PARA☆DO! 〜その先の自分(ヒーロー)へ〜

毎週水曜 よる10時54分 放送

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2016年8月

8月31日(水)

杉野明子選手

(バドミントン)

笑顔がキュートな美人アスリート、パラバドミントン選手杉野明子選手が登場。
杉野選手が障がいをおったのは、生まれてくる時。難産により、先にでてきた左肩を引っ張ったことによって、その後、左腕の麻痺が残るようになりました。中学、高校、大学と健常者と共にバドミントン部に所属し、大学2年生の時から、本格的にパラバドミントンの世界へ。2013年には、国際大会で銀メダルを獲得。今年2016年のインドネシアオープン大会では、銅メダル3つを獲得するなど、東京パラリンピックでの活躍が期待されています。
杉野選手が所属するのは、六本木ミッドタウンにあるヤフー株式会社。今年4月から、障がい者アスリートが現役期間に、競技活動と両立して業務経験やスキルを習得できる制度が開始され、午前中は仕事、午後から練習の日々を送っています。杉野選手のオフィスは19階の窓際の席。窓の外には、東京の大都会の景色が広がります。ですが、彼女は、実家のある千葉の市原の自然の景色の方が好きだと応えました。
2020年、東京パラリンピックから正式種目になったパラバドミントン。
杉野選手の競技にかける想いが明かされます。そして、彼女が見据える『その先の自分』とは?

1990年12月7日生まれ26歳 千葉県生まれ ヤフー株式会社所属
出生時に左腕に障がいを負い、機能不全となる。
2003年中学校でバドミントン部に入部。そこで競技に出会う。2013年ヤフー株式会社に新卒入社。
2013年BWF Para-Badminton World Championships 2013(ドイツ)で女子シングルス銀メダルを獲得。2014年仁川アジアパラ競技大会で女子ダブルス銅メダル、女子シングルスベスト8入賞。
2015年6月2nd INDONESIA PARA-BADMINTON INTERNATIONAL 2015で女子ダブルス銅メダル、女子シングルス銀メダルを獲得。会社では、財務統括本部購買本部に在籍し、競技活動と両立するバドミントン界きっての美人アスリート。

8月24日(水)

上山友裕選手

(アーチェリー)

リオパラリンピックに挑むアーチェリーの上山友裕選手。
取材を通して感じたのは、「この選手とにかくポジティブ。」ということ。
大学からアーチェリーを始めた上山選手は卒業後、仕事の帰り道に突然両足が麻痺。
原因不明の症状は治らず、パラの世界に転向しました。健常者の頃とのギャップに苦しむ時期もありましたが、上山選手は「この足のおかげで日の丸をつけられている。」と笑顔で語ります。
決して強がりではなく、自分の足に感謝する。
前を向いてアーチェリーに取り組むポジティブな姿に、上山選手の強さを感じました。
リオパラリンピック出場が決まり、沢山の応援を受けたという上山選手。
その期待に応え、アーチェリーの魅力を一人でも多くの人に伝えたいと意気込みます。
2020年の東京大会も見据える、アーチェリー界 期待の星に注目です。

1987年8月28日生まれ28歳 大阪府出身 三菱電機所属
同志社大学時代にアーチェリーを始める。卒業後の2011年に突如両足が麻痺し、パラへと転向。
2012年から日本代表強化選手に選ばれる。
2015年全国身体障害者アーチェリー選手権優勝。
ことし6月にチェコで行われたリオデジャネイロパラリンピック世界最終予選のリカーブ・パラ個人部門で3位に入り出場権獲得。日本トップの選手に成長し初のパラリンピックに挑む。

8月17日(水)

田中愛美選手

(車いすテニス)

8月17日のPARADOは車いすテニスの田中愛美選手が登場。
田中選手は高校1年生の冬にケガをして下肢に麻痺が残り、車いす生活となりました。
回復後、高校生活に復帰し、それまで続けていた部活の硬式テニスをどうしても続けたいと思い、顧問の先生に相談すると「戻ってくるんだったら、プレーヤーとして戻ってきなさい」と言われ、一念発起。車いすプレーヤーとしての活動をスタートさせました。
当時は純粋にテニスを楽しんでいた彼女でしたが、東京パラリンピック開催が決まると同時に、日本車いすテニス界をけん引する上地結衣選手の活躍を見て、自分も同じ舞台に立ちたいと考え、2020年を目標に本格的に競技活動を開始。得意のフォアハンドを武器に攻撃的テニスをモットーとする田中選手の奮闘をご覧ください。

