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実録! 大統領と闘った男

今年2月、北極圏に位置する刑務所で、ある人物が亡くなったというニュースが世界中を駆け巡った。 その人物の名は「アレクセイ・ナワリヌイ」、彼は世間からこう呼ばれていた。
プーチンが最も恐れる男
彼は、プーチン大統領による独裁政権が続くロシア国内で、誰もが恐怖で口にできない批判を堂々と吠え、自由を求める若者たちを中心に熱狂的に支持されていた。 そのために、ナワリヌイの関係者や支援者たちは、彼の死について、プーチン大統領とロシア政府による殺人だと主張。 ところが、後日ロシア当局は、ナワリヌイの死は自然死だったと発表。
また先月下旬にはアメリカの情報機関もプーチン大統領が殺害を指示した可能性は低いという見方を示したものの、その真相に関して、今も世界中で議論がかわされている。

だが、そもそもナワリヌイとロシア政府との因縁は深く、事務所は度重なる強制捜査を受け、さらに街を歩けば…何者かに消毒剤をかけられた。 そして4年前にはついに死に至るほどの毒を盛られ、ドイツでの療養を余儀なくされたことまであった。
それでも…毒殺未遂からわずか半年後、彼はロシアに戻る決断をした。 しかし、一体なぜ彼はあの時、そこまでの危険を冒し、プーチンの待つロシアへ帰ることにしたのか? その答えは、帰国の直前に遺された、彼の肉声の中にあった。
さらに、実は彼が帰国する一月ほど前、ナワリヌイはこれまで誰も暴くことができなかった、プーチン政権の闇を世界中に知らしめることになる「ある映像」の撮影に成功していた! 今夜は、世界中が戦慄した4年前の毒殺未遂事件の真相と「アレクセイ・ナワリヌイ」の、フィクションをも凌ぐアンビリバボーな人生に迫る!

今から28年前、当時大学生だったナワリヌイは、政治家ではなくビジネスでの成功を目指す、普通の青年だった。 その数年前、ソ連が崩壊しロシア連邦が誕生。 ロシアは自由と民主主義の国に舵を切っていた。
そんな中、成績優秀だった彼は法学の学位を取得後、金融と為替を勉強。 また政治にも関心を持ち、比較的小さな政党で、職員として働くようにもなった。

とはいえ当時目標としていたのは、あくまで経済的な成功であり、大学卒業後は弁護士となって、当時の国民の平均を遥かに上回る収入を得るようになると、24歳の時に、妻ユリヤと結婚。 2人の子供にも恵まれ、何不自由ない生活を送っていたという。 そんな彼がなぜ、世界的な活動家になっていったのか?

その大きなきっかけは、彼が30代に入った頃に遭遇した、ある「出来事」だった。
当時、好景気の波に乗り株式投資を始めたナワリヌイは、企業の報告書を定期的にチェックするようになった。 この頃、勢いのあった企業の株ばかりを買っていたのに、なぜか株主配当がほとんどないことを不審に思った。
そこで、ナワリヌイは株主の権限を使い、独自に調査を開始した。 すると…とんでもないことが明らかなる。 彼が入手したのは、株を持っていた多くの企業がその利益を密かに、ロシア政府の高官たちに流している可能性を示す資料だった。

その事実を知ったナワリヌイは、同僚にそのことを打ち明けたのだが…彼らは「俺たちにできることなんて何もないだろ?」というだけだった。
当時のロシア大統領といえば、今も現職で政権を握る、ウラジミール・プーチン。 かつて世界中で恐れられたソ連の諜報機関「KGB」でスパイの任務も行っていたプーチンは…圧倒的な「カリスマ性」を持ち、歯向かうものに対しては一切容赦しない「冷酷な一面」も持ち併せてはいたものの、プーチンの政党「統一ロシア」は国内で圧倒的な支持を集めていた。 また彼らはマスコミも検閲の対象としていたため、多くの国民はプーチンや統一ロシアの批判を目にする機会など殆ど無かった。
そんな中で、一人、体制を批判する言動は、文字通り自殺行為ともいえた。

実は、彼には決して忘れ得ぬ、ある記憶があった。
ナワリヌイは幼少の頃、モスクワ郊外の小さな町ブティニで育った。 父はソ連軍の下級将校。 母は会計士で、生活は貧しかったが、幸福に暮らしていた。

