10月13日 オンエア
大都市を襲う恐怖! 米で最も危険と呼ばれた女
 

新型コロナウィルスの流行によって、日本、そして世界は変わった。 あれから3年が経とうとする今なお、その恐怖は完全に消え去ってはいない。
しかしこうした事態は、今に始まったことではない。 実はかつて現代と同様、未知なる感染症の脅威にさらされた社会で、過酷な運命を辿った一人の女性がいた。

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その女性が暮らしたのは…世界一の大都会、ニューヨーク・マンハッタン。 そこからわずか5キロの沖に浮かぶ、廃墟島。 全長わずか500メートル。 その島の名は、ノース・ブラザー・アイランド。 19世紀末に建造された建物が今なお、荒れ果てた状態で残されるこの島で彼女はかつて30年近くもの間、隔離されていた。 女性は当時のアメリカ社会でこう呼ばれていた…『アメリカで最も危険な女』と。
一体なぜ、そう呼ばれるようになったのか? 死の病の恐怖に翻弄された人々によって人生を狂わされた、ひとりの女性の物語があった!

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当時、ニューヨーク市民は新聞を連日飾る、あるニュースに恐れ慄いていた。 それは、とある別荘のオーナーが公衆衛生の専門家、ソーパーの元に相談に訪れたことから始まった。
別荘を貸していた一家とそのメイドたちなど11人中、6人が腸チフスになったという。 『腸チフス』とは、細菌の一種、サルモネラ属チフス菌によって引き起こされる感染症である。 潜伏期間を経て、体温が40度前後まで上昇、数週間 高熱でうなされるという。 重症になると腸に内出血が起き、合併症などで死に至るケースもある。

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当時アメリカだけで、毎年20万人以上が感染、数多くの死亡者を出していた。 その原因は、当時から『排泄物によって汚染された水』にある事は判明していた。 大都市でも、まだ十分な下水浄化システムが発達していない時代。 糞便に含まれる菌を完全に除去しきれないまま河川に流していた。 それが家庭の飲料水として供給された結果、チフス菌が体内に侵入し、感染する。

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現在では感染者が排泄後、十分に手の殺菌を行わずに食べ物に触れた場合…その食べ物を摂取することで、二次感染が発生することがわかっている。
しかし当時、腸チフスについてこんな噂が広まっていた。 保菌者の咳など、飛沫にさらされたり、保菌者と接触したりするだけで感染する可能性があると…。
当時の新聞にはこう書かれている。
「医療関係者に認知されている病気の中で、腸チフスほど手に負えない病はない。」
「コントロールすることができず、感染を食い止めることは不可能である」

この頃はまだ、細菌を殺す抗生物質など開発されてない。
人々は、致死率の高い『恐怖の伝染病』に、不安な日々を送っていた。

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別荘を貸した一家は、チフスを発症する数週間前、新しい賄い婦を雇っていたという。 『賄い婦』とは、食事づくりを担当するメイドの事。 当時、上流階級の人々の多くが雇っていた。 賄い婦の名前はメアリー

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ソーパーは、まず別荘の水道水を調べてみたが、特に異常は見られなかった。
そこで、メアリーという賄い婦の職歴など、その素性を徹底調査。 すると、驚くべき事実が判明する。
彼女は、この10年で8つの家族に雇われていたのだが、そのうちの7世帯から実に22人もの腸チフス患者が発生。 別荘での一件の後、メアリーを雇った家でも一人の少女が腸チフスで亡くなっていた。
ソーパーは、メアリーの元を訪ね、腸チフスの保菌者の可能性があることを告げ、病院への同行を求めた。

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新聞に載っていたメアリーの特徴は…『年齢は、大体40歳くらい。背が高く大柄、あれで太っていなかったら…アスリートタイプと言える。彼女は男性のように歩き、そして…男性的な性格だった。』というもの。 さらに、ソーパーが病院への同行を求めた時のことはこう書かれていた。
『メアリーは、大きなフォークを振り上げて…ソーパーを追い返した。』 『それで数日後、ニューヨーク市の女性衛生官が、警官と共に乗り込んで男5人がかりで、ようやく病院に連行する事が出来た。』

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連行後、病院ですぐに検査が行われた。 すると、メアリーの便から大量のチフス菌が検出された。 しかし、腸チフスと思しき症状はなく、見た目も健康そのもの。 なぜ、菌が検出されたのか?

