4月11日 オンエア
愛する人のためにできること
 
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始まりは、今から5年前のある朝のことだった。 成田正幸さんは、会社へ行く準備をしていた。 その時、妻の千恵子さんはテレビを見ていたのだが…突然こんなことを言ったのだ。 「そういえば、あなた、約束守ってくれなかったね」
突然、妻の口から出た「約束」という言葉。 一瞬、何のことだかわからなかった。 だが、テレビを見ているうち、次第に記憶が蘇ってきた。

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遡ること18年、2人が交際を始めて半年が過ぎた頃。 ロマンチストな千恵子さんは、恋愛もののドラマを観るのが大好きだった。 もっとも楽しみにしていたのが、『ロングバケーション』。 木村拓哉演じるピアニストが奏でるドラマのオリジナル楽曲『セナのピアノ』は、多くの女性たちを魅了した。

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ドラマを見ながら、「ピアノが弾ける男の人って素敵よね」と言う千恵子さんに、正幸さんは「今度弾いてあげるよ」と言っていたのだ。 実は、正幸さんはピアノなど一度も弾いたことがなかった。 だが、彼女の気を引きたい気持ちから、軽い気持ちで約束してしまったのだった。

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それからおよそ1年後、2人は結婚。 やがて、娘にも恵まれ、家族は3人になった。 しかし…娘のために買ったピアノは自宅にあったものの、仕事は多忙を極め、家族団欒さえままならない毎日。 いつしか、遠い昔の約束をすっかり忘れていた。 それから18年、偶然、ピアノレッスンを行う音楽教室のCMを目にした千恵子さんは…「約束守ってくれなかったね」と言ったのだ。 その言葉を聞き、正幸さんはその約束を思い出した。

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その言葉は、正幸さんの胸に深く突き刺さった。 実は…その3年前、千恵子さんは、病院でステージ3の乳がんと診断された。 手術や治療を重ねたものの、症状は悪化。 がんはすでに骨などに転移し、いわゆるステージ4に突入。 残された時間は長くないかもしれない、2人ともそう覚悟した。 以来 彼は、家族との時間を大切にすることに決めた。 やがて千恵子さんは、家族を悲しませたくないと、迫る死の恐怖を隠し、いつも笑顔でいるようになった。

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正幸さんは『妻のためにできること』を考えた。 あの言葉に深い意味はなかったのかもしれない。 でも、もし約束を果たし、ピアノを弾けば、千恵子さんは心から笑って喜んでくれるかもしれない。 しかし、それにはたくさんの時間が必要…家族で過ごす時間が減ってしまう。 音楽が苦手だった正幸さんは、一曲を引くためにどれほど膨大な時間がかかるのか見当もつかなかった。 遠い昔の約束を果たすのか?家族との時間を大切にするのか? 正幸さんが下した、決断とは!?

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数ヶ月後、正幸さんが向かった先は、ピアノ教室。 家族との時間は大切だった。 しかし、妻との約束を諦めることはできなかった。 家族に気づかれないよう、毎晩2時過ぎまで必死に練習した。 しかし、一向に弾けるようにならない。

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やがて…妻は歩くことさえ難しくなった。 立ち上がれないほど辛いはずなのに、決して悲しい顔は見せなかった。
妻に心の底から笑って欲しい。 しかし、残された時間は短い。 ついには…有給休暇を全て使い、ピアノがある場所を借り、一日中練習をした。 場所代だけで50万円以上かかった。

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約束を思い出してから、2年後の5月。 夫婦の19回目の結婚記念日に、正幸さんは家族のための一夜限りのコンサートを開いた。 カメラで記録しておくことなど考えていなかった。 弾き終わった時、千恵子さんは…「ありがとう でも下手くそね」と言って笑った。

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その8カ月後、正幸さんと彩花さんに見守られ、千恵子さんは天国へと旅立った。
千恵子さんの死後、ひとつの後悔が生まれていた。 それは、約束を果たしたのは自分の自己満足ではなかったのか?ということ。 練習する時間があったら、一分一秒でも一緒にいるべきだったんじゃないのか?妻は心から喜んでいてくれたのか?

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悲しみと後悔は消えず、半年以上が経過。 正幸さんの気持ちもようやく少し落ち着き、手をつけられずにいた遺品の整理を始めることにした。
開いたのは…千恵子さんのパソコン。 そこにあったものは…正幸さんがピアノを弾いた時の映像だった。 ステージからは見えなかったが、千恵子さんが自分のスマホで録画していたのだ。

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残された映像には、約束を果たそうとした夫への驚き。 そして、たどたどしい演奏を、励ますように見守り続けていた妻の優しさと愛情があふれていた。 携帯電話からパソコンに、わざわざデータを移したのは、大きな画面で何度も見返すためだったのだろう。
夫の気持ちはしっかり伝わっていた。 妻は心の底から喜んでくれたのだ。 大切な人に残された時間がわずかだと知った時、夫が下した約束を果たすという決断。 そこには、夫の決断を感謝と愛情をもって受け止めた、天国の妻からの答えがあった。

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ピアノの動画を見つけてから2年。 正幸さんたちは今どうしているのか? 我々はご自宅を訪ねた。
現在、正幸さんはIT関係の仕事を続けながら、大学生になった彩香さんと2人で暮らしている。 家事は協力してやっているという。

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正幸さんが千恵子さんの遺品を整理していた時、もう1つ発見したものがあった。 それは…闘病中、家族で旅行した時に撮った、大量の写真。
それらを見ているうち、正幸さんは千恵子さんという女性がいたことを、知ってほしいと思ったという。 そこで、この出来事を新聞に投稿した。 記事を読んだ知人が、何人か連絡をくれた。 彼らが千恵子さんを思い出してくれたことが何よりも嬉しかったという。

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実は、正幸さんには千恵子さんが亡くなってからも、ずっと続けていることがある。 それは、ピアノ。
理由は…あの日、妻が心から喜んでくれたから。 そして今日も正幸さんはピアノに向かい、思う。 どこにいても、妻に笑顔でいて欲しいと。 ピアノの音色が天国に届くことを信じて。