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第28回(2001.06.22)
まえのひと >>

梅津和時

張紅陽さんと一緒にバンドをやっている関係で話が回って来ました。
もう、この羊を巡る関係は、いったいどこまで遠い所に行くのでしょう。

昔、私の住んでいた仙台に、「メンヨウ会館」という建物がありました。ふるーい3階建てぐらいのモルタルのビルだったのです。学校の行き帰り、いつも、そのビルの前を通ると、何か草の良い匂いがして、一度、中を覗いてみたかったのですが、私は小学生だったので、名刺もお金も持っていないし、どうやってそのビルの中に入ったら良いのか、ちっとも分かりませんでした。

私はカタツムリが嫌いでした。
私の住んでいた仙台の青葉山では、その頃、梅雨になるとカタツムリが大発生して、道が真っ黄色になったものです。あれが、全部羊だったら、道は真っ白でフワフワでフカフカで、どんなに気持ちが良いでしょう。
私の家には、猫と犬とヤギがいました。
毎晩、誰かが私のふとんの中に入って来て、一緒に眠るのです。
猫はあったかいしゴロゴロいうし、犬はあったかいしペロペロ顔をなめるし、ヤギはあったかいし布団を食べちゃうし、誰と一緒に眠るのも好きでした。だって、一緒に寝てくれれば、おばけはやって来ないし、おねしょしたって、「ボクじゃないもん」って主張できるでしょ。
でも、一度羊と一緒に寝るんだ!というのが、私の夢でした。あんなにフワフワでフカフカなんだから、どんなに気持ちのよい事でしょう。猫だって、犬だってヤギだって気持ち良いけど、きっと羊が一番でしょう。

うちにどうしてそんなに動物がいたかというと、私の父は農学部というところの先生で、畜産というものの研究をやっていたからなのです。

ある日、宿題を忘れたせいで学校に残されて、暗い道を歩いてメンヨウ会館の前を通りました。すると一人の男の人が、まわりをキョロキョロ見回すと、スーっとメンヨウ会館のドアの中に消えていきました。私はアッと息をのみました。だって、その男の人は父だったのです。私はそっと後をつけてみる事に決めました。小学校の6年間で、一番勇気を振り絞った一瞬でした。ビルのなかはタンスから出したばかりのセーターの匂いがしましたが、真っ暗です。でも、上の方で、かすかに話し声のような音が聴こえます。目が馴れてくると、小さな階段があって、声はその上から聴こえてくるようでした。私は今よりずっとずっと体が軽かったので、その古い階段でも音をたてずにのぼる事が出来ました。3階のドアが少しだけ開いていて、小さな明かりがもれていました。「だからそうじゃないんだ。そこの所を君は誤解している。」太いけど、鼻をつまんだような声が聴こえて来ました。「そうなんですか、それは知らなかった。ふむふむ。」これは父の声でした。私は勇気を出して、そのドアの隙間から中を覗いてみました。「わあ、羊だあ。」私は声をあげずに頭の中で喋りました。つい、この間、「黙読」というのを国語の時に習ったので、こんな事もできるようになったのです。部屋のまん中にろうそくが一本立っていて、5人の羊がそれぞれきちんと学校の椅子に、父を囲むように座っていました。一人は、"つの"をパイプにしてタバコをふかしています。何かを討論しているようですが、羊たちと父は仲のよい友達のようでした。「おや、おまえ、どうしてそんな所に立ってるんだ?」父の声に、羊達が一斉に私の方に首をまわしました。ずいぶん簡単に見つけられてしまったものです。おどおどと、ちょっとこわがっている私を見て、父は笑いながら「ははあ、さては、悪魔達の集会だと思ったんだな。」と言いました。羊達が一斉に腹を抱えて大笑いしました。ヨーロッパに羊(ヤギだったかな?)の頭をした悪魔の絵があるのを知ったのは、私がもっとズーっと大人になってからです。「これは私の息子で・・」と父が羊さん達に紹介してくれ、「この羊さん達は、父さんの論文のお手伝いをしてくれているんだ。こちらが・・・」と、羊さん達を紹介してくれました。「やあ、坊や、良く来たメエ。」パイプをくゆらしていた羊さんが私のそばによって来て、パイプの中からポンポンとタバコの灰を床に落とすと、「これをあげよう。」Aそのパイプを私に差し出してくれました。「あの、ボク、タバコは・・。」と、躊躇していると、「ははは、」とその羊さんは目を2Hの鉛筆で書いたような細い線にして笑いながら言いました。「これは、吹いてみると良い音がするんだよ。まあ、まだ、タバコの匂いが残ってるから、よく洗ってから吹いて見なさい。」手渡されたパイプを、口にくわえてみると、タバコの匂いではなく、青い草の匂いがしました。

次の年、父は「羊の研究」という論文を発表して、学会で大変りっぱな賞を頂きました。私は、いつか、あの羊さん達がうちに遊びに来て、私の布団に潜り込んでくれないものかと期待していましたが、あれから羊さん達と会う事はとうとうありませんでした。メンヨウ会館はいつの間にか無くなって、ビルの壊された空き地では、子供達がゴムボールで三角ベースをやっていました。そして、いつまでたっても、どれだけ吹いてみても、もらった角笛はスーという音しかしなかったので、父はあきれて代わりにクラリネットを買って来てくれました。もちろん、この事が、ずーっと、父と私だけの秘密だったのは言うまでもありません。

次は巻上公一さんにまわしましょう。ヒカシュー、ベツニ・ナンモ・クレズマ、等のとんでもないヴォーカリスト。ホーメイの達人です。羊の声(メーメイ)も得意です。


梅津和時プロフィール

サックス、クラリネット演奏者。
現在は「梅津和時 KIKIBAND」「こまっちゃクレズマ」他、数グループを主催しライブ活動を精力的に展開中。6月21日にEWEから「KIKI」が発売になったばかり。

詳しい活動内容等は以下のホームページでどうぞ。

http://webclub.kcom.ne.jp/mc/u-shi/

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