2月14日 オンエア
70年の時を経て明かされる 初恋ミステリー
 
 
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あなたは初恋を覚えていますか? 切なく、キラキラと輝くような思い出の日々。
しかし、この2人の初恋は、あることがキッカケで突然終わってしまった。 その真実がわかった時、2人の人生が大きく動きだすことになる。
 
 
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今から75年前、アメリカ人のノーウッドは、友人ジャックとロンドンを散歩していた。 そこで、ボートに乗ろうとしている女性2人に声をかけ、自分がボートを漕ぐからと、少し強引に一緒にボートに乗りこんだ。 これをきっかけに2人はデートの約束をした。
時は第二次世界大戦末期。 アメリカ陸軍は、同じ連合軍であったイギリスに駐留していた。 ノーウッドは陸軍の精鋭部隊・第101空挺師団に所属。 この時は、週末の休暇でロンドンに気晴らしに来ていたのだ。 
 
 
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彼は、次の休日から毎週、駐留地から65キロ離れたジョイスの自宅を訪ねるようになった。 ノーウッドはジョイスの笑顔に惹かれていった。 いつ前線に送られるかわからない日々の中で、彼女に会う時間だけが癒しだった。 互いにとって初めての恋だった。
 
 
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出会ってから2ヶ月が経ったころ、突然ノーウッドに出動命令が下った。 1944年6月6日、米英連合軍がナチスドイツ占領下のフランス北部に上陸。 史上最大の作戦、ノルマンディー上陸作戦だ。
ノーウッドは、落下傘部隊の一員として、パラシュートで降下する危険な任務の最前線に送られた。 一日で連合軍兵士、およそ一万人もの死傷者を出したほどの激しい戦闘。 出動命令は作戦の直前に下されたため、それをジョイスに伝えることはできなかった。 携帯電話はもちろん、固定電話も広く普及していない時代、ジョイスは彼が所属する部隊の状況を新聞の記事でしか知ることができなかったのだ。
 
 
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1944年7月中旬、ノーウッドはジョイスの元に戻って来た。 しかし、いつまた戦地に送られるかわからない。 2人は毎週末デートし、一緒にいられる時間を目いっぱい楽しんだ。
 
 
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だが…彼の部隊に再び出動命令が下された。 会えなくなってから、1ヶ月、2ヶ月と時が過ぎ…恋人の生死もわからぬまま、思いだけが募っていった。
そして、3ヶ月が経った12月のこと。 ポストに1通のエアメールが…差出人はノーウッドだった。 彼は生きていた。 オランダへ移動した後、フランス、ベルギーと転戦。 ベルギーでの戦闘が終わったところで、本国への帰還命令が下ったため、イギリスに戻ることができず、ジョイスに伝えることも出来なかったのだ。
 
 
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それ以降、アメリカとイギリス、大西洋を挟んだ手紙のやり取りが始まった。 今なら飛行機で会いに行くこともができるが、当時、まだ旅客機はなく、アメリカに行くには船で4日かかる時代。 国際電話もできなかった。
手紙を交わし合う中で、『互いの気持ちは少しも変わっていない』、そう確信したノーウッドは、ある日ついにジョイスに思い切った申し出をした。
『Would you come to tha states and make my house a home?(アメリカに来て、僕の家を君にとって居心地のいい住処にしてほしい)』
それは心を込めたプロポーズの言葉だった。
 
 
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数週間後、彼女からの返事が届いた。
ジョイスからの返答は…『あなたの申し出はお断りします』
それは、愛に満ちていたこれまでの手紙とは打って変わって、そっけないものだった。 あまりのショックで、ノーウッドはその日からしばらく立ち直ることができなかった。 愛し合っていると思っていたのに…一体なぜ? あのときの2人の気持ちはなんだったのか? いくら考えても、答えが出なかった。
 
 
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その後ノーウッドは、ジョイスを諦め、他の女性と結婚。 2人の娘と一人の息子に恵まれ、幸せな家庭を築いた。
そして、月日は流れ…2001年、56年間連れ添った妻が他界、ノーウッドは一人暮らしの身となった。 それから、さらに14年が経ち、ノーウッドが92歳になったある日のこと…ある人から連絡がきた…。
 
 
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ノーウッドとの恋が終わった後、看護師になったジョイスは結婚し、オーストラリアに渡った。 2人の息子に恵まれたが、夫とはうまくいかず50代で離婚。 もう二度と結婚はしない、男なんてこりごりだと思い、以来30年間ずっと独身を通していたという。
ある日、息子のロブにパソコンをインターネットに繋いでもらったジョイスは、「何か知りたいことはない?」と聞かれ、初恋の人のことを調べてもらった。 すると…ノーウッド本人の情報がすぐに出て来たのだ!
 