だが、そんなある日のこと。 1986年4月26日、チョルノービリで原発事故が発生。
アレクセイ少年の祖母は、原発からわずか2キロの小さな村に居住。 夏休みは祖母の家で過ごすのが恒例だったのだが…。 後日、村を訪れた彼は衝撃の光景を目の当たりにする。
放射性物質で汚染された灰が積もった土地に、祖母たちは、じゃがいもの苗を植えさせられていたのだ! 事故の全容をひた隠しにしたいソ連政府が「何の問題もない」と、世界にアピールするために。

何かできることはないのかと考えた彼が目をつけたのが…インターネット
そう、報道は規制されていても、インターネットの世界には自由な海が広がっている。 そこで彼は、当時流行し始めていたSNSやブログを使い、自らが見つけた企業の不正や、汚職の証拠を暴露する記事を投稿するようになった。 すると…匿名のネット上には、ナワリヌイの告発を称賛するコメントが殺到。 彼はたちまち人気ブロガーとなり、閲覧者の数も加速度的に増えていった。

さらに、ブログでの人気に手応えを感じた彼は…怪しいと感じた企業の株をあえて少しだけ買い、株主として株主総会に出席。 その席上で疑惑を追及する「少数株主活動家」としても動き始めた。 すると…その活動もまた、少しずつ人々の支持を集めていった。

当初は自らの経済的成功を望んでいたナワリヌイだったが、いつしか弁護士として働いて得た収入まで、反汚職活動につぎ込むようになっていった。 そして、そんなナワリヌイの思いに共鳴した協力者も現れ始め…やがて彼は仲間たちと共に反汚職活動基金「FBK」という団体を立ち上げるまでに。
その頃には、ロシアの反汚職活動家のリーダーとして、アレクセイ・ナワリヌイの名は世界中に轟くようになっていた。

だが…そんな状況をあの男が、指を咥えて傍観しているだけのはずがなかった。 2011年、ナワリヌイは突然警察に検挙されてしまったのだ。
実はこの頃ロシア政府は、正式に「ナワリヌイ」に関する犯罪捜査を開始すると表明。 この時の嫌疑は、彼が関わっていたある企業に対して、意図的に損失を与えたという詐欺の容疑。 だが…彼にとってはまったく身に覚えのない罪だったという。
その後、11ヶ月に及んだ捜査にもかかわらず、犯罪行為の証拠は見つからず、不起訴になった。

この頃、ナワリヌイはついにプーチン率いる統一ロシアに真っ向から宣戦布告。 モスクワ市長選に出馬したのである!
結果は敗北に終わったが、ナワリヌイは公式発表で27%以上の票を得た。 これは、統一ロシア一強体制のロシアにおいて、超異例とも言えるほどの大健闘。 この善戦により「ナワリヌイ」の名は、世界中で繰り返し報じられることになった。
ところが…一人だけ、真逆の反応をする男がいた。 プーチン大統領は、いつどんな場所でナワリヌイについての質問を受けても、決してその名を口にはしなかった。 まるでその存在自体を「なきもの」とするかのように。
そして、モスクワ市長選以来、欧米のメディアを中心にナワリヌイは「プーチンが最も恐れる男」と呼ばれるようになっていったのである。
その後も、まるでナワリヌイを狙い撃ちするかのように、FBKのオフィスは何度も強制捜査され…ナワリヌイ自身、暴漢に襲われ消毒剤をかけられることもあった。 それでも、ナワリヌイは活動をやめようとしなかった。

そして2016年、ついにナワリヌイは、2年後に行われる大統領選挙への出馬を表明
ところが…選挙戦の準備が大詰めを迎えていた翌年初頭、かつて不起訴になったはずの「罪」で再び裁判にかけられ、執行猶予付きながら懲役5年の判決を受けたのだ。 その結果、ロシアの法律によって、彼は10年間、選挙に出られないことが確定。 強制的に出馬を断念せざる得ないことになったのである。
だが、それでも彼の情熱は全く衰えることはなかった。 その後もナワリヌイは反汚職活動のために、ロシア全土を勢力的に回り…自らのSNS上でプーチン批判を繰り返した。