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メアリーは、健康保菌者の可能性があった。
特に症状もない健康体ながら、菌を身体に保持し排出する人物。 それが『健康保菌者』、いわゆる無症状の感染者である。
実は当時、他の伝染病でも、健康保菌者の存在は疑われてはいた。 だが、医師や研究者の間でも仮説にすぎず、アメリカでの事例はゼロ。 つまりメアリーがアメリカで初めて確認された『健康保菌者』だった。

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この結果を受け、彼女はある場所に連れて行かれた。 その場所こそが…あのノース・ブラザー・アイランドだった。
この20年ほど前、ニューヨーク市は無人島だった島に当時恐れられていた、天然痘や結核などの伝染病患者を強制隔離するための病院を建設。 多くの患者が島を出られないまま、この地で命を落とした。

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中でも、最も恐れられていたメアリーは、病室ではなく、病院の外に設置されたコテージに一人収容され、一切の外出を禁止された。 この事実をアメリカの新聞各紙は一斉に報道。 氏名や生まれなど、詳細なプロフィールは伏せられていたものの…『生きた腸チフス工場』『腸チフス菌の見世物小屋』など、センセーショナルな見出しが紙面を飾った。
「病原菌をばらまくモンスターは閉じ込めておくに限るね。」などという、市民の声に応えるように、その後、メアリーの隔離は2年以上続いたのである。

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そんなある日、新聞の一面に現在まで語り継がれる、メアリーの印象を決定付ける記事が掲載された。
見出しの文言は『チフスのメアリー』。 メアリー・マローンという本名や、貧しいアイルランド移民であることなど、詳細なプロフィールが明らかにされたのだ。 そして極め付きは記事の挿絵。 フライパンを持ったメアリーが、その中にドクロを入れて料理するというものだった。

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一体なぜ急に、実名や生まれが明らかにされたのか?
実は、メアリーは弁護士を雇い、病院からの解放を求める裁判を起こしていた。 それにともない実名が明らかになったのだ。
下された判決は…メアリーの敗訴

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だが、その半年後、隔離されていたメアリーが、突然、解放されたのだ。
その理由は、彼女以外にも少なくとも50人の健康保菌者の存在が確認されたこと。 さらに、二次感染のほとんどが感染者が排泄後に触れた飲食物を口にした事による経口感染であること。 また感染しても症状が落ち着いてから一定期間を経ると、菌を排出しなくなることが判明。

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こうした事実が明らかになったことでメアリーも料理さえしなければ、他者に感染させる危険性はまずないと考えられた。 そのため、衛生局の局長は、メアリーを隔離し続けるのは人権侵害に値すると考え、解放を決定したのだ。

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ただ、解放するためには条件があった。 それは、二度と賄い婦の仕事をしないこと。 メアリーは誓約書にサインをした。 そして、衛生局は、洗濯婦として働けるように働き口も用意した。
全てはこれで解決するはずだった。

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5年後、新聞にある記事が掲載された。 その数日前、ニューヨークの婦人科病院で、25人の腸チフス集団感染が発生。
2人が死亡する事態が起こったのだが…3ヶ月前からブラウンという新しい調理係を雇い始めたという。 衛生局の職員がその調理係を訪ねると…そこにいたのは、メアリーだった!

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メアリーは『2度と賄い婦の仕事はしない』という誓約を破り、偽名まで使って再び賄い婦として病院で働いていたのだ。 新聞各紙は『チフスのメアリー』が禁じられた賄い婦として世間に舞い戻り、再び多くの感染者、そして死者まで出したことをセンセーショナルに書き立てた。
その後、再び腸チフスの検査を行ったが、結果は、やはり陽性。 こうして彼女は再び、ノース・ブラザー・アイランドの隔離病院に連行された。

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アメリカ中の人々から、まるで怪物のように恐れられたメアリー・マローン。 しかし、当時の彼女を良く知る人は、こう語った。
「メアリーは魅力的で、とても温かくて愛しい人です。」
実は実際のメアリー・マローンは、当時の人々が抱くイメージとは真逆の人物だったのだ。

