4月7日 オンエア
夢の内容が現実に起きた漫画家
 
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この女性は長年あるものを書き綴っている。 それは…『夢の記録』
自分が見た夢の中で特に印象に残ったものをノートに記し続けているのだ。 そして、その夢のいくつかが、見た内容と近い形で現実に起こるという不思議な現象を体験。 つまり、夢の中で未来を見た経験を持つ女性なのだ!
実は先頃、この不思議な体験を彼女自身が描いた漫画本が大きな話題を集めた。 そして今夜、その話題の漫画の作者が初のテレビ取材にこたえる! さらに、今まで一部しか公表していなかった夢の記録のいくつかを初公開! 彼女が見た驚くべき未来とは…アンビリバボー独占取材でその全てを語る。

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20歳の時、少女漫画家としてデビューした、たつき諒。
彼女はアイデアが浮かんだらすぐに書き留められるよう、筆記用具とメモ用紙を常に持ち歩いていた。 それは、寝る時も。

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その頃から、普通の夢とは違い、目覚めても鮮烈に記憶に残る印象的な夢を見るようになったという。 そんな夢が気になった彼女は、何気なくメモに残すようになった。 それがいつの間にか習慣となっていった。
そして、31歳になる頃、ノートに『夢日記』として記録するようになった。 何気なく書き綴られた夢の数々。 しかし、後にこれが大きな意味を持つことになる。

【たつき諒の夢 その1.謎の空洞】

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今から33年前の8月、この日、たつき諒はある夢を見たが、後に起こった事実があまりにもショッキングだったため、その夢日記のページを破り捨てたという。 夢の内容を改めて彼女に描いてもらった。
それは、洞窟のような、トンネルのような広い空洞の中、そこに たつき諒と一人の人物の姿があった。 その人物は顔がはっきり見えないが、何か言いたそうである事は分かる…そんな夢だったという。

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それから2年後の8月、彼女は気分転換に地元・横浜市にある、今まで行った事のなかったとある公園を散歩していた。 その公園には、掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる、戦時中に物資や人員などを敵の攻撃から守るために作られた施設があった。 それを見たとき、2年前夢で見た空洞と同じ場所であるように感じられたという。 気になった彼女は、その場所の写真を撮った。

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そして、それからおよそ半年後の事だった。 たつき諒が撮影した掩体壕の近くで、女性の遺体が発見が発見されたというニュースを目にしたのだ。
遺体はバラバラにされ、ビニール袋に入った状態で、人通りのほとんどない雑木林に放置されていた。 そして司法解剖の結果、死後 半年以上経過している事が判明。 つまり…半年前、たつき諒が掩体壕を撮影したその時、この遺体が公園内に放置されていた可能性が高かったのだ。

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彼女はこれを始めとし、これまでにいくつか未来で起こる事を夢で見る体験をしてきたという。 しかし、夢で見た内容がそのままの形で現実になるのではなく、イメージのようなものが現実と重なるのだという。
そもそも、なぜ人が夢を見るのか? そのメカニズムさえ解明されておらず、夢は今尚、謎に包まれている。 しかし、たつき諒は夢には何かしらのメッセージがあり、そのため現実で起きることもあるのではないかと思うようになった。

【たつき諒の夢 その2.ロックスターの死】

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今から46年前、たつき諒はある夢を見て、その内容を書き綴っていた。 それは、『ボヘミアン・ラプソディ』などのヒット曲で知られるイギリスの4人組ロックバンド『QUEEN』のボーカルのフレディ・マーキュリーが流行病で亡くなったという夢だったという。
実は、たつき諒はクイーンの大ファン。 そのため、彼らの夢を見たのではないかという。

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さらに、その夢の10年後、彼女は再びQUEENに関するこんな夢を見た。 夢の中でたつき諒はテレビで放映されていたQUEENの映画を鑑賞している。 しかし、そこにフレディの姿はなく、他のメンバー3人のみが出演していた。
さらに、QUEENのメンバーの銅像が出てきた。 4つの銅像のうち、3つはメンバーだったのだが、1つはフレディではなく…知らない人物。 しかも、一番左端に明らかに銅像があったのに、外されたようなスペースが空いていたという。

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その5年後…『QUEEN』リードボーカル、フレディ・マーキュリーが亡くなったというニュースが報道された。 また、夢の中のニュースは、フレディが流行病で亡くなったと報じていたというが…彼の死因はエイズによる肺炎。 エイズは80年代に発見され、この頃世間に認知されたばかりの病であった。
また、QUEENはアダム・ランバートという新しいボーカルを入れて活動している。 夢で見た知らない人物とはもしかして彼のことなのかもしれない。

【たつき諒の夢 その3.田舎の風景】

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今から29年前、彼女はこんな夢を見た。 それはどこかの田舎の風景、道はY字路、道端には沢山のびわが実っている。 それを家族と食べながら歩く…そんな夢だったという。

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その夢から1年後。 この日、山形県に住む伯父が亡くなったため、家族と共に横浜の自宅から車で向かう事になった。
そして翌朝、無事 山形県に到着。 伯父の自宅へ歩いて向かっているその道中だった。 彼女は突然、カメラを取り出し、写真を撮った。