しかし今から4年前の2020年、ついに世界中が震撼することになる、とんでもない事件が起きてしまう。
その日、ナワリヌイは、シベリアでいつものようにSNS用の動画を撮影。 モスクワへ戻る飛行機に搭乗、その機内でのことだった。 突然機内で倒れたナワリヌイは、苦悶の声をあげはじめた。 機長の判断で、途中のオムスク空港へ緊急着陸。 病院に搬送されたときには完全に意識を失い重篤な状態だった。

そして、医師はなぜか妻が夫に付き添えないと主張。 ユリヤとスタッフは何かを隠していると直感した。
実は、これまでもロシアでは、政府に逆らう人間が不可解な死を遂げる、という事案が度々起こっていた。 そしてその多くは…毒殺である。

すぐに、妻ユリヤは国外の病院への移送を要求した。 ロシア政府は当初、その要望を無視。 しかし、外国指導者の後押しなどもあり、搬入から2日後、ようやく聞き入れ、ナワリヌイの身柄はドイツの病院へ搬送された。

そしてそれから、約1週間後、驚くべきことが明らかになる。
ユリヤ「アレクセイ、あなたの体内から検出された毒物の正体がなんだかわかったわ。ノビチョクよ」
その言葉を聞いた瞬間、ナワリヌイは初めて目を覚まし「そんな、バカな」と言ったという。

実はナワリヌイの体内から検出された、ノビチョクと呼ばれる神経毒は…過去、ロシア政府の関与が疑われた暗殺事件でもよく使われていた化学物質だったのだ。 やはり暗殺を指示したのは、クレムリンにいるプーチン大統領なのかと世界中が騒然。
そんな最中、モスクワから遠く離れた空の下で、この疑惑に敏感に反応した1人の男がいた。 そしてこの後、この謎の男がナワリヌイの運命を大きく変えることになる。

ノビチョクの量が少量だったこともあり、なんとか一命を取りとめたナワリヌイは、ロシア政府による監視から逃れるため、帽子とマスクと車椅子で変装して密かに病院を脱出。 その後、ドイツ国内にある…小さな村の一軒家に潜伏した。
そんな時だった。 SNSを通じて、ある人物からコンタクトがあった。 なんと、毒殺を図った実行犯を見つけたというのだ。

罠かもしれないとナワリヌイは疑いながらも、その人物にあってみることにした。 そして…その人物は「ベリングキャットのクリストだ。単なる数字オタクだよ」と名乗った。
彼こそが、ノビチョクに反応した謎の男。 ウィーン在住のブルガリア人、クリスト・グローゼフ
そして彼が所属するベリングキャットとは、ネット上で収集するデータを武器に国家や組織が隠す真相を明らかにする調査報道機関。 大手メディアも驚くほどの速さと正確さで、次々にスクープをものにしながら、メンバーは個人で活動し、その調査費用はほぼ自腹。 確かに、物好きなオタクたちの集まりとも言えた。

クリストは、犯人グループと思われる数名の、本名・偽名・住所・連絡先・顔写真すべて判明したというのだ。 クリストが目をつけたのは検出された毒物、ノビチョク
実は過去の調査によって、彼はその製造所がモスクワにあるシグナル化学センターだということを知っていた。 そこで…ロシアの闇市場でそこの所長の通話履歴を購入し、事件直前にかけられたいくつかの電話番号に目星をつけた。 そして、それを頼りに該当する人物の名前、職業、顔写真、住所まで探り当て容疑者と思われる人物、10数名を洗い出したという!

さらにクリストは、ナワリヌイがいたシベリアの空港に、事件3日前から当日までの間で到着した航空機の乗客名簿を全て入手。 名簿にあった名前と、容疑者として目星をつけた人物たちを照合すると…最終的に8人の人物が浮かび上がった。
さらに、ナワリヌイが大統領選の準備をしていた3年前の旅程と、今回浮かび上がってきた殺し屋たちの同じ時期の旅程を比べてみると…全く一緒だったのだ。 ナワリヌイは、何年も前から殺し屋たちに狙われ続けていたのだ!

