PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2018年12月

12月26日(水)

清水一二さん

(カメラマン)

パラスポーツに魅せられたカメラマン

清水一二さん(カメラマン)

写真でパラスポーツの魅力を伝える清水さん

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「これカッコよくないですか?」
車いすバスケットボールの写真を見せてくれたカメラマン清水一二さんの目は輝いていた。

大学卒業後、リハビリテーションセンター写真室のカメラマンとして就職。障がい者の記録写真などを撮影していた時、車いすバスケットボールに出合った。
「車いすで走りまくっている後ろ姿がレーシングカーの様でカッコいいな」

フリーカメラマンとなって40年近く、パラリンピックを中心に様々なパラスポーツを撮影。海外で行われる国際大会から地方の小さな大会、競技合宿まで自費で駆け回る。

「みんな障がいがあっても、義足をつければ走れる、義手をつければバランスがとれる、車いすに乗ればスピードが出る。用具と一体になっている姿はとにかくカッコいいんですよ。だからぜひ、競技場や体育館に行って生で観てもらいたい。東京パラリンピックの会場で大勢の観客をバックに競技の写真を撮りたいんです」

笑顔で夢を語る姿は“カメラ小僧”そのものだ。

清水一二さん(カメラマン)

車いすフェンシングW杯で撮影

清水一二さん(カメラマン)

愛用のカメラ

1954年6月21日 神奈川県横浜市生まれ 64歳。
日大芸術学部卒業後、神奈川県総合リハビリテーションセンター写真室に勤務。
80年にフリーカメラマンになり、98年長野、00年シドニーでは国際パラリンピック委員会の公認カメラマンとして撮影を担当。
報道写真や写真展などを通じてパラスポーツの素晴らしさを伝え続けている。

12月19日(水)

菊島宙選手

(ブラインドサッカー)

女子ブラインドサッカーの扉開く

菊島宙選手(ブラインドサッカー)

ブラインドサッカー女子日本代表の若きスター・菊島宙選手

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04年アテネから正式競技となったブラインドサッカー。しかし、採用されているのは男子だけで、女子は世界選手権も開催されていない。
長年、日の目を見なかった女子ブラインドサッカー界に現れたニューヒロイン。それが高校1年生の菊島宙(そら)選手だ。

サッカー指導者である父の影響で、小2でサッカーを始めた。健常者と共にプレーを続けていたが、徐々に目の障がいが悪化。悩んだ末に中1でブラインドサッカーへ転向。
試合中はアイマスクで完全に光を遮断するが、視界を全てふさがれてもサッカー時代に培ったテクニックは健在。周りの男子選手をドリブルで軽々と抜き去る姿に、周囲は口々に「天才」と呼ぶ。

17年は女子初の国際大会で日本代表に選出され、優勝に大きく貢献。
夢は、まだ扉が開かれていないパラリンピック出場だ。

「女子だけでも、男女混合でもいい。私の活躍で女子ブラインドサッカーの扉を開きたい」
16歳が一直線に夢へと突き進む。

菊島宙選手(ブラインドサッカー)

男子選手をドリブルで軽々と抜いていく

菊島宙選手(ブラインドサッカー)

世界を知る名将が日本を変えた

2002年5月23日生まれ 16歳 東京都青梅市出身。
埼玉T.Wings所属 先天性の視覚障がい。
17年5月に開催された女子初の国際大会「IBSA女子ブラインドサッカートーナメント」で日本代表に選出され、日本の全6得点を挙げる活躍で優勝に導いた。

12月12日(水)

ケビン・オアー監督

(ウィルチェアーラグビー)

世界一に導いた車いすの名将

ケビン・オアー監督(ウィルチェアーラグビー)

ウィルチェアーラグビー日本代表
ケビン・オアー監督

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米国やカナダのチームを育てた勝利の請負人。ウィルチェアーラグビー日本代表ケビン・オアー監督は、日本に新たな風を吹き込む車いすユーザーの名将だ。

17年2月監督就任。豊かな経験と知識、勝利への情熱を選手たちに注ぎ込み、チームの力を引き出しパワーアップさせた。18年8月、世界選手権初優勝。強豪国を相手に世界の頂点に立った。

巧みな戦術と指導力でチームを一つに束ねる。選手たちも全幅の信頼を寄せている。
「一番大切なのは“信じること”です。自分がやってきたこと、努力してきたこと、犠牲にしてきたこと、そのすべてに自信を持つこと。最初から出来ないとあきらめたら成功は手に入らない。それはスポーツも人生も同じだ」。

世界一の奇跡を起こした名将。「20年東京の金メダル。日本の力を信じている」。

ケビン・オアー監督(ウィルチェアーラグビー)

豊かな経験を生かした巧みな戦術が光る

ケビン・オアー監督(ウィルチェアーラグビー)

世界を知る名将が日本を変えた

1968年6月29日生まれ 50歳 米国出身。
陸上選手として98年ソウルパラで2つの銅メダル。
その後ウィルチェアーラグビーの監督として米国やカナダを指導。米国は04年アテネで銅、カナダは12年ロンドン銀。
17年2月、日本代表監督就任。18年8月世界選手権初優勝。

12月5日(水)

倉橋香衣選手

(ウィルチェアーラグビー)

代表初の女子選手 笑顔の中にあふれる闘志

倉橋香衣選手(ウィルチェアーラグビー)

ウィルチェアーラグビー日本代表・倉橋香衣選手

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18年世界選手権で初優勝したウィルチェアーラグビー日本代表。
快挙には1人の女子選手が大きく貢献していた。今回登場する倉橋香衣選手は、男女混合のウィルチェアーラグビーで女性として初めて日本代表に選ばれた。

大学でトランポリン部に所属。3年の時、大会の練習中に転落事故で頸髄を損傷し、四肢まひ。周囲の心配をよそに「車いすに乗って早く学校に生きたい」と前向きだった。

自立訓練の一環でさまざまな競技に挑戦する中でウィルチェアーラグビーと出合った。
「ぶつかるのが本当に楽しくて」。強靭な男子選手たちとの激しいぶつかり合いに恐怖心はなく、常に笑顔が絶えない。

ウィルチェアーラグビーは、女子選手がコートに入る場合、チームが優位になる特別なルールがある。
「チームが優位になるから、女性だから…と思われることは悔しい。男性選手と同じように動けるようになりたいし、ならないといけない。まだまだ課題は山積み」

屈託のない笑顔には、20年東京への闘志があふれている。

倉橋香衣選手(ウィルチェアーラグビー)

日本代表ケビン・オアー監督の指示に耳を傾ける

倉橋香衣選手(ウィルチェアーラグビー)

ぶつかり合いを恐れず男子選手に立ち向かう

1990年9月15日生まれ 28歳 兵庫県出身 商船三井所属。
11年、トランポリンの転落事故で頸髄を損傷し車いすユーザーに。15年にウィルチェアーラグビーを始め、17年に女性として史上初の日本代表候補に選ばれた。
女子選手のトップランナーとしてさらなる活躍が期待されている。