今から15年前の2007年3月。 大阪国際空港発、高知空港行き、全日空1603便は離陸の準備を進めていた。 同機は主に地方路線を担う、小型のプロペラ機だった。 機長は36歳、総飛行時間およそ8000時間の中堅パイロットだった。 他に副操縦士、そして客席には2人の客室乗務員と56名の乗客がいた。 部下と乗っていた瀧原勇(たきはらいさむ)さん(58歳)もその一人だった。
午前8時21分、飛行機は定刻通り離陸。
所要時間は41分、短いフライトのはずだった。
しかし、その予定は脆くも崩れ去る。
伊丹空港から高知空港へ向かう場合、通常 海側から滑走路に入る。
しかし…この時、機体はなぜか、到着予定時刻を過ぎても、まだ桂浜や太平洋の上空を旋回していたのだ。
さらに、機体後方部に座っていた乗客が…とんでもない異変を目撃する。
なぜか機体が、翼の下にある後輪を何度も出し入れしていたのである!
その時、コックピットの中では、機長と副操縦士がとんでもない危機に立ち向かっていた。
発端は、この15分ほど前に遡る。
高知空港までおよそ10キロと迫ったところで、着陸態勢に入った機体。
その時…機体に異変が生じていた。
本来、ギアレバーを下げることにより格納庫の扉が開き、2つの後輪と前輪が出る。
そして、コックピット内のランプが緑色に点灯することによって、車輪が出たことを知らせるという仕組みになっている。
ところがこの時、コックピットの下にある前輪とその扉に異常が発生したことを知らせるランプが点灯していた。
それは、前輪が出ていないことを示していた。
もし前輪が出ないまま着陸をするとなると、どんな危険があるのか?
航空機が着陸する際、最初に後輪が接地。
その後、下がった機首を前輪が支えることで安全な着陸が可能となる。
しかし…前輪が出ていない場合、下がった機首がそのまま時速200キロ近い速度で滑走路に激突!
最悪の場合、機体が炎上してしまう可能性がある。
そこで機長は…一旦、着陸を諦めた。 まだ機体には2時間近く飛べる燃料が残っていたため、その時間を使って原因を究明しようと考えたのだ。 機体が太平洋の上空を飛んでいたのはそのためだった。 また何度も後輪を出し入れしていたのは、ギアレバーの上げ下げを繰り返していたため。 機長らは前輪のトラブルを何とかしようと試みていたのだ。
しかし解決しなかった。
そこで…手動で車輪を出せないか試してみることにした。
そもそも航空機には車輪を下ろす仕組みが2つある。
一つはすでに機長らが試した方法だ。
レバーを下げることによって格納庫の扉を開き、ロックを解除して車輪を下ろし、再び扉を閉める。
これら一連の動作は、電気信号を使って行われる。
そしてもう一つは、コックピットの床下にある手動ハンドルを引くことによって、ワイヤーで繋がるロックを強制的に解除し、前輪の重さで扉をこじ開け、車輪を出すという方法だ。
だが…この方法でも前輪異常の警告ランプは点灯したままだった。
機長は、警告ランプが故障しているかもしれないと考えた。 だが、前輪がついているのはコクピットの真下、機長たちには車輪が出ているのかどうか確認できなかった。 そこで、空港上空を高度150メートルという低空で飛行、地上の整備士に目視で確認してもらうことにした。 その結果…前輪は出ていなかった。
しかも扉も開いていなかった。 それは1603便のランプは故障していないこと、またワイヤーで繋がれたロックを手動で解除するやり方に不具合が生じることはまず考えられないことから…扉に何らかの異常が発生し、前輪が下りない可能性が高いことを示していた。
到着予定時刻を10分以上過ぎていたにもかかわらず、着陸する気配がない。
乗客の中には、不安を感じる者も出始めていた。
そんな時…機長からアナウンスがあった。
「当機は現在、前の車輪が下りていない状況です。地上の整備士と連絡を取りながら原因を究明中で時間を要します。」
一瞬、客席がざわついた。
だが、すぐに沈黙に変わったという。
仕事で高知に向かっていた瀧原さんは、この時の機内の様子をメモに残していた。
「機長 乗務員とも冷静なので、乗客も表向きは冷静」
そして離陸からおよそ1時間30分が経った頃、機長は次なる手に打って出る。
機体を50度傾け急旋回、遠心力を使って扉を開き、前輪を出そうというのだ。
だが、それでも前輪は出なかった。
離陸から1時間58分。
燃料は残り40分しか飛べないほどにまで減っていた。
なかなか解決策を見出せない中、ここで機長は最後の大勝負に出る。
タッチ・アンド・ゴーを実施することにしたのだ。
タッチアンドゴーとは、機体の車輪を一瞬滑走路に接触させ、すぐに離陸する動作のこと。
機長は機体が地面に接地する際の衝撃を利用して、扉を開け、前輪を出そうと考えたのだ。
だが、もし失敗すれば…大惨事に繋がりかねない。
この緊急事態は各所に伝えられ、高知空港にはたくさんのマスコミが詰めかけていた。
乗客の命を救うための最後の切り札。
果たして…着陸も離陸も完璧だった。
しかし、前輪は出なかった!
