4月11日 オンエア
医師VS患者の闘い 自分の細胞は誰のもの?
 
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今から43年前。 アメリカ・アラスカ州で働く測量技師、ジョン・ムーアは、歯茎からの出血がなかなか止まらないことに気がついた。 その上、立ちくらみをよく起こしていた。 さらに、体中にアザができ、腹部は腫れあがった。
ムーアは、たまらず病院へ向かった。 そこで下された診断は…「有毛細胞白血病」。

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血液のガンとも呼ばれる「白血病」は、がん化した白血球が増殖する病いのこと。 中でも「有毛細胞白血病」は、非常に希な種類。 がん化した白血球が血液だけでなく「骨髄」さらに「脾臓」でも増殖する。 顕微鏡でこの細胞を拡大すると、毛が生えたように見えることから有毛細胞と名付けられた。 症状はアザや出血の他に、疲労感、貧血など…感染症にもかかりりやすくなる。
ムーアの場合、これら全てに当てはまるだけでなく、特に脾臓の腫れがひどかった。 正常な人なら200gに満たない脾臓が、なんと10㎏に! 破裂しそうな状態だった。

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病院の紹介で、ムーアはロサンゼルスにある、名門UCLA大学病院で診察を受けることになった。 アラスカから飛行機で、およそ5時間半。 そんなにも離れた病院を選んだ理由はただひとつ…白血病治療の第一人者、デヴィッド・ゴルディ博士の診察を受けるためだった。
ゴルディ博士によると、治療するには手術で脾臓を取り出すしかないという。 しかも、それでも完治は難しいというのだ。 だが…肥大した脾臓はいつ破裂するかわからない…直ちに摘出手術が行われた。

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手術から半年後。 ムーアのかたわらには…美しいガールフレンドがいた! 何と彼は、すっかり元気を取り戻していた。
その後、転職したのを機にシアトルに移住。 セールスマンとして、バリバリ仕事をこなしていた。 それはまさに…医師も驚くほどの奇跡的な回復だった。 以来、ムーアは3ヶ月に1度、ゴルディ博士の元で定期検診を受け続けたが異常なし。 その後も体調に変化はなく、幸いなことに再発の兆候がみられることはなかった。

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やがて結婚し、子宝にも恵まれた。 手術から7年が経ち、何不自由ない生活を送っていたのだが…未だに定期検診に通っていた。 ムーアがかかった有毛細胞白血病は、骨髄にもがん細胞が現れるため、3ヶ月おきに再発していないかどうか調べる必要があった。 その検査のために、6年近く、シアトルからロサンゼルスまで飛行機で通院していたのだ。

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飛行機代もかかるため、ゴルディ博士にシアトルの病院で検査をして結果を報告するという形を取れないか相談した。 すると…交通費と宿泊代は、今後、病院が負担するというのだ! そして後日、病院から宿泊先のチケットが届いたのだが…ゴルディ博士が手配したのは、なぜか最高級のホテルだった。

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ムーアには、他にも気になることがあった。 先日の検査で1通の同意書を渡された。
中にはこう記されていた。 『私は、私の身体から採取された血液や骨髄から作られる全ての細胞株や、その他の潜在的製品に対して、あらゆる権利をカリフォルニア大学に自主的に譲渡(する・しない)』 その時、ムーアは深く考えず、「譲渡する」に丸をつけて提出してしまった。

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だが…権利を大学に譲渡するとはどういうことなのか? ゴルディ博士はなぜ、自らの病院での検査にこだわるのか?
不安に思った彼は、ゴルディ博士にその理由を尋ねた。 「僕の体の組織を使ってビジネスを行うとかしていませんよね?」というムーアの問いに、ゴルディ博士は、きっぱり否定した。 とはいえ、病院が通院にかかる交通費や高級ホテルの宿泊費を負担することなど、本来考えられない。 もし、申し出を断ってしまったら…この先、病気が再発してもゴルディ博士はもう診てくれないかもしれないと、ムーアは不安になった。