 
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ごく一般的な人を検索して、その画像を特定できることは少ない、同姓同名の場合も多い。 一体なぜ 簡単に見つけることができたのか?
実は、ノーウッドは88歳でスカイダイビングに挑戦し、そのことが記事になっていたのだ。 さらに記事には、かつてパラシュート部隊に所属していたという彼の経歴を紹介するため、若い頃の写真まで掲載されていたのだ。 もし、88歳という高齢でスカイダイビングに挑戦していなかったら、ネットに名前と経歴が載ることはなく、ジョイスが見つけることもなかっただろう。
ロブはその記事を掲載した新聞社に連絡をとった。 そして、取材した記者から、ノーウッドに連絡が入ったのである。 思いがけない形で、かつての恋人同士が互いの存在を知ることとなった。
 
 
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双方の息子たちが連絡を取り合い、2人をビデオ通話で再会させることに。
そして、2015年11月6日。 実に70年の時を経て、恋人たちは画面越しに再会した。 そのときの実際の映像が一部残っている。
ノーウッドは前立腺ガンを患い闘病中であり、ジョイスもまた目の病気で視力の大半を失っている。 だが、2人は互いをすぐに認識した。 2人はたちまち昔に戻ったように、思い出話に花を咲かせ、会話は2時間も途切れることはなかった。
 
 
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しかし、なぜあれほど愛し合っていた2人の恋は、終わってしまったのか?
ノーウッドは手紙に…「僕の家を君にとって居心地のいい住処にしてほしい」、つまり「アメリカに来て、結婚してほしい」と書いたつもりだったのだが…。 実は、この「make my house a home」という英語、家を居心地の良いすみかにするという婉曲的なプロポーズの他に、単語の意味を素直に捉え、「家を整える」「家事をする」という解釈も出来るという。 今ではプロポーズの意味合いが強いが…当時 イギリスではこの表現自体が広まってはいなかったため、ジョイスにとって初めて見る言い回しだった。 そのため、婉曲的な表現とは理解できず、「家事」、つまり「家政婦としてアメリカに来てほしい」と解釈してしまった。
 
 
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そもそも「make my house a home」という言い回しは、1916年、アメリカの詩人 エドガー・アルバート・ゲストが詩の中ではじめて使ったもの。 「家を居心地のいい場所にする」という叙情的な表現が受け、広まり出すと…その後、ロマンティックな表現としてアメリカ全土に浸透、プロポーズの言葉として使われ始めた。 しかしイギリスでは、言い回し自体が知られておらず、ジョイスは家事をすると解釈してしまったのだ。 別れの原因は手紙だけのやりとりの中で生じてしまった誤解。 そのことが、70年という時を経て明らかとなった。
アメリカとオーストラリアという距離に加え、93歳と88歳という高齢。 それぞれが病気を抱え、付き添いなしには旅行などままならない。 2人が直接再開することは無理だと思われた。 だがこの後、さらに驚くべき展開が2人を待っていた。
 
 
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70年ぶりのモニター越しの再会は、世界中に報道され、多くの人たちを感動させた。 そして、ネットユーザーたちの間で、ある運動が持ち上がったのである。 オーストラリアとアメリカ、遠く離れたかつての恋人たちを実際に会わせてあげたい。 そんな声から、再会支援のため、寄付金を募るファンドが立ち上がった。 この運動にたくさんの人たちが共感し、300人以上が寄付を寄せた。
そして、このことを知ったニュージーランド航空から驚くべき申し出が。 ノーウッドと付き添いの息子のオーストラリアまでの航空券と、2人が静かに再会するためのホテルの部屋を提供してくれたのだ。
 
 
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今から3年前の2月11日。 72年の時を超え、ノーウッドさんは初恋の人のもとへやってきた。 そして、オーストラリアでの2週間、2人はデートを重ねた。 バレンタインデーも2人で過ごした。
戦争中、死と隣り合わせの状況で育んだ愛。 アメリカとイギリス、大西洋を挟んで 文通だけの遠距離恋愛。 遠回しに伝えたプロポーズは、とんでもない誤解を生み、恋は終わった。
だが偶然の出来事により、再び大きな恋の炎となって2人を包んだ。 長い間互いの心の奥底でわだかまっていた誤解を、時を超えて今、解くことができた。 2人はあの時、お互いが本気で愛し合っていたことを知ったのだ。
 
 
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翌年 再び会う約束をした2人だったが、再会から10カ月後の2016年12月、ジョイスさんは天国へと旅立った。
様々な偶然と奇跡が重なり、72年ぶりに再会した2人。 2人にとって初恋は、人生最後の恋となった。
 
 
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あの再会から3年、我々はアメリカバージニア州にあるノーウッドさんの自宅を訪ねた。 現在は、スティーブさんがノーウッドさんの健康を気遣い、一緒に暮らしているという。 昨年、95歳の誕生日に再びスカイダイビングに挑戦したという。
 
 
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実は2人オーストラリア滞在中、マスコミの取材が殺到し、なかなか2人きりになれなかったという。 そこで最後の5日間、マスコミの取材が入らない「2人の時間」を作ってあげようと息子同士が相談し、海辺のコテージを借りることにした。 2人はほとんど外に出ず、ゆっくりと時を過ごしたという。 視力が落ち 大好きな本が読めなくなったジョイスさん。 そんな彼女のために、ノーウッドさんがずっと本を読み聞かせていたという。
 
 
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人生の最後に、初恋の相手と72年ぶりに再会を果たしたノーウッドさん。 最後に私たちにこんなメッセージを語ってくれた。
「もし愛する相手を見つけたら、自分の心 全てで愛してください」