PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2017年5月

5月31日(水)

高橋和廣選手

(アイススレッジホッケー)

アイススレッジホッケー 日本代表 副キャプテン

高橋和廣選手(アイススレッジホッケー)

バンクーバーパラリンピックでは銀メダル獲得

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アイススレッジホッケー日本代表の司令塔・高橋和廣選手。来年開催される平昌冬季パラリンピック出場を賭けた最終予選まで、残すところ5ヶ月余り。アイススレッジホッケー日本代表合宿が長野県で行われた。練習が行なわれていたアイスアリーナの室内気温は真冬並みの4度だが、そこで汗だくになって練習をしている20名ほどの男達がいた。その中でもひときわ大声を出して周りを盛り上げているのが高橋選手。彼は、小学生から大学までインターハイ出場も果たしたアイスホッケー経験者だったが、21歳の時、スノーボード中の事故で脊髄を損傷する。その後、リハビリをきっかけに“スレッジ”と呼ばれるそりにのって行なうアイススレッジホッケーと出会った。普段は、区役所の広報課で働く好青年だが、いざスケート場に入ると、戦闘モードのスイッチが入り、人格が変わる。ボディーコンタクトが認められているアイススレッジホッケーでは、厳しいタックルは当たり前で、時には脳しんとうを起こす事もあるほど激しい競技。しかし、高橋選手はチームの勝敗を左右するゲームメーカーであることから「頭はクールに体はホットに」を意識して試合に臨んでいる。「プレッシャーは必ずのしかかるが、どんな時でも平常心を保つことが大事」だと語る。日の丸を背負い戦うアイススレッジホッケーの司令塔の“魂を込めたパス”の行き着く先とは。

高橋和廣選手(アイススレッジホッケー)

ボディーコンタクトも認められる激しい競技

高橋和廣選手(アイススレッジホッケー)

普段は、優しい笑顔の好青年

高橋和廣(タカハシカズヒロ)
1978年12月4日生まれ 38才 東京都出身
アイススレッジホッケー日本代表として、2002年のソルトレーク大会から3大会連続でパラリンピックに出場。2010年バンクーバー大会では、優勝候補の地元・カナダを破る大金星で銀メダルを獲得。しかし去年のソチ大会は予選で敗れ出場できず。来年開催される平昌大会でのメダル奪回に向け、代表の中心選手としてプレーしている。

5月24日(水)

池透暢選手

(ウィルチェアーラグビー)

リオパラリンピック ウィルチェアーラグビー 日本代表キャプテン

池透暢選手(ウィルチェアーラグビー)

リオパラリンピック 日本代表キャプテン 池透暢選手

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昨年のリオパラリンピックで、日本ウィルチェアーラグビー悲願のメダル獲得に貢献した池透暢選手。キャプテンとしてチームをまとめ、プレーでは世界一とも言われるロングパスで好機を演出し続けた。19歳の時に車で街路樹に衝突。全身にやけどを負いながらも九死に一生を得た。しかし、同時に大切な友人を失ってしまう…。友のためにも「生きた証を残したい」という一心で、ウィルチェアーラグビーに全力を注いできた。次の目標は東京パラリンピックでの金メダル。そのために、「一人で二人止められる選手になりたい」と日々トレーニングに励んでいる。車いすの座面を1センチ下げることや、切断した左足の可動域を少しでも広げることなど、些細なところにも目を向けるようになったと言う。練習試合の後には、チームメイトに厳しく声をかける場面も。「伝えるべきところは伝えていく」これも、リオを終えて芽生えた自覚だ。競技生活5年目、「経験では他の選手にまだまだ劣る」と語る池選手だが、鍛え抜かれた右腕は誰よりも太く、その顔は自信に満ち溢れていた。

池透暢選手(ウィルチェアーラグビー)

キャプテンとしてチームを取りまとめる

池透暢選手(ウィルチェアーラグビー)

傷の一つ一つが対戦相手を止めた証

池透暢(イケユキノブ)
1980年7月21日生まれ 36歳 高知県出身 日興アセットマネジメント所属
3.0クラスで、正確なロングパスが最大の武器。19歳の時に交通事故で全身の75%に大火傷を負い、左足を切断。2012年に車いすバスケットからウィルチェアーラグビーに転向。2016年リオパラリンピックではキャプテンとして日本初の銅メダルを獲得。

5月17日(水)

高田千明選手

(陸上)

リオパラリンピック 100m走・走り幅跳び 日本代表

高田千明選手(陸上)

走り幅跳びではリオパラリンピックで8位入賞

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子育てをしながら2020年東京を目指す全盲の“パワフルママ”高田千明選手。2008年北京パラリンピックの代表落選後、周囲の反対を押し切って結婚。長男の論樹くんを出産した。しかし、出産後から体調が戻らず2012年ロンドンパラリンピックでも代表を落選してしまう。それでも、子供が理由で夢を諦めたと思いたくない一心で競技を続けた。転機はロンドン後に始めた走り幅跳びだった。メキメキと頭角を現し、2016年リオパラリンピックで走り幅跳びと100m走の2種目で日本記録を樹立した。2020年の目標は走り幅跳びで金メダルを獲ること。夫は聴覚障害を持つ、デフリンピック陸上日本代表内定の高田裕士選手。諭樹くんが友達に話していた「ママは目が見えないけど、すごく速く走れるんだよ」という言葉が励みになっている。夫と自分、どちらが先に息子に金メダルをかけてあげるかを競っている。

