PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2018年10月

10月31日(水)

半谷静香選手

(視覚障がい者柔道)

強くなりたい〜殻を破ったザンビア遠征〜

半谷静香選手(視覚障がい者柔道)

視覚障がい者柔道女子48キロ級・半谷静香選手

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2020年東京パラリンピックでメダル獲得が期待される「視覚障がい者柔道」48キロ級の半谷静香選手が登場。

パラリンピックは12年ロンドン、16年リオに2大会連続で出場し、いずれも入賞。リオの代表は一度落選したが、練習を怠らず代表強化合宿にも参加。追加招集で出場した。

昔から人前で戦うことは苦手だった。
17年4月から指導する仲元歩美コーチは「何かきっかけがあれば変われる」と、ザンビアへ9日間の武者修行に連れて行った。訪れたことがない異国の地での経験は、半谷選手を成長させた。

「誰も自分のこと知らないと思ったら、何か吹っ切れた」
周囲を気にしない強い精神力を手にするため、今も奮闘中だ。

本番は2年後の東京。
「仲元コーチをはじめ、ザンビアの人たちなど、これまで助けてくれた全ての人にメダルを見せに行く」
半谷選手は心に決めている。

半谷静香選手(視覚障がい者柔道)

信頼を寄せる仲元歩美コーチ(写真右)

半谷静香選手(視覚障がい者柔道)

半谷選手(写真左)を成長させたザンビア武者修行

1988年7月23日生まれ 30歳 福島県出身 エイベックス所属。
先天性視覚障がい。兄の影響で中学生の時から柔道を始め、大学生の時に視覚障がい者柔道に出会う。
パラリンピックは2012年ロンドンで7位、2016年リオで5位に入賞。
2017年ワールドカップ(ウズベキスタン)で自身初となる銅メダル。2018年ワールドカップ(トルコ)では2大会連続となる銅メダルを獲得。

10月24日(水)

倉木健治さん

(パラローイングコーチ)

難民、国籍の壁…荒波を乗り越えて

倉木健治さん(パラローイングコーチ)

カンボジアから帰化した倉木健治さん

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障がい者のボート競技「パラローイング」。現在、自ら立ち上げたパラローイングチームのコーチを務める倉木健治さんは、所属する選手たちへの指導、サポートを行っている。これまでの人生には、さまざまな困難や苦労があった。

カンボジア内戦まっただ中の1982年、両親が身を寄せていたタイの難民キャンプで生まれ、4歳の時に一家でボートピープルとして日本へ。5歳の時にポリオ(小児まひ)を患い、後遺症で左足に尖足(せんそく)障がいが残った。

自らの障がい、国籍を意識し始めた思春期—。ボートとの出合いは高校時代。一気に才能が開花し、健常者と共にインターハイにも出場した。次の目標は、2008年北京パラリンピックで日本人としての出場だった。しかし、そこに立ちはだかった壁は「国籍」。さまざまな理由から17年もの歳月を要して、2013年に帰化した。

以降、倉木さんは「コーチとして選手を育てる」という新たな道を見つけ、視覚障がい、肢体不自由、知的障がいなど、あらゆる選手の指導にあたる。普段はとてもユニークなキャラクターで選手たちに慕われている。

「この子たちのために苦労することは何の苦でもない、むしろ今が一番楽しい」
叶わなかったオリンピック出場の夢を選手に託し、今日もボートを漕ぐ。

倉木健治さん(パラローイングコーチ)

相模湖での練習。選手たちを熱心に鼓舞する倉木さん(写真右)

倉木健治さん(パラローイングコーチ)

選手たちと仲良く昼食タイム

1982年生まれ 36歳 パラローイングチーム「湖猿(こざる)」コーチ。
カンボジア内戦まっただ中にタイの難民キャンプで生まれ4歳の時に日本へ亡命。
5歳の時にポリオを患い、その後遺症で左足に尖足(せんそく)障がいが残る。
2013年に帰化。自身で付けた「倉木健治」という名前は大ファンの倉木麻衣から取っている。カンボジア名はルーム・レットさん。2017年6月全日本マスターズレガッタ混合ダブルスカルで優勝。

10月17日(水)

森井大輝選手

(パワーリフティング)

“動”から“静”の競技へコンバート

森井大輝選手(パワーリフティング)

チェアスキー界のトップ選手・森井大輝選手

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アルペンスキー銀メダリスト・森井大輝選手がパラパワーリフティングの選手として登場。
練習場所を訪れてまず驚くのは、腕の太さだ。ベンチプレスの要領でバーベルを挙げるパワーリフティングの練習で鍛えたのかと思いきや、「チェアスキーのトレーニングでこの腕になりました」と笑った。

世界が認めるチェアスキー界のトップ選手・森井選手は現在、冬季競技のアルペンスキー座位の部から夏季競技のパラパワーリフティングへ転向。2020年東京パラリンピック出場を目指している。決意した時期は、18年平昌パラリンピックの前。トレーニングで取り入れていたベンチプレスで重いバーベルを挙げることが得意だったという。
「チェアスキーとパワーリフティング、一瞬にかける集中力はどちらも同じ。スキーは筋肉があって体重が重い方が滑走のスピードが上がるので、今のトレーニングもチェアスキーに役立つ」
夏冬競技への相乗効果だけでなく、「自分がさまざまな競技に挑戦し続けることで、障がいを持った子供達に夢を持ってもらいたい」という願いも込められている。
2020年東京パラリンピックにはベテラン“チェアスキーの森井大輝”としてではなく、新人“パワーリフティングの森井大輝”としてメダルを狙う。

