1月27日 オンエア
突然奪われた平穏な日常…真実を求めた家族の闘い
 
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静岡県三島市。 溶接会社に勤務していた仲澤勝美さんは、妻の知枝さんとの間に、すでに成人していた杏梨さん、勇梨さん、マリンさん、小学生の一花さんという4人の子に恵まれ暮らしていた。
それは今から3年前、1月22日のことだった。 夕方6時ごろ、勝美さんからい「今から帰るね!」という連絡が届いた。 その前日、長男・勇梨さんが癌の手術を受け、勝美さんの帰宅を待って、お見舞いに行くことになっていた。

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勝美さんは毎日、原付バイクで通勤。 職場から自宅までは、15分ほどの距離だった。
ところが、30分たっても勝美さんは帰ってこなかった。 心配になり、勝美さんに電話をしたのだが、繋がらなかった。

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勝美さんは事故にあっていた。
現場は自宅からおよそ1km、大きな国道の下を走る交差点だった。 ここで勝美さんは、白いミニバンと衝突してしまったのだ。
その後、緊急搬送されたが…大動脈損傷でまもなく死亡が確認された。

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その日の夜、家族は病院を訪ねてきた警察から事故の状況を知らされた。
運転していた女性から事情を聞いたという警察によると…ミニバンが制限速度内で走行中、交差点の信号が青だったため直進したところ、反対車線を走っていた勝美さんのバイクが急に右折。 避けきれず衝突したのだという。

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だが、家族はこれを否定。
実は、勝美さんの通勤・帰宅ルートは決まっていた。 慎重な性格の勝美さんは、普段はあえて大通りを避け、多少時間はかかっても細い裏道を使い交差点を渡っていたという。
また、女性の証言通りだとすれば、双方の信号は青ということになる。 この場合、直進する女性の車が優先。
家族にはそんな危険を犯して、勝美さんが右折するとは考えられなかった。

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もちろん、長男を見舞おうと急いでいたため、大通りを使った可能性は否定できない。 ただ相手の乗用車にドライブレコーダーはなく、根拠となっているのは運転手の女性の証言のみのはず。 ちゃんとした捜査がなされれば、真実が判明する…家族はそう思っていた。

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だが、その翌日。 新聞各紙が『勝美さんの右折』で事故が起きたと報じていたのだ。
警察は運転手の証言のみで事故原因を特定し、防犯カメラの調査も行っていなかった。 さらに、杏梨さんが保険会社に連絡したところ、勝美さんが右折した事故なら、保険金がほとんど下りない可能性もあると告げられた。 警察、マスコミ、そして保険会社までもが、勝美さんに非があると決めつけているかのように感じられたという。

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事故から、わずか2日後。
杏梨さんたちは、涙の乾く間もなく目撃情報を集めるべく、事故現場近くの店舗を一軒一軒回りはじめた。

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さらに広く情報を集めるために自分たちでチラシを作成。 それを昼と夜の2回、事故のあった交差点で配った。
そして近くの住宅街にも足を伸ばしポスト投函。 新聞販売店にもお願いし、折り込み広告として配ってもらった。

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さらに、ドライブレコーダーの映像が残っていないか、事故現場近くを走っている車の運転手に聞いて回った。 これらを毎日休む事なく続けたのだ。
そして癌の手術を終えたばかりの勇梨さんは、SNSのアカウントも作成し、必死に情報提供を呼びかけた。 そして妻の知枝さんは、精神的にまだ外に出られる状態ではなかったため、子供たちが集めてきた情報をノートにまとめる係に。

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なぜ、勝美さんは死ななくてはならなかったのか? ただ、その答えを求めるため、家族は一致団結して独自で調査を続けた。
だが、その最中だった…SNSで多くの誹謗中傷を浴びせられたのだ。

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そんなある日、勝美さんが働いていた会社の同僚が訪ねてきて、自分たちにも手伝わせて欲しいと申し出てくれた。
さらには、生前の勝美さんをよく知る杏梨さんたちの友人、親戚たちも手伝ってくれるようになった。

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三島市の人口は約11万人。 家族が行動を開始して1週間、手渡しで配ったチラシの数、1000枚以上。 ポスティングした数、3000枚以上。 新聞の折り込み広告は、6万5000枚以上。 SNSのリツイートは、3万件以上にも及んだ。
その結果…女性ドライバーが信号を無視した瞬間を目撃した、という人物が現れたのだ。 男性の車にドライブレコーダーは搭載されていなかったが、家族のこうした地道な活動がついに事態を動かすことになる。

