PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2019年1月

1月30日(水)

土井健太郎選手

(卓球)

亡き弟と目指すメダル

土井健太郎選手(卓球)

20年東京でメダルを目指す土井選手

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卓球の土井健太郎選手が登場。
先天性の難病「骨形成不全症」で立つことができず、骨折は40回近く繰り返した。
同じ病気を持った双子の弟・康太郎さんは大きな存在だった。「いつもどちらかが骨折してギブスをしていた。同じ境遇の2人で一緒に頑張ってきた」。

中学から本格的に卓球に打ち込み、切磋琢磨して試合で競い合うのが楽しかった2人。20年東京でメダルを争うことが夢になった。
しかし、15年に康太郎さんが併発していた心臓病の悪化で帰らぬ人に。半年後、弟を亡くしたショックが冷めないまま、弟と同じ心臓病で手術を受けた。
「僕は運よく助かった。だから康太郎の分も頑張って行きたい」。首から下げている小さな袋には、康太郎さんの遺骨が入っている。

「弟との夢は僕が叶える」。
一緒に20年東京の表彰台を目指す。

土井健太郎選手(卓球)

弟・康太郎さんと共に戦い続ける

土井健太郎選手(卓球)

亡くなった弟・康太郎さんと

1996年3月8日 静岡県生まれ 22歳
骨がもろく骨折しやすい先天性の難病「骨形成不全症」。
中学から本格的に卓球を始め、15年ジャパンオープン団体優勝。
17年ジャパンオープン個人3位、18年アジアパラは初出場でベスト8。

1月23日(水)

鈴木康平選手

(車いすテニス)

世界一のテニスプレーヤーを目指して

鈴木康平選手(車いすテニス)

車いすテニスで次世代のホープ・
鈴木康平選手

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車いすテニス次世代のホープ、
鈴木康平選手が登場。
世界ランキング12位 (19年1月14日付)、国内ランキング2位 (18年12月17日付)。将来を期待される選手の1人だ。

11年、大学1年の時にバイク事故で左膝下を切断。
ふさぎこんでいた鈴木選手の転機は12年ロンドン。男子シングルス決勝をテレビで
観戦した。国枝慎吾選手が勝利を収め、史上初の連覇。「自分も世界一になりたい」。

13年に競技開始。高校時代はソフトテニス部に所属していたこともあって才能はすぐに開花。力強いショットを武器に、世界で活躍する選手に成長。
当初は軽い気持ちで始めたが、周囲の予想を上回る早さで実績を積み重ねた。

18年アジアパラは、準決勝で尊敬する国枝選手と対戦。
敗れはしたが、銅メダルを獲得。大きく成長を感じた大会だった。

大事にしていることは「今よりもっとテニスを楽しむ」。
1つでも多く勝利をつかみ取り、グランドスラム出場、20年東京、そして世界一を
見据える。

鈴木康平選手(車いすテニス)

力強いフォアハンドが武器

鈴木康平選手(車いすテニス)

世界一を見据えて練習に励む

1992年7月21日生まれ 26歳
静岡県出身 AOI Pro.所属
国際武道大 体育学部体育学科卒
13年、20歳の時に競技開始。18年アジアパラ男子シングルス銅。
世界ランキング12位 (19年1月14日付)、国内ランキング2位 (18年12月17日付)。

1月16日(水)

水田光夏選手

(射撃)

期待のホープ パラ代表射止める

水田光夏選手(射撃)

射撃界のホープ 水田光夏選手

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射撃で20年東京を目指す期待のホープ、水田光夏選手は21歳の現役女子大生。
中2の時に指定難病「シャルコー・マリー・トゥース病※」を発症。完治する治療法が見つかっていない病に冒され、普通ならふさぎこんでしまうところを水田選手は「なってしまったものは仕方がない」と気持ちを切り替えた。

何か出来ることはないかと思い、19歳で射撃を始めた。競技開始から1年後の全日本ライフル選手権は初出場で2位。18年はW杯に出場した。
極意は「動かないこと」。左腕以外健常者のように動かす事が出来ない水田選手にとって「これほど向いているものはないのでは」と手応えを感じた。

競技生活2年半。日々成長を続け、伸びしろは計り知れない。
内に秘めた闘志を燃やし、20年東京の代表をつかみ取る。

※シャルコー・マリー・トゥース病…四肢の筋力低下と感覚障害、筋萎縮が進む病気

水田光夏選手(射撃)

鳥居健コーチと共に練習を重ねる

水田光夏選手(射撃)

集中力を高めて狙いを定める

1997年8月27日 東京都生まれ 21歳。SH2クラス
17年 全日本ライフル選手権 2位。
18年 W杯(フランス)出場、全日本ライフル選手権 3位。

1月9日(水)

星野佑介選手

(パラテコンドー)

第一人者に勝利、17歳期待の新星

星野佑介選手(パラテコンドー)

パラテコンドー期待の新星・星野佑介選手

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高校生が第一人者に勝った。現在17歳の星野佑介は18年8月、パラテコンドーの第一人者で、日本王者の伊藤力から勝利。20年東京に向けて注目を集めている。

パラテコンドーとの出合いは中3の時。パラリンピック選手発掘プログラムに参加し、テコンドー協会関係者に「テコンドーに向いている体つき」とスカウトされた。
障がいの影響もあって、人との関わりが苦手。ほとんど運動もしていなかったが、テコンドーの華麗な蹴り技に魅せられ、競技開始1年半で強化指定選手に選ばれた。

指導者は、炫武(げんぶ)館館長の姜炫淳(カン・ヒョンスン)師範。
姜師範が出会った時、星野は「体もかたくて、体力もなくて赤ちゃんみたいだった」というが、今では「日本一のパラ選手になる」と言わせるほど。

20年から正式競技となるパラテコンドー。
まだ17歳の高校生。期待の新星が、東京で初代メダリストを目指す。

星野佑介選手(パラテコンドー)

普段はあどけない表情を見せる17歳の高校生

星野佑介選手(パラテコンドー)

練習では一転、真剣な眼差しに

2001年8月9日生まれ 17歳 炫武館所属。
中3でパラテコンドーを始めるまでは、ほとんどスポーツ経験なし。
18年8月に日本パラテコンドー界のパイオニア・伊藤力から勝利。
18年は、日本選手権パラの部男子 -61kg級3位、パンアメリカ選手権K44男子 -61kg級3位、金雲竜カップ選手権K44男子 -61kg級3位。