PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2018年11月

11月28日(水)

若山英史選手

(ウィルチェアーラグビー)

世界のエース封じるディフェンス力

若山英史選手(ウィルチェアーラグビー)

ウィルチェアーラグビー日本代表・若山英史選手

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18年世界選手権で世界一に輝いたウィルチェアーラグビー日本代表・若山英史選手。障がいの重い「ローポインター」として守備的役割を担うディフェンスの要だ。

19歳の時、プール事故で頸髄を損傷して車いすユーザーに。リハビリ施設でウィルチェアーラグビーに出合い、「この競技で世界を目指す」と人生の新たな目標が生まれた。

自宅のある静岡県から一番近くにあったクラブチーム「横濱義塾」に加入。現在も静岡から練習が行われる神奈川県横浜市まで毎週、新幹線で通っている。
選手としての転機は12年ロンドンパラリンピック。出場機会に恵まれなかった。4年間、悔しさを胸にトレーニングを積み、主力として16年リオの銅メダルにつなげた。

18年世界選手権初優勝。快挙の裏で若手が台頭し、出場機会は減少。悔しさが残った。20年東京へ、再び闘志に火がつく。「東京では誰よりも印象に残るプレーがしたい」。海外のエースを苦しめるディフェンス力に注目だ。

若山英史選手(ウィルチェアーラグビー)

持ち味は日本トップクラスのスピード

若山英史選手(ウィルチェアーラグビー)

ローポインターとして守備の一翼を担う

1985年1月3日生まれ 33歳 静岡県出身 横濱義塾所属。
19歳の時、プール事故で頸髄を損傷して車いすユーザーに。
パラリンピックは12年ロンドン、16年リオの2大会連続出場。リオは銅メダル獲得。
日本トップクラスのスピードを誇り、主要メンバーとして世界で活躍。

11月21日(水)

中村智太郎選手

(水泳)

為せば成る 金に挑むベテラン

中村智太郎選手(水泳)

パラリンピック4大会連続出場の中村智太郎選手

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パラ水泳で4大会連続パラリンピックに出場している中村智太郎選手は、生まれた時から両腕がなかった。両親から足を手のように使えるようにと厳しくも温かく育てられた。

「両腕がなくても、おぼれないように」と両親の勧めで5歳の時に水泳を始め、小4で4種目泳げるまでに上達した。
パラリンピックを目指したきっかけは、高校生の時に見た2000年シドニー大会。自分と同じ障がいの選手が泳ぐ姿を目にして「自分も出来る」と確信した。

そこから4年後、日本代表の座を射止めてパラリンピック初出場の2004年アテネでいきなりの銅メダル。2012年ロンドンでは銀メダルを獲得した。

「為せば成る」の精神で幼い頃からとにかく何でも挑戦してきた。その闘志は34歳とベテランの域に達した今でも衰えていない。
2年後、日本で行われるパラリンピックでは、きっと表彰台の真ん中に立つ姿を見せてくれるに違いない。

中村智太郎選手(水泳)

強力なキック力を持つすらりと長い脚

中村智太郎選手(水泳)

足を手のように使い、何でもこなす

1984年7月16日生まれ 34歳 和歌山県出身 日阪製作所所属。
先天性両上肢欠損。
パラリンピックは04年アテネから16年リオデジャネイロまで4大会連続出場。04年アテネ100m平泳ぎ銅メダル、12年ロンドン大会100m平泳ぎ銀メダル。
平泳ぎのスペシャリストとして、長く国内外で活躍している。

11月14日(水)

山崎悠麻選手

(パラバドミントン)

家族のために戦うママアスリート

山崎悠麻選手(パラバドミントン)

2児の母でもある“ママアスリート”山崎悠麻選手

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東京パラリンピックから正式競技となるパラバドミントン。世界で活躍し、メダル獲得を期待される“ママアスリート”が山崎悠麻選手だ。

小学2年生から中学3年生まで全国大会で活躍。高校1年生の時に不慮の事故で車いすユーザーとなり、競技から離れた。

23歳で結婚。翌年には第1子が誕生した。
転機は25歳。国体でパラバドミントンを観戦し、「もう一度バトミントンをやりたい」と競技復帰へ強い気持ちが芽生えた。パラアスリートとしての才能はすぐに開花。今では世界で活躍する選手の1人だ。

「家族の支えがなかったら、バドミントンはやれていなかった」
「主婦、仕事、バドミントン」と3つの役割を果たすには「家族の支え」が不可欠。家事は夫と分担し、仕事はバトミントンのために転職した。

主婦から一転、世界で活躍するアスリートとなった山崎選手。
家族のために、パラリンピックの表彰台を目指す。

山崎悠麻選手(パラバドミントン)

ショットを放つ山崎選手

山崎悠麻選手(パラバドミントン)

18年アジアパラ日本代表・金正子監督(写真右)の指導を熱心に聞く

1988年4月8日生まれ 30歳 東京都出身 NTT都市開発所属。
小学2年生から中学3年生まで、全国大会に出場するなど活躍。
高校1年生の時、事故で両膝下の機能を失って車いすユーザーに。
15年から日本選手権シングルス3連覇。
18年、国際大会で女子シングルス、女子ダブルス、混合ダブルスで3冠を達成。

11月7日(水)

藤田道宣選手

(車いすフェンシング)

メダルに挑む僧侶アスリート

藤田道宣選手(車いすフェンシング)

メダルを目指す車いすフェンシング・藤田道宣選手

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剣さばきの技術とスピードが重要となる車いすフェンシングの藤田道宣選手が登場。

大学2年生の時、海水浴中の事故で頸髄を損傷。まひした下半身は「二度と回復しない」と宣告を受けた。

高校時代からフェンシングに取り組んでいた藤田選手。2008年北京、12年ロンドン男子フルーレで2大会連続銀メダルに輝き、高校時代の先輩でもある太田雄貴さんに「車いすフェンシングをやってみないか」と誘われ、将来への希望を見いだした。

競技生活を続ける中で、両親や友人への感謝の思いが湧き上がった。

「今度は自分が誰かを支えたい」
大学院に通い、臨床宗教師(※)の資格を取得した。

18年10月のアジアパラ(インドネシア)では、男子フルーレで銀メダルを獲得。20年東京パラリンピックでメダル獲得を目指す異色の僧侶アスリートに迫る。

※臨床宗教師…被災地、医療機関、福祉施設などの公共機関で心のケアを提供する宗教者

藤田道宣選手(車いすフェンシング)

試合では車いすを固定。スピード感あふれる攻防が魅力

藤田道宣選手(車いすフェンシング)

精神を集中させて練習する藤田選手

1986年11月22日生まれ 31歳 熊本県出身 トレンドマイクロ所属。
両下肢機能全廃。
平安高(現龍谷大平安高)-龍谷大-龍谷大大学院卒。
18年ワールドカップ(モントリオール)男子フルーレ銅メダル。
右手の握力はなく、腹筋の力もほとんどない中、高校時代から培った駆け引きのうまさを武器に、世界と戦う。