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事故から9日後…県警の交通課から「重大な証拠が見つかりました。」と連絡があった。
杏梨さんたちの推測では、反響が大きくなるにつれ警察も無視できない状態になり…三島署だけでなく県警本部が動いたと考えられた。

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その結果、彼らは交差点付近で事故直前の模様を捉えた防犯カメラの映像を入手。 その映像には、勝美さんが交差点を横切る瞬間が映っていた。
しかもこの時、大通りの信号は赤だったのだ。 つまりこれは、女性ドライバーの証言が間違いであったことを示す決定的証拠だと思われた。

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これにより事故から9日後、女性は業務上過失致死の容疑で逮捕された。
その後、彼女は逃亡の恐れがない事から勾留されず、在宅で警察・検察の取り調べを受けた。 遺族が検察に聞いたところ、防犯カメラの映像を見た彼女は『私が赤だった事が分かりました』と供述したという。

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だが…逮捕後、起訴に向け検察の取り調べを受け続けていた女性は、以前の供述を翻し『信号は青だったと思う』と、再び主張し出した!
実は、防犯カメラの映像には、裏道を通る勝美さんのバイク、そしてこの時、赤く灯る大通りの信号が映っていた。 ところが、肝心の事故の瞬間は、国道を支える柱が死角となり、映っていなかったのだ。 また、防犯カメラから事故現場付近までは、かなり離れており、夜間になると車種やナンバープレートが判別できる距離ではなかった。

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杏梨さんらが見つけ出した『赤信号の交差点に進入した車を見た』という目撃者の証言も、あるにはあった。 しかし検察は、女性が『信号は青だったと思う』と主張している以上、慎重に調べる必要があると判断、なかなか起訴に踏み切ろうとはしなかった。

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なかなか起訴に踏み切ろうとしない検察…それは仲澤家にとって、単に裁判の決着が長引くということを意味するだけではなかった。 保険金は、双方の過失割合を決定してからでないと支払われない。 つまり、裁判で結論が出るまでは、受け取る事が出来なかった。

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勝美さんが亡くなったことで収入は絶たれ、長男の勇梨さんは会社員だったが、病気療養中で治療費もかかる。 また、長女・杏梨さんは結婚して家を出ており、専業主婦として子育ての真っ最中だった。 そのため…看護助手として働く次女のマリンさんが生活を支えた。 しかし、それだけでは賄えず、足りない分は親戚に借金を頼むしかなかった。 事情を知る親戚は、何も言わず貸してくれた。

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厳しい生活を送る中、家族はまた街頭に立った。 真実を明らかにするための裁判が早く開かれることを願って。 その結果、1万人以上の署名が集まった。
そして、事故から1年以上経った2年前の2月、ようやく相手の運転手は起訴された。 だが…被告は公判でもなお、『信号は青だったと思う』と主張した。

さらに第一回公判後、信号は青だったと信じる彼女は、自らカーナビゲーションの解析を要望した。 GPSが搭載されたカーナビの多くには、正確な時間とともに、走行中の車の位置、速度などが秒単位で記録されている。
つまりこの解析を行うことで、女性ドライバーがいつ交差点に進入したのか、その正確な時間がわかるのだ。

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そして5ヶ月後の第二回公判。 この日予想外のことが起こった。
カーナビの解析で、女性が交差点に進入した時、信号は赤だったことが判明したのだ! 自ら望んだカーナビの解析が、皮肉にも自身の証言を覆す証拠となったのだ。

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信号機が変わるサイクルを分析し、カーナビの解析の結果と照らし合わせたところ…女性が事故現場の約100メートル手前の道路を左折し、大通りに入った時、信号はすでに赤だったことがわかった。 その7秒後、彼女は交差点に進入。 この時も信号はまだ赤のままだったのだ。 そして勝美さんのバイクと衝突。 つまり彼女は7秒間、赤信号に気づかず、交差点をそのまま直進していたことが明らかとなったのだ。
彼女は遺族に謝罪した。 それは被告が全面的に自らの過失を認めた瞬間だった。

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第三回公判。 杏梨さんは自分の想いを、検察官が読み上げる陳述書に託した。
「このような『死人に口なし』の事故で、今後、被害者が泣き寝入りをしないためにも、交通事故の悲惨さを伝えるためにも、事実と異なる証言をした被告を、過失運転致死傷罪の最高刑、実刑7年にすることを切望いたします。」
しかし遺族のその思いは、最後の公判で裏切られる。 検察の求刑は…禁錮3年。
一家は納得がいかなかった。 しかし検察に従うほかはなく、諦めるしかなかった。

