5月23日 オンエア
2機の航空機が空中で衝突!史上最悪の航空機事故
 
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その男は日々、悪夢にうなされる毎日を送っていた。 名前はヴィタリー・カロエフ、当時 46歳。 ロシア連邦西部、北オセチア共和国の出身だった。 大恋愛の末に結婚した妻と2人の子供がいたが、この2年ほど前から家族と離れ、1人、スペインのバルセロナへ働きに出ていた。

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彼の日課は、家族が映ったわずか30秒に満たないホームビデオの映像を毎日毎日、繰り返し見ること。 そんな中、パソコンに向かい、何かを調べ続けたかと思えば、海外のある企業に対してメールで何かを頼むこともあった。 だが、半年が経っても、メールを送っていた企業から色よい返事が来ることはなかった。 電話もかけてみたが、まともに取り合ってもらえなかった。

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そしておよそ1年後、痺れを切らせた彼はついにその企業の本社を訪れ、直接ある頼みごとをした。 その頼みごとというのが…ただ一言、謝ってもらうことだった。 だが、その企業は謝罪することはなかった。 実は、企業にもどうしても謝れぬ事情があった。

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数ヶ月後、カロエフは「ある人物」を調べるため探偵を雇った。 そして、ほどなくして雇った探偵が、探していた人物の居場所を探り当てた。
さらに…この時、彼はにわかに信じられない「ある事実」を知る。

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カロエフの運命が狂ったきっかけは、今から17年前の2002年 6月。
家族との再会を心の糧として仕事に励んできた彼は、子供たちの学校がちょうど休みに入るこの時期、家族をスペインへ誘った。 2002年 7月1日、妻子はロシアから飛行機で、夫が待つバルセロナに向かった。 一方、バルセロナにいるカロエフも、家族との再会を心から待ちわびていた。

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だが…カロエフの妻子が乗った飛行機が、ドイツユーバリンゲンの田園地帯に墜落。 カロエフは、翌日、他の乗客の家族とともに事故が起こった現地へ向かった。 到着後、一縷の望みをかけ、救助活動本部に掛け合い、捜索に志願した。
そこで目にしたのは…冷たくなった愛娘だった…妻と息子は見つけることができなかった。 そして1週間後、懸命の捜索もむなしく、乗員、乗客、全員の死亡が発表された。

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一体なぜ、旅客機は墜落したのか? 事故調査報告書を元にその謎を紐解いていく。
カロエフの妻子が乗った旅客機、バシキール機は、19時48分、スペインのバルセロナに向け離陸した。 離陸後間もなく旅客機は当初の計画通り、高度36000フィート、上空約1万900メートルを順調に飛行していた。 そしてドイツ領空に入って、17分後のことだった。 レーダーを見ていたクルーが、バシキール機に近づいてくる別の機体に気がついた。

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それは、国際宅配便を扱う会社DHLの貨物機だった。 DHL機はイタリアのベルガモを離陸、ベルギーの首都ブリュッセルを目指していた。 この時、2機の飛行機の間の距離は、まだ約49kmあった。

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その6秒後、衝突防止装置『TCAS』が警告を発した。 航空機には、衝突を防止するための装置、『TCAS』が搭載されている。
これは周辺を飛行する飛行機とレーダーで情報を交換、常に互いの位置関係を割り出し、衝突の可能性がある場合…音声で警告を発するというもの。 その精度は3メートルの高度差を感知し、下にいる機には「降下せよ」、上の機には「上昇せよ」の指示を出し、パイロットがその指示に従うことで危機を回避するシステムである。

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接近の警告は双方の機体が接触する、約50秒前から発せられる。 そもそも飛行機は、10秒間あれば、50メートル高度を変える事ができる。 ゆえに10秒前の警告でも、十分、衝突は回避可能。 TCASが警告を発する50秒前なら、なおのこと余裕で衝突を回避できるのだ。

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TCASが最初に「接近」の警告を出してから7秒後、この空域を管轄する管制官から、1000フィート、すなわち約300メートル高度を下げろという指示が出された。 管制官の指示の元、機長は降下を始めた。 ところが次の瞬間!TCASが真逆の指示を出したのだ! しかし、機長は管制官に従うことを決断。 そして…バシキール機は、ドイツユーバリンゲン上空1万メートルでDHL611便と衝突、墜落した。

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TCASという、最新の安全装置が装備されていながら、何故、悲劇は防げなかったのか? そして管制官の指示とTCASが、別の指示を出すという不可思議な事態は、なぜ起こってしまったのか? ここからは、事故調査報告書をもとに、2つの視点からその謎を紐解いていく。