その事実は客席にも伝えられた。
乗客たちの微かな希望は、打ち砕かれた。
だが、そんな状況下でも、機長が落ち着きを失うことはなかった。
もう前輪が出ることはないと判断した機長は、56名いる乗客のうち7名を後方の席に移動させた。
これには理由があった。
機長はついに胴体着陸を決断したのだ。
航空機の多くは両翼の中に燃料を貯蔵するタンクがある。
もし機体で火災が発生したら、中央付近が最も激しく燃える可能性がある。
さらに1603便の機体の前後には緊急の脱出口があった。
着陸後、速やかに避難させるために、機長は中央付近にいた乗客を後方の席に移動させたのだ。
胴体着陸というアナウンスに乗客たちには動揺が走っていた。
しかし機長はこう言った。
「私たちは十分に訓練を積んでいますから安心して下さい」
この機長の言葉に、乗客たちは落ち着きを取り戻した。
だが、その一方で、瀧原さんはこう思ったという。
「前輪なしで着陸するらしい。こんな訓練ほんまにするの?」
実は機体の破損が伴う、胴体着陸の訓練など存在しない。
パイロットが使うシミュレーターでも、車輪の不具合全般に関わる対処法などは体験するが、今回のような事態に特化した訓練は行われていないという…にも関わらず、なぜ機長は訓練を積んでいると言ったのか?
ANA元機長、高野開さんは、こう推測した。
「主にお客様に安心していただこうというためにと言うことがあります。今回も主にお客様の安心を得るために、私たちは十分な経験を積んでいますということをアナウンスしたんだと思います。」
しかし疑問は残る。
これまで機長らは前輪を出すべく様々な方法を試してきた。
にも関わらず、なぜ前輪は出なかったのか?
実はその原因は、まさにアンビリバボーなものだった。
後に作成された事故報告書によると…原因は「ボルトのつけ忘れ」によるもの、としている。
実はカナダの製造会社から航空会社に機体が納品された際、ボルトが一本ついていない状態のままだったという。
前輪が降りなかった時、機長らはロックを手動で解除し、車輪の重さで強制的に格納庫の扉を開こうとした。
扉を開く際、蝶番のような役割を果たすこの部分は本来、スペーサーと呼ばれる筒状の部品の中にボルトを通し、反対側をナットで締めることで正常に機能する。
しかし、そのボルト自体が装着されていなかったのだ。
結果…これまでのフライトで何度も前輪の出し入れを繰り返す内に、このスペーサーが飛び出してしまった。
そして…スペーサーが他の部分と接触。前輪の重さをもってしても格納庫の扉が開くことはなかったのである。
午前10時47分。
副操縦士が胴体着陸をすることを伝え、管制から許可が下りた。
しかし、まだ問題があった。
航空機は着陸すると減速し、自然と頭が下がる。
ここでブレーキを使うと、さらに急激に機首が下がり、滑走路と激しく衝突してしまう。
また操縦桿を引き過ぎて、機首を必要以上に上げてしまっても…減速した際、機体が受ける衝撃が大きくなってしまう。
接触の際の衝撃を最小限に減らすには、ブレーキを使わず、車輪と地面との摩擦で自然と減速させながら、機体が水平になるようにバランスを保ち続け…速度が十分に落ちてから、ゆっくりと機首を下げる必要がある。
機体の炎上に備え、滑走路には消火剤がまかれた。
そして離陸から約2時間半が経過した午前10時53分、1603便はついに着陸態勢に入った。
そして10時54分…1603便は胴体着陸に成功!
乗客乗員誰ひとり、怪我をした者はいなかった。
当時、仕事で高知に向かうために、この便に搭乗していた瀧原さんは、あのような体験をした後も、仕事の際は変わらずこの便を利用したという。
その理由は…?
「飛行機降りた後も、それが怖いという恐怖感として残らなかった。心の傷として残ってないということですね。次、飛行機乗る時に安心して乗れた。その辺は、やっぱりあの方たちのおかげかな。そういう意味でも非常に感謝してますね。」
前代未聞の危機的状況の中、胴体着陸を成功させた機長。 その機長を最後まで支えた副操縦士と客室乗務員。 そして、地上で万が一に備えた消防隊や航空スタッフたち…彼らHEROたちが、56名の乗客の命を守った。