PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2018年7月

7月25日(水)

小野智華子選手

(水泳)

「自分に負けない!」
東京2020水泳で金メダルへ!

小野智華子選手(水泳)

東京パラリンピックで金メダルを目指す小野選手

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「水の中では自由になれる」。生後10カ月で視力を失った小野智華子選手は小1で水泳と出合い、どんどんのめり込んだ。地道な努力を積み重ね、やがて世界と戦えるパラスイマーに成長した。
パラリンピックは12年ロンドンで念願の初出場を果たし、16年リオでは2大会連続出場。ともに100m背泳ぎで見事8位入賞を飾った。しかし、小野選手はその結果に満足はしていない。自身3度目のパラリンピックとなる2020年東京を目標に、さらなる高みを目指している。
好きな言葉は「自分に負けない」。
きつい練習から逃げず、あきらめずに、もっとタフに戦えるよう練習する。「2020年には世界新の記録を出して金メダルをとりたい」と力強い。
現在、小野選手は23歳。夢にはまだ続きがあるという。
自分を乗り越え、誰よりも速くゴールにたどり着いた時、きっと新しい自分に出会えるはずだ。

小野智華子選手(水泳)

23歳、期待のパラスイマー!

小野智華子選手(水泳)

小野選手は、あいおいニッセイ同和損害保険に勤務

1994年10月2日生まれ 23歳 北海道出身 あいおいニッセイ同和損害保険 所属。
2012年ロンドン・パラリンピック100m背泳ぎ8位入賞。
2016年リオ・パラリンピック100m背泳ぎ8位入賞。
目標は2020年の東京パラリンピックに出場し金メダルを獲得すること。
視覚障がいS11クラス。

7月18日(水)

安大輔さん

(車いすエンジニア)

車いすのプロフェッショナル

安大輔さん(車いすエンジニア)

選手からの信頼が厚い安さん

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車いす競技を行うプレーヤーにとって、車いすは道具ではなく「パートナー」。
「最初はそれも分かっていなかった」という安さんは、自ら車いすに乗ってその大切さを実感した。
現在、車いすテニスプレーヤー国枝慎吾選手や上地結衣選手の競技用チェアに携わっている安さんは、道具を作るのではなく、選手の身体の一部を作り上げるという信条で開発している。その一方で、長年の経験を活かしてジュニア選手らの競技用チェアも作っている。作って納品するだけでなく何度も調整を重ね、選手の意見を尊重しつつ完成形に近づける。
世界各国で行われる大会にも出向き、現場での調整も行う。
どの現場でも「安さん、安さん」と声を掛けられ、さまざまな車いすの相談に答える。あるジュニアの選手は安さんのことを「車いすのプロフェッショナル」と呼んでいた。
2020年東京パラリンピックに向け、今は選手と共に車いすを仕上げていく大切な時期。
今回は2020に向けて、車いすバドミントンの山崎悠麻選手に競技用チェアを作り、数ミリ単位の調整をその場で行っていく納品の様子に密着。

安大輔さん(車いすエンジニア)

工場で車いすの調整

安大輔さん(車いすエンジニア)

自分が調整した競技用チェアを見守る

1974年10月30日生まれ 43歳 千葉県出身 オーエックスエンジニアリング所属。
千葉県にある車いす製造で日本を代表する会社(株)オーエックスエンジニアリングに2000年入社。競技用の車いすも手掛け、国枝慎吾選手・上地結衣選手ら数々のトップアスリートを支え、開発、調整を手掛けている。

7月11日(水)

土子大輔選手

(車いすバスケ)

ライバルと共に 2020東京へ

土子大輔選手(車いすバスケ)

さらなる成長を誓う土子選手

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今年5月に行われた「天皇杯 日本車いすバスケットボール選手権大会」。
この大会で10連覇という偉業を成し遂げたのが、車いすバスケの名門「宮城MAX」。
土子大輔選手は昨年、これまで優勝を争ってきた「千葉ホークス」からこのチームに移籍してきた。
千葉県に住む土子選手は現在、「宮城MAX」の練習場がある仙台市の体育館まで週に1度、車で片道4時間半をかけて通っている。
「リオが終わった時は36歳。一度は引退するつもりだった」と語る土子選手が、なぜそこまでして、「宮城MAX」に移籍したのだろうか?

「2020東京でメダルを獲りたい」という思いから、競技を続けることを決意。そして、自分の今後の成長を考え、一番良い環境を選んだのだという。
さらに、日本の車いすバスケットボール界のエース、藤本怜央選手が「宮城MAX」に所属していたということも移籍を決断した大きな理由だった。
かつては得点王争いでしのぎを削っていた二人が、今や同じチームに。
プライベートでも仲の良い2人だが、「バスケットをやるからには、絶対に負けたくない相手」とお互いライバル心をむき出しにして、練習でも火花を散らしている。
それはどんな練習よりも、効果的で意味のあるもののように見えた。
2020年東京に向け、日々挑戦を続けている土子選手の今に密着する。

土子大輔選手(車いすバスケ)

18年日本選手権でMVP獲得

土子大輔選手(車いすバスケ)

ライバルであり、仲良しである藤本怜央選手(左)と食事

1980年8月14日生まれ 37歳 千葉県出身 株式会社メルカリ所属。
13歳(中学2年)でバスケットボールを始め、高校・大学・社会人ともにクラブチームでプレー。26歳の時にバイクで事故に遭い右脚を大腿部から切断。
およそ1年間のリハビリを経て08年に名門「千葉ホークス」で車いすバスケットボールを始め、翌09年日本選手権で準優勝、また同大会でベスト5賞を受賞。
14〜16年は千葉ホークスのキャプテンとしてチームを牽引。
16年リオデジャネイロパラリンピック出場(9位)。
17年8月より宮城MAXに所属。

7月4日(水)

中西麻耶選手

(走り幅跳び)

誰も到達していない場所に

中西麻耶選手(走り幅跳び)

目指すは6m義足ジャンパー第1号

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前人未到の記録「6m」を目指す義足ジャンパー、中西麻耶選手。
自己ベストはアジア記録でもある5m51、そして彼女が戦うT64クラスの世界記録は5m83。「6m」という記録は、義足ジャンパーにとって前人未到の領域。その領域との差「49cm」を埋めるために彼女が選んだ方法は、チームの結成。「チーム中西」のメンバーは、体の使い方を細かくみるピラティスコーチの川本紘美さん、義肢装具士の齋藤拓さん、そして、チームのメードメーカーでもある梶原進一コーチ。チームを組むことで練習に対する自分への甘さがなくなり、責任感が大きくなったという。組んで間もないチームだが、「チームという選択肢は義足の次に大事」という彼女にとって、なくてはならない存在になっている。試行錯誤を繰り返し、チームとともに前人未到の記録へ。2020年、まだ誰も到達していない場所にたどり着いた彼女はきっと、最高の笑顔を見せてくれる。

中西麻耶選手(走り幅跳び)

目標の6mジャンプまであと49cm

中西麻耶選手(走り幅跳び)

義足、チームは必要不可欠な存在

1985年6月3日生まれ 33歳 大分県出身 うちのう整形外科所属。
高校時代はソフトテニスの選手としてインターハイ及び国民体育大会に出場。2006年に仕事中の事故で右足ひざ下を切断。2007年から陸上を始め、翌年の北京大会から3大会連続でパラリンピックに出場。2016年リオデジャネイロパラリンピックでは5m42の記録で4位と、メダルまであと一歩に迫った。
自己ベスト 5m51(2016年5月1日 第27回日本パラ陸上競技選手権大会)