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先ずはDHL611便では何が起こっていたのだろうか?
DHL611便は、現地時間の23時6分、イタリアのベルガモから、ベルギーのブリュッセルへ向けて離陸した。 同機は貨物専用のため、乗組員は操縦士と副操縦の2人だけだった。

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離陸から15分が経過した頃、スイス領空に入ったDHL機は、その空域を担当する管制官に連絡。 実は、飛行機が離陸後、最終的にどの高度まで上がるか、事前に決まっていないことがあるという。 その場合、空域を担当する管制官に希望する高度に上がる許可を得る必要があるのだ。

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DHL機が上昇を希望してから約5分後、管制塔から3万6000フィートを飛行する許可が下りた。 そして機体は、高度3万6000フィートへ向けさらに上昇。 だが、それから約8分後…異変が起きる。 DHL機のTCASが警告を発し、さらに「降下せよ」と指示を出した。 同じ高度を飛ぶ、バシキール機に対して警告を発したのと、全く同じタイミングである。

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衝突を防ぐべく、TCASはDHL機に対しては降下、バシキール機に対しては上昇の指示を出した。
DHL機はTCASの指示に従い、降下。 まさか、接近している機体・バシキール機がTCASではなく、管制官が出した指示に従い、同じく降下しているとも知らずに!

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そして事故の22秒前、この異常事態を感知したTCASからDHL機に「効果率 増加せよ」という、さらなる指示が出された! DHL機の操縦士は、なおも忠実にTCASに従った。 そして、この非常事態を管制官に報告しようと試みたのだが…応答はなかった。 その直後、バシキール機と衝突! 垂直尾翼の80%と油圧系統を失い、2分後、DHL機は7キロ先に墜落、2人のクルーは帰らぬ人となった。

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ではあの時…この空域の担当をしている管制官は、一体なぜDHL機の呼びかけに応答しなかったのか? 果たして管制室の中では、何が起こっていたのか?
そもそも空の安全を守る管制業務には、飛行機の飛ぶ高さによって大きく3つの種類がある。 我々が一番良く目にする空港の管制塔。 ここで働く管制官は、主に目視で離着陸する飛行機のサポートをするのが役割だ。

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さらにその上空になると、進入管制に業務は引き継がれる。 ここでの管制官の役割は、レーダーによる監視。 離陸後、ある決められた高度まで上昇したり、逆に上空から空港へ進入して来たりする飛行機の手助けを行う。

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そしてそれより上、飛行機がある決められた高度以上になると、今度は航空路管制が監視業務を引き継ぐ。 管制官はレーダーによる監視を行いながら、より広い範囲で飛行機が円滑な飛行が出来るように調整を行う。 そしてこの管制エリアは、世界中に張り巡らされており…それぞれの空域を担当する管制官のサポートを受けながら、機体は目的地まで飛行するのである。 

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事故が起こった空域、ドイツ南部とスイス全域の担当は、スイスチューリッヒにある『スカイガイド社』という民間企業が請け負っていた。 この会社では、上空を通過する飛行機をコントロールする航空路管制業務に加え、進入管制の業務も行っていた。
一般的には、航空路管制と各飛行場に進入するような進入管制を同じ所では行わない。 通常は、別々の所で行われるのが普通だという。 そして…この2つの業務を同じ会社内でやっていたことこそが、事故を引き起こす大きな要因の1つとなったのだ。

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夜の8時、管制官が交代し、夜間担当の2人が席に着いた。 ピーター・ニールセンの業務は、航空交通管制。 すなわち、担当する空域を通過する飛行機の高度や間隔を適切にコントロールする役割を担う。
もう1人が進入管制の業務を行う管制官。 離陸した飛行機のサポートや、着陸希望の飛行機を空港の管制塔に引き継ぐまで誘導する役割を担っている。

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ドイツ南部とスイス全域を賄うこの空域は、ヨーロッパの中央部にあり、日中は非常に混雑しているのだが、バシキール機がちょうどその空域に差し掛かる夜間はというと…昼間の喧騒が嘘のように空いていた。 そこで…1人が休憩に入り 業務から離れたため、管制官はピーターだけになった。
実はこれ、規律違反だった。 しかし、本来は違反にもかかわらず、スカイガイド社では慣習となっており、上層部からも黙認されていた。