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メアリー・マローンは、アイルランドの中でも非常に貧しい地域で生まれた。 当時、多くのアイルランド人が、より良い生活を求めて、アメリカに移住。 メアリーも15歳の時、希望に胸をふくらませ、家族と共にニューヨークへ渡ってきた。
ウィスコンシン大学 名誉教授のジュディス・リーヴィット博士は、こう話してくれた。
28歳からの彼女の履歴が残っています。全て賄い婦と書かれているため、それ以前からもやっていたと考えて間違いないでしょう」
メアリーが若い頃、両親がともに他界。 博士によれば、以来、彼女は賄い婦をしながら、ずっと一人で生き抜いてきたと考えられるという。

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一体、彼女はどんな女性だったのか?
最初にメアリーと接触したソーパーは、こう語っている。
「背が高く大柄、あれで太っていなかったら、アスリートタイプと言える。」
しかし、メアリーを連行した女性衛生員は…「清潔でこざっぱりした、アイルランド女性。」と、評している。
リーヴィット博士「のちにメアリーは、体格の良い女性ではなかったと判明しています。可愛らしい顔をしていますし、男性のようなイメージは、彼女を悪魔のように世間に印象づけるためにソーパーが都合よく創作したものです。」

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実際のメアリーの写真を見ると、確かに女性衛生員の人物評が近いように感じる。 そしてそれを裏付ける様な事実もある。
当時、ドイツ移民の男性と交際していたメアリー。 真面目な性格だったという彼女は…朝6時には仕事を開始し、夜11時まで働き詰め。 住み込みの小さな部屋で、食事は余り物。 そんな厳しい生活を送りながらも、彼女は文句も言わず、決して手を抜かなかった。 いつしか、メアリーは、他のメイドから信頼される存在になり…雇い主も、彼女の料理の腕に惚れ込んでいた。

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賄い婦として雇い主からの信頼も厚かったメアリー。 だが、その料理の腕前が、後の人生を大きく狂わせる。
メアリーは、自分が原因であるとはつゆ知らず…次々に腸チフスに倒れる雇い主の一家を心から心配し、献身的に看病していた。

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そんな時、突然現れたのが、公衆衛生の専門家ソーパーであった。 健康保菌者という概念さえ知られていない時代。 いきなり現れた見知らぬ男性に、腸チフス菌を持っていると言われても、自覚症状も全くない彼女が混乱し、激怒するのも無理はなかった。

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それだけではない、メアリーはわけも分からないまま、ノース・ブラザー・アイランドの病院に設置されたコテージに一人きり、2年以上にわたり隔離されることになったのだ。
この間、彼女は、本当に自分は腸チフス菌を持っているのか疑問を持っていた。
隔離生活では、週3回腸チフスの検査が行われていたのだが、当時の検査記録を見ると…陽性の時もあれば、陰性の時もあったのだ。

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病院への不信をつのらせたメアリーは、恋人に検体を送り、別の機関での検査を依頼。 その結果は…陰性だった。
これを受け、恋人を通じて、弁護士に相談。 ついに、解放を要求する裁判を起こした。 しかし、皮肉にもこの行動こそが、市民の間に実像とは大きく異なる恐怖のイメージを植え付けることとなる。

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キーマンとなったのは、当時 新聞王と呼ばれた、ウィリアム・ハースト。 当時、新聞はメディアの中核、各紙が読者獲得競争を繰り広げるなか、ハーストは事実をよりセンセーショナルに報道することで、多くの読者の獲得を狙っていた。
そう、料理によってチフス菌を撒き散らす毒婦『チフスのメアリー』は、まさに格好のネタだったのだ。 そのハーストの指示の下に書かれたのが…最初に『チフスのメアリー』という呼び名、そして毒婦のイメージを決定付ける挿絵を掲載した、あの記事だった。

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この記事のあまりの反響に他紙も追随。 『チフスのメアリー』という呼び名を利用し、市民の恐怖を煽り続けた。
その結果…「チフスのメアリーは、アメリカ人を恨んでいたらしいぜ。」「わざと菌をばら撒いたってウワサよ。」
市民たちの噂話にどんどん尾ひれが付いていき、いつしか『チフスのメアリー』という架空の怪物が誕生したのだ。

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それでも、他の健康保菌者が確認され始めたことで、ようやく自由になったメアリー。 にも関わらず、なぜ彼女は病院から解放された後、誓約を破り、再び賄い婦として働きはじめたのか? そこに秘められた、切実な理由とは…?