高田千明選手(陸上)

左:高田千明選手と右:コーラー/伴走者の大森盛一さん

高田千明選手(陸上)

長男の論樹くんと鯉のぼりで遊ぶ

高田千明(タカダチアキ)
1984年10月14日生まれ 32歳 東京都出身 ほけんの窓口所属
先天性の視覚障がいを持ち、18歳の時に全盲となる。21歳の時に伴走者と出会い、陸上でパラリンピックを目指すようになった。リオパラリンピックでは100mで、日本記録を更新するも予選落ちだったが、走り幅跳びでも日本記録を更新し、見事8位入賞を果たした。

5月10日(水)

大塚忠胤選手

(アーチェリー)

犬歯で弓引く異色のアスリート

大塚忠胤選手(アーチェリー)

全国身体障害者アーチェリー選手権
優勝 大塚忠胤選手

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大塚忠胤選手は18歳の時、バイク事故で右腕が不自由になった。その後、周囲の人から「口を使って弓を引いている選手がいるから、あなたもできるよ。」と教えられ、アーチェリー競技の世界へ。2016年5月のリオパラリンピック最終予選では、本来、準決勝に進出できるはずが、スコアの記入ミスにより敗退。出場権を獲得できず、一時はどん底まで落ち込んだ。しかし、高杉晋作の言葉「面白き事なきこの世を面白く」を人生のモットーとしている大塚選手は、「自分は一つのものを掘り下げていくことが好きなタイプなので、今はアーチェリーを掘り下げて!」と、2020年に向けて再び気持ちを振い立たせた。「アーチェリーは同じことをすれば、同じところに矢は集る…単純にそれだけのスポーツと思うが、同じ動作、タイミングを何度も繰り返す難しさがある」と語る大塚選手。今は己と向き合い、より良い1射を目指して際限なき戦いに日々挑んでいる。趣味は、今でもバイクをいじること。時間を見つけては知り合いのバイク店に足を運んでリフレッシュを図り、その時の表情は競技時とは全く逆で、プレッシャーから解き放たれた笑顔を見せる。

大塚忠胤選手(アーチェリー)

犬歯で弓を引く独特のスタイルを貫く

大塚忠胤選手(アーチェリー)

同じ動作を繰り返してより良い1射を目指す。

大塚忠胤(オオツカタダツグ)
1968年3月22日生まれ 49歳 栃木県出身
株式会社レンタルのニッケン、ペガサスアーチェリー所属
18歳の時にバイク事故に遭い、右上肢機能が全廃。その後フィールドアーチェリーと出会い、競技を始める。犬歯で弓を引く独特のスタイルを貫き、2016年5月のリオパラリンピック最終予選で本来は準決勝進出だったが、スコアの記入ミスにより敗退。出場権を逃した。2016年に行われた全国身体障害者アーチェリー選手権大会で優勝。さらに、2017年NFAAワールドアーチェリーフェスティバル FXLクラスでも優勝を飾った。

5月3日(水)

中山和美選手

(陸上)

リオパラリンピック 車いす陸上 日本代表

中山和美選手(陸上)

元CAの素顔は明るくチャーミング

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笑顔が爽やかなアスリート中山和美選手。彼女は22歳の時、子供の頃から憧れていたCA(客室乗務員)になったが、そのわずか1年後に突発的な脊髄梗塞を発症し、車椅子の生活になった。それでも、翌年から医師の勧めで車いす陸上を始めると競技の面白さにのめり込み、パラリンピックを目指すようになった。努力した分が直接タイムに表れる厳しさと、いい結果が出た時の喜びが車いす陸上の魅力だと彼女は言う。そして2016年、念願のリオパラリンピックに出場。400m/800m/1,500mの3種目に出場したが予選で敗退。決勝へ進出することは出来なかった。「やっぱり海外の選手たちに勝つにはパワーが足りない」そう実感した彼女は、海外の選手たちと戦うために肉体改造を開始した。自分で組み立てたトレーニングを積み重ねる日々。今、何が一番の目標かと尋ねると…「世界と戦える“強いエンジン”が欲しい」と、独特の表現で答えてくれた。いくつもの壁を乗り越え、今を全力で生きる彼女の夢は、2020年の東京パラリンピックでメダルを掴み取ることだ。

中山和美選手(陸上)

300mのタイムトライアルで本気の走り

中山和美選手(陸上)

自然に囲まれた競技場で一人黙々と練習

中山和美(ナカヤマカズミ)
1983年6月22日生まれ 33歳 千葉県出身 アクセンチュア所属
車いす陸上女子100m、200m、400m、800m(T53)の日本記録保持者。2008年から、本格的にレースへの出場を始める。2014年アジアパラリンピックで200m、400mの2種目で銀メダルを獲得。2016年リオでパラリンピック初出場。400m、800m、1,500mの3種目に出場。