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通常なら、管制官1人でも夜間は対処できた。 しかし…この日は、レーダーの精度をより高めるために行う、システムの更新作業が行われることになった。 更新作業中は、予備の管制システムで業務を行うことになる。 さらに担当者は作業効率を上げるため、電話回線もオフにしたいと申し出たが、ピーターはそれを断った。 このような作業は、フライト量が少ない夜間に行われることが多く、バックアップ用のシステムで、これまでも問題なく対応してきた。

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メンテナンスの担当者が作業のため部屋を出てすぐ、休憩中の同僚が担当していた離着陸用のレーダーが反応。 最寄りの空港へ、23時を過ぎたこの時間帯に旅客機が着陸しようと接近していた。 アエロフロート1135便…予定を大幅に遅れたために、本来 離発着などないこの時間帯に着陸を希望してきたのだ。 飛行機を着陸させる為には、空港とも連絡を取らねばならず、進入管制業務を優先させる規則があり、ピーターは対応を始めた。

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その5分後、管轄内を飛んでいたDHL611便が高度上昇を求めてきた。 だが、アエロフロート機への対応を優先するため、ピーターはDHL機の要請を一旦保留した。 そして空港への着陸許可をもらうべく、空港の管制塔へ連絡を入れようとしたのだが…港との直通電話が繋がらなかった。 電話回線のオフに関しては、メンテナンスの担当者には、はっきりと断っているはず…何度もピーターは電話をかけ続けた。

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そうこうしているうちに、DHL機に上昇許可を申請されてからすでに5分近く経っている事に気付いたピーターは、DHL機に3万6000フィートへの上昇許可を出すと、再び空港と連絡を取ろうとした。 だが、その後も空港と連絡が繋がる気配はない。
そう、やはりこの時、電話回線は切れていたのだ。 ピーターに対しては、電話システムを切らないと約束したメンテナンス担当だったが、その後上司に「更新作業中は、電話回線を切るように!」と言われ、結局ピーターには知らせずに勝手に電話回線を切っていたのだ。

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そうとも知らず、なんとか空港と連絡を取ろうとするピーターだったが、実はその間に、とんでもないものを見逃してしまった。 それはおよそ3分前。 カロエフの妻子を乗せたバシキール機が、管轄内に入ってきていたのだ。 管轄内に入ってすぐバシキール機からは現在の高度を示す飛行レベルの連絡もあったのだが、アエロフロート機からの着陸要請を受け、空港に電話をつなぐ作業に没頭していたため、バシキール機が入ってきたことも、連絡があったことも、見逃してしまっていた。

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そして、聞き逃したバシキール機が飛行する高度は、3万6000フィート。 そう、許可を出したDHL機と全く同じ高度だったのだ! のちに、事故報告書では、彼はレーダーによる飛行機の監視を怠たってしまい、「2つの飛行機の動きをある一定の時間無視」したと結論付けられた。

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こうして同じ高度で飛び始めた2機。 このまま同じ高度を飛び続けると、いずれ衝突してしまう速度とタイミングではあった。 だが、実はこの時点では、本来まだ大きな危機になるものではない。 2機の距離はこの時まだ大分離れており、衝突を回避するための時間は十分にあった。

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さらに飛行機内のTCASとは別に、管制センター内にも衝突を防ぐ警報装置が2種類備えられていた。 1つは接近中の飛行機同士が、衝突まで2分を切った時点で、レーダー上に警告の文字を表示し危険を知らせるというもの。 さらにもう1つが、衝突までおよそ30秒前になると、アラームが鳴り、音で警告を発するというものだった。 管制官がきちんとレーダーで確認していれば、衝突の2分前には、高度変更の指示を送る事が可能となるため、危機対策としては最初の警報装置だけでも十分だった。

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ところが!衝突の2分前を過ぎても、警告の表示がでることはなかった。 なぜか?この理由もまた、予備の管制システムにあった。 実は予備のシステムには、作動する機能に制限があったのだ。 結果、危機を知らせる警告装置のうちの1つ目が働かなくなっていたのだ。 だがこの日、そのことをピーターはもちろん、工事を行ったメンテナンス部の担当者も全く知らなかったのだ。

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実はこの会社では、こうした予備のシステムのマニュアルまでは作成されておらず、また非常時の訓練も行っていなかった。 こうして2機の接近に気づかなかった彼はアエロフロートとの交信を続け…結局、空港とは連絡が取れないため、着陸を希望するアエロフロート機に直接、空港と連絡を取ってもらうよう依頼した。