森井大輝選手(パワーリフティング)

夏季競技パラパワーリフティングで2020東京を目指す

森井大輝選手(パワーリフティング)

大谷進コーチとともに新たな挑戦へ

1980年7月9日生まれ 38歳 トヨタ自動車所属。
4歳からスキーを始める。高校2年生の時に交通事故で脊髄を損傷。1998年長野パラリンピックを病室で見て、チェアスキーを始める。パラリンピックはアルペンスキー競技で02年ソルトレイクシティ大会から5大会連続出場。最高成績は06年トリノ大回転、10年バンクーバー滑降、14年ソチのスーパー大回転、18年平昌の滑降で銀メダル。ワールドカップでは3度のシーズン総合王者。20年東京ではパラパワーリフティングで夏季大会出場を狙う。

10月10日(水)

中田崇志さん

(マラソン伴走者)

選手と伴走者は共に競技者である

中田崇志さん(マラソン伴走者)

視覚障がい者の陸上伴走者・中田崇志さん

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視覚障がい者マラソンに欠かすことのできない存在「伴走者」。中田さんはもともと陸上中長距離を行っていたが、2003年から「伴走者」に。伴走はただ選手と一緒に走るのではなく、選手の腕の振り、歩幅も合わせて走るため高いレベルの走力が求められる。
さらに、選手への声がけが重要だという。「辛い時に家族の話をしてラストスパートを鼓舞する」など、伴走をする選手それぞれに最も効果的な応援の声を掛ける。そして、声がけをする上で最も大事なことは信頼。「どんな励ましをしても、信頼関係が築けていなかったら響かない」という。
「もともと自分で行っていた陸上は個人で努力して、失敗しても個人の責任。ただ、視覚障がい者マラソンはチーム競技。伴走者の調子次第で選手の結果を左右してしまうこともあるので、プレッシャーがかかります。ただ、ゴールの瞬間は今までの個人競技とは違って、一緒に喜びを分かち合える楽しみがあります」
2020年東京パラリンピック。縁の下の力持ちである「伴走者」という競技者にも注目したい。

中田崇志さん(マラソン伴走者)

伴走者・中田さん(右)と日本のパラ陸上トップ選手・和田伸也選手

中田崇志さん(マラソン伴走者)

選手と伴走者の命であるロープ

1979年10月23日生まれ 38歳 株式会社NTTデータ所属。
高校から陸上部に所属し、大学時代は全日本インカレ3000m障がいで全国7位。その後NTTデータに入社、ニューイヤー駅伝出場。2003年雑誌で見た募集記事を見て伴走者に。
パラリンピックでは04年アテネで高橋勇市選手の伴走でマラソン金メダル。12年ロンドンは和田伸也選手の伴走で5000m3位。16年リオパラリンピックでは1500、5000mマラソンと出場3種目すべて入賞。スポーツ庁から「文部科学大臣表彰」を受賞。

10月3日(水)

橋本勝也選手

(ウィルチェアーラグビー)

20年東京パラリンピック 期待の新星

橋本勝也選手(ウィルチェアーラグビー)

日本代表に抜てきされた橋本勝也選手

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車いす同士が激しくぶつかり合うウィルチェアーラグビー期待の新星、橋本勝也選手が登場。16歳ながら、この8月に世界選手権で初めて世界一に輝いた日本代表のメンバーだ。
福島県出身の橋本選手がウィルチェアーラグビーに出合った時期は、2016年の中学2年生。それまで家に引きこもりがちで、車いすでのスポーツもほぼ未経験だったが、競技を始めるとわずか1年半で日本代表の一員に選ばれた。
「自分は代表に選ばれたといっても主力ではなく、今は経験をさせてもらっている」と謙虚だが、「2020年東京パラリンピックまで、一日一日を無駄にせずに通用するプレーを伸ばすためのトレーニングをしていきたい」と目標は明確になった。

この橋本選手を見いだした人物は、ウィルチェアーラグビーチーム「東北ストーマーズ」選手兼任監督の三阪洋行さん。パラリンピック3大会連続出場し、現在は日本代表のアシスタントコーチも務めている。
三阪さんにとって、橋本選手との出会いは「ダイヤの原石を見つけたというか、日本のウィルチェアーラグビーを新しい領域に連れていってくれる可能性に出会った瞬間」だったという。
三阪さんを始め、リオパラリンピック日本代表の庄子健選手らが、競技歴が短い橋本選手に直接指導を行っている。
2020年東京パラリンピックまで残された時間は2年弱。どこまで成長できるのか?橋本選手が見つめるその先の自分とは?

橋本勝也選手(ウィルチェアーラグビー)

あどけなさが残る高校生だが、目指すは20年東京

橋本勝也選手(ウィルチェアーラグビー)

三阪選手兼任監督から直々に指導を受けている

2002年5月生まれ 福島県出身 Tohoku Stormers所属。
中学2年でウィルチェアーラグビーを始めるまで、スポーツ経験はほとんどなかったが、競技開始1年半で日本代表に選出された。18年6月カナダカップで国際戦デビュー。先天性で手足に欠損があり、障がい別のクラスは障がいが最も軽い3.5クラス。日本代表でも大砲になる素質を買われ、期待されている。