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実は、その前年のこと…恋人、そして訴訟を担当してくれた弁護士が相次いで他界。 支えてくれた2人を失い、孤独になったメアリー。
さらに、追い打ちをかけたのが貧困だった。 専門家によると、洗濯婦は賄い婦よりも、はるかに賃金が安く、メアリーは生活が困窮していたと考えられるという。

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そして、何よりも…彼女は、心から料理を愛していた。 アメリカに移住してから賄い婦ひとすじ、料理の腕だけで生き抜いてきた。 そんなメアリーにとって、料理で人を笑顔にすることが、唯一の生きがいだったと思われる。

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そんな彼女だからこそ、人一倍衛生には気を使っていたという。
にも関わらず、なぜ、再び25名もの感染者と死者2名を出す、クラスターを発生させてしまったのか?
実はのちに分かったことだが、メアリーの場合、胆嚢に腸チフス菌が定着し、長期に及び菌を排出し続ける、珍しいタイプの感染者だったのだ。

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現在では、流水で手を洗っただけでは、手の平や爪に、100分の1ほど、菌が残っていると言われている。 さらに石鹸が一般家庭に普及し始めたのは、20世紀半ばになってから。 つまり、当時、こうした事情を知らなかったメアリーがいくら注意を払っても、感染を防ぐ事は出来なかったのだ。
しかし…世間は彼女が賄い婦を続けたのは、自分の都合を優先したから、さらには故意に感染者を増やすためだと糾弾。 同情する意見はほとんどなかった。

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こうして、メアリーは、再びノース・ブラザー・アイランドに隔離された。 しかし、二度目の隔離生活が始まった当時、新たに同様の『健康保菌者』は数十名、確認されていた。 その中には、彼女のように隔離された者もいたが、いずれも長くて2週間程度。 だが、メアリーの二度目の隔離生活は、実に23年という長期間に及ぶことになったのだ。

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なぜメアリーだけが、23年もの間、隔離され続けることになったのか?
専門家によると、まず、1つ目の要因としては、アイルランド移民に対しての差別が考えられるという。 当時のアメリカでは、移民は貧しい生活を強いられ、スラム街に集団で暮らす者がほとんど。 当時 研究者の多くは、『移民こそが感染症の元凶』という偏見を持っていたため、メアリーを悪者に仕立てようとした可能性があるという。

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もう1つは…食品関連の職業に就いていた健康保菌者が、メアリーのような過ちを犯さないよう、いわゆる見せしめとして、隔離し続けたということも要因として考えられるという。
さらに…なにより、当時、多くのニューヨーク市民が、“チフスのメアリー”の隔離を歓迎していたという風潮があった。

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こうして、健康保菌者の中で、ただ一人隔離され続けることになったメアリー。 彼女は自分が保菌者であるということが、なかなか信じられなかった。 当時の検査技術では、陽性の時もあれば陰性の時もあり、正確な状態を解明できなかったからだ。 自らの置かれた境遇に絶望したメアリーは、世間を恨むこともあったという。

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しかし、隔離生活が進むにつれ、彼女の中に、ある変化が生じた。
リーヴィット博士「彼女は隔離生活を 徐々に前向きに捉えるようになっていったのです。」
島の病院にいる感染症患者の多くは、彼女と同じく孤独だった。 そんな彼らのために、ビーズ飾りなどを作ったり、患者を介助して一緒に島を散歩したりと、積極的に活動を開始したのだ。 そして隔離から2年後には、病院で有給の看護師・ヘルパーとして働き始めた。 こうして、いつしかメアリーは、病院でも誰からも愛される存在になっていった。