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こうして、自分の持ち場に戻ったピーターは、ようやく見逃していた2機の接近を目の当たりにする! ピーターはすぐさまバシキール機に降下を指示。 その理由について2機はほぼ同じ高度を航行していたが、つい先ほど上昇許可を認めこの高度に達してから、まだ2分にも満たないDHL機に再び指示を出すよりはと、バシキール機にだけ高度の変更を求めたのでは、と専門家は言う。

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遅れてはしまったが、無事機長に指示を出すことができ、ことなきを得たと思ったピーター。 だがその11秒後!今度は管制室にあるもう1つの警報装置が作動。 2機の接近を知らせる警告音が鳴り響いた。 まさか、指示が伝わっていなかったのか?そう思ったピーターは、再度バシキール機に降下を命じると…今度は機長から了解の返事があった。

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レーダーでバシキール機が降下を始めたことを確認したピーターは、衝突は避けられたと判断した。 そして、着陸に備え、再び連絡してきたアエロフロート機の対応にあたっていたのだ。 今回、着陸機の誘導に時間を割いていたピーター、その理由の1つにあるのが管制官の優先順位。 そして、アエロフロート機の対応を終え、再びレーダーの前に戻ってきたピーター。 そこで彼が見たものは…赤い点滅。 それはその飛行機の通信がその地点で途絶えたサイン、つまり墜落を意味していた。

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なぜDHL機はTCASに従い、バシキール機は管制官に従ったのか? 実はここに今回の悲劇を招く、大きな要因が潜んでいた。
事故報告書によれば、DHL機を運用する会社のマニュアルでは、『TCASによる回避指示に従うべきである』とあるのに対し、バシキール機を運用する会社のマニュアルには『管制官の指示は衝突回避において最優先にすべきである』と記されていた。 こうして2つの機体は、毎秒360メートルという恐るべき速さで接近していき、最悪の結末を迎える事になったのだ。

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カロエフは、家族が生きがいであり、全てだった。 事故をきっかけに、カロエフは働く意欲を失い、ロシアの実家でこもりがちになった。 子供部屋を思い出の品で飾り立ると、わずか30秒にも満たない生前の家族が映ったホームビデオの映像を繰り返し、繰り返し、毎日、見つづけたという。

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ロシア国内では事故直後から、その直接原因について、航空管制官のミスが大惨事の原因であると報じられた。 だが、遺族からすれば、最も納得がいかなかったのが、スカイガイド社が深夜の1人勤務を黙認していことだった。 それにしてもいったい何故、規則違反が黙認され続けてきたのか?
原因は、航空管制官の人数不足。 スカイガイド社は当時、人件費を節約するためスタッフを減らした。 そして、管制官の仕事がハードになりすぎないように、上層部が配慮をしたのだ。 こうして、誤った合理化が産んだ悲劇だとロシアのメディアが断じる一方で、なんと、スカイガイド社は当初その責任を全く認めようとしなかった。

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だが、多くの犠牲者を生んだロシア国民の怒りが収まるわけもなく…事件から12日後、スカイガイド社の筆頭株主であるスイス政府が、同社に責任の一端があると認め、過失に応じた補償を行う意思を明らかにした。 しかし、カロエフは全く納得していなかった。 なぜなら…スカイガイド社から正式な謝罪がされていなかったからだ。

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カロエフはスカイガイド社に謝罪を求めたが…結局、事故から1年が経っても、未だ裁判中であることなどを理由に、スカイガイド社からの謝罪はなかった。 そこで、カロエフはついに、スカイガイド本社を訪ねた。 彼に提示されたのは、元銀行員で今後も働き手になり得た妻に対して、6万フラン。 2人の子供に、それぞれ5万フラン。 総額16万フラン、およそ2千万円…それが、カロエフの家族につけられた命の値段だった。 しかし、カロエフはあくまで謝罪を要求した。

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だが、和解をしないと、保証金は支払われないという。 実は、スカイガイド社は金銭での保障を行う際、受取人は「他に何も要求しない」という条件を付けていたのだ。 もし、責任を認めれば、多くの遺族から裁判を起こされる可能性がある。 それを避けるべく、スカイガイド社執行部は、最初から「我々は事故責任が証明されない限り、何も言わない」と言っていたのだ。