こうして実行犯たちの特定に成功したナワリヌイ。 これで、再びプーチンを追い詰めることができるかと思われた。 だが…彼らが決定的な証拠がなければ、これまでと同じようにプーチンに否定されて終わってしまう。 そこで、彼らは暗殺の実行犯たちに直接電話をかけ、その様子を撮影して全世界に公表するという衝撃的なプランを実行することに!

犯人グループは軍人や医師、科学者などで構成されていた。 ナワリヌイはまず3人の軍人と医師に電話をかけた。 しかし彼らはみな、言っている意味がわからないとはぐらかし、すぐに電話を切ってしまった。 だが次に科学者、コンスタンチンにかけてみたところ、その電話でついにとんでもないことが明らかになる!

ナワリヌイは彼らに指示を出したと思われるパトルシェフという人物の部下になりすました。そしてコンスタンチンとの会話の中でこんな言葉を引き出した。
「地上に降りたから解毒剤を注射された。飛行機がもう少し飛んでいたら作戦は成功しただろう」
それはまさに、完全無欠の動かぬ証拠だった。 公開されたこの映像は、全世界に衝撃を与えた!
それからほどなく、この世紀の大スクープを受け、プーチン大統領が海外メディアの取材に応じた。 この日、プーチン大統領は、何の根拠も示さぬまま、一方的にナワリヌイを激しく批判。 結局、確実なことは、ナワリヌイが再び、プーチンの逆鱗に触れた、ということだけだった。

毒殺未遂から5ヶ月後、ナワリヌイはロシアに帰ることに決めた。 今、ロシアに帰れば、政府はどんな手を使ってでもナワリヌイを拘束する可能性が極めて高い。 それどころか、これまで政府に歯向かって来た者同様、今度こそ「抹殺される」という命の危険さえ、十分現実的に考えられた。 だが…それでも彼はこのタイミングで帰国するという信じられない選択をしたのだ。

そして、危険が及ばないように、ナワリヌイは子供たち二人をアメリカに亡命させた。 同志として一緒に闘ってくれたスタッフたちは、一旦ドイツに残ることになったが…ナワリヌイは妻のユリヤと二人、面目を完全に潰されたプーチンの待つロシアに帰ることにしたのだ。
そして、3年前の1月17日、ナワリヌイは妻のユリアと共に、故郷、モスクワ行きの飛行機に乗り込んだ。 そして彼らを乗せた飛行機はモスクワに向けて飛び立った。
一方その頃、飛行機が到着する予定のモスクワ・ヴヌコヴォ空港では、信じられない光景が広がっていた。 それは、拘束される危険を顧みず集結した、ロシアを変えたいと心から願う人たちだった。

ところが、ナワリヌイを歓迎する余りの熱量に、警察が早くも強硬手段に出始めていた。 そして、着陸まで後少しというところで、さらにとんでもないことが起こった。
なんと、ナワリヌイの乗った飛行機がヴヌコヴォ空港への着陸を阻まれ、空港から離れていったのだ。 だが程なく、そのことを知った市民たちは「ヴヌコヴォ空港に戻れ」と連呼。 空港が封鎖されてもなお、彼らは最後までナワリヌイの帰還を待ち続けた。
だが…結局、飛行機は航路を変え、ヴヌコヴォ空港から50kmほど離れた別の空港に着陸。
多くのジャーナリストと共に飛行機を降りた彼は…
「私は全く怖くない。平穏な気持ちで入国審査を終え、家に帰る。なぜなら自分が正しいと知っているから。私に対する容疑は全て虚偽だと分かっている。私を脅そうとするすべての圧力はこけおどしです。真実も法も私に味方している。だから何も怖くないし皆さんも脅えないでほしい。」
こう言い残して、入国審査に向かって行った。
しかし…すぐに空港警察に呼び止められると、結局そのまま拘束されることになった。 この時の逮捕容疑は執行猶予中の身にも関わらず、出頭義務に違反したという、まさにとってつけたようなもの。 だが、その後、ロシア政府が主張する様々な罪が追加され、結局 これ以降、彼が自由の身になることはない。
そして一人取り残されることになったユリヤは群衆に向かって、こう話した。
「彼らはアレクセイを恐れるあまり空港付近を全て封鎖した。今日の彼の言葉で一番大事なのが『怖くない』。私も怖くない、脅えないで。ご支援をありがとう」

