディアが浮かんだ。
そして、醤油と砂糖などの配合を変えた4種類のタレを作成。 置いておく期間を変え、1ヶ月後、3ヶ月後の変化を比較してみる。

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数えきれないほど様々なパターンを作ってはた食べ、改良していった。 そして、ついに全員一致の絶妙な味が見つかった。
だが少し硬いと感じた。 もっと美味しくできるはず。

次に缶詰の味を向上させるために4人が注目したのが、地元産の養殖サバ・よっぱらいサバだった。
鯖街道の名前が残るほどサバの名産地として知られていた若狭湾。 しかし近年、天然のサバが激減。 最盛期には3500トンほどあった漁獲量は、当時わずか1トンにまでに落ち込んでいた。 そのため、彼女たちの研究に使っていたサバも他県のものになっていた。
そこで若狭のサバ復活のために官民一体となって開発されたのがよっぱらいサバ。 酒かすを餌に混ぜて養殖することで、身も柔らかい上に臭みも消え、しかも脂が乗ったサバに育つようになってのである。

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地元の漁師によっぱらいサバを分けてもらえないか相談したところ、快くサバを提供してくれた。
さっそく、よっぱらいサバを使ったサバ缶を製造。 すると、美味しいサバ缶が出来上がった。

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そして2018年11月、なんと若狭高校のサバ缶がついに33番目の宇宙日本食に認証されたのだ!
一週間後、宇宙飛行士の若田光一さんらJAXAの職員が来校、認証式が行われた。 同じタイミングで認証されたのは企業の食品メーカーのみ。 高校生が開発した食品が認証を取得したのは、宇宙日本食としては初の快挙だった。

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その後、4人が製造したサバ缶は、宇宙日本食の一つとしてJAXA側に納品された。
だが、実は宇宙飛行士がどの宇宙日本食を選んだのか、選んだとしても宇宙で実際に食べたのかどうかを確かめる術はないのだという。 よって、宇宙日本食に認証されるという偉業は達成したものの、宇宙飛行士が選んでくれたかも分からないまま、2020年3月、彼女たちは卒業した。

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そして、そのバトンは次の世代に当たる広田真望、西本光里、辻村咲里の3人に受け継がれて、さらなる向上を目指した研究が始まった。
ゆずやお酢を使用することでサバがさらに柔らかくなることを突き止め、地元のお酢店などを訪ねてアドバイスを請うなど、サバ缶をさらに進化させていった。

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そして、彼女たちが探究学習を開始した半年後、2020年11月27日のこと…小坂のところに以前からやり取りしていたJAXA職員からメールが届いた。 メールには「この動画を見てください」と書かれていた。
当時、ISSに滞在中だった野口聡一宇宙飛行士が宇宙からYouTube動画を配信。 その第一回目で若狭高校のサバ缶を紹介したのだ!
小坂と共に宇宙を夢見た小浜水産高校、若狭高校海洋科学科の卒業生たちもそれぞれの場所からこの動画を視聴していた。 野口宇宙飛行士が食べたのは、西村さん、高山さん、大道さん、飛永さんの4人が製造したものだった。 小坂が小浜水産高校に赴任してから20年、多くの生徒たちがバトンを繋いでいき、ついにゴールに到達した。

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ゴールを果たした後も若狭高校海洋科学科の生徒たちのバトンリレーは続いている。 2021年に研究を受け継いだ秦千遥さん、渡辺改さん、福嶋航英さんは、地元を活性化するために「宇宙サバ缶地上化計画」に尽力。 地元の缶詰会社とコラボし、若狭宇宙サバ缶を全国で発売。 そこには小浜水産高校時代のように高校で作ったサバ缶を地域の方々に食べてもらいたい、そんな思いがあった。

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また、今回紹介した彼らの20年にわたるエピソードは、昨年大手出版社が発行する英語の教科書に掲載されるなど、かつて教育困難校だった小浜水産高校から始まった若狭高校海洋科学科の挑戦は、今や地元だけでなく、日本中から尊敬を集めている。
そして小坂先生は現在、教壇に立つかたわら進路指導室の主任も務め、様々な生徒の未来を考えている。