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しかし、この数時間前…検査で採取した細胞などに関して、前回と同じ内容の同意書を渡されていた。 ムーアは「譲渡しない」にと回答し、書類を病院に提出。
そして、その日はすでにシアトルに戻る便がなかったこともあり、気は進まなかったが、用意された高級ホテルに宿泊した。 すると…ゴルディ博士からホテルに電話がかかってきたのだ。 そして、病院に来て同意書を訂正してほしいというのだ。

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翌日、彼は大学病院には行かず…そのままシアトルの自宅に戻ったのだ。 だが、その数日後…ゴルディ博士から郵便物が届いた。 なんと、それは…わざわざ「権利を譲渡するに丸をつけること」という付箋をつけた同意書だった。 彼はその指示を再び無視。 すると…後日、またしても同意書への署名を促す手紙が届いた。

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不審に思ったムーアは、医療専門の弁護士に相談した。 すると、驚くべき事実が判明した。 ムーアが奇跡的に回復した原因を突き止めるべく、大学は摘出した脾臓を分析していた。 すると、彼の脾臓細胞が、ある種類のたんぱく質を異常に多く作り出すことがわかったのだ。 それは、当時 社会問題になり始めていたHIVなどの感染症や、白血病などがんの治療に利用できる貴重なたんぱく質だった。 ゴルディ博士らは、この興味深い細胞に目をつけて培養し、育てたのだ。 そのために必要だったのが、ムーアの血液と骨髄だったのだ!

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一般に、育てた細胞は「細胞株」と呼ばれる。 ゴルディ博士らの研究チームは、ムーアから得た貴重な細胞株に手を加え、難病治療に関する特許を申請、認可を受けていた。 そしてゴルディ博士と大学は、この特許を元にバイオテクノロジー企業と契約を締結、10億円近くの利益を得ていたのだ。 だからこそ…UCLAでの検査を拒否しようとすると、高級ホテルまで手配し、繫ぎ止めようとしたのだ。

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ムーアは、ゴルディ博士らと大学を相手取って裁判を起こした。 そして、「摘出された組織は誰のものなのか?」を争う歴史的な裁判が幕を開けた。
運命の判決は…ムーアの勝利! 体内から取り出された血液や細胞は患者のものである、との判断が下された。

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だが、ゴルディ博士側はこれに納得せず、控訴。 その後も法廷闘争が繰り広げられ、勝負は最終審へともつれ込んだ。 結果…ムーアは敗訴したのである。

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ムーアは一体なぜ敗訴したのか?
判決では「患者の体の組織の所有権は、同意の有無にかかわらず、体外に取り出された時点で消滅する」と結論付けられた。 つまり、これは一度取り出された時点で、患者の組織は廃棄物と同じ。 ゴミである以上、それは誰がどう使おうが構わないという事。
また裁判では、ムーアの細胞は特殊ではあるが、研究チームが手を加えなければ、特許を取得できるモノにならなかったとされた。 ちなみに、彼の細胞から作り出された細胞株は、商品化され、現在も存在している。

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だが、ムーアは敗訴したとはいえ、その主張の一部は認められた。 裁判官は医師が細胞を研究に使用し、そこから金銭的利益が生じることを、事前にムーアに伝えるべきであったと認めた。
そして最終審での判決の後、ムーアは医師や大学などから賠償金を受け取り、和解。 またゴルディ氏は、その後UCLAから別の病院に移り、2004年に亡くなる直前まで、医師として活躍した。

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人の細胞の所有権について初めて争われた裁判。 しかし現在、アメリカではその考え方に変化が訪れているという。
判決のあと、患者の組織を売買する目的で全く必要のない手術を行う医師が出てきた。 こうしたことが重なり、現在、裁判では患者に自分の組織の所有権があるとする判決が下されるようになった。 米国医師会も、患者に必要な情報は開示すべき、という方針を定めるようになったのだ。

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「自分の細胞は自分のモノである」、紆余曲折を経て生まれた新たな常識。 そのきっかけとなったのは、あの時ムーアが下した決断だったのである。
ちなみに日本でも、取り出した臓器や細胞、血液などの所有権は患者にあるとされている。 そのため、医療機関がこれらを研究目的などで利用する場合、提供者に同意書へのサインをしてもらう仕組みとなっている。