3月16日 オンエア
保育園に潜む悪魔!全米を揺るがす衝撃の結末
 
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今から40年前、アメリカ・ロサンゼルス。
当時、テレビ局で記者として活躍していたウエイン・サッツは、ある情報を掴んだ。 そのとくダネはこの後全米を震撼させる。

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ロサンゼルスの高級ベッドタウン、マンハッタン・ビーチにあるマクマーティン保育園は、新規入園が6ヶ月待ちという人気の保育園だった。
園長を務めるのは、創業者の娘ペギ―。 彼女の長男レイモンドをはじめ、数名の職員が働いていたのだが…突然、警察がレイモンドとペギーを連行したのだ。 その容疑は…児童虐待

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発端は一月ほど前に保護者から警察に入った通報だった。 警察はすぐに保育園の捜索を行った。 だが、虐待の証拠となるようなものは一切見つからず、また、近隣住民への聞き込みで、親子をはじめ職員を悪く言う者はいなかった。 2人は容疑を否認し、証拠もない。
そこで警察は情報収集のため、200人の保護者に「虐待の疑いがあれば報告してほしい」という手紙を送った。 すると、評判とは裏腹に多くの保護者から虐待の可能性があるとの告発が寄せられた。 しかし、その後の捜査に進展はなく、親子は逮捕からほどなく保釈された。

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幼児虐待の容疑がありながら釈放された親子。 同僚からその話を聞いたサッツは 早速取材を開始、ある女性を直撃した。
彼女は『国際こども研究所』キー・マクファーレン
虐待児童の保護に携わり、警察とも交流のある団体の所長だった。

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実は親子の釈放後も捜査当局は起訴を諦めてはいなかった。
だが、保護者からの告発だけでは、虐待があったとは言い切れない。 そこで卒園した児童も含め、被害を受けた可能性のある子供たちの聞き取り調査を彼女に依頼していたのだ。

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400人に聞き取りを行い、そのうち369人の子供が暴行や脅迫などの虐待を証言したという。
『秘密の地下トンネルを通って森に行った』という連れ去りを思わせるようなものから、『教会で動物を殺して 血を飲まされた』という悪魔の儀式のような体験談もあったという。
サッツは取材結果を上司に報告。

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上司の説得に成功したサッツは、聞き取り調査の詳細をどこのテレビ局よりも早く報じた。
この報道を観た母親たちが声明を発表した。
「児童に対して罪を犯し、正体が暴かれていない容疑者は他の園にも多数存在しているはずです。」
すると、他の新聞社も追随。 全米の保育関係者に対し、親たちは厳しい目を向けるようになった。

そして、サッツの報道からおよそ1ヶ月後…児童虐待の容疑でペギー親子を再度逮捕、検察は起訴に踏み切った。
だが、FBIが捜査に加わったにもかかわらず、2人の容疑を裏付ける確たる証拠は一向に見つからない。 業を煮やした保護者たちが、保育園の周囲を掘り返したものの、子供達の証言にあった「秘密の地下トンネル」はもちろん、犯罪を立証できるようなものは、何ひとつ発見されなかった。

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そして捜査開始からおよそ4年、これといった物証もないまま、初公判が開かれることとなったのである。 そこで審理されたのは、多くの児童が証言した 暴行や脅迫の容疑についてだった。
検察側は、捜査の過程で撮影した子供たちの写真を証拠として提出した。 そこには傷や痣が写っており医師の見解として「虐待の可能性あり」と記入されていた。

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そして、これらの写真の信憑性を高めるため、検察側は専門家としてマクファーレンを呼んでいた。
マクファーレンは法廷でこう証言した。
「400人中、369人もが保育園で虐待を受けたと回答しています。この高い数字こそが、物証にも匹敵する有罪の証ではないでしょうか。」

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さらに、検察には虐待があったことを証明すべく用意した、切り札ともいうべき人物がいた。 男の名はジョージ・フリーマン
彼は、レイモンドと拘置所で同室だった。
「彼は、子供の体を触ってその様子をカメラに収め、撮った写真を 地中深くに埋めたと言ってました。」
虐待を裏付ける、決定的な証言。 だが、事態は思わぬ方向へ動き出す。

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検察側によって明らかになった虐待を裏付ける証拠の数々、それに対し弁護側は反論を試みる。
弁護士「確かにこれは傷や痣の写真です。しかしなぜこれが保育園で出来たものと断言できるんです?公園で遊んでたって傷はできるじゃありませんか、この傷が園内の虐待で出来たという証拠はない!」
傷は虐待によるものではないと主張。

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さらに弁護側は、検察の切り札ともいうべき証人についてある衝撃の事実を掴んでいた。
フリーマンは検察と司法取引を行い、レイモンドが不利になるような証言を行なっていたのだ!

