PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2018年5月

5月30日(水)

網本麻里選手

(車いすバスケ)

世界一の点取り屋 2020東京へ

網本麻里選手(車いすバスケ)

視線の先にはリング

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あなたは1試合得点の“女子世界記録保持者”が日本にいることをご存知だろうか?
網本麻里。高1で日本代表に選ばれて以来、エースとして活躍している。
19歳で初出場した北京パラリンピックで大会得点王に輝くと、22歳で出場したU25世界選手権では1試合51得点の世界記録を樹立。
この記録はいまだに誰にも破られていない。
そんな網本選手の憧れのプレーヤーは、名作漫画「スラムダンク」の人気キャラクター“みっちゃん”こと三井寿。ツボにハマると3ポイントシュートをバンバン決めていく三井のプレースタイルに心底惚れ込み、小学校の頃には髪型を真似てベリーショートにしたほど。そして1試合51得点の世界記録を樹立した時には、三井と同じような感覚、絶対にシュートを外さない“ゾーン”を体感したという。
日本代表の練習を見ていても、面白いようにゴールを決めていく網本選手の姿は
まさに三井寿を見ているようだ。
2年後の2020年東京パラリンピックが、
自らの集大成だと語る網本選手。
そんな彼女のプレーを生で見に行かない理由はない。
もしかすると20年東京で、また新たな金字塔を打ち立ててくれるかもしれない。

網本麻里選手(車いすバスケ)

チームメートと談笑

網本麻里選手(車いすバスケ)

憧れの選手は三井寿

1988年11月15日生まれ 29歳 大阪府出身
小3からバスケットボールをプレー。右足つま先の骨が内側に折れ曲がるように変形する障害のため、中1の時にドクターストップ。
中2の夏にはつま先の骨を切る手術を受け、バスケができなくなった。
母と一緒に訪れた大阪市長居障がい者スポーツセンターで車いすバスケに出合い、日本代表のエースに成長。
2016年からは世界最高峰のドイツ・ブンデスリーガでプレー。

5月23日(水)

一ノ瀬メイ選手

(水泳)

勝たなおもろない!! 2020東京へ

一ノ瀬メイ選手(水泳)

2020年東京は「トップレベルで戦って表彰台に上がりたい」

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2016年、19歳でリオ・デジャネイロ・パラリンピックに初出場を果たした。
7歳からの目標をかなえたが、結果は最も力を入れてきた200メートル個人メドレーで全体の13位にとどまり、予選敗退…
それから2年。
我々が一ノ瀬選手をたずねた場所は、近畿大学東大阪キャンパス。
彼女は50メートルの室内プールで、50名を超える部員達と共に練習に打ち込んでいた。
名門・近畿大学水上競技部を指導するのは、アテネオリンピック200mバタフライで銀メダルを獲得した山本貴司監督。
プールサイドには、山本監督が現役時代から常々口にしてきた言葉が掲げられていた。
「勝たなおもろない!!」
現在、近畿大学4回生になった一ノ瀬選手も、入学以来毎日この言葉を噛みしめている。
「リオはただただ悔しい思いをして、監督の『勝たなおもろない!!』を痛感しました。次の東京ではトップレベルで戦って、表彰台に上がりたい」
そう話す一ノ瀬選手は、決意を新たに2020年の東京へ向かってたゆまぬ努力を続けている。

一ノ瀬メイ選手(水泳)

プールサイドに掲げられた部のスローガン

一ノ瀬メイ選手(水泳)

バタフライでは新フォームを練習するなど進化中

1997年3月17日京都府生まれ 21歳 近畿大学水上競技部所属
先天性の右前腕欠損症。1歳半から京都市障害者スポーツセンターで水泳を始める。
2010年、中学2年時に史上最年少の日本代表でアジアパラに出場し、50メートル自由形で銀メダルを獲得。
高校3年時には、全国高等学校英語スピーチコンテストで障害の「社会モデル」についてスピーチして優勝。2016年3月のリオ日本代表選考会では200メートル個人メドレーで日本新を樹立。リオでは8種目に出場し、100メートル自由形では3年ぶりに自己ベストを更新した。

5月16日(水)

齋田悟司選手

(車いすテニス)

進化し続ける46歳 2020東京へ

齋田悟司選手(車いすテニス)

フォアハンド強化を目指す齋田選手

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日本車いすテニスのパイオニア・齋田悟司選手。過去6大会連続パラリンピックに出場し、2004年アテネ大会では国枝慎吾選手とダブルスを組み、金メダルを獲得した。

彼が1999年から現在まで練習拠点にしているのは、千葉県柏市にある吉田記念テニス研修センター。自宅からほど近い場所にある、この研修センターに来た当時はなかなか海外勢に勝てず、毎日悔しい思いを募らせていたという。
「純粋に勝ちたい」
吉田記念テニス研修センターは、当時のまっすぐな想いをいつでも思い出させてくれる。
「自分一人で強くなっていくことは不可能だと思っている。もちろん選手として技術力を高めていくことは大切だが、周りで支えてくれている人や自分を一生懸命応援してくれている人が支えになっている」
コーチやトレーナーと共に、今も自らの体にムチを打つ齋田選手。
2020年東京パラリンピックに向け、この場所で更なる進化を図っている。

