◎インタビュアーの目
1999年のワールドカップの時にスーパーエースとして活躍し「ノブコフ205」のあだ名は全国区になった。しかしそれ以来、斎藤の名前は国際舞台から消えた。チーム事情により、スーパーエースからセンターにスイッチされたからだ。斎藤はそれほど器用な選手ではない。いや、言ってしまえば不器用である。高身長とパワーを買われて、スーパーエースになった時も、監督やコーチにフォームをいじられ、飛ぶタイミングを注意され、スパイクの腕を矯正されてもいた。それでも苦しそうな表情の中に、笑顔を必死で作ろうとしていた。なんとかスーパーエースがこなせそうになった途端に、センターにスイッチされた。また同じように人の何倍も汗をかきコツコツと身体に覚え込ませてきた過程が想像に難くない。おまけに素直な性格のため、たくさんの人にアドバイスされたものをなんとか吸収しようと、かえって混乱を起こした時期もあった。しかし今、斎藤はセンターの第一人者として最終予選に帰ってきた。他人に惑わされない強い意思も生まれた。3年ぶりに全日本に復帰した斎藤は、円熟味を増したアスリートに変貌していた。
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