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親子を有罪とする検察側の牙城は崩れ始めていた。 しかしまだ最大の拠り所が残っていた。
実際に虐待を受けたという子供たちの証言だ。 だが、実はこれについても、弁護側はある驚くべき事実を掴んでいた。

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弁護士はマクファーレンのオフィスで行われた聞き取り調査を撮影した映像を見て、子供たちの証言に信憑性がないと感じたという。
プライバシー保護のため一部しか公開されていないが、その手法については明らかとなっている。
マクファーレンは人形を使い、子供にリラックスさせながら保育園で何があったのかを再現させたという。 時には人形が話すようにして子供に問いかけることもあった。 人形にはマイクがついており録音可能だ。

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彼女が行った実際の聞き取り調査を文字に起こした資料がある。
マクファーレン「他の子は話してくれたのよ。ワニさんは覚えてる?」
ワニとは、聞き取りを受けている子どものこと。
マクファーレン「それとも 覚えてないのかな?」
子供「覚えてない…」
覚えていないと証言している子供に対して、覚えているというまで質問を繰り返し、思い通りの答えの時は褒めていた。 デイビス弁護士は、子供が大人に褒められたいがために発言した可能性を主張。 それはつまり、子どもたちが真実ではないことを話しているということを意味する。

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さらに、マクファーレンは心理療法士の免許を持っていなかった
本来、精神的に不安定な子供から話を聞く場合、心理学者や心理療法士といった、その分野に精通した専門家が行う。 しかし彼女はそういった免許を持っておらず、知識や経験もないまま、聞き取り調査を行なっていたのだ。 物的証拠がなかった検察側にとって、唯一の拠り所と思われていた聞き取り調査、その信憑性が崩れ落ちた瞬間だった。

そして逮捕から7年後、ついに判決の時が訪れた。
判決は無罪
思い返していただきたい。
当初、近隣住民に親子を悪く言う者はいなかった。 FBIが加わった捜査では、敷地を掘り起こしても、証拠は見つからなかった。 そう、彼らが虐待を行ったという物的証拠は、終始ひとつとしてなかったのである。
では一体なぜ、街で評判の保育園経営者だった親子が、突如、犯罪者呼ばわりされる事態になってしまったのか? 実はその裏側には、この裁判に関わった人々の知られざる思惑があった。

「疑問1 なぜ裁判は行われたのか」

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1980年代、アメリカでは子供はまだ家で育てるのが一般的とされていた。 保育園の数自体、かなり少なかったこともあり、そこで児童への虐待が事件化した例はほとんどなかった。 そんな中…警察に保育園で虐待が行われているとの通報が舞い込む。 ところが、起訴できるほどの証拠は一切見つからない。 そこで警察はやむなく『虐待の疑いがあれば報告してほしい』との手紙を保護者に送った。
するとこれが大きな疑心暗鬼を生む。 親たちにとっては寝耳に水。 子供を預けた保育園で、もし虐待があったら…彼らはペギーと息子の行動、全てを疑い『虐待の可能性あり』と報告してしまったのだ。

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保育園で起こった初めての虐待事件にマスコミ報道が過熱。 証拠が見つからないからといって、「虐待がなかったとは言えない」と、保護者たちは捜査結果を決して認めなかった。 有罪判決を求めてデモ行進が行われ、加熱する世論に検察も裁判をやめるとは言えなかった。
しかも公判が始まる時点で、裁判費用として投入された税金は4億円以上。 有罪を勝ち取らなければ、国民に対しメンツが立たない。 ゆえに彼らは、司法取引を行い、罪をでっち上げるという違法な手段に打って出た。 そう、検察が強引に裁判を推し進めたことが、えん罪を生んだ最大の原因だった。

「疑問2 なぜ?免許のない者が聞き取り調査を?」

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これまで児童虐待が事件として表面化することは、ほとんどなかった。 そこで捜査機関が助けを求めた相手が、マクファーレンが所長を務める、虐待児童を保護する団体『国際こども研究所』。 実はこの団体、保護はしていたのだが、虐待を受けた子供の取り扱いに関する専門知識や資格をもったスタッフはほとんどいなかった。 そして彼女自身も心理療法士の資格など持ってはないなかった。
しかし、虐待を信じ込んだ彼女が心を痛めたことは間違いない。 その思いが高じた結果…知識のないまま誘導的な聞き取りを行い、それを「正しい」と思ってしまったのだ。 そしてマスコミも、この卑劣な犯罪を明るみに出そうという使命感から、かえって視聴者を煽る報道を行った。

デイビス弁護士はこう話してくれた。
「マクマーティン事件では“社会的伝染現象”が起こっていたように私には見えました。事件自体がセンセーショナルだったため、メディアによる過剰報道と相まって社会現象にまで発展し、次々と親たちを巻き込んでいった。それは、ペギー親子の人生を破滅させるまで終わらないのです。」
それでも最後は、陪審員が冷静にジャッジし、無罪判決がおりた。
えん罪をかけられる瀬戸際で親子は助かったのだ。 彼らは全ての財産を裁判費用に費やした。

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しかし、そもそもなぜ、いわれなき虐待疑惑は持ち上がったのか?
それはこの裁判が始まる2年前のことだった。 幼い息子を残し 一人の女性が亡くなった。
彼女こそ、事件の発端となった最初の通報者だった。

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司法解剖の結果、死因は内臓疾患による急死。 彼女はアルコール依存症を患っており、周囲に現実と空想の区別がつかないと漏らしていたという。
後に行われた裁判でも、彼女が病を患っていたこともあり、その証言が証拠として採用されることはなかった。
だが、ほんのひとつのきっかけが…自身の行動を正義と信じた人々によって増幅され、全米を揺るがすスキャンダルとなった。 通報から7年…多くの人の人生を狂わせた事件はこうして幕を閉じた。