1996年6月10日生まれ 20歳 右利き。中学、高校で硬式テニス部に所属し、高1の冬に転落事故にあって車いす生活となる。
2013年、退院後にすぐに車いすテニスを始め、高校のテニス部にも復帰。卒業後は、企業に就職して車いすテニスのアスリートとして活動を開始し、2016年車いすテニス国別選手権で日本代表に選出。現在日本ランキング シングルス4位。サービス、フォアハンドのスピードあるテニスを得意とし、2020年の東京パラリンピックで活躍が期待されるホープ。

8月10日(水)

藤本聰選手

(柔道)

不屈の柔道家・藤本聰。
先天的に目が不自由だった藤本選手が柔道に出会ったのは、5歳の時。
以来35年の歳月を柔道と共に過ごしてきました。パラリンピックアトランタ大会から視覚障害者柔道3連覇を成し遂げ、北京では銀メダルを獲得。前回のロンドン大会では出場を逃し雪辱を味わい、一時は引退も考えながらも、41歳を迎える今年、再びリオの舞台に挑みます。
視覚障害者柔道の代表合宿が行われていたこの日、藤本選手は朝一番の飛行機に乗って、徳島から東京の講道館へ移動。長時間の移動にもかかわらず、到着するなりすぐに練習で汗を流していました。これまでの栄光の代償に手首をはじめ体もボロボロ。減量も乗り越えなければなりません。
しかし、藤本選手は全てを乗り越え「今が現役最強」と語りました。
“心技体”を備えた藤本選手を突き動かす原動力が明かされます。

1975年8月2日 徳島県生まれ 41歳。柔道四段。視覚障害者柔道で89連勝の記録を持つ。
2004年、徳島県立盲学校実習助手兼助教諭となり、柔道部顧問と徳島県立徳島商業高等学校の柔道部コーチを兼任。同年アテネ大会でパラリンピック三連覇を達成し、同年徳島県民栄誉賞を受賞。2008年のパラリンピック北京大会では、パラリンピック四連覇が掛かっていたが、決勝で惜しくも敗退し銀メダルに終わった。前回のロンドン大会では出場を逃し一時は引退も考えながらも、41歳を迎える今年、再びリオの舞台に挑む。

8月3日(水)

岩渕幸洋選手

(卓球)

パラ卓球界期待のホープ。
岩渕選手は、先天的に両足が不自由で、本格的に卓球を始めたのは中学3年生の時。現在は、あの福原愛選手も在籍した名門・早稲田大学に所属。
2014年には国際クラス別肢体不自由者卓球選手権で優勝。
2014年、2015年のジャパンオープン肢体不自由者卓球選手権2連覇など国内で数々の成績をおさめ、昨年の欧州転戦ではスペイン・オープンなど3大会を制覇。世界ランキングを11位まで上げて見事にリオ・パラリンピック出場権を獲得。まもなく行われるリオでは、メダル獲得を目標に掲げている。
パラリンピックの卓球はほぼ一般の競技規則に準じて行われるが、様々な障がいを持つ選手達の戦い方は実に様々で、シビアな世界。両足に障がいを持つ岩渕選手の戦い方は、できるだけ左右の動きを小さくするために台にくっつき、積極的に前にでる“前陣速攻”。弱点を強みにかえるべく、得意のフォアで勝負する戦術を編み出した。
普段は、練習熱心で好青年の岩渕選手だが、いざ試合になると一変。気合いのかけ声とガッツポーズで闘志を全面に押し出して戦う。そんな岩渕選手が描く未来の姿が明かされます。お楽しみに。

1994年12月14日 21歳 早稲田大学教育学部理学科地球科学専修4年在学中。
大学では進化古生物研究室で白亜紀の有孔虫について研究。早稲田実業学校中等部で、卓球を本格的に始める。練習スケジュールは2時間の練習を2部制で行い、フル参加なら1日4時間超の練習をこなす練習熱心な好青年。リオではメダル獲得を目指す。趣味は体を動かすことが好きで、正月は家族でゴルフ。シーズンにはスキーも。