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法廷で裁かれることになっていたのは、管制官の1人体制を黙認していたスカイガイド社の幹部たち。 また、事故の要因となる更新作業を行ったメンテナンス部のリーダーたち。 だが、なんと事故の原因を作った、スカイガイド社の管制官は告訴されていなかったのだ。 その上、その管制官は、スカイガイド社を解雇されることもなく、安全解析のセクションに異動しただけで、同じ社内で仕事をしているという。 さらに、休日は家族と旅行するなど、事故前と変わらぬ生活を送っているというのだ。

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カロエフは、その管制官の消息を追い、探偵を雇った。 その調査によって、間もなく男の本名はピーター・ニールセンと分かった。 やがて彼は、同じ遺族や捜査関係者から、事故の詳細を入手。
そこには… 『管制官はトレーニングを一切受けていなかった』 『手順の誤り』 『注意散漫』 などと書かれたいた。

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そんな折、カロエフのもとに、ピーターが転職を考えているという情報がもたらされた。 悲しみが怒りに変わろうとしていた。
だが、カロレフが手にした情報は、ずさんで誤りだらけのものだった。 例えば…旅行は、精神的なショックから立ち直れない夫のために、妻が計画したもの。 あの事故のショックで、ピーターは精神を患い、病院でカウンセリングを受けていた。 彼もまた苦しんでいたのだ。

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それだけではない。 彼が会社を首にならなかったのにも、理由があった。 あの事故は、ピーターだけの責任ではなく、スカイガイド社に蔓延していた悪しき慣習のせいで、1人で勤務することになり、事故を引き起こしてしまった。 それをピーターだけに責任を押し付けて解雇することは、会社としてあり得なかった。 さらに転職についても、辛い経験をした職場に通い続けるのも大変だろうという、妻の進言がきっかけだった。 だが…真実を誤解したカロエフの怒りの矛先は、ピーターに向いてしまった。

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事故から1年半。 カロエフは、ピーターの自宅の場所を探偵を使って探し当てていた。 そして、自宅を訪ねると、その場でピーターを刺殺したのである! 夫の叫び声が聞こえて、妻が庭に走り出た時、既にピーターは大量の血を流し、倒れていたという。 3人の子をもつ父親は、38歳でこの世を去った。

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犯人のカロエフは…事件の翌日、前の晩から宿泊していた、チューリッヒ市内のホテルで逮捕された。 逮捕された時、カロエフは、両目が宙に浮き、完全に放心状態だったという。 その様子から、警察は自殺を防ぐため、カロエフを病院へ収容した。 事故の遺族が管制官を殺害したというニュースは、ヨーロッパ中を騒然とさせた。 事件の3ヶ月後、これから裁判が開かれる可能性が高いにも関わらず、殺人事件にまで発展したことに驚いたのか、スカイガイド社は初めて正式に謝罪した。

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そして殺人事件の翌年、カロレフに判決が下された。 カロエフに下された、判決は…懲役8年!

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カロエフの判決からさらに2年後、事故から実に5年が経過した2007年9月、ようやく航空機事故の刑事責任を問う裁判の判決が下された。 スカイガイド社の幹部3人は過失致死罪で有罪となったが、執行猶予つきだった。 さらに、メンテナンス業務のリーダーは、1万1千ドルの罰金刑のみだった。

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そして、この判決から2ヶ月後の2007年11月。 ロシアの空港では熱烈な歓迎を受けている一人の人物がいた…カロエフだった。
実は彼には事故で妻と子供を失ったことによる、心神喪失があったと認められ、刑期が短縮されたのだ。
のちにカロエフは取材でこう語っている。 「彼を殺しても、気分は良くならない。憎しみでは何も解決しない事を知った。」

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母国に帰国後、北オセチアに戻った彼は、建設政策副大臣に任命され、地元社会に貢献、2016年に引退するまで勤め上げた。 カロエフが、故郷でそのような要職に就いたことについて、「父親を失ったピーター・ニールセンの3人の子供たちに対する侮辱だ」と報じたヨーロッパのメディアもあったという。 一方、ピーターの死後、彼の遺族は故郷デンマークへ帰国。 以後、公式には何もコメントしていない。

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悲劇が悲劇を呼んだ、前代未聞の出来事だが…改善されたことがある。 この事故が起こるまで、管制官の指示とTCASの指示が相反する場合、いずれを優先すべきかの国際的基準はなかったが、航空業界ではこれを機に「TCASに従うこと」という国際的なルールが設けられた。 むろん、事故を起こしてしまったスカイガイド社が、たとえ深夜でも常に2人体制になったことはいうまでもない。 普段は大丈夫だから…そんな心の緩みが大惨事に繋がるという教訓となった。