PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2016年10月

10月26日(水)

齋藤拓さん

(義肢装具士)

リオデジャネイロパラリンピック男子個人ロード男子タイムトライアルで銀メダルを獲得した、藤田征樹選手の義足を製作した義肢装具士・齋藤拓さん。藤田選手とは10年来のパートナー。
齋藤さんの仕事場は、茨城県水戸市。2015年にそれまで11年働いていた東京の職場を離れ水戸に移り住み、3人の仲間と新たな場所で製作活動を始めた。齋藤さんが義肢装具士を目指すきっかけとなったのは、高校3年生、18歳の時。シドニーパラリンピックで走り高跳びをする鈴木徹選手が、軽々とバーを越えていく姿に感銘を受け、自分もパラリンピックで活躍するスポーツ選手の義足を作りたいと義肢装具士を目指す。
しかしそれは思ったよりも狭き門だった。
当時、義肢装具士になるには全国に5校しかない専門学校の一つに入学しなければならず、合格できるのは5校で100名だけ。しかし、手先の器用だった齋藤さんは、実地試験も通過し難関を突破。2004年から、義肢装具士として経験を重ね今やパラアスリートから絶大な信頼を得るまでになった。
現在、日本全国から義足を作りに水戸の齋藤さんのもとにはアスリートたちがやってくる。担当しているパラアスリートは藤田征樹選手や陸上の中西麻耶選手など、2020年・東京を目指す5名のアスリートたち。
齋藤さんが義足の作り手として大切にしていること、それは「信頼感」。とことん選手と話をして納得のいくまで義足を作り直し、いかに体の一部となって心地よく使える義足となるか試行錯誤の日々を送っている。
この仕事は「ゴールのない仕事」だと齋藤さんは言う。完成したと思ったその時から、新しい課題が生まれる。選手からの要求はレベルが上がり、自分自身もさらに完成度の高さを追求したくなるからだ。2020年の東京を目指しゴールのない戦いが選手とともに続いていく。

1983年5月16日生まれ 33歳 宮城県出身 有限会社アイムス所属
2004年 財団法人鉄道弘済会入会。義肢装具士としてスタートを切る
2015年 有限会社アイムス入社。茨城県水戸市へ移住。
現在、藤田征樹(自転車)、中西麻耶(陸上)、中山賢史朗(トライアスロン)、藤井美穂(自転車)、川本翔大(自転車)の5名のパラアスリートをサポートしている。
年間で約100人の義足や義手、装具を製作している。

10月19日(水)

岡部歩乃佳選手

(水泳)

2020年の東京パラリンピックで金メダルを獲ることが目標の元気な高校生スイマーが登場。
生まれつき右前腕が無く、4歳の時に従兄弟が習っていた水泳に興味を持つ。両親も泳げるようになり、障がいを隠さずに前向きになって欲しいという気持ちに答えるように水泳を始めた。新居浜市内のスイミングスクールで週5日~6日練習し、身障者連盟の合宿にも積極的に参加している。S9クラス(S=自由形、背泳ぎ、バタフライ、9=肢体障害で片前腕切断などのクラス)の選手として成長し、2015年は、ジャパンパラリンピック水泳競技大会の100M自由形と100M背泳ぎで優勝。IWAS世界競技大会(ロシア・ソチ)ではフリーリレーと個人100M背泳ぎ銀、400Mメドレーリレーで銅を獲得。さらに全国障害者スポーツ大会では50M背泳ぎに大会新で優勝。日本身体障がい者水泳選手権大会でも100M背泳ぎで優勝するなど、日本のトップ選手として活躍している。2020年の東京パラリンピックで金メダルを獲ることが目標の、明るく負けず嫌いの高校生。

2000年9月3日生まれ 16歳 愛媛県出身 新居浜東高校1年 伊予かんえい会所属
先天性右前腕欠損、水泳を始めたのは4歳。
(S9クラス)2015年障害者スポーツ世界大会100m背泳ぎ銀メダル。2016年JAPANパラ水泳100m背泳ぎ優勝。週6日のハードなトレーニングで実力は急上昇!
東京パラリンピックではパラ水泳界にあってもっとも期待される存在。

10月12日(水)

西勇輝選手

(陸上)

今年新社会人として、野村不動産パートナーズに入社した西選手。入社はアスリート枠ではなく一般枠で採用された人材で、入社後西選手が2020東京大会を目指していることを知り、会社側は、練習に集中できる環境つくりをサポート。人事部勤務のサラリーマンアスリートとして、日々練習を重ねている。
西選手は、専用の練習をもたない一般の方が利用する競技場を自ら予約してトレーニングを重ねているたった一人でのトレーニング。自ら運転する車に短距離用の車椅子(レーサー)を積み、車で着替え競技場に姿を現す。その姿を見ると少しストイックにも思えるが、本人はとても人当たりの良い優しい表情を持つ好青年。イチロー選手に憧れてスポーツ選手になろうと思いその夢を実現させた。
東京都が創設したアスリート認定選手、一期生にも選ばれ夢だったパラリンピックへの道も見え始めている。

1994年2月14日東京都生まれ 22歳 野村不動産パートナーズ株式会社所属。
2013年第3回アジアユースパラゲームズ日本選手団主将。100m/200m/400mの3種目で金メダルを獲得。
2015年ジャパンパラ陸上100mで優勝。翌年2016年アジアオセアニア選手権では、400mで優勝するなど、夢だったパラリンピックへの道を突き進んでいる。
2016年東京アスリート認定選手認定。

10月5日(水)

三須穂乃香選手

(陸上/短距離)

三須選手は、先天性右前腕欠損 陸上は小学生の時男の子達を軽々と抜く娘の姿をみた両親のすすめで始めた。健常者と同じ大会に出場していた彼女は高校時代までずっと土のグランドで練習してきた。
高校3年時に出場した2015年の日本パラ陸上選手権で100m13秒11の日本新記録をマーク、一躍注目を集める存在となった。その年の毎日スポーツ大賞にも選ばれ日体大に進学、練習の質や体調管理に恵まれた環境でリオパラリンピックを目指していたが、同じ陸上部「パラアスリート部門」に所属する先輩辻沙絵(21)に100mの記録を破られリオ出場の機会も逃した。辻先輩のメダルは嬉しかったがリオの競技場に立てなかった悔しさは今でも残っていると、素直に語ってくれた。
「笑顔」「明るい」そんな印象を受ける三須選手。「弱音は吐かないぞ!」とでもいうようにきびきびと練習に励む姿は心を打たれる。
1日中陸上のことばかり考えているという三須選手。朝起きて練習メニューのことを思い、毎日手作りのお弁当を食べては、どうやったら記録がのびるのかを考える。
18歳の女性、お洒落よりも記録…こんな18歳も素敵だと思わせるそんな女性が三須穂乃香選手。
4年後、2020年の自分は競技場の決勝の場に立っている。そう決意を語ってくれた。

1998年2月11日生まれ 18歳 新潟県生まれ
日本体育大学1年生 陸上競技部 パラアスリート部門所属
2015年 日本パラアスリート選手権100メートル(T47)13秒11(歴代2位)
2015年 毎日スポーツ大賞受賞
2016年 日本体育大学入学