それから4日後、過激派組織に指定されたナワリヌイの反汚職基金FBKは一斉摘発を受け、チームの主要メンバーは国外に逃れることに。 そしてナワリヌイ本人は、裁判にかけられ禁固9年の判決を受けた。 それから3年が経った今年2月、北極圏にあるヤマロ・ネネツ自治区にある刑務所で…アレクセイ・ナワリヌイは亡くなった。

ロシア政府は病気による自然死だったという見解を発表したものの…ナワリヌイの関係者をはじめ、その発表を鵜呑みにするものは少なかった。 なぜなら…彼が亡くなる前日に獄中から出廷したオンライン裁判で撮影された映像で、ナワリヌイはいつものようにブラックジョークを飛ばし、変わらず元気な姿を見せていたからだ。
さらに亡くなってからもしばらくの間、遺族への遺体の引き渡しがされていなかったことなどもあり、その死因については今も世界中で議論が続いている。

実は、ナワリヌイの死後、プーチン大統領による、ある発言が注目を集めた。
「ナワリヌイ氏の獄死は悲しい出来事だ」
なんと、プーチンがこの時初めて「ナワリヌイ」という彼の名前を口にしたのだ。 単に死者に対する弔いの気持ちなのか、それとも宿敵がこの世からいなくなった安堵からなのか、その真意は彼にしかわからない。 しかし、間違いのない事実として言えるのは、国内で唯一自分を脅かしかねなかった人間に彼が今後、怯える必要はなくなった、ということだけだ。

そして、道半ばで命を落とすことになってしまったナワリヌイ。 彼は自らの運命を半ば悟りながら、どういう思いを胸にロシアに帰国したのか?
実は帰国の直前、当時ドイツで密着取材を受けていたナワリヌイは、ジャーナリストから… 「もしこの後、逮捕されたり、殺されたりした場合、残された人々に対してどんなメッセージを残すか?」という辛辣な質問を受けていた。
その質問に対して彼は…
「ごく当たり前のことを君たちに言う。悪が勝つのはひとえに 善人が何もしないから。だから行動をやめるな」
そして最後に一言、こう付け加えた。
「簡単だ、決して諦めるな」

アレクセイ・ナワリヌイの死から一ヶ月あまり。 今年3月17日に行われたロシア大統領選挙。 ナワリヌイの支持者らは、正午の時刻に合わせて、国内外各地で投票所に集結する、事実上のデモを実施。 ウクライナとの戦争で、デモが当局に厳しく取り締まられる中…無効票を投じたり、他候補に投票したりするよう呼び掛ける「プーチンに反対する正午」は、静かに実行された。
ユリアさんも…ベルリンのロシア大使館前の行列に並び、支持者から声援を受けた。 だが、結果は…ウラジミール・プーチンが再選。 当局の発表によると87%の得票率で圧勝だったという。

そんなプーチン氏が盤石な体制を気付く中、ナワリヌイの古くからの盟友でもあり、一緒にドイツで潜伏生活を送ったレオニード氏は今年3月、謎の暴漢にハンマーで襲われるという事件の被害にあった。
また、毒殺未遂の実行犯を特定したべリングキャットのクリスト氏も、2年前、ロシアで指名手配されてからは家族と離れ、アメリカを拠点に生活をしているという。
さらに先月下旬には、ナワリヌイの団体に動画や写真を提供したという理由で反プーチンのロシア人記者2名が拘束されるなど、ナワリヌイを取り巻く人々の状況は厳しいままだ。
しかし…そんな事態になった今も彼らは全く怯むことなく、プーチン政権に対して、日々鋭い批判を続けている。

そしてナワリヌイの最大の理解者であり、生涯のパートナーでもあった妻ユリアさんは夫の死後、YouTubeでこんなコメントを発表している。
「プーチンはアレクセイを殺し、私の半分を殺しました。私の心の半分、魂の半分です。そして残っているその半分が、私に諦める権利はないと語りかけてきます。私は夫の活動を、国のための闘いを続けます。私たちを取り巻く悲しみや苦しみを分かち合いましょう」
決して諦めないというナワリヌイの魂の炎は、今もなお、彼の周囲にいた人々によって絶やすことなく、燃やされ続けている。