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やがて彼女は、衛生局からも信頼されるようになり、島を出て 自由に行動することもできるようになった。 監視役がいるわけでもなく、ニューヨークの街中で自由に買い物などを楽しんだ。 そんな彼女を親友として自宅に招き、家族ぐるみで食事を共にするほどの仲になった医師もいた。 食事の後は、メアリーが使用した食器を熱湯で煮沸していたという。 だが、そこまでしてでも、彼女と時間を過ごしたいと思っていたのだ。
医師の娘はメアリーについて、こう語っている。
「メアリーは魅力的で、とても温かくて愛しい人です」

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一人で島の外へ出た際に、その気になれば、逃げる事も出来た。 それでも決められた時間までに、必ず彼女は島に帰ってきた。 天涯孤独になり、料理という生きがいまで奪われたメアリー。 だが、この島で暮らす患者や医師たちと出会った事で、隔離された小さな世界こそが、自分の居場所だと考えるようになり、新たな希望を見出していったのだ。
リーヴィット博士「仕事や友人が出来たことにメアリーは幸せを感じ、少しずつ自分の人生を受け入れられるようになりました。その経験が彼女の考え方を大きく変えたのだと思います。」

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そして彼女は思いがけないことを始める。 メアリーは、長年、菌を排出し続ける自らの体を実験台にして、医師に何百という薬を試すことを許可した。 腸チフスで苦しんでいる人々の為になればと。

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そして23年の隔離生活が続いた1938年11月11日。
メアリー・マローンは隔離されたまま、脳卒中により、69歳でこの世を去った。
結果的に、彼女の生存中に腸チフスの抗生物質が出来る事はなかった。

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だが、すでに世間はメアリーへの関心を失っていた。 紙面上でも、ごく小さな扱いで報じられ、もはや、彼女の死を気にとめる者さえ、ほとんどいなかった。 その結果…最後まで、毒婦『チフスのメアリー』のイメージは変わることはなかった。 だが、真実のメアリー・マローンは…過酷な運命にも負けず、最後まで自分らしく生き抜いた、1人の女性だった。

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メアリー・マローンの二度目の隔離生活が始まって、7年後の1922年。 アメリカの農場で働いていた健康保菌者の男性によって、107人が感染し、うち9名が死亡するという事例が発生した。
彼は衛生局から食品関連の仕事を禁止されていたが、再び農場で働いていた。 そう、メアリー・マローンとほぼ同じ状況であった。 しかし衛生局は、彼を建設関係の仕事につかせ、生活状況を定期的に報告する事を命じ、2週間隔離したのみで解放した。
実は、この頃になると、ニューヨーク市内だけでも、毎年100人近い『健康保菌者』が確認されるようになっていた。 むろん・衛生局が全員を隔離するのは不可能。 また、長期間の隔離は人権侵害だと市民から非難も集まった。

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新聞社も、新たな健康保菌者が現れても、被害が大きくない限り、氏名や生まれなどは伏せ、その扱いも小さなものとなった。
そんな中、ただひとり『チフスのメアリー』として強烈なイメージを植え付けられ、23年にもわたり隔離され続けた悲劇の女性、メアリー・マローン。 図らずも『健康保菌者』第一号となったがゆえに、過酷な人生を歩む事となってしまった。

しかし、彼女の死後、ある考えがアメリカ社会に広まった。
「もし、ある個人が社会に対して、脅威を与えうる存在だという理由で、飲食業や酪農業などの職業から離れる事を要求されるなら、職業選択の幅を狭める分だけ、きちんと公的な補償をするべきだ。」

リーヴィット博士はこう話してくれた。
「メアリーの物語が、今日まで非常に注目されている理由の一つは、公衆衛生史におけるジレンマを体現しているからといえるでしょう。政府は、国民の健康を守る役目があり、同時に個人の自由を侵害してはいけません。メアリーのケースは、この事柄に反します。衛生機関は、チフスのメアリーの事例から様々な学びを得たのでしょう。」

その一方で、死後も彼女には毒婦としてのイメージが付き纏った。 メアリーを題材とした小説や演劇がいくつか発表されたが、わざと菌をばら撒く完全犯罪者として描くものまであった。 現在でも、メアリー・マローンという名前より『チフスのメアリー』という呼び名の方が一般的に知られている。
彼女は生前、こう訴え続けていた。
「神に誓って、私の名前は、メアリー・マローンです。」