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そして事故から約2年、審判の日はやってきた。 下された、判決は…禁錮3年、執行猶予5年。 それは、実刑を求める家族の思いとは程遠いものだった。
家族は検察に控訴を願い出るも、その声が届くことはなかった。 なぜなら…検察が『控訴しない』と決めたからだ。 全国の判例を調べた結果、『これ以上の刑は望めない』というのが、その理由だった。
こうして刑事裁判は幕を閉じたが、検察の求刑、執行猶予の判決、そして控訴の断念。 家族には、納得できないことだらけだったという。

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大きな疑問も残った。 女性が通りを左折してから、交差点に進入するまでの7秒間、信号はずっと赤だった。 なぜこの間、彼女は赤信号に気づくことがなかったのか?
遺族は、ながらスマホをしていた可能性があるのではないかと推測。 警察には取り調べ時、検察にも起訴前から一貫してスマホの押収を訴えていた。 だが…スマホが押収されることはなかった。

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公判中、ドライバーの女性はスマホを見ていたのでは?と問われたが、否定。 なぜ信号を見間違えたのかについては、自分でもその理由がわからないと言うだけだった。
遺族が知りたいと願った事故の詳細な真実については、最後まで分からずじまいだった。

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もし警察がちゃんと初動捜査を行っていれば、自分たちがこれほど苦しむ事はなかったはずである。
そこで遺族は、なぜ警察が誤った情報を事実だと判断し、マスコミ発表までしたのか、その理由について三島署に回答を求めた。

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1週間後…署から連絡があったため、母・知枝さんと杏梨さんは、弁護士と共に警察を訪れた。
待ち受けていたのは、所轄の三島署員ではなく、静岡県警本部の交通捜査室長。 事実上の交通事故捜査のトップであった。
室長は、警察官の過ちを認め、家族に謝罪した。

事故から3年、色々な思いを抱えながらも仲澤家の子供たちは、それぞれ新たな未来に向かって歩き始めている。
長女の杏梨さんは事故後、夫の理解もあり、神奈川から実家の近くに引っ越し、家族を支えている。 実は、杏梨さんは裁判中に妊娠が発覚し、昨年1月、第3子を出産。 そんな杏梨さんの子供たちの世話を、三女の一花さんは進んで行っている。
長男・勇梨さんは、2年前結婚し自らも家庭を持つ事に。 現在、病状も落ち着いており、仕事にも復帰した。

杏梨さんは、事故後 交通事故の被害者を支える団体を設立するため、行動を開始している。
「父はいつも私に『自分を信じて人に優しくしろ』という言葉を掛けてくれました。その教えを胸に私も困っている人には自ら手を差し伸べて支えられるような存在になりたい。」

そして、次女のマリンさんは現在妊娠中。 これをきっかけに、改めて勝美さんの優しさを思い出す事があるという。
「父は周りの人たちにも誠実で人を気遣える、真っ直ぐな優しい人でした。なので、生まれてくる子供も、周りに優しく出来るような誠実で真っ直ぐな子に育って欲しいと思います。」

様々な行動を続ける中、杏梨さんは自身のSNSにこんな投稿をしていた。
「事故現場には私の中学の同級生や、妹の同級生のお母様からお花がお供えされていました。また、定期的に造花を入れ換えて下さっている方もいらっしゃいます。本当にありがとうございます。」
事故後、家族の行動を知った多くの人々が、協力や応援をしてくれた。
家族は、勝美さんの月命日である毎月22日には、事故現場を訪れ、手を合わせている。

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父の命を一瞬で奪った交通事故。 その悲しみの中で放たれた、警察の一方的で冷たい言葉。 心ない誹謗中傷の数々。 そして裁判中告げられた、遺族の願いとは程遠い求刑。 さらに判例を基にした執行猶予付きの判決と、遺族の意向とは裏腹な 控訴しないという検察の判断。 結局、真実を知りたいという彼らの声が、警察・検察に届くことはなく、裁判は幕を閉じた。

その苦しみを味わったからこそ、杏梨さんには、交通事故の被害者に寄り添える活動がしたいという気持ちが芽生えたのだという。 杏梨さんは、こう話してくれた。
「今までもそういった事(交通事故)で泣き寝入りを強いられた被害者の方、とても多かったと思うので、そういった方がどう行動を起こしたらいいのか、また、声を上げる事によって誹謗中傷だとか、被害者は本当に二次被害三次被害というのがすごく多くて、そういった事もどう対処していていったら良いのかというのを伝えたいと思い、自分の経験を活かして、被害者に寄り添える存在になれるように、団体を設立したいと考えています。」