その時、撮影した写真と夢日記の内容と比べてみると…実ったフサの様子、道の形など構図が似ている事が分かる。 実っていたのはビワではなく、ブドウだったという違いはあったが、家族と共にこの道を通るという設定も同じ。
さらに、この夢日記を書いた日付は、1993年9月14日。 そして、写真を撮影したのは、ちょうど一年後のまさに同じ日だった!!
このケース以外にも…夢の中で、女性の姿とダイアナという文字を見たちょうど5年後、ダイアナ元皇太子妃が自動車事故で亡くなるなど、夢をみた日と夢とリンクした現実が同じ日付になることがあったという。

【たつき諒の夢 その4.地球の波動】

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今から21年前に見た夢。 それは宇宙から見た地球の姿。 インドネシア辺りから波動が広がって行く、そんな夢だったという。
それから3年後、インドネシア西部に位置するスマトラ島沖にて、マグニチュード9.1の地震が発生。 多くの犠牲者を出す大惨事となった。 この地震が発生したのは、2004年12月26日。 たつき諒が夢を見たのは、2001年12月25日、一日違いの日付だった。

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さらに、彼女がこの時 見た夢にはまだ続きがあった。 それは、インドネシアの真裏でも波動が広がっていくというもの。 その時 彼女が描いた記録を見てみると、アメリカの近くに何やら波動のようなものが描かれていることがわかる。
そしてスマトラ島沖地震からおよそ半年後、この日、アメリカ南部を襲った大型のハリケーン・カトリーナの記事を目にした。 新聞にはその衛星写真も掲載されていたのだが、これを夢でみたイメージと比べてみると…彼女が描いた波動の中心と衛生写真のカトリーナの位置がほぼ同じ。

このように、イメージのような形で見た夢を現実世界でも体験することが重なった、たつき諒。 しかし、彼女はこう話す。
スタッフ「先生は予言者なんですか?」
たつき先生「いやいや、全然。自分では思ってないです。(夢と現実は)そのまんまじゃないですから。実感がないんですよね。」
また、彼女が言うには、現実とリンクしない夢の方が圧倒的に多いのだという。 日記一冊には8年〜12年分の夢が書かれている。 つまり、頻繁に印象的な夢を見るわけでもないらしい。 現実とリンクするのは、月数回見る印象的な夢のうち1割程度、確率的にはかなり低いのだ。

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今から23年前1999年、たつき諒は、この『夢で未来を見る』体験を漫画にし、単行本として出版する事にした。 表紙には、今まで見た夢の中で特に印象に残っているものをいくつか描いたのだが、その漫画本の締切日、表紙に設けたコマの数と描く夢の数を計算していなかったため、一コマ分だけ余ってしまっていた。 そこで何にするか考える前に一度休憩をとることに…するとその時、夢を見たのだという。

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それは、映画館のスクリーンのような真っ白な光景の中に黒い文字が浮き上がっているだけの夢。 だが、何か使命感の様なものを感じ、表紙の空いていた1コマに書き込んだ。
こうして表紙に書かれたのは…「大災害は2011年3月」という文字。 12年後の2011年3月11日、不幸にもこれは現実となった。

実は、この漫画本を出版した1999年、彼女は漫画家を引退。 その後、一般人として生活を送っていた。
そのため、表紙に書いた内容もいつしか忘れていたのだという。 震災が起きた際も動揺していたため、表紙に書いた内容を思い出す事はなかった。 その後、本の存在がネット上で大きな話題となり、メディアでも取り上げられたことが、親戚から彼女の耳に入り、ようやく思い出したのだという。

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そして昨年7月、ある出版社から依頼があり、『私が見た未来』を再版する事になった。 打合せのため、初めて担当者と会う事になったのだが、その日の朝方 ある夢を見たという。
それは、1999年の時と同じ、映画館のスクリーンのような光景。 そして、そこに映し出されたのは…「大災難は2025年7月」という文字。

さらに、この夢には続きがあった。 現れたのは、空の上から見た世界。 突然、日本とフィリピンの中間あたりの海底が破裂! 香港や台湾そしてフィリピンまでもが大陸と地続きになるイメージのものだった。
彼女はこの夢の内容を、昨年再版した『私が見た未来』に書き加えた。

決して、再販の話題作りでもなければ、世間に不安を与えようと意図したわけでもないという。 実は、震災後に自分の漫画が話題になっていると知った時、もし震災前により多くの人の目に留まっていれば、もっと助かった命があったかもしれないという思いが芽生えたのだという。
無論、彼女自身 これを予言だとは思っていない。 何も起きない事が一番良いと考えている。 だが、先程の経験から、再版する書籍に加筆したのだという。 彼女は夢が現実になる、ならないではなく、いざ災害が起きた時の備えになればという思いをこめ、公表したのだ。 今回、彼女が特別に出演を引き受けてくれた理由もそのためである。

実はこの2025年7月の夢を見た時、同時に明るい未来像も見えたと彼女は言う。
「事前に準備しておいたことで多くの人が助かって、復興に向かって人々が生き生き暮らしているっていう、そういう状況が見えたので本当に大きな災害が起きたとしても大丈夫なんだなって、私は信じています。」

近年、日本でも気候変動などの影響で多くの自然災害が発生。 さらに政府の地震調査委員会によれば、今後30年以内の首都直下型地震の発生確率はおよそ70%とされている。 こうした災害に備え、内閣府は家具の固定や、3日分の飲料食料品の備蓄などを推奨。 もしもに備えた対策を呼びかけている。