PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2017年7月

7月26日(水)

葭原滋男選手

 

止まらない衝動!パラスポーツ界のスーパーアスリート

葭原滋男選手

視覚障がいとは思えないほど力強いサーフィンをみせる葭原選手

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夏の砂浜、ウエットスーツを着て白杖を手に波打ち際へと向かう葭原滋男さん。
視覚障がいの葭原さんは、波の音と周囲からの掛け声だけで波に乗る「ブラインドサーフィン」をするサーファー。視覚障がいであることを一瞬忘れてしまうほど、
波に乗る姿は他のサーファーと区別がつかない。
波から上がってきた葭原さんは、「海は気持ちいいです」日に焼けた顔で笑った。
葭原さんは、1992年のバルセロナパラリンピックを皮切りにアトランタ、シドニー、アテネ4大会に出場。走り高跳び銅メダル、自転車競技金メダルと、銀メダル2つを持つパラスポーツ界のレジェンド。「とにかく、視覚障がいのある人の持つ、静かにじっとしているイメージを変えたい。みんなもっと元気なんです」2007年にはブラインドサッカーでも日本代表となり、50歳を過ぎた現在も、まだまだやり足りないと2020年の東京を目指して新たな競技に挑戦し日本代表を狙っている。
「陸と海の次は、空です。スカイダイビング!かな」日焼けした顔が再び笑った。

葭原滋男選手

ブラインドサーフィンに参加したプロサーファーらと記念写真(右から5人目は葭原選手)

葭原滋男選手

ブラインドサッカーも精力的に活動

葭原滋男(ヨシハラシゲオ)
1962年11月23日生まれ 54才 東京出身
10歳の時、網膜色素変性症を患い22歳で視覚障害者認定。1992年バルセロナパラリンピックで走り高跳び4位入賞、96年のアトランタパラリンピック走り高跳び銅メダル、2000年シドニーパラリンピックでは自転車競技に出場金メダル1個、銀メダル1個を獲得。2004年アテネパラリンピックでも自転車競技で銀メダルを獲得。
2007年ブラインドサッカー日本代表に選出され、2009年ブラインドサッカーアジア大会で2位、ハットトリック達成。

7月19日(水)

森下友紀選手

(水泳)

リオパラリンピック バタフライ日本代表

森下友紀選手(水泳)

まもなく浮上!バタフライ開始します

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リオパラリンピック水泳バタフライ日本代表の森下友紀選手は、友達と絶えずおしゃべりをしながら食事をする姿から、一見どこにでもいるような女子大生に見える。
森下選手が、ジャパンパラや日本障がい者水泳選手権の2大会において3つの優勝(100mバタフライ・100m自由形)したのは19歳の時のこと。
その若さで日の丸を背負い、世界と戦ってきた女の子の笑顔には、まだどこかあどけなさが残っているように感じた。
大学では福祉について学び、特に障がい者福祉に重点を置いて日々勉強している。ゼミの内容を伺うと、「障がい者に関することで、いろんな人の意見を聞けて楽しいなと思います」と自分自身を含め、障がいについてポジティブに向き合っているのがわかる。
将来については、「自分は健常者と障がい者の間ぐらいなのかなと思っているので。そこの橋渡しができたらいいなと思っています」と語ってくれた彼女は、障がいを持つ人々だけでなく、健常者にとっても希望や勇気をくれる存在となることだろう。

森下友紀選手(水泳)

時間があれば自分の泳ぎを研究します

森下友紀選手(水泳)

さわやかな笑顔

森下友紀(モリシタユウキ)
1996年9月28日生まれ 20歳 千葉県出身 昭和女子大学所属
先天性による左前腕欠損 小学生の時から水泳を始める
2015年日本障がい者水泳選手権大会では100m自由形・100mバタフライで優勝。
2015年ジャパンパラ水泳競技大会100mバタフライで優勝。リオパラリンピック水泳バタフライ日本代表。
東京パラリンピックでは金メダル獲得を目指す。

7月12日(水)

寺西真人さん

(視覚障がい水泳のタッパー)

視覚障がい水泳を支える名タッパー

寺西真人さん(視覚障がい水泳のタッパー)

数々のメダリストを育て、支えてきた寺西さん

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視覚障がいのスイマーの活躍を支える人がいます。選手たちに必要不可欠な“タッパー”と呼ばれる存在。タッパーとは叩く人という意味。練習や試合の時、特殊な棒を使って目の見えない選手の頭や体の一部をタッピングし、ターンやゴールまでの距離を知らせる重要な役目を担います。
タッパー歴25年の寺西さんは、選手に合わせて絶妙のタイミングで合図を出す名タッパー。これまで数多くのメダリストや日本代表選手を育ててきました。タッピング棒を試行錯誤しながら改良し、その日の選手の体調やクセに合わせて「ここぞ!」というタイミングで合図を出し、ベストタイムを引き出します。「選手の人生がかかっていますから、ミスは許されません」と語る寺西さん。100分の1秒を競う水泳競技、選手とともにプレッシャーと戦い、2020年の東京パラリンピックでメダルの獲得を目指します。

寺西真人さん(視覚障がい水泳のタッパー)

100分の1秒を競うプレッシャーがのしかかる

寺西真人さん(視覚障がい水泳のタッパー)

タッピング棒は試行錯誤で手作り

寺西真人(テラニシマサト)
1959年7月26日生まれ 57才 東京都出身 筑波大学附属視覚特別支援学校教諭
日本身体障がい水泳連盟競泳技術委員
視覚障がいのスイマーにターンやゴールのタイミングを知らせる名タッパー。
体育の教師をしながら数々の選手を育て、支えてきた。
パラリンピックで5つの金メダルを獲得した河合純一さん、リオパラリンピック銀メダリスト木村敬一選手、小野智華子選手など、数々の選手を指導。選手と二人三脚で2020年の東京パラリンピックを目指す。

7月5日(水)

狩野亮選手

(アルペンスキー)

ソチパラリンピック 滑降・スーパー大回転 金メダリスト

狩野亮選手(アルペンスキー)

練習後のさわやかな笑顔

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バンクーバーとソチのパラリンピック2大会で3つの金メダル(チェアスキー 滑降・スーパー大回転)を獲得した狩野亮選手は来年の平昌大会でも、虎視眈々と3大会連続となる金メダルを狙っている。そんな狩野選手、「スキーヤーの夏は忙しい、夏だからやらなくてはならないことがある」と言う。
夏の課題はどんな斜面でも対応できる体づくり。関節の可動域を広げるストレッチは地味ながら地道な努力が必要となる運動、「僕にとって、オフトレは暑さが一番つらい。寒さだったらマイナス20度でも全然頑張ります。」と苦笑いしながら語ってくれた。
自分の滑りに関しては「反省はしますけど、後悔はしない。どんなコースであろうとその時のベストが出たら結果がダメでも仕方がない。」と話す心の中は、長年競技を続けてきたが所以の覚悟が見える。
地道なトレーニングの中、後悔をしないための途方もない努力の証が、額をつたう汗に滲み出ていた。

狩野亮選手(アルペンスキー)

力強くコーナーを攻める狩野選手

狩野亮選手(アルペンスキー)

手でこぐ自転車で疾走中

狩野亮(カノウアキラ)
1986年3月14日生まれ 31才 北海道出身 マルハン 所属
小学3年生の時に交通事故で脊椎を損傷、両下肢の機能不全となる。バンクーバーパラリンピックではスーパー大回転で金メダル、ソチパラリンピックでは滑降とスーパー大回転で金メダルを獲得。平昌パラリンピックでは3大会連続のメダル獲得を目指す。