齋田悟司選手(車いすテニス)

2020へ向けてフィジカル強化中

齋田悟司選手(車いすテニス)

サーブを打つ

1972年3月26日生まれ 46歳 三重県出身 株式会社シグマクシス所属
12歳の時に骨肉腫により左下肢を切断、車いすユーザーとなる。
1996年アトランタ大会から6大会連続でパラリンピックに出場。
2004年アテネでは国枝慎吾選手と組み、男子ダブルスで金メダル、2008年北京、2016年リオでは男子ダブルスで銅メダルを獲得した。
2003年には国際テニス連盟(ITF)選出の「世界車いすテニスプレーヤー賞」を日本人選手として初受賞するなど、日本の車いすテニス界を代表するトッププレーヤー。

5月9日(水)

栗栖良依さん

(パライベント演出家)

「できる」を見つけるために

栗栖良依さん(パライベント演出家)

理学療法士、トレーナーたちと話す栗栖さん

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パライベント演出家 栗栖良依(くりす・よしえ)さんが登場。
SLOW LABEL ディレクターで、「東京2020 開会式・閉会式 4式典総合プランニングチーム」の一員として活動している。

32歳の時に病気で右下肢機能が全廃。自分が障害者となり、障害者には何をするにも選択肢が少ないと気付いた。
例えばスポーツでも、健常者には趣味として、あるいは競技者を目指すなど取り組み方に選択肢があるが、障害者にはパラリンピアンになるか、もしくはスポーツをしないという2択しかないように感じたという。

障害を持った人たちの選択肢をもっと広げたいという願いから、気軽にスポーツを楽しめるトレーニングプログラムをフィジカルトレーナー、理学療法士と共に発案。
イベントでは身体、知的など、さまざまな障害を持つ人たちが一緒に運動を楽しむことができる。
スポーツを楽しんでもらうと同時に、今まで出来なかったことが「できる」ようになる喜びを知ってもらいたいという思いも込められている。
20年東京オリ・パラの開閉会式について、栗栖さんは「20年は1人でも多くの人たちがスポーツを始めたり、ボランティアなどに参加したり、そんな機会になってくれたら」と願っている。

栗栖良依さん(パライベント演出家)

参加者と準備運動

栗栖良依さん(パライベント演出家)

SLOW LABELのミーティング

1977年10月14日生まれ 40歳 東京都出身 SLOW LABEL所属。
高校生の時にリレハンメル五輪開会式に影響を受け、東京造形大学に進学。長野五輪では選手村内の式典交流班として運営に携わる。2010年、病気で右下肢機能全廃。2011年にSLOW LABEL設立。
障害者、アーティスト、企業・職人をつなげ、特色を活かした新しい「モノづくり」と「コトづくり」に取り組んでいる。
東京2020 開会式・閉会式 4式典総合プランニングチームのメンバーの1人

5月2日(水)

鈴木徹選手

(パラ陸上 走り高跳び)

2020東京、悲願のメダルは息子たちと共に

鈴木徹選手(パラ陸上 走り高跳び)

義足 ブレードの準備

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日本パラ走り高跳びのパイオニア・鈴木徹選手。日本初の義足プロアスリートとして、2006年には世界で2人しかいない2mジャンパーとなった。
しかし、世界の舞台でのメダルにはいつも一歩届かず、入賞止まり。実に5回目のパラリンピック出場となった2016年リオデジャネイロでも4位でメダルを逃し、挫折を味わった。

「自己ベストを出せばメダルは取れた。自分でゾーンに入ろうとして本来のジャンプができなかった。」

大会が終わって1週間が経っても、リオの試合時間にあたる夜になると悔しさを思い出し、涙があふれたという。

このまま終わるわけにはいかない。その陰には、2人の息子の存在があった。部活動でバスケットを頑張る彼ら小学生に、諦める父の姿を見せるわけにはいかなかった。
翌年の世界選手権。リオの反省から自分を追い込まず、1本目から観客に拍手を求めた。すると、世界大会で初めて2mの大台をクリア。見事、初の銅メダルに輝いた。
今回は「エネルギーをくれる存在」という2人の息子との癒しのひとときに密着。40歳となる2020年東京パラリンピックでは「息子の前で表彰台に上がって、お父さんはできるってところを見せたい」と誓っている。

鈴木徹選手(パラ陸上 走り高跳び)

高跳び 下から

鈴木徹選手(パラ陸上 走り高跳び)

インタビューでの笑顔

1980年5月4日山梨県生まれ 37歳 SMBC日興証券所属。
高校時代、ハンドボールで国体3位という成績を残したが、卒業前に交通事故により右脚を切断。リハビリがきっかけで、走り高跳びを始める。
2000年シドニーパラリンピックからアテネ、北京、ロンドン、リオと5大会連続入賞。2017年世界選手権で2m01を跳び、世界大会で初となる銅メダルを獲得した。